久しぶりの「世界を走る」シリーズ


毎回反響をいただく(と勝手に思っている)「tmk世界を走る」シリーズ。

「兼高かおる世界の旅」(古いなもう)に対抗して始めたこのシリーズですが、昨年は海外に行ってもゴルフしかしなかったのでナシ、なんと、シンガポールで走って以来の2年ぶりの投稿となります。

という訳でミネソタの田舎道、朝6時に起きて走ってきました。

はい、薄曇りの天気。
もちろんですが、誰も走っている人はいませんね。

車で通り過ぎる人は、目が合えば手を挙げて挨拶してくれたりするので嬉しいです。さすがアメリカの田舎町。

この写真はどのようにして撮ったかというと、セルフタイマーアプリとポータブル三脚君です。
ちょっと小首をかしげちゃったりして。

これがなかなか良い仕事をしてくれるのです。

街灯に身長を図られているかのような図

丸一日に渡る長いミーティングを終え、今ようやく一息つきました。
今から大企業のCEO以下、エグゼクティブメンバーとのウェルカムディナー。それでは行ってきます。

上半身裸で違和感なく走れる場所についての考察


TVやPVなどで、上半身裸でジョギングをしているランナーが映るシーンを見ることがあり、以前からとても憧れているのです。イメージで言うと、ワイキキのカラカウアAveやアラモアナ・ビーチ、サンタモニカのOcean front walkなど。こんな場所は、全く違和感なくそのスタイルで走ることが出来ますよね。

僕はもう何年も市民ランナーとしてマラソンやジョギングを楽しんでいる訳ですが、夏場になると、「上半身裸で走りたい欲」がフツフツと沸き起こります。

ニ年前位でしょうか、その気持ちを抑えることができなくなり、地元の幹線道路でそれをやったことがあります。その時は、下ろしたてのTシャツの素材が肌に合わず、夏場で汗だくになって「乳◯首擦れ」を起こしたため、やむなく脱いだという理由もあったのですが。その時はああ、気持ちいいなーと思いながら走っていたのですが、その幹線道路が、某女子大の城下町であったこと、若い女子が集まるお洒落な街であったということもあり、駅前に差し掛かった時に、女子大生が溢れて来て、恥ずかしさのあまり路地に逃げ込んだところ、そこがまさに女子大生の歩行者天国になっていて、視線に痛みを感じながら、赤面して走り逃げたというツラい過去の記憶があります。


では、地元では、違和感なく「上半身裸ラン」が出来るところはないのでしょうか。はい、ちゃんとありました。実際、この週末にジョギングをしている時、その憧れの姿で何の違和感もなく走っている人がいたのです。

それは、ここ。
芦屋浜。

ここなら、大丈夫。
実際にアクアスロンの大会が開かれていたり、ビーチバレーなども盛んに行われています。そうか、ワイキキやサンタモニカやマンハッタンビーチには負けるかもしれないけれど、地元にもビーチがあったか。

という訳で、これからの季節、ここで夢を叶えたいと思います。


今朝は少し緩めの一曲。
本当は夕暮れの砂浜で聞きたいようなチルアウトですけれど。

Hil St. Soul – Sweetest Days Directors Cut

生きているという実感


晴天の日曜日。

早起きして掃除洗濯仕事をし、気のおけない友人夫婦を交えて家族一緒にカフェでランチをし、少しお酒を飲み、カフェ勉をし、薄暮の時間に走る。

シャワーを浴びて、角とろハイボールを作ってのんびりする。
本をパラパラとめくり、ボーっとする。

ああ、やっぱりこうでなくっちゃ!
生きているわー!
生きている実感。

型にはまったようなルーチンワーク、人から見ると忙しい週末に見えるかもしれないけれど、このルーチンワークをしっかり行う週末のなんと心地良いことか。言い換えると、精神安定剤。

薄暮の海を眺めながら走る。
ああ、生きているな。。。

これがあるから、がんばれる。
今日から一週間がんばりましょう!

思いっきりガッツポーズをしたのって、いつぶりだろうか


今日は芦屋国際ファンラン。
子供たちは3kmの部にエントリーし、僕はハーフマラソンにエントリー。朝の6時からブルーシートを敷いて場所を確保し、夕方まで芦屋中央公園で過ごす一日です。

今日の曇空と気温はマラソンにとっては最高。この時期に晴れると気温が高くなり過ぎて辛いので、曇ってくれていたのは本当にありがたかった。誰もいないスタート前にパチリ。

さて、一ヶ月前にフルマラソンを走っていたということ、その後もスピード重視のトレーニングをしていたこともあり、今日のレースで初めて・・・

「100分切り」を達成しました!

