社会的「林」の中で生きる

仕事柄、今後のキャリアについて相談されることが多くあります。

「今後」と言っても、その人が何歳なのかによって随分見え方が変わるものですが、自分自身が一般社団法人 白秋共同研究所 の理事をしていることもあり、シニア世代、または予備軍(特に40代)の方々からの相談が多く、この世代は特に「今後」を強く意識しておられる方々が多くいらっしゃいます。ポジティブというよりは、どちらかというとネガティブに将来を見ておられるように感じますが、結論からいうと、実は50歳からが人生の黄金期だそうで、いやこれ、事実であれば人生の後半戦を迎えるのが非常に楽しみなわけです。

このブログでも何度か書いていますが、世界では人生を4つに分けて考えることが多いようです。

中国では、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」としていますし、古代インドでは、「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」という考え方があります。最近よく耳にする「人生100年時代」に当てはめて考えると、それぞれ、0〜25歳、25歳〜50歳、50歳〜75歳、75歳〜100歳と区分できるかもしれません。

老いの工学研究所によると、インドの四住期において「林住期」が人生最高の期間とされるようです。

●「学生期(がくしょうき)」
 まだ一人前ではなく、学び、心身の鍛錬を通して成長していく期間。

●「家住期(かじゅうき)」
仕事を得て懸命に働き、結婚し、家庭を持ち、子を育てるために頑張る期間。

●「林住期(りんじゅうき)」
世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。

●「遊行期(ゆぎょうき)」
人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤。

この中で、「林住期」が人生最高の期間とされるようです。

学生期、家住期、林住期、遊行期(インドの四住期)【高齢期に関わる用語集】https://www.highness-co.jp/churakubou/detail/215

林住期の「自分らしく自由に、人間らしく生きる時期」とはどういう意味なのでしょうね。この時期は自分の夢を実現し、必要からではなく興味によって何事かをする時期と作家の五木寛之さんは書いておられます。

振り返ってみると、自分も20代から40代半ばまで一生懸命働き(家族を養い、子どもを育て、経験を積むという必要性があったと思います)、46歳で興味によって何事かをする時期にシフトしたように思います。

具体的には、会社勤めを辞めて若手や後進にバトンタッチをし、フリーに身軽に働けるようにして、自分の会社で収益を上げつつも、関心が向く方に多くのリソースを割けるようになりました。「関心が向く方」と「ビジネス」は両立しない場合が多く、自分の場合は複数ある社団法人の活動やコミュニティ運営、地域活性、シニアキャリア、神社のお祭りなどは収益とはほど遠い場所にあります。むしろ、持ち出しの方が圧倒的に多いかもしれません。でも、これらの活動に注力できているのは25年間の「家住期」があったからなんですよね。

「林」という表現が面白いな〜と思います。街ではなく、林。憩いの場所、落ち着く場所、静かな場所、里山のようなイメージ。でも街から遠くは離れていない。家住期の人たちに混じってがんばるのではなく、少しだけ距離を置いて興味関心に向き合う。なにかあれば、街の人たちを手伝ってあげる。

こう考えると、家住期にどれだけがんばれるかがとても大切なのかもしれません。20代〜30代の方、急がず焦らず、楽しみながら泥臭くがんばりましょう。どのみち急いでも何者にもなれませんから(笑)、安心して目の前のことをひとつづつね。

と、前置きが長くなりましたが、こういったことってなかなか一人で出来るものでもありません。相談できる場所や仲間も必要です。そこで、白秋共同研究所では、「White Club(ホワイトクラブ)」というサロン型のコミュニティで、月に一回、神戸のカフェ・テイストなコワーキングスペース「Sowelu」に集まり、ワイワイガヤガヤと様々な話や情報交換をしています。

今日書いたような情報は、月に二回メルマガとして「白秋世代エンジョイニスト」であり、合同会社アーベント代表の吉川公二さんにコラムを書いていただき、発信しています。

このホワイトクラブですが、実は誰でも参加できます。原則、毎月第四水曜日の18:30に、10人ほどで集まって、ゲストスピーカーの身の上話を30分聴き、その後は乾杯スタート。王子公園のグルメをケータリングでいただきながら、みんなで最近あった出来事や関心事などを話しています。こちら、興味がある方はお気軽にゆるっとご参加ください。会場代、飲食代を入れて 3,000円です。

