黙って静かに暗闇の中でこそ輝く美に目を向けよう

体調不良のために文字通り「寝正月」になってしまったおかげで、たくさん本を読むことができました。今年に入って、もう四冊目に突入しています。我ながらハイペースですが、スマホから離れて庭木を眺め、日の陰りを感じている時に、久しぶりに読みたいなと思って引っ張り出したのが「陰翳礼讃」です。

谷崎の作品の中でも、何度も読み込んでいる「陰翳礼讃」ですが、この本も、先週紹介した村上春樹さんの「走ることについて・・・」と同様、マーカーだらけになっています。

しかし改めて、今の時代に必要な本だよな。いや、今の「自分」に必要なのかもしれない。1933年に書かれ、日本の美を暗闇と影に見出すこのエッセイは今の時代にこそ見直されるべき日本の美学ではないかと思うのです。

昭和初期、西洋で発明された便利な「文明の利器」が押し寄せる中、谷崎はその便利さを認めながらも日本家屋にはおおよそフィットしないそれらを見て、明るくピカピカのものではなく、陰翳によって生かされるのが日本の美であると語っています。

照明にしろ、暖房にしろ、便器にしろ、文明の利器を取り入れるのにもちろん異議はないけれども、それならそれで、なぜもう少し我々の習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えないのであろうか

西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我らの方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代わりに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ踏み出すようになった

美というものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされた我々の先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った

陰翳礼讃

 

その国や地域の文化、言語、慣習、住居などは、その土地の地形や気候、作物、手に入る材料などによって形成されています。しかし文明が進み、現代のようにグローバルな社会になれば、面白くもなんともない画一的な製品に囲まれ、同じようなサービスを同じような値段でどこの国でも入手できるようになりました。

経済も同じで、GAFAMのような巨大世界企業が世界を席巻し肥大化する一方、すべての国の住人がそれらが提供するサービスやテクノロジーに従属するような形になっています。海外から様々な経営手法や管理手法が輸入され、それが合うか合わないか関係なく、日本の会社にも導入されていき、それが「最新の手法」としてもてはやされます。確かに生活は便利になった。でも、そもそも全然違う文化人種に対して、テンプレのように何かを当てはめるのはどうなのかな。そこに「らしさ」みたいなものはあるのかな。日頃から、そんな風に考えています。

谷崎の陰翳礼讃は、それが書かれてから90年後の今、まさに自分が抱えるモヤモヤをスパッと解決してくれるバイブルのように感じます。

この10日間で気づいたこと

世間の流れに違わず、自分も公私ともに年末進行でバタバタしています。書きたいことはたくさんあったのですが、そんなこんなで前回の更新から10日ほど空いてしまいました。

今週は月曜日から木曜日まで今年最後の東京出張でした。いろんな会社を訪問し、取引先や友人たちと飲み、グローバル人事塾で仲間たちと語らっていると、時間なんてあっという間に過ぎてしまいます。朝から夜までずっと動くというのは、最近のスローな日常生活では考えられず、体力的にもかなりダメージを受けました。昨年まではよくあんなに出張ばかり行ってたなあ。信じられません。

そうそう。
この10日間でいくつか気付いたことがあります。

一つ目。事業には客観的視点が必要なこと。
ここ最近、様々な企業の方針変換に触れることがありました。自分も組織の中に長くいたので良く分かるのですが、客観的視点を常に持つようにしておく、それができないのであれば、外部の人材やマーケ会社に依頼するなどして、意思決定に対して常に第三者チェックを加味する必要があります。そのために社外取や顧問などが重宝されるのですが、規模の小さい会社はなかなかそうも行かず、結局「井の中の蛙」的に社内事情とトップの判断だけで意思決定して、失敗してしまうというのが良くあるのです。社外から見た自社と社内から見た自社には大きな乖離があることを意識することが大切です。見ていて心配な会社がちょこちょこあります。


