出会いの数だけ学びがある

人との出会いの数だけ学びがある。

良く言われることですが、自分のこれまでの経験と、今、自分が大切にしていることは、人との出会いをおろそかにせず、縁を大切にし、自分以外の人はすべて師であるという気持ちで接していることです。結果、自分にとってこれらによる学びは数知れず。スピード重視、結果重視、効率重視の考え方が主流の現在ですが、人生の糧となるのは、人との出会いですよね。

今日も遠回りして来社いただいた諸先輩方から学んだことは数多いけれども、その中で特に心に残ったことを2つだけ。

・知識労働者は作業だけで疲れたというな。脳をどれだけ使ったで初めて疲れたと言え。

・面接の時にバイト経験をがんばって語るな。何をどれだけ学んだかを語れ。

ね、面白いでしょう。
結構、酒の場から真実が出たりするのですよね。

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情報疲れを起こした時には

日々相当な量の情報に晒されていると、たまに疲れを感じることがあります。食傷気味になってしまうというか。そんな時は、眠気を感じて膝に本を置くように、開いているものをパタンと閉じて、深呼吸するか走って脳をデフラグするかします。

このブログでもよく書くことですが、人間のキャパなんて結局のところ、その人ひとり分の器しかなく、どう足掻いたって与えられた一日は24時間しかなく、あれもこれもと手当たり次第手を伸ばしていたらお腹いっぱいになってしんどくなるのと同じ。バイキングで食べ過ぎた時のように、あああんなに食べなけりゃ良かった、疲れてもういいや、となってしまいます。

そういう訳で、今朝は早起きして10kmのジョギングに出掛けました。寒い朝でしたが、頭もシャキッと。やはり早起きランは最高です。

もうちょっと暖かくなってほしいですけれど。

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正しい場所にピースをはめるように

正しい答えに辿り着くまでの過程って、本当にパズルのようですね。

何かの答えを出そうとする時、まず頭の中で分散している断片的なアイデアを拾い出し、並べ、組み合わせて行きます。パチっと音を立ててピースがはまることもあれば、はまらないことは分かっていても「なんとかしたい」という感情が先に走ったり、時間的な拘束があったりして、無理やり形を変えて、ピースを押しこむこともあります。

でも結果として、どんな事でも、「無理やり」というのは正しいことではありませんよね。その時は良かったとしても、必ずどこかで不整合、コンフリクト、ひずみ、ゆがみ、不自然、違和感を生んでしまうからです。今日の夜、取引先で打ち合わせの後に一人カフェで別の課題に取り組んでいた時、ふとそう思いました。

正しくなかったり、言いくるめたり、無理に押し込んだりすることは、必ずどこかで不整合を生む。人の心や感情もそう。
そう感じます。

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この写真は日曜日の須磨海岸。

エンジニアが生き生きとしている会社

訪問する企業、それが日本であれアメリカであれ、どこの国に行ってもエンジニアが生き生きと働いている会社に悪い会社はないと思っています。製造業でもソフトウエア、システム開発会社にとっても、技術者はその会社の製品、サービスを生み出し、コアなテクノロジーを保有し、使いこなし、それを進化させることができる人財として皆からリスペクトされ、充実した環境を提供されるべきだと思うからです。

今の技術を更に応用して新しい製品を作りたい、集積したデータを活用して付加価値を出したいと思って知恵を絞り、アイデアを出し、外部の知見を積極的に活用しようとするモチベーションの源泉は、とても前向きな志向です。現状維持でいい、何かすることによって自分の仕事が増えるのがいや・・・など、自分が積極的に関わろうとしない空気が少しでもあると、どこかに問題があります。

昨日訪問させていただいた某メーカーは、創業70年を誇る老舗でその業界ではトップクラスのシェアを誇る専業メーカーですが、積極的にビッグデータ解析とAIを取り入れて新たな付加価値を生む製品開発を進めようとしており、僕もそのインナーミーティングの中で様々な意見交換をさせていただきました。働くエンジニアの方々は社内のどこにいても礼儀正しく、爽やかで、前向きな思いに満ちており、間違いなく良い会社でした。こういう会社に出会うと、こちらも元気になりますし、自分の会社ももっと良くしていきたいと思います。

(画像はSilicon Valley展示会での弊社ブースです)
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最後に残るのは本物だけ

昨夜、帰りの電車の中で親友に聞いた良い話。
神奈川で国政に立候補した方を支援したある人のエピソードです。

その方は自分の友人が立候補すると聞いた時、「自分には金もないし、地位もない。何もできないけれど、彼のことは絶対に支援したい。自分に出来ることは応援することだけだ」と、それから毎朝いつもより三時間も早く起床して都内の自宅から横浜に行き、「いいぞ!そうだそうだ!」と朝立ち演説の応援をしてから、また都内に戻って出勤するということをやっていたそうです。週に一度、とか、週末だけ、ではなく、毎朝です。毎朝三時間を、彼に捧げたと。そこまで出来るんだと、深い人間関係と私利私欲のない行動に感銘を受けました。

この話を聞いた時に、最終的には本物しか残らないんだよねという意見で一致しました。良く聴く言葉ですが本当にそのとおりなんです。人間関係、信頼関係、技術、ものづくり、ビジネス・・・すべてにおいて、最後に残るのは「本物」だけ。では、本物ってなんだろう。信頼の度合い、真剣の度合い、長い時間軸、努力の総量、競争力・・・この辺り、また色々と考えなければなりません。