既に林住期を迎えている方でなくても、家住期の現役の方、30代の方なんかは今後のキャリアの参考になるとも思います。ほんといろんな人がいて面白いですよ。

あと、「林住期の面白い方」も常に探しています。僕の方からゲストスピーカーとして急にお声を掛けるかもしれませんので、その際はどうぞよろしくお願いいたします。笑

WEBサイトはこちらから
https://hakushu-lab.com/whiteclub.html

伊勢紀行〜旅する皇女の足跡を訪ねて

先週末、一般社団法人グローバル人事塾の合宿で伊勢に行ってきました。

集合時間は伊勢市駅に朝11時だったのですが、どうしても、早朝の凛とした空気に満たされた、人のいない内宮を参拝したく、朝3時に起きて車を走らせました。本来であれば外宮→内宮のルートが一般的なのですが、皆と合流した後に再度、外宮→内宮をお参りする予定だったのでフライングさせていただいたのです。

早朝の内宮参道
宇治橋鳥居と宇治橋

今回の旅では、神宮以外にも、別宮や猿田彦神社、二見興玉神社などを巡りました。
特に、別宮である瀧原宮、伊雑宮は絶対に行きたかったお宮です。

伊勢神宮はおよそ2000年前に第11代垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)により創建されました。

それまで、宮中で祀られていた皇祖神・天照大神を、天下泰平・安寧のために宮廷の外で祀るという新しい形を求めた大和王朝の第10代崇神天皇と、天照大神の祭祀を司った皇女である豊鋤入姫の意思を継いだ第11代垂仁天皇は、娘である倭姫命に天照大神の祭祀を託します。倭姫命は天照大神の御杖となり、新たにお祀りする場所を求めて、現在の奈良県桜井市を出発し、40年の歳月をかけて、伊賀、近江、美濃を経て、現在の内宮がある五十鈴川の上流に行き着いたと言われています。

そのため、伊勢では至るところに「天照大神と共に旅する皇女」である倭姫命の史跡があります。

磯宮(二見興玉神社)の夫婦岩

日本の統一と安寧を求め、大和から伊勢へと旅され、瀧原宮と神宮を創建された倭姫命。甥っ子である日本武尊(やまとたける)に草薙の剣を授け、東征に出したのは有名な話です。その日本武尊は西にも東にも出征し、やがて国を統一しました。
(一般財団法人 京都宮廷文化研究所「倭姫命と日本武尊の歴史的役割」参照)

倭姫命が創建されたもう一つの神宮、瀧原宮は、瀧原宮と瀧原竝宮が並列になっています。

瀧原宮

これが本来の伊勢神宮の形であると言われており(瀧原宮の由緒書きにも記載されています)、現在の内宮の正宮と荒祭宮の位置関係も、元は横並びであったとされています。

また、現在の伊雑宮の御祭神は「天照坐皇大御神御魂」となっていますが、中世末以降は伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀っていました。伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書においては、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれ、同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」と記載されており、玉柱屋姫命と瀬織津姫は同一神と見なされているようです。(Wikipedia 伊雑宮 参照)

伊雑宮

天照大神の御杖となって旅をされた倭姫命は、天照大神と瀬織津姫の御夫婦を並列に祀られたということなのでしょう。

天照大神は一般的には女神と解釈されていますが、実際は男神であり、そのお后が瀬織津姫であった。この夫婦の関係が、世の中のバランスを取っていたと考えられています。太古の昔から、太陽と月、陰と陽、男と女、夫と妻、潮の満ち引き、など、陰陽のバランス、調和、和合が日本の歴史・文化そのものであり、このバランスが崩れた時に戦や争い、現代では分断や格差が生じているものと思います。

伊勢(いせ)の語源は、妹(いも)と背(せ、または、おせ)と言われています。「いもおせ」とは、男女、陰陽を表しています。性差による作りの違いを理解し、それぞれの役割を担うこと。これが重要なんでしょうね。