二つ目。セレンディピティは、自分に準備ができている場合にのみ与えられるもの。むやみやたらに動いても何も変わらない。
がむしゃらに動く人、とにかく気になるものは何でもやってみる人。いろんな人がいて全然OK、それはそれで素晴らしいことなのですが、それが結果につながらない人は「自分の中で準備ができていない」のかもしれないなと思うことがありました。つまり、自分がそのレベルに達していない。だからセレンディピティに出会わない。チャンスの種に出会っても物にできない。自分の中の価値観、軸をぶらさず、目標に向かって日々努力を重ねている人に与えられるギフトのようなものなのでしょうね。


三つ目。自分は寒さに弱かった。忘れていたわけではありませんが。

ここ数日のクリスマス寒波にすっかり身体がダメージを受けています。東京の夜も寒かったけれど、特に今日のゴルフは死にました。気温0℃のゴルフ場で風がビュービュー、体感気温は極地。ホールアウト後に何度も風呂に浸かり、身体を芯から温め、温かいものを食べ、暖を取っていますが、凍った身体の芯は溶けず、頭痛となって表に出てきます。いや、弱ったな。色々とがんばらねば。

というわけでいよいよ年末です。
お体に気をつけてお過ごしくださいね。


ブレイクスルーの方法

仕事柄、複雑かつ難しい課題について相談を受けることが多いです。

多くの場合そこに答えはなく、これだけの予算を投下すればこれだけの効果が得られると予測できるようなマーケティングや広告戦略は別にして、個別の経営課題や人の問題、また、そもそも市場がないところに市場を創出していくようなプロジェクトなどには、こうすれば解決しますよという魔法のテンプレートはありません。先行事例を調査し、データを分析し、ステークホルダーの声を聴き、課題を抽出して、戦略を深耕していく。自分の知識や経験値なんて高々知れているので、常に頭をリセットして考える必要があります。

リセットの方法として僕が日々やっていることは、PCや資料から離れ、ジョギングをしたり、料理をしたり、庭掃除をしたりという単純な作業にシフトすることです。黙々と手を動かしている時にふと絡まっていたスパゲティがほどけて、ブレイクスルーすることってありませんか?僕は袋小路に迷い込んだら、必ず、料理、掃除などを始めちゃうので、ボトルネックにはまればはまるほど、料理の作り置きが増え、庭がきれいになるという副産物が得られています。良いのか悪いのか別にして。笑

もうひとつ、ブレイクスルーの方法として「誰から」「何を」インプットするかもとても大切ですよね。上手に言語化できなかったことが、本の中に書いてあったり、人の話を聞いて「これか!」と気づくこともあります。

昨夜はシニア世代のウェルビーイングを考える企業コンソーシアムの会合と忘年会があり、そこで稀代の経済学者、宇沢弘文先生の長女で医師の占部まりさんをお招きしての社会的共通資本をテーマにしたセッションがありました。たくさんのお話があった中で、自分に特に刺さったのは、「金銭的授受が発生しない関係性が一番良い。大切なことは経済に乗せない」「医療にお金をかけるよりは、人とのつながりに投資していくべき。良好な人間関係を持つ人は寿命が延びる」という点を経済学と医学の観点から分析されたお話でした。

ああ、まさにそういうことだ。自分も「お金にならないことに一生懸命」「利害関係のない人間関係をいかに広げるか」をテーマに生きてきたし、それでたくさんの人間関係やサードプレイスをアセットとして得ることができています。結果として、毎日幸せに暮らすことができている。恐らく、これからもそうしていくでしょう。自分が無意識に良かれと思ってやってきたことが、実際に研究されて結果が報告されているというエビデンスを専門家のお話を通して知ると、納得感が深まり、自分の言葉として話すことができるようになります。

料理掃除もいいですが、こういうセッションでお話をお聴きし、参加者の皆さんとディスカッションすること。本当にこういう機会は貴重です。

昨夜の懇親会の一コマ

動くと違う景色が見えてくる

年末に向けて、今年一年の振り返りを始めました。

僕自身、成長至上主義者というわけではありませんが(かつてはそうでした)、一年前の自分から見た今の自分がいたとして、その自分が「思い描いていたとおりの自分」に少しでも近づけている方が良いなとは思います。今年も昨年と同じだったな〜と思うと、なんだか悲しくなりますもんね。