記録は「1時間38分50秒」。目標を1時間40分以内に設定していたので、この記録は本当に、本当に(大事なので二回言います)嬉しい!!!いつもの大会では15km地点でバテてしまうのですが、今回はラスト1kmをラストスパート出来るくらい余力も残っていました。ゴール後に思いっ切りガッツポーズ。こんなに嬉しいのは本当に久しぶり。ちなみに、アマチュアランナーにとっては、フルマラソンでの「4時間切り」と、ハーフマラソンでの「1時間40分切り」は大きな目標なのです。

さて、今シーズン(2013秋冬〜2014春)のマラソンはこれで全て終了。次は、今年の秋からのシーズンですね。次の目標はフルマラソンでの「3時間40分」。秋までにしっかりLSDトレーニングをして、次の目標に向かって邁進したいと思います。

それにしても走るのって本当にいいね。子供たちがほっぺを真っ赤にして一生懸命走っているのも、大人たちが必死でゴールを目指しているのも、見ず知らずのランナーを応援してくれる沿道の人達も。なんだか、マラソンに出会えて本当に良かったなあと、しみじみ実感しています。

今日、やはり自己ベストを更新した同級生のN君も、初ハーフマラソンを完走した同僚のMさんも、応援してくれた皆さんも、本当にお疲れ様でした!

解放感に満たされた時に考えることは、大体同じだ


土曜日、個人的に一山越えました。ああもう、脳疲労。
ここ最近、6時の起床をさらに早めて「5時起き」を続けていたため、5時になると自然に目が覚めるという副産物を得ることが出来ています。

という訳で、昨夕は解放感に満たされながら、グランフロント大阪からの帰りの電車では一人でウキウキして、「何しようかな、積読になっている本を夜更かしして読もうかな、いや、夜の蝶になって歓楽街を梯子したろうかな、どっちにしても酒と旨いアテが必要やな」などとアレコレ考えていたのですが、日曜日は今シーズン最後のレースである「芦屋ハーフマラソン」があるので、そもそも酒を飲むことができない。とりあえず散髪に行き、夕暮れの街をブラブラと歩きながら帰宅し、部屋の片付けを行い、マラソンに備えてイメトレを行った程度であります。

しかし普段使っていないからなのか、頭を使うと「終わった後の頭痛と倦怠感」がすごい。いや、何か一つのことにグーッと集中すると知恵熱っていうのか、とにかく、僕は頭痛が起こる訳ですよ。そんな時は凍結した体をほぐすべく、モルトを傾けるのですね。ウイスキーを飲むと、ジワーっと何かが溶けていく。あの感じがたまらないのです。そんな人、多いんじゃないかな。

さて、芦屋川は遅咲きの八重桜が咲き始めていました。

今日のハーフが終われば、今夜は本当に「解放」されます!
さあ、がんばりますよー。

非常にワンパターンなのだが、こういうものなのかもしれない


僕の生活はワンパターン。
鳩時計が一時間ごとに鳴くのと同じで、その時間になれば大体することが決まっている。平日はもちろんそうだし、週末は、走って、団欒して、仕事して、勉強する。

そんなワンパターンな生活の中でも、ちょっとした変化を見つけた時は嬉しいですよね。走りながら見上げる空に面白い形の雲が浮かんでいたり、ウェイクボードやカヌーの大会が開催されていたり。例えば、昨日は補給のために自動販売機でアクエリアスを買ったら、ハッピー缶なるものが当たりました。ワールドカップブラジル大会のキャンペーンらしく、中にはホイッスルが。当たったことは嬉しかったけれど、ランニング中の軽装では、無駄な荷物(笑)でも、これもひとつの「Spice of Life」だったりするのです。

昨日の空や、海。

自分でも「ワンパターンな生活やなあ」と感じることも多いけれど、逆に、規則正しいと言えばそうかもしれない。やることが決まっていて、ただそれをするだけ。今日は何をしようかとあまり悩むこともない。それに、

