師走です。
ついに、そして、とにかく師走です。
難しいことを考えず、ただひたすらにがむしゃらにすべきことをし、壁を乗り越え、2015年の残りの一日一日を大切に、そして濃く塗りつぶして行きましょう。
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著名な心理学者であるハーズバーグの仕事に対するニ要因理論によると、人間には苦痛を避けようとする本能的な欲求と、心理的に成長しようとする人間的欲求という別々の欲求があるとのことです。言い換えるなら、苦痛を避けようとする本能的な欲求を満たしても、人間は「不満足感」が減少するだけで積極的な満足感を増加させることはないということです。また、逆に心理的な成長を求める人間的欲求を十分に満たすことができなくても、不満足感が増加するわけではないと言われています。
つまり、仕事の満足感を得る要因と不満を起こす要因は別物で、不満となる要因をいくら取り除いても、満足感を得ることにはつながらず、それはあくまで不満足感を減少させる効果でしかなく、仕事の満足感を引き出すには「動機づけとなる要因」にフォーカスしなければならないという訳です。
心理的な成長から来る満足感=「やりがい」を感じるのは、至極個人的な主観によるものです。何にやりがいを感じるかは人それぞれ。一方で成長企業は人を必要とするものですが、一方的な夢やビジョンを押し付けて賛同を得られれば御の字ですが、そこに響く人ばかりではないということも忘れることはできません。少なくとも、不満要因を取り除くことが企業努力として求められていることなのかもしれません。
我々の会社は誰に話をしても「すごいね!そんな会社、大阪にあるんだね!」と言っていただける会社ですし、そのような評価をいただいていることを誇りに思っています。しかし、そこに甘んじることなく、不満要因を取り除きつつも、妥協せずに賛同いただける人を探し続ける努力を怠らないように邁進して行きたいと思っています。もし、Quadceptの開発に興味がある方、是非、コンタクトください。よろしくお願いします。
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努力を何で評価するかは人それぞれです。
僕は他者からの評価よりも、自分で自分を評価する事を何よりも優先していると思います。しかし、その評価は何かで可視化したいと思っている、言い換えれば(承認欲求)があるのも事実で、それはランニングしかり、休肝日しかり、カレンダーにレコーディングするようにしています。同じように、ほとんどが出張ベースとなる海外渡航についても、毎度感じるプレッシャーを可視化するために、本来剥がすべき手荷物バーコードを油性マジックで消しながら(消し忘れもありますが)も剥がさずに置いています。
このプレッシャーを感じた分、成長出来ていると自己評価して承認欲求を満たすくらいの弱さは持っていますし、馬鹿にされても良いと思っています。それで、明日もがんばれるのなら。
その時はきっと、積み重ねた何かが形になる時だろうと。
普段は振り返る時間もなく、ただ目の前にある壁を乗り越え乗り越え、どうせ乗り越えなきゃならないのなら楽しまなきゃ、笑ってなけりゃ、前向いて、おもしろ可笑しく過ごそうよと思い、その思いを今と明日の活力にし、気が付けば遠くに来たなとたまに振り返りがら終電で缶ビールを飲んでる程度の凡人であったとしても、一人で出来ることなんてとても限られているから、こうしてみんなで喜怒哀楽しながら一緒にいるという組織という環境、それがやっぱり楽しく愛おしいのです。みんな、ええ奴だ。
明日はいよいよ、今年イチバンの大きなリリースが出来そうです。
アメリカ、起きてるかー!!
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先日、御年90歳になる祖母と会ったのですが、とにかく元気。
自転車は乗るわ、杖もつかずにスタスタと長距離歩くわ、旅行には行くわで、見た目70代に見えてもおかしくないくらい若い。多少、耳は遠くなっているけれど、頭もしっかりしていて良くしゃべるし、我が祖母ながらもすごいなあと感心しました。
高台にあるバス停まで歩いていって、バスに乗ってリハビリセンターに行くのが日課らしいのですが、車中で馴染みの人たちと一緒におしゃべりをするのがとても楽しいようです。祖父は僕がまだ幼稚園の頃に亡くなり、娘(僕から見たら叔母)も若くで亡くなったのに、
「毎日、畑耕してね、おしゃべりしてね、楽しいよ〜」
と言って前向きに生きる祖母はすごいなと思いました。やれ腰が痛いだの、頭が痛いだの言っている自分が恥ずかしい!周りはどんどん亡くなっていくので寂しくないわけないし、問題もないわけではないからこそ、「毎日楽しい」と口に出して笑顔でいることがどれだけ、生きる力になるか。
毎日、笑顔で元気に楽しく!