一年の棚卸しの仕方は色々とあるとは思いますが、まずは年頭に立てた目標を達成できたか。昨年から変わったこと、成長できたことは何か。この「変わったこと」を具体的に実感し、言語化できるかどうかがとても大切だと思っています。

20代の頃は、会社も仕事もすべてが新鮮で赤ちゃんが子供に成長するかのごとく、毎年できることが目に見えて増えていく時期ですが、40代になると自分から動かなければ周りの環境は変わらないし、自分も大して成長しない(ある意味安定する)という時期に差し掛かります。それが「脂がのる」「経験値が増える」という言い方をすることもありますが、加算ではなく、乗算で結果を出して行こうと思うと、貯金を切り崩すやり方ではなく、新たな環境に身を置き、自分のスキルを試し、結果を出すということがとても大切なことだと思っています。そう、環境を変えること。

動けば見える景色が変わる。
身を置く環境を変えれば付き合う人々が変わる。

今年は自分にとって、これからの人生の第一歩を踏み出した年になりました。会社を辞めて裸一貫、ゼロから仕事をスタートしました。多くのご縁に恵まれ、たくさんのお仕事をいただきました。様々な会社に関わらせていただき、素敵な仲間たちと一緒にお仕事をさせていただいています。独立しなければ関わることのなかった人々との新たな出会いが生まれ、その中でまた成長させていただく。

そして、何より自由がある。
誰から管理されることも、制限されることもない。自由に時間を使い、自由に行きたいところに行き、自由に会いたい人に会える。

このことは本当に大きなことで。今日も打ち合わせの帰りに枯葉を踏みしめて歩きながら空を見上げ、ああ、今、僕は本当に幸せだなと思ったのです。

具体的な振り返りはこれからですが、今のところ自分で点をつけるとすれば、100点以上をあげたいなと思っています。

12月に入りましたね。皆さまお元気ですか。

今年は本当に紅葉が美しくて。どこに行っても紅葉の色の濃さに目を見張ります。下の写真は早朝のゴルフ場。朝日が差してきれいですね。

12月に入ると同時に一気に冷え込みました。秋が過ぎて冬が来たという感じですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

私の方はというと、先日投稿した記事(現在の仕事の話」 2022年10月26日 )のとおり、日々忙しく仕事をさせていただいています。今年の3月に会社を退職してまだ8ヶ月しか経っていないというのに、こんなに目の前の景色が変わるものなのか。そしてこんなにあっという間に時間が経つものなのか。今年の春先がもう遠い昔のように感じます。

目の前の当座の仕事と、未来をつくる仕事。

自らの感覚の中で現在と未来を行ったり来たりしながら、日々走り回っています。出会う人たちの種類も少しづつ変わってきて、やはり類は友を呼ぶというか、点と点がしっかり線で繋がるというか。非常に刺激的で、そういうことを日々実感しながら、街を歩き、季節の移ろいを感じています。

そう、季節をしっかり感じることって大切ですね。

11月後半から忘年会もどんどん入って来ました。やあ、久しぶり。元気でしたか?そう声を掛け合い、久しぶりに顔を合わせる人たちと酒を酌み交わす。ついつい飲みすぎてしまうこともありますが、お互いの近況を確認し合うことの大切さを年々感じるようになっています。

我が家の紅葉もがんばっています。
その年、その年で、色の濃さが変わるのが面白いですよね。

いつから生えている木々か分かりませんが、慌ただしく動く人間を尻目に、悠々と生き、季節ごとに色を変える木々には力強さと余裕を感じます。ビジネスにはスピードが求められますし、日々目の前を膨大な情報が行き来していますが、誤解を恐れずにいうと焦ったり急いだり一喜一憂したとしても、結果はほとんど変わらない。そのことを木々は教えてくれているようです。