今回の旅で、自らの使命を受け入れて神宮創建に尽力された倭姫命の功績に触れることができました。

それが2000年経つ今でも受け継がれ、残されている。自分に何ができるか分かりませんが、今この時代を生きている人間の努めとして、自分だけが良ければいい、とか、自己実現とか、そういう目先のことだけでなく、受け継がれてきたものを引き継ぎ、また、自分の子や孫の世代にバトンを渡していく。

それが努めなんだろうと思います。今自分たちが生きている日本は、先祖が必死で守ろうとした日本の未来ですね。

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瀧原宮、内宮と荒祭宮については、Youtubeの「トの教えチャンネル」で、六甲比命講代表であり、関西ホツマの会代表の大江先生(林先生)が詳しく解説されているので、興味のある方はぜひ。

「瀧原宮は伊勢神宮の真の姿」(トの教えチャンネル)

「伊勢神宮総集編」

「変わらないもの」に対する関心が深くなっている理由

自分自身の興味関心が変化していることを実感しています。
具体的には「変わらないもの」に対する関心がどんどん深くなっている、という感じでしょうか。

世の中には、変わるものと変わらないものがあります。
経済や政治の仕組みや技術は時代によって変わるもの、人の暮らしを支える農業や漁業、お祭りなどは変わらないものと定義することができるかもしれません。

数百年、数千年と続いてきた営みは文化と呼べますし、その文化というのは、いつの時代も人が「生きる」ということと密接に関係しています。生きていく上で必要なのは、水、空気、食べ物です。神社などに行くと、太陽や水や土それぞれに神が宿っていて、五穀豊穣を願い、実りに感謝することがお祭りという形になっていることが分かります。一方、寺は人々が強く生きていく上で大切な心を鍛える修行の場であり、救いの場と捉えることもできるかもしれません。

生きていく上で最も重要な水、空気、食物ですが、特に食べ物について、最近特に気にするようにしています。前回のブログでも書きましたが、医療が発達して平均寿命が延びたにもかかわらず、ガンや認知症などの増加で健康寿命は思うほど延びていない、働き盛りの子が親の介護をしなければならない(僕の祖父母世代は親の介護なんて経験したことがなかった)などの状況を見ていると、これは果たして技術が進歩したといえるのか?と思うのです。誰もが望む「ピンピンコロリ」ですが、それも思うようにいかず、結局は人の世話になってしまうという現状もあります。

貧困と肥満率の相関関係を見ても分かるとおり、今の世の中で健康に生きようと思うと、お金と時間が必要です。なんでなんでしょうね。人は仕事に追われ、時間がないのでコンビニやファーストフードなどで添加物や糖質の多い食事をしてとりあえず腹を満たし、健康を害し、病院に行き、医療費や保険のためにまた働くという悪循環を繰り返しています(かつての自分がそうでした)。アメリカでオーガニックな野菜を手に入れようと思うと、高級スーパーに行かなければ手に入りませんし、高額です。庶民にはとても手が届きません。

そのような現状を解決するために、経済成長や技術革新や医療の進歩がなにか寄与してきたか?と思うと、僕の中では答えが見い出せず、ただ格差を生んだだけではないのか?と思うのです(経済成長や技術を否定するものではありません)。

食や病気だけでなく、戦争や暴力、搾取がいつまで経ってもなくならないのも同じですけど。

そういうわけで、自分は「ビジネス」に対する関心は徐々に薄れ、今は、人間が人間らしく幸福に生きていける枠組み、システムなどに深い興味を注いでいます。ビジネスをすればするほど誰かが貧しくなっている気すらします。最近、文化人と呼ばれる人、具体的には、芸術家、大学教授、作家さんなどとお話をする機会が増えているのもそういう理由からかもしれません。人にもよりますが、このような方の視座は高く、全体を俯瞰したり、物事を別角度から分析したり、歴史を百年単位で考える思考をお持ちです。自分もお祭りの企画や運営に携わっている手前、日本古来の歴史や文化について深く考えることが多く、今の世の中に本当に必要なものって何?と考えることが多くなりました。

松田さんは稼いでいるからそんな悠長なことが言えるんですよ、と言われることもありますが、決してセーフティゾーンから物を見ているわけではなく、本当になんとかならんか、と思っているところです。まだ答えは全然見つかっていませんが、とりあえず、これと思うことに心血を注いで行きたいと思います。

高層ビルとホームレースのコントラスト サンフランシスコ,2019年