山の中で経験すること 〜 小鳥のなきがらと静寂

自然の中で生活していると、ちょっとしたこと、例えば、小鳥のさえずりとか、小さな花とか、雲の流れに目が行きます。

時間に支配されないからかもしれません。人や車が少ないからかもしれません。里山を走っていても、聞こえるのは、風の音と小鳥のさえずりくらいです。普段の生活とは比べ物にならないほど、限られた情報だけが五感に伝わってきます。

IMG_2152

IMG_2153

朝起きると、家のデッキで小鳥が死んでいました。

黒と黄色で彩られた羽に覆われた小さな身体が横たわり、今にも飛び立ちそうでした。家の屋根か壁にぶつかったのか、原因は分かりません。しかし、小さな命が儚くも消えてしまったという事実だけがそこに残っていました。

IMG_2076

子供たちと一緒に大切に、庭に穴を掘って埋めました。山の中だからこそ、経験できることかもしれません。山では色んな経験をすることができます。

IMG_2079

知人に偶然会う意味とは

ここ最近、立て続けに不思議なことが起こります。

いや、不思議というわけではないかもしれません。これは予定調和なのかもしれないし、セレンディピティなのかもしれません。

ばったり偶然、道端で数年ぶりに人に会うことが立て続けに起こっています。昨夜も「あ!おおー!」みたいなことがありましたし、今日も打ち合わせから帰社途中に、友人ともう10年ぶりくらいに会う(すれ違う)ということがありました。久しぶりではありませんが、先週なんて、東京で、しかも丸の内線で、同じ車両に友人が乗っていて本当にビックリしたこともありました。まあ、それを言い出すと、グアムのビーチで友人とばったりということもありましたし、海外に向かう飛行機の中で知人に会うということもたくさん経験しています。

「袖振り合うも多生の縁」という言葉がありますが、ここ最近偶然、しかも数年ぶりにすれ違った人たちは少なくとも、その時期にかなり深く関わり合った人間たちです。こうも立て続けに会うと、縁起でもないですが、自分の死期が近いからなのか・・・と邪推してしまうこともありますが、もしかすると春はそういう季節なのかもしれませんね。

毎日毎日、技術とロジックの仕事にどっぷり浸かっていると、やはりこういう「良く分からない偶然」が心の栄養となることは確かです。

IMG_1873

じっくりコトコト

ローマは一日にして成らず

この言葉は、何歳になってもずっと背負って行かなければならないんでしょうね。

北野武さんのコーヒーのCMではないですが、一つのことを究めるには膨大な時間が掛かるし、新しいことを学ぼうとする時なんて、文献を何回も何回も読んで、ようやく内容が理解できるようになり、そこから更に深め、自分のものにするためには、更に何倍もの時間が掛かります。金脈を探すかのごとく、コツコツ、コツコツと掘り続けて、ようやく微々たる量の金が見つかる、そんな感じがします。ローマのような大事業は一日して成らずのは当たり前、僕のような凡人にとっては、小さなことを形にするだけでも、随分と時間が掛かるものなんです。

情報が簡単に手に入るようになり、とにかくスピードが要求されるこの時代、何かを「それなりに」「かんたんに」アウトプットできるようになったかもしれませんが、まさにこのブログのように、10分でさらりと書いたものは10分の価値しかないし、一日考えて、更に一日かけて生み出したものは、二日分の価値がある。

そういう意味では、じっくりコトコト煮込んだものの方が良いのは自明の理で、やっぱり時間と努力は嘘をつかないよなあ・・・と実感する今日この頃です。

しんどいけれど、仕方がありません。それならコツコツ彫り続けることを楽しみ、趣味にする。そうしましょう。

ローマは一日にして成らず。

(福島のスペインバルで)
IMG_1826

路地の中の日常と平和

海が見たくて、朝ラン。芦屋浜に向かって走るも、途中で雨が降ったり、風が強まったりして、ノースリーブシャツ一枚では少し肌寒いランニングとなりました。

海を見てすぐに引き返すこともできたのですが、せっかく家を出て走り始めたのだから10kmは走りたいと思い、雨に追われて帰るのはやめて、距離を確保するため住宅街の中を通るコースを選択することにしました。