今年のお気に入りはこの一枚。↓

結局は同じことの繰り返し。だから今日もがんばろう。

この一週間も様々なニュースがありました。

先週投稿したTwitter社に関しては「激務が嫌なら違う会社にいけ」というイーロンの司令で、オフィス出勤、激務が求められるようになり、無料カフェテリアの見直しもされているとのこと。赤字会社なので、そこから見直すというのは当然っちゃ当然なのですが、環境変化についていけない社員は転職を余儀なくされるでしょう。

今後、人がいなくても回る会社(人がいなくても回ることに気付いてしまった会社)はどんどん人を切っていくでしょうし、逆に人が必要な会社はそこから溢れた人材を採用しやすくなるでしょう。大手製薬企業やIT企業のように大幅な人員削減でスリム化を図り、高度経済成長期のごとく「少数精鋭のモーレツ社員」を求める企業がまた増え始める一方、そうでない会社もある。いずれにしても一部のエグゼクティブ層を除き、転職先では今の条件待遇を維持するのは難しいので、誰でも会社軸と個人軸の二本足でしっかり立つ必要があると思います。

日々ニュースを目にしていると、歴史は繰り返すんだなというのが実感です。小学生の頃に歴史を年表で学ぶため、左から右に直線的に歴史は繋がっているというイメージですが(もちろん時間は一方通行でしか流れないのでそのとおりなんですけれど)、実はスパイラル、螺旋状に回っているともいえます。まさに循環。一度片側に倒れば、また逆に揺り戻す。一周回ってスタート地点に戻る。経済史や歴史書などを読んでいると、基本人類の歴史って、戦争、疫病、天災の繰り返し。その大きな流れの中で市井の人々があれこれ工夫して生きて来たというだけのことです。

そう考えると、少し気楽になるんですよね。

時代の変化は目まぐるしく、ついていくのが大変だし、未来の予測もできませんが、そもそも未来の予測なんて誰もできやしないし、古代でも中世でもどの時代に生まれても、目の前で起こっていることはさほど変わらないし、今と同じように一喜一憂しながら毎日を生きている、それだけのことでしょう。

人間の本質はそんなに変わらない。
お腹が空いている時のおにぎりは絶対に美味しいし、眠くなれば寝る。

人間ってそういうものなんでしょうね。
というわけで今日も一日がんばりましょう!

現在の仕事の話

今どんな仕事をしているのですかと聞かれることが多いので、独立して半年が経過した現在の様子を書いてみます。

最近お知り合いになった方のために、独立した理由について書いた記事を再掲しておきます。

会社を辞めて独立した理由 〜 スキルシェアリングという発想、組織の新陳代謝、自分自身のアップデート2022年3月24日

会社を辞めて独立した理由 ② 〜 正社員制度・ピラミッド型組織に対する否定、プロジェクトごとに個が集まるチーム制の働き方、社会課題の解決に向けて 2022年3月26日

現在、複数社の経営顧問、デジタルコミュニケーションアドバイザー、BtoCのデジタルマーケティングアドバイザー、起業家、経営者への経営相談とメンタリング、大学発・産学連携事業の事業アドバイザー、地域おこし事業の組織構築支援、テックベンチャーの社外取締役、社団法人グローバル人事塾の理事などをしています。依頼があれば基本的には全部お受けしているのでどんどん増えている状態ですが、毎日忙しくも楽しい日々です。

月30日あるとして、仕事は10日、ボランティア(お金にならなくても社会課題の解決に関われるような仕事)を10日、お休み10日、という時間配分で生活しています。月を3で割ると分かりやすいですが、実際は一日を3で割るようなイメージで、午前中にゴルフに行って帰ってから仕事をし、夜はオンラインミーティングというようなことも多々あります。

色々な会社と関われるのは本当に楽しいものですが、やはり関わっている会社同士をお繋ぎしたり、ノウハウを共有してシナジーを生んだりすることができるのが自分にとっても関わっている会社にとってもメリットが多々あります。散らばっている断片的な要素を自分がハブになって繋げていく。それは人もそうですし、技術もノウハウもそうです。足りないものは補い合って集合知とし、三方良しでビジネスを発展させる。一昔前の「囲い込み」や「一人勝ち」という価値観にこだわっている会社は儲かってないです。そして儲かってないことにも気づいてないことも多い。

