【原点回帰】歩いたり走ったり打ったりしてたら状態が上向いてきた

運動、やっぱり必要だし効果的です。

ここ数日(と言っても木曜日と金曜日ですが)、身体が多少動くようになってきたのでそれぞれ5kmずつのウォーキングを行いました。深〜く深呼吸をしながら、いつもは走っている川沿いを海まで歩く。海を眺めながらまた深呼吸。

復路は六甲の山並を見ながら、また深呼吸。じんわりと汗ばむ程度ですが、心と身体が解放されたような清々しい気持ちに。なんて気持ちいいのだろう。

そうすると、だんだんと耳の詰まりがなくなってきたのです。耳の詰まりがなくなるということは、目眩が出なくなるということ。これはいい。先日のブログに書いたように、前回もランニングで治したメニエール、今回も運動で治せそう。
(ただ油断ならないのがメニエール・・・怖い)

ちなみに今日も5kmを走ったり歩いたりしました。
やっぱり気持ちいい。

少なくとも、歩いた日は目眩が出ない。これは毎日続けなければ。休んだらまた発作が出そう・・・と脅迫に似たような気持ちになっています。

腕をしっかり振って、歩きます

そして、昨日。

朝の体調を見て良さそうだったので、一度キャンセルしたゴルフに再ジョインさせてもらい、1ラウンドしてきました。会社のメンバーと楽しくラウンドする中で、笑ったり、歩いたり、ほんと最高の気分転換に。ああ、やっぱり運動しなきゃ、ですね。

沸騰したまま出てくる石焼麻婆豆腐も美味しかった!

絶賛沸騰中

いい空気を吸って、ストレスがない状態に身を置き、ほど良く運動する。
当たり前のことですが、この当たり前のことが一番効くんだなと実感です。

このまま上向くと信じて続けます!

抱えているものを吐き出して、みんなで理解し、思いやる。 得意なことで貢献し、不得意なことは補ってもらう。

この一週間、目眩で車にも電車にも乗れないので、すぐにベッドとトイレにエスケープできる自宅で仕事をさせてもらいました。ミーティングはZOOMかGoogle Meetで。PCさえあれば仕事ができるこの業種、ありがたいです。もちろん、社内のみなさんには色々と助けてもらっていますので、本当に感謝。

メニエール病を再発してからというもの、リウマチと自律神経失調症はこのラスボスの前にすっかり影を潜めてしまいました。面白いものです、「それ」よりキツいものが出ると身体が反応する。もちろん関節の痛みはあるのですが、神経がよりキツい方に向いているのが良く分かります。

そして、この数日、あれこれと考える時間も取ることができました。そして、いろんなことを思い出しました。

そういえば僕がランナーになったきっかけは、10年前にメニエールを発症したことだったのです。その前の年に腎盂腎炎になり、翌年にメニエールが出たものだから、さすがにこれじゃあかん、死んでしまう。運動しなきゃ!と直感的に思ったのでした。その時に始めたランニングにすっかりはまり、今に至ります。今回もランニングで治す。リウマチのせいにして運動からすっかり遠ざかっていた自分を反省。今回もメニエールに教えてもらったようです。

仕事の合間にウォーキング(たまに走ってみたり)をしながら、夕日に輝く海を眺めて色々と考えました。そうすると気づいたことがあります。

病気って一つの個性じゃないのかな。

先天的な物も後天的な物も、心のも体のも。

誰一人同じ人はいません。その個性が70億個集まって、人類社会を形成してるんですよね。今回、本当にいろんな方から励ましと共感の言葉をいただきました。みなさん、あるいは、家族や身近な方が同じように抱えている方もたくさんいらっしゃいました。

そんな風に抱えてるものを隠さず出して、みんなで思いやれれば、もっと良い世の中になるのに。「病気は恥ずかしい」そういう風潮こそ恥ずかしいのではと思います。
病気は一つの個性だ。

そもそも、70億の個性がある中で、誰に良し悪しを判断できるのでしょう。今この瞬間に隕石が落ちてきて地球が滅びる可能性も0ではない。そうすると、今まで批判したり、決めつけたりして積み上げた価値観や常識は何のためのものだったのでしょう。

