使う人が使いやすく、作る人が作りやすいものを設計することが自分たちの価値提供

先日、横浜の某一部上場メーカーさんの研究開発センターに行った時のこと。開発部の方と話をしていると、自分たちは設計者として、これを使う人はどういう風に使うのか、製造の人がそれを作る時はどうしているのか、それを想像しています、いくらスペックが良くても、使いづらいもの、作りづらいものは世に出してはいけないと思っているので・・・という言葉が出てきました。

使う人(エンドユーザ)のことを考えるのは当たり前だとしても、設計工程よりも下流にある製造現場のことを考え、作りやすいかどうかまで考えるのは、当たり前のようでなかなか出来ないことです。なぜなら大抵の場合、工程は縦割りされているので相手の顔も見づらく、自分たちは設計者の論理で良いと思うものを作り、時間に追われながらも納期さえなんとか守っていればそれでOKと思ってしまいがちだからです。

価値というのは、それを使う人が決めること。設計だけでなく、全ての面で同じことが言えますよね。自分が良いと思っていても、相手がそう思わないなら、相手にとってそれは価値がないことと同じ。思いやりを持ち相手の立場に立って、キャッチしやすいパスを投げてあげたり、分かりやすい言葉を掛けてあげたり、そういうことだと思います。

仕事柄、技術者の方と会うことが多く、今日も日本の代表するメーカーのユーザービリティ評価の専門家と話をしていたのですが、どこのものづくりの現場にも、自分の専門分野に誇りと責任を持ち、その技術を通していかに世の中を良く出来るかを真剣に考えているエンジニアがこの国にはたくさんいるなと、毎回実感します。日本の製造業を取り巻く問題はたくさんありますが、現場一人一人のそういうポジティブな精神が何かを変える力になって欲しいなといつも思います。

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”でも、彼女たちの走る姿を眺めているのは、それなりに素敵だ。このようにして世界は確実に受け継がれていくのだなと、素朴に実感する。”

こういう仕事をしているので、一応、日々キュレーションされるテック系のニュースやレポート、ペーパーには一通り目を通しているのですが(Twitterのタイムラインで情報収集しています)、ああ、一部のとても能力の高い人たちがいて世界は回っているんだな、としみじみ実感することがあります。

自分がこうして電車に揺られている間にも、オフィスのデスクでミンティアを食べている時も、イスに腰を埋めて空を見ている時も、新しい論文や技術が生み出され、実証され、製品化され、世の中に出て行きます。人や社会の様々な営みを多角度から観察し、解析し、将来を予測し、ビジネスを解説し、取り組みを紹介している人たちがいます。だから自分もやらなくちゃと焦ることも昔はありましたが、最近は、ああいう人たちはああいう人たち。自分に出来ることは自分にしか出来ないのだからマイペースでがんばろう、としか思わなくなってきました。なんだか、劇場のオーディエンスのような感覚です。

一人のランナーとしても、エッセイとしても大好きな、「走ることについて語る時に僕の語ること」の中で、村上春樹さんがボストンのチャールズ河沿いをジョギングしている時に、金髪のポニーテールを揺らしながら走るハーヴァードの新入生(と思われる)の女の子たちに次々と抜かれていくシーンがあります。その描写の中で、こういう一文があります。

人々を次々に抜いていくことに、彼女たちは慣れているようだ。抜かれることには恐らく慣れていないのだろう。彼女たちは見るからに優秀で、健康で、魅力的で、シリアスで、そして自らに自信を持っている・・・まわりの風景を眺めながらのんびり走るということはおそらく、彼女たちのメンタリティには馴染まないのだろう。それに比べると僕は、自慢するわけではないけれど、負けることにはかなり慣れている。世の中には僕の手に余るものごとが山ほどあり、どうやっても勝てない相手が山ほどいる。

でも、彼女たちの走る姿を眺めているのは、それなりに素敵だ。このようにして世界は確実に受け継がれていくのだなと、素朴に実感する。彼女たちには彼女たちに相応しいペースがあり、僕には僕に相応しいペースがあり、時間性がある。それらは全く異なった成り立ちのものだし、異なっていて当たり前である。

自分に相応しいペース、異なっていて当たり前。
まさにマラソンと同じ。人それぞれ何かのきっかけや理由があって走り始め、辛さを経験し、それを乗り越え、達成した時の喜びを噛みしめる。それは、タイムを競うようなものではなく、極私的な事情に基づく個人的な体験です。僕も負けるには慣れています。今までも勝つことの方が少なかったように思います。だから競うのではなく、自分の良さを生かし、出来ることを最大限にやり、満足の閾値に達することができればと日々考えています。

(写真: 2016年9月 スタンフォード大学にて)
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調子が上がらないと思ったら、発熱していたというオチ

早いもので2017年に入ってもう4日目です。

当社は明日から仕事初め。今日はリハビリがてら自宅でのデスクワーク後に20kmランに出掛けました。今日まで休みの人が多いのか、夕方の住吉川はたくさんのランナーやウォーカーで賑わっていました。

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タイムや体力というよりも、気持ちがまだまだ乗って来ません。2.5kmの上り坂を二回走るだけで心が折れそうになりますし。今月の末にはスピードレースの大阪ハーフマラソンがあるのでもっとがんばらないと行けないのですが、気持ちの追い込みと、走り込みの両方が必要なようです。