こちらは淀屋橋のTHE LINKSでのイベント帰りに仲間たちとヒューガルデンのホワイトを。

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安心感とは「肯定」だと思う

いつの間にやら3月に入りましたね。
今年も6分の1が終わり、その分、成長できたということで喜ばしい日となりました。1/6分成長できた。良かった良かった。

安心感というのは、「守られている」というようなネガティブな感情ではなく、「ああ、やっぱりそうなんだ」という自己確認、肯定に近い感情のことを指すのではないかなと思います。「守られている」という言葉の前に「今は」という前置詞を置いてみましょう。一気に先が怖くなりますよね。怯える日々が始まります。でも、「ああ、やっぱりそうなんだ」の後に、「よし、このまま積み重ねていこう」という言葉を続けると、日々前向きに歩めるはずです。ちなみにですが、「自己満足」と「肯定」とは似て非なるものです。「肯定」という言葉の前提条件としては、日々の努力やブレイクスルーやマドルスルー(泥の中をもがいている状態)がありますからね。

そういう環境に身を置けているのはとても幸せなことです。

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からだに正直に

一週間の疲れが出たのか、今日は本当に良く寝ました。

朝早く起きて一仕事を終えた後に二度寝、午後はゆっくりLSDをしようと思っていたのに、ランチの後に本を片手に気付くと夕方。普段は少し寝るだけでスッキリするのに、途中でうっすらと目が覚めた時に、からだが「まだまだ寝たい」と言っているように思い、今日はその声に正直に応えることにしました。時々、いくらでも寝れる状態になることがあります。そんな時は無理をしてはいけないんでしょうね。

とはいえ、晩ごはん前に軽くジョギング。案の定、鉄の鎧を来ているような重たい体でしたが、少しでも汗をかき、熱いお風呂に入った方がスッキリすると思ってがんばりました。確かに少しスッキリした気がします。今日のジョギングで月間106km。一応今月も二日を残して100km超えました。来週は昨年撃沈した篠山ABCマラソンです。過去3戦中、サブフォー2回、昨年調整不足で4時間半。なんとか今年はリベンジしたいところです。今週はがんばって調整期間。さあ、どうなることでしょう。

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今は梅が満開ですが、芦屋川の桜はまだまだです。
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一つ一つの小さな選択が時代を作る

ポカポカ陽気の一日、実家の梅が満開。
古い家ゆえ、誰がなんのために植えたのか分からない木ですが、こうして毎年花を咲かせ、実を実らせてくれます。

時代は移り変わりますが、その時、その時の小さな選択や決定、思いつきの一つ一つが事実として残り、後世の人間がその事実を受け継ぐのが歴史です。今、生かされ、こうして花を楽しむことが出来ていることに感謝しつつ、自分の小さな決定の一つ一つが後の時代を作るという事実を再確認させられます。

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使う人が使いやすく、作る人が作りやすいものを設計することが自分たちの価値提供

先日、横浜の某一部上場メーカーさんの研究開発センターに行った時のこと。開発部の方と話をしていると、自分たちは設計者として、これを使う人はどういう風に使うのか、製造の人がそれを作る時はどうしているのか、それを想像しています、いくらスペックが良くても、使いづらいもの、作りづらいものは世に出してはいけないと思っているので・・・という言葉が出てきました。

使う人(エンドユーザ)のことを考えるのは当たり前だとしても、設計工程よりも下流にある製造現場のことを考え、作りやすいかどうかまで考えるのは、当たり前のようでなかなか出来ないことです。なぜなら大抵の場合、工程は縦割りされているので相手の顔も見づらく、自分たちは設計者の論理で良いと思うものを作り、時間に追われながらも納期さえなんとか守っていればそれでOKと思ってしまいがちだからです。

価値というのは、それを使う人が決めること。設計だけでなく、全ての面で同じことが言えますよね。自分が良いと思っていても、相手がそう思わないなら、相手にとってそれは価値がないことと同じ。思いやりを持ち相手の立場に立って、キャッチしやすいパスを投げてあげたり、分かりやすい言葉を掛けてあげたり、そういうことだと思います。

仕事柄、技術者の方と会うことが多く、今日も日本の代表するメーカーのユーザービリティ評価の専門家と話をしていたのですが、どこのものづくりの現場にも、自分の専門分野に誇りと責任を持ち、その技術を通していかに世の中を良く出来るかを真剣に考えているエンジニアがこの国にはたくさんいるなと、毎回実感します。日本の製造業を取り巻く問題はたくさんありますが、現場一人一人のそういうポジティブな精神が何かを変える力になって欲しいなといつも思います。

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人としての深みと奥行き

先週末から続いた連続飲み会から、日曜日に出走した大阪ハーフマラソンに至るまで怒涛の日々が続き、ブログの更新がすっかり途絶えてしまいました。

さて、今夜は7年ぶりに再会する某社会長と一献。

その方は元々、人間としての深みと奥行き、そして圧倒されるくらいのオーラとパワーを持つ方だったのですが、数年の時を経て以前にも増してその懐の深さが広がったような気がします。気さくな中にも凄みがあり、それが威圧的ではなく、優しさと愛情に溢れていて不思議な安心感を感じます。その方を中心に、各分野の第一線で活躍する親友二人が加わり、とても楽しい時間となりました。

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人を包み込む力って、どのように培われるのでしょうか。

持って生まれた何かなのか、経験と学びによって習得する後天的なものなのか。願わくば自分も、愛情に基づく深みと奥行きが出る人間になりたいと思います。とても抽象的なものですが、こういうタイプの人って言葉では表現できない魅力というものがありますね。

いずれにしても人それぞれタイプは違えど、ポジティブな人間が集まるとその場にパワーがみなぎります。こうした「引っ張ってくれる」仲間がいることに日々感謝です。

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