いつもと違うコースを通ると、新たな気付きを得ることができます。

閑静な住宅街は立ち並ぶ家を見ているだけで楽しい気分になりますし、一本路地を入った旧商店街の通り(ここは阪神大震災で壊滅し、区画整理された地域です)は、点在するお店が元気に営業していたりして微笑ましく感じます。それに何より、公園で子どもたちと遊んでいるお父さん、ベンチに座るご老人を見ていると、なぜだか急に、ああ、これが平和というものなのかなと思いました。

IMG_1804

当たり前の、何でもない日常というのは宝です。例えば、それば脅かされるようなことがあったり、自然災害に見舞われたりすると、その日常は脆くも崩れ去り、また、その「当たり前の、何でもない日常」を取り戻すためには多くの時間と労力を払わなければなりません。一度壊れてしまうと、元に戻すのは至難の業である。それは熊本城の復興に数十年も掛かるのと同じようなものなんですよね。だから大切にしなければならない。

たまに、住宅街を走るのも良いものです。そこには平和な日常がきっとあります。

目的地に向かう

近かろうが、遠かろうが、その時々で大小の選択を重ねつつ、目的地に向かうのが仕事であり人生ですよね。人生って決定の連続です。

一つの選択をするまでに、様々な検討を重ね、歩きながらでも走りながらも、その事を頭の中で考え、相談や打ち合わせをし、最適解を導きます。スティーブ・ジョブズじゃないけれど、人は将来を見ることができません。できることは、その場面、場面で、一生懸命考えて、数ある選択肢の中から一つを選び、その方向に歩を進め、その選択と決定を信じることだけです。

テクノロジーの世界にどっぷり浸かりながら、ビジネススキームを描く仕事は性に合っています。選択が正しいかどうかというより、選択した方向へ歩を進める時(例えばプロジェクトのキックオフなど)の高揚感はたまりませんし、実際それが形になり、ビジネスとして成功すれば最高です。そういう意味では、昨日も今日も、それぞれのプロジェクトで良いミーティングをすることができました。

今週もあっという間の一週間でした。

皆様、よい週末を過ごされますように。

IMG_1763

収穫のための種まき

収穫のための種まき。

そんな感じの一日です。今日はサンノゼからアメリカ人のパートナーを大阪に迎えて4時間会議をし、東京とSkypeを繋いで一時間会議、そして夜は案件の打ち合わせ。

長い一日でしたが、しっかりと種まきを行うことができました。あとは育てて刈り取るだけ。愛情を持って育てれば、きっと豊かな季節を迎えることができますよね。何事も愛情と情熱をもってすれば良い結果が生まれると信じています。

IMG_1477

マラソンの応援に学ぶ、相手の心に届くコミュニケーション

昨日は今シーズン最後のフルマラソンとなる徳島マラソンでした。徳島には初めて行きましたが、本当に良いところですね。神戸から車で2時間以内で行けるし、食事は美味しいし、風光明媚だし。

朝からラン友さんたちと合流してワイワイと夜まで楽しみ、沿道では、幼馴染の旧友が応援に駆けつけてくれ(Mヒロ、ありがとう!)、ボランティアの方々やエイドの方々の熱心な応援に涙し、自己ベスト更新というおまけまでついて、無事にシーズンを締めくくることが出来ました。

それにしても、沿道の応援(もちろん、SNSで送ってくださるコメントやメッセージも含めて)って本当にチカラになります。それはきっと、応援してくださる方の気持ちが背中を押してくれるからだと思います。応援しながら自分も汗をかき、並走してくれているんです。

例えば、昨日、一番心に残っている応援は、沿道に一人で立って応援してくれていた、年配女性の一言でした。その方は、がんばって、がんばって、と走りゆく人に声を掛けておられたのですが、「ありがとうございます!」と返事をすると、僕の目を見て微笑み、こう答えてくれたんです。

「わたしの分までがんばってね!!」

なぜか僕はその言葉が心に残り、その言葉をゴールまで持って行くことになりました。
走りながら、ずっとその言葉について考えていました。もしかしたらあの方は、かつてランナーだったのかもしれない。足の故障が原因で走れなくなったのかもしれない。すごく走りたいんだけど、何かの理由で走れないのかもしれない。