今のTwitterやGoogleの決算を見ていても、時代が変わりつつあるなという実感です。新しい価値観をベースにした時代に突入しているので、みんなでより良い社会を作ろうという気概がある人や会社からのオファーが自分に自然に集まっていることを実感しています。毎週のようにいろんな経営者から相談や協業のオファーをいただいています。経営、事業、マーケティングに関わることであればお気軽にお声掛けていただければと思います。

仕事をしていると、まだまだダイヤの原石は眠っているなと思うこともあります。例えば広告。普段当たり前のように実施しているプロモーションでも、業界が違えばその手法を全然知らない人がいたり、逆にここに人が集まっているだろうなと思っても、そこには全然人が集まっていなかったりするのです。多様化する社会というのはそういうもので、ある程度ターゲットを絞ったとしても人によってライフスタイルも仕事も趣味も関心事もまったく違う。先入観やグルーピングは役に立たず、一人ひとりと直に向き合ってコミュニケーションすることが大切ですよね。そこに気づいて戦略を打てば、ビジネスは上手くいきます。

そう考えると、世に出ているテンプレ化された手法はあまり役に立たないのかもしれませんね。全部オーダーメイド、全部個別。コンサルティングも同じで、目の前の人や会社とどう向き合うかを日々自問自答しています。

ジョギング中の中之島の夜景
中之島のバラ園

趣味や仕事、関心事など多様な価値観をベースにした無数の分散したコミュニティと小さな経済圏について

最近、自分の周りで国内外問わず話題になっているのが、巨大資本によるプラットフォーム型支配からの脱却と、半径100m以内の人々とのつながりを大切にする独立・自律・分散型のコミュニティの重要性です。

かつての日本は村や集落で自給自足し、助け合いながら生活してきました。水や土地など限られた資源を共有しなければなりませんから揉め事やトラブルなどもたくさんあったでしょうけど、神社や寺などに集まり随時話合いで解決してきたという歴史があります。一方、地域が狭いので相互監視が働き、不自由な側面があったのも事実でしょうね。

21世紀になり、グローバル化の弊害と資本主義の限界が見えてきた時代にあって、この「半径100m以内の繋がり」というのが再度求められていると思うのです。それは物理的な距離(=隣近所)という意味でもあるし、距離が離れていたとしても、価値観、趣味、目指すべきゴール(=目に見えないもの)が一致している人たちとの独立したコミュニティです。同じ価値観を持つ人たちと助け合い、話し合いながら生きていくようなイメージに近いかもしれません。最近お手伝いしたプロジェクトも「足から健康に」をテーマに、同じ志を持つ人々が集まって作ったイベントでしたが、価値観と目指すべきゴールが共有されているので「中にいる人たち」が自発的に動き、自然と助け合うという精神が醸成されていました。何か問題があっても自浄作用が働きます。

また、最近、米国の知り合いから教えてもらった話では、シリコンバレーに来た学生さんの中に「自分たちで自由に使えるSNSがほしいので開発する」という人がいたようです。ちょうど同じ時期に、日本の学生さんからも同じ話を聞きました。FBは中高年しかいないし、TWは誹謗中傷とフェイクと炎上の嵐で、Linkdinは営業ばかり。巨大プラットホームから脱却し「自分たちは自分たちの好きなように生きていく」ということなのでしょう。

このような趣味や仕事、関心事、専門分野など多様な価値観をベースにした無数の分散したコミュニティがどんどん出現し、それらが自律し自走する小さな経済圏を形成していくであろうと予想しています。もちろん、それらの分散したコミュニティはノードとエッジの関係で緩やかにそれぞれが繋がっている。脱・巨大資本プラットフォームですね。フェアトレードも自然に実現してしまうかもしれません。またITを活用すれば、文字通り隣近所に住んでいなくても繋がれますから、相互監視による不自由さなどからも解放されるでしょう。良いとこ取りです。

