雨が上がって、青空が広がる。
毎朝、庭の水やりを日課にしていると、天気の変化に敏感になります。朝起きて今日は晴れてるかな、曇っているかなと空を見上げ、庭の土の乾き具合を見る。近所の植物園までジョギングをして、森の中で肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込んで、ゆっくり時間を掛けて息をはく。サウナはあまり得意ではありませんが、この森林浴も一つの「ととのう」ということなのでしょうか。
6月は、このブログをスタートした月になります。
2005年の6月にブログを書き始めて丸17年が経過し、18年目に入ります。当時はスマートフォンもなく、その間、コミュニケーションの手段やインターネットで使用される技術もどんどん変化して行きましたが、自分はこのようにネット世界の辺境で、ひっそりと、こつこつと、テキストを打ち続けることによって「思考をととのえる」ことを習慣にしてきました。書き始めた頃は30歳になる手前で、もちろん書いていることも今とは違うし、仕事に対する思いもテクノロジーに対する考え方も今とは異なっていたように思います。17年という月日は人を変化させます。願わくば「成熟」という方の変化が良いのですけれど。
最近、自分が関わっているプロジェクトや製品について、なんでもかんでも新しい技術やトレンドを導入することを最優先にすることはやめ、とにかく「理念と哲学」にこだわるようになってきました。
参画しているメタバース・プロジェクトでは、目に見える社会の課題をどのように解決できるか、それによって人が幸せに生きていくためにはどうすれば良いかを考えています。具体的には、地域ごとの自立分散型経済と互助共助社会の実現です。インターネットが出現してから30年、2019年ノーベル経済学賞のバナジーとデュフロがいうように「先進国に関する限り、インターネットの出現によって新たな成長が始まったという証拠はいっさい存在しない」という事実と、少なくとも30年間経済成長のない(=物質的に豊かになっていない)この国において、じゃあ、自分たちはどのような未来を作っていけるのか、そこはグローバルとは真反対のレイヤーを構築していくことではないかと考えるのです。
企業を成長させることや売上を上げることはとても大切です。でもね、最近、世の中の潮流が少しづつ変化しているように感じませんか?
「グーグルがこんなことをやっている」とか「イーロン・マスクがこんなことをやっている」とか「シリコンバレーではどうのこうの」(自分もSVで仕事をしていたのでこの地の魅力は良く知っているのですが)というキーワードに飛びつく人がものすごい勢いで減っているような気がするのです。むしろ、彼らがやっていることはより良い社会の実現というよりは富と情報の一極集中であるよね、と。富も体力も時間も搾取されることに疲弊してきた自分たちは、分断を作る世の中ではなく、お互い助け合いながら貨幣経済に依存しない社会で生活する方が幸せなのではないだろうか。
小よりも大、遅よりも速、狭よりも広、停滞よりも成長、が良しとされ、自分もビジネス一辺倒で今まで走り続けてきましたが、そろそろ舵を切り替えるタイミングに差し掛かっています。成長第一の旧態依然とした考え方には年々不感症になってくると同時に、周りにそのようなギラギラした人も自然といなくなり、淘汰され、周りには価値観を共有できる本質志向の人たちだけのコミュニティが残り、心地良さの中にも課題意識があるという不思議な感覚です。
テクノロジードリブンで新しいものを次々に構築していくことは否定しませんが、ソフトにしてもハードウエアにしても、あるいは会社経営にしても「それそのものにどんな意味があるのか」を徹底的に考え、あるべき姿を常に想像しながら意思決定をしていきたいと思っています。
さて、毎年、ブログの周年を迎えるに際し「僕はここでなにかしらをずっと書いています」と決意表明をしているのですが、今までなんとかその言葉どおりに続けてくることができました。そして、これからも僕はここでなにかを書き続けるでしょう。
いつも独り言に付き合ってくださる皆さまへ感謝の気持ちをこめて。
18年目もどうぞよろしくお願いいたします。