抱えているものを吐き出して、みんなで理解し、思いやる。
得意分野で貢献して、不得意分野は補ってもらう。

それが、助け合いの世の中なのかなと思います。

【笑って読んでください】一番嫌な持病が再発した今日、思ったこと。今は身体が古きから新しきにアップグレードする過渡期なんだろうなあ。

いやあ、面白いなあ、人生って。

健康な人もいれば、そうでない人もいる。不健康なことをしていても90歳まで元気な人もいるし、健康オタクなのに短命な人もいる。無茶してもびくともしない人もいれば、無茶すらできない人もいる。

人生色々で、それはそういうものなのでしょう。何かにすがって良くなろう、とか、無理にこうしよう、とかではなく、受け入れること、できることを重ねよう、これが大切なんだろうと思います。

そんな自分も、たかだか44年しか生きていないのに、いろんなことが身に起きます。ちなみに今は、自分の身体が色々とアップグレードする前の脱皮のような状態だと理解していて、捨てるものと、新しく身に着けるものの間(はざま)を楽しんでいる状態とでもいいましょうか。とにかく、過渡期なんだろうなあと日々実感しています。

僕にはいくつか持病があります。中には、克服したと思っていたものもありましたが、今日、8年前に消えたと思っていたメニエール病が再発しました。

薬で落ち着いた今、同じように、何かで苦しんでいたり、戦っている人がいれば、自分もそうだし、同じように苦しんでいる。だから一緒に戦いましょう、一人じゃないですよ、というつもりでこの記事を書こうと思います。実際、過去の記事(一人のランナーがリウマチ発症に際して考えること、感じること(急がず焦らず、マラソン復帰を目指します!)2018年9月23日)をネットで検索して読まれたリウマチ発症したての女性が、インスタで直接連絡をくれたこともありました。その方とは今でもつながり、情報交換や近況報告をしています。仲間がいると嬉しいものです。

さて、その「いくつかの持病」の内の一つ。

まず、2018年に診断されたリウマチですが、2019年はとても調子が良く、症状も大人しくしてくれていたおかげで、5月の鯖街道ウルトラをサブ10で完走、10月の富士五湖ウルトラ100kmを12時間30分で完走、そして12月(たった三ヶ月前だ)の大阪マラソンで3:42のPB更新と、思い出に残る調子の良い年となりました。

しかし、年末から途端に調子悪くなり始め、朝の関節のこわばりと痛み、そして微熱が毎日続いています。微熱も毎日続くとしんどいもので、薬とロキソニンで抑えているという状態。

そして、二番目の持病が自律神経失調症。
こちらは悪寒と不眠、頭痛。全体のバランスが崩れてこちらもしんどい。でも、睡眠サプリメントとやはりロキソニンで乗り切れています。(ロキが切れると辛い)

そしてさらに更に。
2010年に発症し、8年前に克服したと思っていたメニエール病。

なんとこの、ラスボス級にきつい病(経験された方は全力で同意いただけると思いますが)が、今日、まさに今日のお昼に再発してしまったのです。

ここ二週間くらいでしょうか。耳のつまりと目眩が出始め、メニエール経験者としては「嫌〜な予感」がしていたので、今日のお昼、会社近くのかかりつけの耳鼻科に受診に行きました。久しぶりに会う先生に症状を告げ聴覚検査からスタートしたのですが、その最中から視界ぐるぐる。もはや立っていられなくなり、その後の検査もフラフラになりながらなんとか通過。先生に「まさに今、強烈な目眩が来てます」というと、目を見ていれば分かります、とにかくすぐに薬を色々とアレンジしますね、と言ってくださいました。

その後が地獄。

クリニックの待合でもフラフラ。薬局では立つこともできず、床に汗をボタボタ落としながら椅子にうずくまる僕を見て、すぐにメニエール患者だと察知した薬剤師さんが薬からお会計から全部持って来てくれて、しんどいですよね、大丈夫ですか、と優しく扱ってくれました。こういうの、ほんと嬉しいです。

会社に戻らなければと、梅田の繁華街をフラフラと右に左によろめきながら歩いているとやはり嘔吐。たくさん人が歩いているところで嘔吐なんて。でも、どうしようもなく、ビルの影に隠れてとりあえずうずくまる。そして、またよたよたと歩く。

ああ、9年ぶりだ、この地獄。以前は、地下鉄でもどこでも発作起きていて、視界がゆがみ、歩くこともできず、嘔吐を繰り返していた、あの、トラウマ級に辛い思い出。それがまた蘇るなんて。一番ぶり返してほしくない病気だったのに。

なんとか会社に戻り、会議室で横にならせてもらって(途中でまた嘔吐二回)、3時間後にようやく復活しました。でも一度発作が来ると、当分クラクラが収まらないんですよね。大量の薬を飲んで、随分落ち着きました。今回の再発、一過性だといいな!

