晴天の蓼科高原。
八ヶ岳連峰も雲ひとつかからず、その勇姿を見せてくれています。
ドライブしていると、たくさんの別荘地や分譲地を見ることになります。
ここからの眺望は最高だな、とか、ここにこんな家を建てたら素晴らしいだろうな、と、同じく家好きの父と一緒にああでもない、こうでもないと話をしていると、どんどん夢も膨らみます。
夢は持つだけでなく、持って膨らませるものですね。
イメージは人を前に進めます。仕事も人生も。
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北八ヶ岳は気温7度。
たまに風が強く吹き、ピラタスのロッジの吹き流しが揺れます。
標高が高い場所は、空が近いのがいいですね。雲もきれいです。
近所をドライブ。静寂の中に風の音。
自分が自然を必要とする理由について、昨年10月9日のブログでこのように書いています。
今の時代はどこにいても、ネット回線を経由して人と話し、会うことができ、様々な映像で世界を旅することができます。しかし、そのようなデジタルの世界と、現実の世界とを比較してみると、刻まれる記憶と感情に及ぼす影響の深みが、全く違うということに気付きます。
少なくとも、僕はITの世界で生きていますが、利便性やスピードを追求しながらも、人間として生きるための必要な要素を、山や木々の香り、風の音、目から入る自然の彩りなどによって充足しているようです。
今、この瞬間にも衆院選を戦っている友人がいたり、時代を牽引すべく昼夜問わず働いている人がいたりしますが、僕は僕として、このように木々の中で自分の心の声に耳を傾け、耳かき一杯分もないくらいの脳みそを、錆びついた自転車を漕ぐように回して、思考を思い巡らします。
特に主義主張も、影響力も存在感もない一市民として、少なくとも“のんべんだらり”と生きるのではなく、自分が納得できるレベルで、少しでも磨けるものはコツコツと磨き続けていきたいと思っているだけの生き方ができれば、それは自分としては、望ましい生き方ということができます。そのようなちっぽけな人間の小さな決意を後押ししてくれるのは、自然のパワーだと実感します。
今夜も暖炉の火の前で、本を片手に考えごとに耽ることにします。
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両親、長女と僕の4人で早朝5時に出発。
特に目立った渋滞もなく、スムーズに信州・蓼科高原の八ヶ岳ベースにやってきました。
今回は退院したばかりの母を連れて来れたことが大きかった。
やっぱりこの八ヶ岳の別荘は、我が家にとって憩いの場所であるだけでなく、様々な家族の思い出を紡いできた場所でもあります。振り返れば14年前、長女がお腹の中にいるのが分かり、初めて両親に4Dのエコー写真を見せたのもここだったし、毎年良い季節にやってきて、自然の中に身を委ねるのもこの場所。母も、来れて良かったと満足そうにしています。
普段はゴールデンウィークに満開になる蓼科の桜ですが、今年は桜の開花も早く、すっかり散ってしまっていました。庭の新緑の上に花びらがつもり、さながらピンクの絨毯のようになっています。
車のトランクいっぱいに、食材の買い出しも済ませました。
今日から三日間、標高1500mの高原でのんびり過ごすことにします。
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考えてみると、この一ヶ月は毎週過ごす場所が異なるという生活をしていました。カリフォルニアのシリコンバレーに一週間滞在した後は、東京に行き、神戸を経て、先週はシンガポール、そしてこの週末は長野県の八ヶ岳山麓です。
今の時代はどこにいても、ネット回線を経由して人と話し、会うことができ、様々な映像で世界を旅することができます。しかし、そのようなデジタルの世界と、現実の世界とを比較してみると、刻まれる記憶と感情に及ぼす影響の深みが、全く違うということに気付きます。
少なくとも、僕はITの世界で生きていますが、利便性やスピードを追求しながらも、人間として生きるための必要な要素を、山や木々の香り、風の音、目から入る自然の彩りなどによって充足しているようです。
今、この瞬間にも衆院選を戦っている友人がいたり、時代を牽引すべく昼夜問わず働いている人がいたりしますが、僕は僕として、このように木々の中で自分の心の声に耳を傾け、耳かき一杯分もないくらいの脳みそを、錆びついた自転車を漕ぐように回して、思考を思い巡らします。
特に主義主張も、影響力も存在感もない一市民として、少なくとも“のんべんだらり”と生きるのではなく、自分が納得できるレベルで、少しでも磨けるものはコツコツと磨き続けていきたいと思っているだけの生き方ができれば、それは自分としては、望ましい生き方ということができます。そのようなちっぽけな人間の小さな決意を後押ししてくれるのは、自然のパワーだと実感します。
滞在している蓼科高原の家から一時間半程度で、富士の裾野に広がる朝霧高原に行くことができます。夜中に降った雨も朝には上がり、最高の晴天でしたが・・・富士山には厚い雲が覆っていました。まあ、富士山との出会いは一期一会ですからね。
マイナスイオンをたっぷり浴びた後は、更にマイナスイオンを浴びるべく、鳴沢氷穴へ。途中で本栖湖が見える展望台に立ち寄りました。
青木ヶ原樹海の底ですからね。見上げるとここが洞穴の入り口だと変に感心します。
江戸時代は、ここから氷が切り出されて将軍に献上されていたとか。まさに天然の冷凍庫ですね。
氷穴の入り口には、溶岩樹形が展示されていました。この空洞は、溶岩に巻かれた木が風化したあとにできたものです。自然の力って本当にすごい・・・
ここは氷こそないものの、天然の冷蔵庫として、養蚕の全盛期には蚕の卵を保管したり、種子の保管場所として使われていたそうです。
富士の裾野には火山活動で出来た、このような洞穴や風穴、泉や滝がたくさんあり、その自然の雄大さを実感することができます。もっともっと行きたいところが増えました。
おはようございます。
この三連休は八ヶ岳ベースで過ごすことになっており、昨夜、車を飛ばして長野県までやってきました。
夜中に到着してゆっくり睡眠をとってから、朝、リビングでコーヒーを飲んでいると、甲高い鳴き声が聞こえてきます。外に出て家の裏に回ってみると、大きな鹿が一頭、こちらにハート型のお尻を見せながら斜面を登っていきました。ここは鹿やリス、キツツキなどの野生動物が庭に顔を出してくれるほど身近な場所です。時々、植えている木の新芽を食べたりして悪いこともするのですが。
朝は10度前後で寒いので、薪ストーブをつけました。
今日から、勉強、読書、テニス、ジョギング、ハイボールをローテーションする連休が始まります。
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自然の中で生活していると、ちょっとしたこと、例えば、小鳥のさえずりとか、小さな花とか、雲の流れに目が行きます。
時間に支配されないからかもしれません。人や車が少ないからかもしれません。里山を走っていても、聞こえるのは、風の音と小鳥のさえずりくらいです。普段の生活とは比べ物にならないほど、限られた情報だけが五感に伝わってきます。
朝起きると、家のデッキで小鳥が死んでいました。
黒と黄色で彩られた羽に覆われた小さな身体が横たわり、今にも飛び立ちそうでした。家の屋根か壁にぶつかったのか、原因は分かりません。しかし、小さな命が儚くも消えてしまったという事実だけがそこに残っていました。
子供たちと一緒に大切に、庭に穴を掘って埋めました。山の中だからこそ、経験できることかもしれません。山では色んな経験をすることができます。