同じ地域や村に住んでいなくたって、今はそのような「繋がり」を身近に感じ、繋がることができるツールがたくさんありますし、地域通貨による町おこしなど、より狭く緩やかに助け合うという動きがここ2〜3年で加速していくと思います。敷かれたレールもありませんし、決まったロールもありませんから、自律分散したコミュニティを作る、あるいは参加するためには、個人個人も確固とした考えを持ち、どのように生きて行きたいかが問われる時代になっていると思います。

都心で買い物ではなく、近所で完結という行動変容について

美容系店舗ビジネスを全国展開する企業のデジタルマーケティングをお手伝いさせていただいているのですが、そこで興味深い話を聞きました。平日仕事帰りのビジネスパーソンの需要を吸収し、予約でいっぱいだった都心の店舗がコロナが落ち着いてからも全く振るわず、逆に郊外の店舗の売上が伸びているようなのです。

単純に分析すると、

①在宅ワーク、リモートワークがコロナ後も一般的になった
②仕事が終わるとどこにも寄らずにすぐに帰宅するという習慣に慣れてしまった(おうち時間の充実)
③わざわざ都心に出向かなくても、近場の駅でたいていのものは充足するようになった

こういう点が挙げられるかもしれません。
特に①に関しては、自分がお手伝いさせていただいている会社のうち、80%が在宅と出社のハイブリッドか、またはフルリモートを採用しています。逆にフル出勤をしている会社は5社あれば1社程度。もちろん、自分の領域がマーケティング、IT、テックが多いので偏りはあるかもしれませんが、それだけ「オフィスに出社」するという人が減っているのは事実ですよね。それ以外にも不景気により可処分所得が上がらないので、財布の紐が固くなっているという要素もあるでしょう。

よく考えると自分の行動もまったくそのとおりで、梅田には週に一度程度しか行きませんし、行ったついでに店に寄るということも少なくなりました。たいていの物は近所の店やネットで揃うので、仕事以外でわざわざ都会に出る必要がなくなったんですよね。その代わり、地元でお金を落とすようになったと思います。

そうなると、都心の好立地だから高い家賃を払っても回収できるだろうという常識はなくなってしまい、むしろ郊外にチャンスがあるといえるかもしれません。家賃の安い郊外の駅前などがチャンスかも。実際のところは分かりませんが、先日の中華料理屋の話といい、最近、人々の行動変容の変化を直に目の当たりにすることが多くなりました。

実店舗とは別ですがSNS離れも深刻なようです。Facebookは中高年の絵日記と称され(自分もその中に入ってますけど笑)、Twitterはフェイクや誹謗中傷合戦に疲れた10代、20代の若者たちが離れていっているという事実も顕著に出ているようです。時代は急速に変化していますので、リアルな情報から自分の考え方も常にアップデートしていかなくてはならないなと実感しています。

ミドル世代(45〜55歳)の役割と価値について考えてみる

最近20代の若手経営者と話す機会が多いのですが、自分が学生だった25年前に比べて格段にビジネスチャンスが広がっていて、起業がとても身近な環境にあるんだなと、改めて実感しています。

インターネットやスマートフォン、SNSの普及がベースにあるのはもちろんですが、「良い大学に入って良い企業に就職する」というティピカルなキャリアパスではなく、「良い大学に入って起業する」という学生がとても増えているようなイメージなんですね。大企業に入ってほしいというのは、「バブル崩壊後の失われた30年」を身を以て体験した親世代の希望であって、三種の神器(新卒一括採用、終身雇用、企業内労働組合)が崩壊し、生まれた時から不景気、少子高齢化、人口減少を当たり前に見ている若者は、もはや右肩上がりの経済成長や、働けば働いただけ稼げるという成長イメージは最初からなく、会社に依存せずに自分が自分の力でいかに道を切り拓いて行くかに集中しているように思うのです。たまたま、僕の周りの20代経営者がそうなのかもしれませんが。