2020年の2月2日に44歳の誕生日を迎え、ああ、今年は良いことあるかな、自分の年だな、と思っていたのですが、まあ、毎日しんどいことよ!笑うしかない!笑笑

こんな状態なので走れず、愛媛マラソンはぶっつけ本番でなんとか完走できたものの、それ以降も1kmも走れない日々が続いており、色々とフラストレーションも最初の内はたまっていましたが・・・まあ、今はとにかく休む時と言い聞かせています。

なんとか仕事も出来ているし、身体以外は順調すぎるほど順調だし、本当にありがたいです。感謝。3月は仲良しラン友さんと、お城周りをぐるぐる周るランの予定もあるし、とても楽しみ。ゴルフの予定もある。できることを楽しもう。

同じような境遇にある方、ランナーなのにちっとも走れなくて辛い方、大丈夫です。僕も同じですから。きっと今はそういう時期。休めと言われている時期なんです。

身体をいっぱい甘やかせてあげましょう!

その先に、きっといいことありますよ。

日本で唯一「坑道ラドン浴」ができる富栖の里に行ってきた

ほんとに、坑道の跡!

姫路北部、安富町というところに日本で唯一、世界でも数少ない「坑道ラドン浴」ができる施設「富栖の里」があるというので両親と行ってきました。厳密にいうと、これを見つけた両親に連れて行ってもらったというのが正解です。

母はがんの治療中だし(奇跡的に2年半も元気!)、僕は、リウマチと自律神経失調症なので、ラドンの効能にふたりともピッタリ当てはまるということで、一石二鳥。笑

神戸から走ること2時間弱。
山の中にその施設はあります。もうついた瞬間からパワースポット全開。快晴だったこともあり、森林浴をしているだけでとても気持ち良かったです。

料金を支払い、説明を聴き、体温と血圧を測って、作務衣に着替えて坑道へ。

元々金山だった富栖鉱山。昭和初期が全盛期だったようです。坑道に来るのも入るのも初めてなので、ドキドキですが、中は異空間。オルゴールの音色と湿度が充満していて、不思議とリラックスできます。

坑道の中はいくつかのルートに分かれているのですが、いたるところにベッドが置かれているので、好きなところに横になることができます。

ちなみに、坑道の中は気温30℃、湿度80%。サウナをイメージされる方が多いですが、ほとんど汗はかきません。坑道の壁から放出される自然ラドンが身体に良い作用を及ぼします(詳しくはWEBサイトで)

基本的に、1〜1.5時間に一度20分間の休憩を挟みます。前もって予約しておくと、食事もちゃんと出来ます。僕は鍋焼きうどんにしました。施設の方もとてもフレンドリーで良い方ばかり。いい空気が流れています。

自分が寝ていたところ。
湿度が充満。笑

親子3人で丸一日楽しみましたが、父(特に持病がない)は肌がツヤツヤになったと喜んでいるし、僕も身体が軽くなり、普段は夜中に何度も目が覚めるのに、帰宅後ぐっすり。やはり良い効果があるようです。

また訪問したいと思います。

やっぱり味噌活ですね(みそカツもいいけど)

友達に、朝のお味噌汁は身体にいいんだよ、腸に届くから肌にもいいよ、と聞いてから約半年。

それ以来、毎日の味噌汁づくりを欠かしたことはありません。

朝に作る時もあれば、夜に作っておいて朝に食べる時もある。今日は、冷蔵庫にあった野菜を入れました。白菜、しめじ、にんじん、玉ねぎ、ほうれん草、ネギ。そして、卵が好きなので、必ず火を止める直前に溶き卵を入れて、火を止めて卵がきれいに羽衣状になってから味噌をゆっくり溶きます。

本当は出汁からちゃんと取ったらいいんでしょうけれど、そこまでは手が回りません。周りには白出汁を作り置きしておいてそれを料理に使っているという人もいますけれどね、まあ、今後のお楽しみということで。

そんな日々ですから、最近は海外出張にもインスタントの味噌汁を持っていくようになりました。海外一週間の間、インスタント(顆粒より、レトルトの生味噌がいいですよ)の味噌汁がどれだけ身体を癒やしてくれるか。

味噌活、当分続けて行きたいと思っています。

こんな標語考える人、すごいなあ

先日の休日のこと。

信号待ちの車の中からふと横を見ると、美容院の前の黒板にこんな標語が。

「空のバケツほど 蹴るとうるさい」

鋭い!