そんな基本的なことを教わったが気がします。
Carol Duboc – Smile
今年は嬉しいことに大阪マラソンに初当選し、今日、本番を迎えました。
普段は篠山や加古川など地方大会に出ることが多いので、このような本格的な都市型マラソンは初めてです。だって、大阪も京都も神戸も、倍率が高くて当たらないんですもん!ちなみに今年は13万5千人のエントリーがあり、3万2千人が出走したとのこと、走りたくても走れない人が多いので、その人達の気持ちも背負って走りました。
気温も天気も最高のコンディション、陽射しがキツくて今も顔がヒリヒリしますが、とても楽しく走ることができました(35kmまでは。笑)予想通り、走り込みが足りず、タイムは4時間を切ることが出来ませんでした。ラスト7kmは足の痙攣との戦い、ホント、しんどかったなあ。でも、なんとか諦めずにゴールできたので、大満足です。これで、フルマラソン5戦目、サブ4(4時間切り):三回、サブ4.5(4時間半切り):二回という結果になりました。二年前の篠山ABC以来、サブ4から遠ざかっているので、来年はなんとかしたいものです。やっぱり走りこみですね!一つのレースが終わった後にすぐ次のレースを考えるのが、マラソンです。笑
さて、大阪マラソンは本当に素晴らしい大会でした。友達にも会えたし、LINEやメール、FBでたくさん応援をいただきました。みんなの声で、心が折れそうになってもゴールを目指すことができました。本当に感謝です。沿道の皆さんも、ボランティアの皆さんもすごい応援!さすが大阪の大会ですね。こんなに沿道に人が途切れることなくいる大会なんて。温かかったなーほんとに。
僕がマラソンを続けている理由の一つは、まさに人々とのふれあいと、大会が醸し出すポジティブな空気です。本当に、マラソン大会ってポジティブな空気で満ち溢れているんです!だから、あんなにしんどいことをやっていても、元気になれるんです。
走った方も、応援の方も、ボランティアの方も、みんなみんな、本当にお疲れ様でした。
では、ここからは写真でどうぞ。
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「明日からもまた生きていく」というメッセージを残したまま、また数日が経過してしまいました。朝昼晩と予定がぎっしりと詰まっていて、良い意味で隙間がありません。
昨夜も今夜も、大阪市内でビジネスディナー。
ビジネスを全力で先に進めようとしている人達との「建設的な」ディスカッションほど、充実感を満たすものはありませんね。念ずれば叶う。動けば、必要な人たちと出会うことが出来る。価値を共有することができる。僕は会社としても個人としても、ここ数年でこの言葉を肌身に染みて感じています。
「ビジネス」とか、「仕事」とか、そういう括りはどうでも良くて、職業人としてもインディビデュアルとしても正しいこと、生きていく上で正しいことは何なのか、この答えは幾ら複雑な世の中であったとしても、とてもシンプルだと思います。
それは、一緒にいて気持ち良いかそうでないか、一緒に仕事がしたいかしたくないか、そんなとてもプリミティブで単純な感情だったりするんだろうと思います。世の中はとてもシンプルですし、そういうところに仕事も金も人も集まってくるんです。周りの気持ちの良い人達を見ていると、本当にそう思います。
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週末の大阪駅周辺は、いつも何かのイベントが行われています。
今日のJR大阪駅の北側広場では、ドライアイスでしょうか、こんな幻想的な光景が見られました。みんな楽しそうに遊んでいますね。
グランフロントに行っていつも思うことは、街も人も洗練されてるなということです。街が洗練されているから人もそうなるのか、人が洗練されているから街もそうなるのか、どちらか分かりませんが、なかなか興味深く見ることが出来ています。
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先日、香港から友人が帰国したので久しぶりに会って話していると、やはり「ソフィスティケートとは」という話題になりました。香港や上海の人は欧米文化の影響からか、女性の美に対する意識がかなり洗練されているらしいのですが、地方の方は全く気にせず、彼女の言葉を借りると「全身、毛むくじゃら」だというのです。
この話は事実で、僕もアメリカにいる時、ホテルのプールで泳いでいると20代後半と思われる女性二人がスクール水着にスイムキャップを被って入って来て、クロールで脇のヘアを盛大に見せながら悠々と泳いでいる光景を目の当たりにし、良し悪しではなく、ああ、文化だなあと思ったことがあります(というか、海外にいると割と頻繁に目にします)