そう思うと、僕は走っているのではなく、走らせてもらってるんだ、あの方のように走りたくても走れない、でも、せめてランナーの応援をすることによって自分も走ろうと思っておられるんだ。辛くなると、その言葉が頭をよぎり、あきらめずにゴールを目指すことができました。

マラソンの沿道で応援してくださる方は、みなさん、本当に「並走型」なんですよね。僕達が速く走ろうが、リタイアしようが、全く皆さんには関係ないのに関わらず、せっかくの日曜日に朝早くから起きて、おにぎりを握ったり、アメやドリンクの準備をしたり、その上、皆が通り過ぎる5時間も6時間もずっと、身を削って応援してくれます。晴れていようが、雨が降ろうが、本当に時間もお金も使って、無私の気持ちで応援してくださいます。

ランナーはランナーで、ネガティブな辛さではなく、ポジティブな辛さを抱えて走っています。先が見えない暗中模索の状況ではなく、42.195km先のゴールを心の目で見ながら、一歩づつ辛さを乗り越えて行きます。そこに並走してくださる方々の応援にどれだけ励まされ、チカラをもらえることか。

だから、感動し、感謝し、エネルギーが生まれ、僕らランナーは、どれだけ辛くても、一歩一歩ゴールに向かって足を踏み出すことができるんです。

ゴールした後にランナー全てが感謝を口にするマラソン。
本当に素敵なスポーツです。

IMG_0906

IMG_0903

出会いの数だけ学びがある

人との出会いの数だけ学びがある。

良く言われることですが、自分のこれまでの経験と、今、自分が大切にしていることは、人との出会いをおろそかにせず、縁を大切にし、自分以外の人はすべて師であるという気持ちで接していることです。結果、自分にとってこれらによる学びは数知れず。スピード重視、結果重視、効率重視の考え方が主流の現在ですが、人生の糧となるのは、人との出会いですよね。

今日も遠回りして来社いただいた諸先輩方から学んだことは数多いけれども、その中で特に心に残ったことを2つだけ。

・知識労働者は作業だけで疲れたというな。脳をどれだけ使ったで初めて疲れたと言え。

・面接の時にバイト経験をがんばって語るな。何をどれだけ学んだかを語れ。

ね、面白いでしょう。
結構、酒の場から真実が出たりするのですよね。

IMG_0821

情報疲れを起こした時には

日々相当な量の情報に晒されていると、たまに疲れを感じることがあります。食傷気味になってしまうというか。そんな時は、眠気を感じて膝に本を置くように、開いているものをパタンと閉じて、深呼吸するか走って脳をデフラグするかします。

このブログでもよく書くことですが、人間のキャパなんて結局のところ、その人ひとり分の器しかなく、どう足掻いたって与えられた一日は24時間しかなく、あれもこれもと手当たり次第手を伸ばしていたらお腹いっぱいになってしんどくなるのと同じ。バイキングで食べ過ぎた時のように、あああんなに食べなけりゃ良かった、疲れてもういいや、となってしまいます。

そういう訳で、今朝は早起きして10kmのジョギングに出掛けました。寒い朝でしたが、頭もシャキッと。やはり早起きランは最高です。

もうちょっと暖かくなってほしいですけれど。

IMG_0741

正しい場所にピースをはめるように

正しい答えに辿り着くまでの過程って、本当にパズルのようですね。

何かの答えを出そうとする時、まず頭の中で分散している断片的なアイデアを拾い出し、並べ、組み合わせて行きます。パチっと音を立ててピースがはまることもあれば、はまらないことは分かっていても「なんとかしたい」という感情が先に走ったり、時間的な拘束があったりして、無理やり形を変えて、ピースを押しこむこともあります。

でも結果として、どんな事でも、「無理やり」というのは正しいことではありませんよね。その時は良かったとしても、必ずどこかで不整合、コンフリクト、ひずみ、ゆがみ、不自然、違和感を生んでしまうからです。今日の夜、取引先で打ち合わせの後に一人カフェで別の課題に取り組んでいた時、ふとそう思いました。

正しくなかったり、言いくるめたり、無理に押し込んだりすることは、必ずどこかで不整合を生む。人の心や感情もそう。
そう感じます。

IMG_0682
この写真は日曜日の須磨海岸。