もし走らないとしたら、その時間は何をしていたのか
勉強してないとしたら、その時間は何をしていたのか
物を書かないとしたら、その時間は何をしていたのか

と、過去数年間の「もし、していなければ」を考えてみると、ちょっと怖くなったりします。少なくとも、数年間は同じことを繰り返しているけれど、それは積み重ねでもある。「もし、していなければ」その時間は、どっちにしても大したことはしていなかっただろうと思う訳です。週末くらいゆっくりと言って、TV見たり、お酒飲んだり、ボーっと買い物に出掛けたり。これらは気分転換にはなるけれど、積み重ねて何かになるものでもないしなあ。ワンパターンって、良いのかもしれないと、単調な生活をポジに捉えたりしています。

結局、毎週末同じことをしているので、特に書くこともないのだけれど、まあ人間ってそれぞれ良かれと思うことを、行うだけの生き物ですね。

さて、今日は出勤なので、そろそろ準備でも。
皆様も良い週末をお過ごしください。

ちょっと春めいてきたので(?)、二日連続で Sixpence です。

Sixpence None The Richer – Breathe Your Name

あえて「逆光ニスト」と名乗りたい(技術的な話は抜きにして)


「夕陽ニスト」「夕焼けニスト」というネーミングを良く見聞きすることがあります。

夕陽の写真をブログやSNSにアップしている人は多く、皆さん、その魅力に惹かれているようです。夕陽はいいですよね。自然界が生み出す壮大なグラデーション、一日が終わろうとしている瞬間の物悲しさ、なんとも言えないノスタルジックな光景・・・空が一番美しく見える瞬間だと思います。

しかし、僕はあえて「夕陽ニスト」ではなく、「逆光ニスト」と名乗りたいと思います。太陽がまだ高い位置にあったとしも、逆光で撮影することで、とても良い味が出たりします。カメラには詳しくないし、撮影機材はiPhoneオンリーですので、技術的な裏付けは一切ありません(笑)

下記の写真は週末のジョギングの際に撮ったものです。
まだ陽は若干高めですが、逆光で撮影することでとても美しい写真になった(気が)します。

しかもこの時は10kmのタイムアタック中でしたので、ペースを落とす訳には行かず、走りながらパチリ。さすがiPhone、ぶれないですね。ちなみにこの時は、10km:46:58, 04:42/kmラップでした。

まだ太陽が高い時間でしたので、逆光ではなく順光で撮った写真はこちら。

目に映る実際の景色は、まだこんなに明るかったのです。
これぞ逆光マジック。

更に進化させると、こんな風にもなります。
以前Facebookにアップした、神戸の須磨水族館で撮影したピラルクの写真も紹介しましょう。
逆、裏、といった「反対」の極地。

このような写真を好んで撮影する人を「逆光裏面至上主義者(GUSS)」と呼びます(勝手につけた)

という訳で、今日は「逆光はいいよね」という、それだけのお話でした。

人は移動する生き物だ


マラソンランナー同志は変な結束力というか絆のようなものがあり、ゴルフ好きやダーツ好きのそれとは違う、何か別の要素で結ばれているような気がします。やはり苦しみや達成感などを共有しているからでしょうかねえ。

それはさておき。
来月のハーフマラソンで夢の「100分切り」を目指している僕としては、実際に100分を切った方からのアドバイスはとても頼りになるもの。先日、フルマラソンで3:30を目指すのなら、3時間、3時間半のLSDが有効、ハーフマラソンで100分切りを目指すのであれば、10Kmのタイムトライアルやインターバルでスピードを意識した練習が重要、ということを教わりまして。

早速今日、10kmのタイムアタックをしてみました。フルマラソン明けだったので、無理をせずに4’48″/kmラップで10km。少しのインターバルを挟んで、今度は1kmを早いペースで走ってみました。その時は、4.15/km。なるほど、こういう練習をしていれば良いのか、とあれこれ考えてやっています。

来月の大会では「ファミリー3kmの部」というのもあり、娘たちも出場します。今日はその練習も。


ネット時代になって、自宅に居ながら何でも出来る(事足りる)時代になりました。一昔前までは、ネット社会の進歩によって「巣ごもり現象」が発生するのではないかと予想されていたこともありましたが、いやいや、なんのなんの。
ネットを基盤に仕事をしている僕ですが、少なくとも休日はほとんど家にはいません。今日もランニングから帰った後、ランチに出掛け、三ノ宮にいき、夕方から夜にかけて隣り駅のスタバで書き物を。