先日も東京で大学2年で同級生と起業し、現在23歳で会社の役員になっている起業家と飲んだのですが、その時に思ったことがあります。

自分も最近まで、起業を志す若者たちに「起業するなら、まずはどこか会社に入って基礎を学び、実績を積んでからの方がいい」とアドバイスしていたのですが、いや、待てよ、最初から起業できるなら、その方がよほど良いではないか、と思うようになったのです。彼のようにすでに事業化に成功していて、ある程度の売上を確保し、会社も成長スキームに乗っているのであれば、既存の会社にわざわざ入ってなにか学ぶ必要はないよな、と。もちろんビジネスマナーや、財務、経理などは学んでおいて損はしないと思います。採用や教育もしかり。でもね、それらは自分で学ぶことが出来るし、今の既存の会社を見渡しても、時代の変化についていけずに右往左往しながら泥舟の如く沈みつつある会社がほとんどで、従業員平均年齢も40歳を超え、いかに逃げ切れるかを模索しながらしがみついている社員ばかりの会社(すべての会社がそうだとは言いませんが)で学べることなんて、そんなにないよなとも思っています。仮に、技術や製造、創薬、研究といった専門分野で活躍したいのであれば国内主要メーカーに就職するのは最高ですし、国プロのような大きな事業に参画したいのであれば、イスタブリッシュメントな大手商社などをターゲットにするのももちろんアリだと思います。外コンに入って腕を磨くのもありでしょう。この辺りは目利きが求められると思います。

さらに、若いうちに起業して仮に失敗したとしても、起業経験がある人は、どこにでも就職できます。ビジネスの立ち上げを経験しているし、営業からマーケ、経理も全部知っているし、信用なしのゼロべースで営業して売上数千万作った経験を持つ若者なんて、どの企業もほしいでしょう。僕ならすぐに採用します。ですから、可能な人はまず起業というのは選択肢として大いにオススメします。どのみち会社に就職しても苦労はするのですから。

若いっていいですよね。

僕も46歳でフリーになったので分かるのですが、家族や子供がいると、毎年莫大にお金が掛かりますので、一歩踏み出すのにとても勇気がいるのです。「年齢なんて関係ない」とは言いますが、どうしても年齢は関係します。体力の低下や健康問題はたくさん出てきますし、家のローンや子供の学費だけで日本人の平均年収くらいは毎年飛んでいくんですよ。子供がいる親たちは、先行き不透明な世の中で自分の仕事がどうなるかも分からないのに、これから重たくのし掛かる子供の学費に怯えている人もたくさんいるのではないでしょうか。それなのに起業なんて、ね。だから、若ければ若い方がいい。いくらでもリトライできるし。

一方、40代、50代の役割についても考えています。自分もその世代ですが、僕たちの役割ってなんだろう。日々、多方面から事業やマーケティングに関する相談を受けますが、はっきりいって、ワクワクするようなアイデアは若者たちがたくさん持っている。ツールや技術力もある。僕にあるのは経験だけ。でもその経験って本当に役に立つのだろうか。タブレットの時代に、鉛筆の削り方を誇ることができるのだろうか。いや、人脈はあるな。人脈はたくさん持ってる。それってビジネスではとても重要なので、必要な人材を紹介することで若者たちの役に立つことはできるかもしれない。

その上で、自分のようなミドル世代に求められているのは、やはり「新しいことに常に挑戦し続ける姿勢と結果」だと思うんです。生活があるからといって守ったり、しがみついたりはせず、常に自分の知識と判断力をアップデートし続け、環境の変化に柔軟に対応し、失敗したらピボットするを繰り返す。「逃げ切り」の気持ちは捨てる。自分だけ逃げ切れても、自分の子どもたちにより良い環境と社会を残さなければ意味がない。

日々、自分をアップデートすることで、社会のお荷物ではなく、どのように役に立てるかを模索していきたいと思います。そういう意味で、若手起業家に慕っていただいているのは本当に嬉しいのです。