欧米文化では、男性女性かかわらず、アッパーもアンダーも、手や腕も含めて、できるだけケア(除毛)するということが当たり前ですが、日本では、アッパーはケアしてもアンダーのケアは、まだ一般的とは言えないかもしれません。また、先の例のように、毛アを全くしない人達もいます。どちらがソフィスティケートされているかという問題でもなく、文化や美意識の違いなのかもしれませんね。赤ちゃんの時にピアス穴を開けるというのも同じかもしれません。
最近、「世界一貧しい大統領」で有名なとウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏がまた脚光を浴びていますが(”世界一貧しい大統領”は言う「金持ちは政治家になってはいけない」)、彼の言葉は、100年以上続く資本主義経済のほころび、例えば、埋めようのない格差社会や信用取引による投機的なマネーゲームなど、富や繁栄が一周回った後に、もう一度、それで良いのか考え直してみよう、原点回帰しようというプリミティブな思考とでも言うことができるかもしれません。国や地域関わらず、資本主義経済に疲弊した多くの人達の共感と支持を得ているのももっともです。この場合、「今後こうなっていくべき」という意味では、彼の言葉の方がソフィスティケートされていると言うことが出来るかもしれません。
いずれにしても、文化的発展と精神的発展の両バランスを保ちながら、皆が幸せになっていくのが良い文化なのかもしれませんね。
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FBで皆さんが美しい中秋の名月をアップしているのを見て、なら僕も、と、夜ジョギングに出掛けたらこの有様。折角のスーパームーン、なんとなく岩の割れ目から溶岩が見えているようで不気味でもあります。
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それにしても、走るには最高の季節がやって来ました。
中年でも意識が高い僕は(「中年」については前日の記事を参照)走ることをとても気持ち良く楽しむことができます。汗を流すことでご飯を美味しく、罪悪感なしに頂くことができるからです。
「意識が高い」という言葉は、知的でアグレッシブで自分磨きに余念がない学生を揶揄する言葉として数年前にかなり流行りましたけれど、意識が高い(未だに定義が分かりませんが)ということは少なくとも悪いことではないと思います。
むしろ若い時のエネルギーを何かにぶつけるというのは若さの特権でもあるし、成長するにつれて過去のイキりや勘違いを黒歴史として赤面しながら振り返ることがあったとしても、そういう経験があるからこそ学び成長できる訳で、改造車のマフラーを天高く伸ばすか、学力を伸ばすか、コンビニにたむろして朝を迎えるか、徹夜でミートアップしビジネスのストラテジーをビルドするか、どっちにしても、マグマのようなエネルギーを何かにぶつけることは向上に繋がります。それに、エネルギーを注ぐ方向が人によって違ったとしても、大抵の人はなんとかなっている訳で、あまり差は開かないものではないかなと思います。むしろマラソンと同じで常に何かを積み重ねていることで損はないとも思います。
どうせ生きているなら、下よりも上を見ていたものです。
人に頼まれた訳でもないのに10年以上ブログを更新し続け、走り、学び、仕事をして、バーで酔いつぶれている僕は、どっぷり意識高い系カテゴリに浸かっていると思いますが、気持ち悪がられようが、小石を投げられようが、進めるうちはこのまま進んで行こうと思っています。
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随分と涼しさが増したようです。
相変わらず秋と夏が北と南でせめぎ合っているようで前線は列島上空で絶賛停滞中ですが。
今日のように終日社内にいる日で、デスクから見上げる空がどんよりしていると、イヤフォンから流れるBGMには懐かしのR&Bをチョイスしてしまいます。スッコーンと抜けるような明るいのではなく、しっとりmellowなやつ。
愛聴しているネットラジオの “ Radio Tunes ” には、ちゃんと、90’s R&B というチャンネルがあって(他にも80’s Dance や 00’s R&Bなどジャンルがとても細かく分かれている)、自分で色々とアレンジしなくても、任せておけばよろしい。CMも入らないし、とても快適です。
さあ、今週もバリバリ気合入れて行きますよ!
Maxwell Video Fortunate