一体なんのために美容院の外にこの標語を掲示しているのか分かりませんが、きっと、日替わりでいろんな言葉を書いておられるのでしょう。

それにしても、こういう言葉を考える人って、すごいなと思います。上手。落語家的才能というのか、分かりやすいものをうまく掛け合わせて、考えさせられる深い言葉にする。

才能だなー。

「空のバケツほど 蹴るとうるさい」

あまり使うシーンはなさそうですが、忘れられない言葉となりました。

【雨の神戸を歩きながら】変化に柔軟に対応するって、具体的にどうすればいいの?

FBでもシェアしたのですが、植松努さんのブログに「成長を止めるもの」という記事があり、その内容が今の自分にピッタリ当てはまる内容でした。そして、これはおそらく、潮目が変わる時代の只中に生きるすべての人にも響く内容なのではないのかと思います。

つまり、「変化に対応できない人は、そのまま退場しなければならない」ということなのです。詳しくはリンク先をご覧ください

いま、日本は大きな価値感の変化にさらされています。
企業も、教育もです。

でも、今までやってきたことや、信じてきたことが通用しなくなったことに、絶望する必要はありません。怒る必要もありません。新しい価値感を否定する必要もありません。

すべきことは、新しい時代に対応する事です。

植松務さんのブログ「成長を止めるもの」より

「今までやってきたこと、信じてきたことが通用しなくなる」。

これ、今の時代の大きな特徴です。急に、いや、急ではなくても、徐々に「おかしいな、結果出ないな、このやり方でうまく行ったのにな」感じるようになるのです。それを薄々感じてきた時に、まだ今までの成功体験にしがみつくか、思い切って舵を切り替えるかで、未来は大きく変わります。

実は、この「思い切り」ってとても大切です。

今までのやり方でも通用する部分が100あるとして、それが20%づつ通用しなくなったとしても、まだ1年後は80、2年後は60と、0にはなりません。0にならないから、まだそのやり方で通用する人たちがいると思って、そこにすがってしまうのです。

でも、それは延命、時間稼ぎにしか過ぎず、決してプラス成長にはならないのです。多くの経営者は「変える」ことが「過去、成功してきた自分に対する否定」と感じることが多く、結果としてしがみついてしまい、時代から取り残されてしまうのです。すぐに会社は潰れなくても、その場その場でやりくりすることに必死になり、新しいことに対する投資なんて夢のまた夢、そうこうしている内に「変化に柔軟な企業」がどんどん追い越して行って、いずれは退場、ということになるのです。

良くこういう話をする時に、「大企業はまさにそれ、ダメだ」なんていう人がいますが、とんでもない。逆です。大企業はとにかく実・量ともに圧倒的に強い。確かにダメ企業もあるかもしれないけれど、僕が知る限り、大企業にいる人は、(基礎学力含め)とても優秀な人が多く、20代、30代の若手社員が、個人で自発的に部署横断でワーキンググループを作って勉強会を開いていたり、次の世代を作って行こうという意識がすごく高い人が多い。個人のポテンシャルが元々高いのは、学士でも修士でも英語で技術論文ちゃんと読んでたりするので、大体みんな英語なんて普通に出来たりする人が多いことに現れていますよね。さらに会社として使える金が多いので、研究開発費に潤沢に投資ができる。

一番の問題は、日本の企業数の90%を占める中小零細です。

中小零細は、オーナー経営者が一代で作り上げた会社が多いので、それこそ「過去の成功体験」から脱却することが、様々な属性の人が山のようにいる大企業よりも難しい。それに、使えると金と人が著しく少ないし、ポテンシャルも劣る。で、そこを補うために「なにくそ根性の精神論」とか「想いの強さ」とかに行くんだけど、違うんですよ。

答えは一つで、生き残るためには、「頭を使うこと」なんです。

ノムさんが亡くなられて、今週末も色々と追悼番組が多く放映されていました。一つひとつの言葉にとても重みを感じます。南海、ヤクルト、阪神、楽天・・・弱いチームができることは、ただひとつ、頭を使うこと。創意工夫。それだけなんです。