動き、移動し、人に会い、外でコーヒーを飲み、本を読む。

人は移動する生き物ですね。

では、今週も一週間がんばりましょう。

伝統が作る人と社会


足の疲れや痛みが癒えるのと比例して、月曜日からジェットコースター的な忙しさの中に放り込まれる日々です。年度末ですね。そんな中ではありますが、先日の篠山マラソンで感じたことを備忘録代わりにリマインドしてみたいと思います。

先日の大会において、お年寄りから子供たち、野球のユニフォームを来た少年野球の子供たちや、コース沿いの家、集落から赤ちゃんを抱えたお父さんやお母さん方が出て来て応援してくれたり、まだ幼稚園の子供たちが皆、小さな手を差し伸べてタッチをしてくれたり、キャンディーやチョコレートを差し出してくれたりするという、ランナーとしては涙するような歓迎を受けました。お年寄りが屋外に椅子や車椅子を設置してずっと手を振ってくれたり、声を掛けてくれたり、タッチしてくれる。地元の小学生が太鼓を叩いてくれる、高校の吹奏楽部がランナーが通り過ぎる間ずっと演奏を続けてくれている。ボランティアスタッフが20km地点、30Km地点、ゴール地点で、地元名産の「しし(猪)汁」の炊き出しをしてくれている。

我々のようなその土地にゆかりもないゲストにとっては、交通規制を敷いてもらって、風光明媚な田園地帯の公道を走り抜けるという贅沢を味あわせてもらっている上に、このような「おもてなし」をしていただけるなんて、本当に感謝でしかないのです。

どこのマラソン大会でもそうだと思いますが、このように「見ず知らずの誰かを無償で応援する」という習慣は本当に素晴らしいと思うし、足し算引き算や駆け引き関係なしの純粋な気持ちというのは、時にドライな資本主義的ビジネスにどっぷり浸かっている我々にとって、心のオアシスになります。

例えば篠山マラソンを例にとって言うと、34年もこのような伝統が続いている「町をあげてのお祭」として地元の方々の間で定着していますよね。34年というと、先の赤ちゃんを抱いたパパ、ママ達が我が子の年齢くらいの時に沿道での応援をしており、自分が大人になっても子供たちに「ゲストをお迎えする」という伝統を継がせたいと思ってそのようにしているのだと思います。

伝統が人を作り、伝統が社会を作る。

素晴らしいことですよね。
教育というのは、ただ勉強を教えるのではなく、人として、社会として大切な「思い」を伝えることなんだと改めて感じました。自分が仮に走れなくなる時が来たら、僕も応援する側としてランナーに声を掛けたいと思っています。ランナーは誰のために走る訳ではなく、ただ「昨日の自分を超えるため」に走っていることを肌身に感じているからです。

マラソンって、やっぱり素晴らしい。

この複雑な想いは一体なんだろう


なんでこんなしんどい事ををしているのだろう。
なんのために走っているのだろう。

これが、フルマラソン33km〜40kmまでに走っている時に感じていることです。いくら30kmまで順調にラップを刻んでいたとしても、足の調子が良く、疲れも感じず、補給のタイミングもバッチリだったとしても・・・必ずやってくる、フルマラソンの洗礼。これ、何十回と走っているベテランランナーでも同じように思うらしいです。

2年ぶりのフルに向けて、ランナーとしては一夜漬けの練習レベルでしたが、それでも過去のレースに比べると、まだたくさん走った方。20Kmランを週に一回、10Kmランを週に一回。その成果もあってか、30Kmまでは全然OKだったのだけど、やっぱりフルは厳しい。タイムは自己ベストタイだったけれど、本当はもう5分くらい縮めたかったな。でも、マラソンの5分は1kmですからね。その差は大きいです。


ゴール後は立っているのもしんどいくらい疲労困憊でした。しかし、ゴールした後の見ず知らずのランナー達と「ラン」を共通語とした会話を楽しみ、バスに乗り、缶ビールを開けて丹波路を走る車窓から景色を見ていると、篠山名物の沿道の人達の温かさ(歴史のある大会だからこそ、毎年恒例のイベントを楽しむ地元の方のおもてなしがすごい)、子供たちとの走りながらのハイタッチ、手を振ってくれるおばあちゃん達、声援、差し入れ、学生の太鼓や吹奏楽の演奏や、特に一番しんどかった35km地点で立ち止まった時に声を掛けて、エナジーゼリーを差し出してくれた沿道の男性と女性の優しさ・・・すべてが良い思い出となりあんなにしんどかったのに、また走りたいという思いがすぐに沸いてくるから不思議です。

全てに感謝しつつ、また次の大会を楽しみたいと思います。