さて、今日のタイトル「変化に柔軟に対応するって、具体的にどうすればいいの?」に対する答えなのですが、僕は以下をすることだと思っています。

・前年比マイナスなら、前年と同じことを今年はしない。
・赤字が3年続けば、潔く負けを認めて、やり方を捨てる
・競合の情報を常に収集する
・業界における自社の立ち位置を正確に知る
・研究開発に投資する

自戒をこめて。

昨年書いたブログの中でも人気だったこの記事も参考までに張っておきます。今読んでも、いいこと書いてるわ(笑)

「小さい世界で徒党を組んで傷を舐めあってる人間がとても残念な理由について(毒注意)」

今年のDesignConは、5Gと高周波がメイン。もうほんと日進月歩の世界で速い速い。

今の半導体と設計技術と測定技術の最先端の情報が集まる、DesignCon2020が開幕しました。

時代は進んでいます。もうすごいわ、どこの企業もやっていることが。今年は、やはり5Gと高周波と耐放熱関連がメインです。

業界の巨人たちが今年も。

エメラルドグリーンの巨人は、シミュレーション一本で勝負。

Autodeskの躍進

一緒にお仕事をさせていただいている神戸大学の永田先生は、ANSYSのブースでPower Integrityの講演をされていました。日本人の活躍はうれしいです。

もちろん、我がQuadceptのブースもがんばっています。

ただでさえ、日進月歩のこの世界、特にこの業界はすさまじい。置いていかれないように必死です。

【松田瑞生選手ナイスラン!】大阪城ランからの、偶然出くわした大阪国際女子マラソンの選手たちの激走を見てめっちゃパワーをいただきました!

応援していた26km地点。松田瑞生選手、ナイスランでした!

今日は楽しみにしていた、中之島から大阪城ラン10km。

淀屋橋のミズノで着替えて友達と合流。ゆっくりと中之島を走り始めました。久しぶりの大阪城、ああ、我がランニングチーム「うめラン」の聖地。

最近忙しくてほとんど参加できていない練習会ですが、こうしていつものコースを走ると、やっぱりいいですね。なんだろう、この場が持つ空気とか、ラン友さんたちとのいろんな思い出とか。

走りながら気づいたのですが、そういえば、今日は大阪ハーフマラソン+大阪国際女子マラソンでした。「もしかすると、ランナーさんたちに会えるかもね」なんて友達と話をしながら、ぐるっと大阪城を一周。

大阪城の梅林も暖冬の影響でしょうか、もう花が咲き初めているようです。

少し周ると、大阪ハーフのランナーさんたちがたくさん現れはじめました。僕も数年前に一度出場したことがある、大阪ハーフマラソン。大阪国際女子マラソンの前哨戦として開催されるので、関門制限が厳しく、ゴールも120分でクローズという大会です。その時はたしか100分ちょうどでゴールした記憶があります。

手荷物預けのトラックに、まるで自分が出場するかのような胸の高まりを覚えました。

中之島に戻ってきて、ミズノでシャワーを浴びてランチ。
今日は寒かったので、浪花そば北浜の「かにあんかけ蕎麦」を。本当に美味しかった。これは。身体の芯まで温まりました。

それまで、大阪国際女子のコースは全然チェックしていなかったのですが、どうやら、自分たちが今いる北浜を通る様子。警察官やボランティアさんたちがたくさん道路上で待機しているではありませんか。

蕎麦屋でくつろいでから、そろそろかなと思って通りに出ると、しばらくして、先頭集団が!

隣にいたおじさんから「松田瑞生がトップやで」と教えてもらっていたので、カメラの準備もばっちり。しっかり動画を撮影することができました。目の前を実際に力強く駆け抜ける松田選手、結果的にそのままぶっちぎりでゴール!2時間21分47秒という好タイムでゴールしましたよね!おめでとう!!

しばらくすると、別のランナーが棄権しているようです。近くまで行くと、福士加代子選手でした。沿道に深々とお辞儀をして、関係車両に乗って行きました。

悲喜こもごも。
その姿を見てなんとも悲しく寂しい気持ちになりましたが、次の名古屋ウイメンズでがんばってほしいと思います。

その後もランナーさんたち続々と。
みんな(当たり前だけど)速い!!!!

こちらは小原選手。筋肉がすごいです。

元々、出会えると思っていなかった大阪国際女子マラソンですが、本当に運良く沿道から応援することができました。

弱っている身体に思いっきりカツを入れてもらったような気がします!

よっしゃ、リウマチなんかに負けへんで!!!!

最後まで諦めない姿勢を見せてくれた選手の皆さんに感謝です!!