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とはいえ、なんとか20kmは走れたのですが、どうも昨夜から身体の調子が悪い。関節が痛くて、熱っぽい。もちろん予防接種は打っているのでインフルエンザは疑わないのですが、どうやら風邪のようです。夜、熱を測ると37.5度。まあ、熱があるのに走っていた訳ですから、調子が上がらないのは当然ですね。

今夜は十分に水分を摂って早めに就寝し、明日の仕事初めに備えたいと思います。気合は十分です。

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ゴッドファーザー 5 レッドラガー

僕はクラフトビールが大好きで、IPAやヴァイツェンなどを好んで飲みます。少し前までは、一部のビールバーやレストランでしか味わえなかったクラフトビールですが、最近は置いているお店が多くなりましたよね。良い時代になりました。度々渡航するアメリカにはクラフトビールのブリューワーリーがあちこちにたくさん存在しており、特にサンディエゴなんて街中に何軒も小さな醸造所があってビール好きにとっては最高の場所で楽しかったのを覚えています。日本ももっとそうなって欲しいなと思っています。

さて、昨夜は同級生かつラン友が経営する鶴橋の「鶫屋(つぐみや)」で、大阪が世界に誇るクラフトビールの雄、箕面ビールのレッドラガーをいただきました。焼鳥と良く合い、最高に旨かったです。最初はIPAかな?と思いましたが、レッドラガーでした。うまい焼鳥とクラフトビール。最高の組み合わせですね。

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今日が最終営業日のところも多かったのではないでしょうか。うちは明日が仕事納めです。昨日くらいから、メールの数もだんだん減り、電車もゆったりとして来ました。

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蕎麦屋飲みの奥深さ

蕎麦屋での飲みほど良い飲み方はないですよね。

先蕎麦でも締蕎麦でもいいですが、ビールや日本酒で筑前煮や古漬けをいただきつつ、大将や常連さんとの会話を楽しみ、良いタイミングで蕎麦を。

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一気に注文を通さないとすぐにメニューを下げられ、何もサービスしてないのに15%のチップを要求される国に比べて、こんな贅沢な飲み方が出来る日本は素晴らしいです。その場の空気や雰囲気すらアテにして飲めるんですから。

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日本から蕎麦屋がなくなったら、日本は滅びるんじゃないかと本気で思っています。

それ程、蕎麦屋を尊敬し愛しています。

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【福知山マラソン】針の穴に糸を通すようなペース配分

今日は初出場となる福知山マラソンでした。

フルマラソンは何度も走ってますが、42kmって本当に長い距離。その中でたくさんのドラマが生まれます。走友会の皆様や、友達に会うと手を振り、沿道の子供たちやお年寄りの応援に感動し、攣りそうな脚を押さえ込み、体力がなくなったら気力で走り、トイレも行かなくちゃならないし、エイドでボランティアの皆様から水やバナナをいただき…ただ走るだけがマラソンではなく、大会の雰囲気や景色など、大会全てを楽しむのがマラソンです。

今日の天候は寒くて向かい風が強く、しぐれており、必ずしも良いコンディションではありませんでしたが、個人的な目標として、自己ベスト更新ではなく、一応サブフォー(4時間以内)を目指していました。

結果は、

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ネットタイムで3時間59分56秒。無事に4秒という十分な余裕を残して達成しました。ぴったり計算通りです。まあ、4秒あればなんでも出来ますよね。トイレ一回…いや、出来ないな。エイド立ち止まり豚汁を…いや無理か。道端で屈伸一回…10秒くらい掛かりそうです。

結論: 狙っても出ないタイムを出してしまった。

秒刻みで生きている普段の生活がタイムにまで出てしまったようです(ウソです)。当然、パーソナルベストには全然届きませんでしたが、前半抑えた分、後半追い上げることが出来たし、福知山名物のラスト1kmの登りも含めて一度も歩かなかったし、個人的には理想的なレースとなりました。

それもこれも、ご一緒させていただいた走友会の皆様、行き帰りのバスからずっと一緒だった同級生のラン友たち、ボランティアの皆様、そして、手書きメッセージをくれた地元小学校の一年生Kくん、全ての皆様に感謝です。

本当にマラソン大会って、ずっとずっと感謝しながら、時折泣きながら、走ってるんです。

本当に素晴らしい一日でした。

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日本のマーケットを守っているのは、日本語という特異な言語と、分かりにくい文化なのかもしれない

国際ビジネスをやっていると、海外を飛び回ることが必然的に多くなります。
IT業界にいる人間にとって、例えば、シリコンバレーや、インドや、深センなどに行くと、日本の存在感の薄さに否応なしに気付きます。先週、ドイツでエレクトロニカが開催されましたが、そこから帰ってきた方も「日本の存在が薄い」と嘆いていらっしゃいました。

先週、僕が滞在していたバンガロールでは、日常的な公用語はヒンディー語ですが、ビジネス公用語は全て英語。つまり、現地でビジネスをしている人間は、皆もれなくバイリンガルです。果たして日本はどうでしょうか。英語が話せるとかっこいい、そう思われている時点で日本の特異性が明らかになります。僕は、少なくとも今の日本の市場と日本経済を見ていて、一億数千万の人口によるそれなりの規模の市場と、日本語と文化の特異性が日本という国を(鎖国的に)守っているのではないかと思います。もし、日本人がもれなくバイリンガルであったなら、外向けにもっと市場が広がる可能性もありますが、外資に蹂躙される可能性もなくはないのです。この日本語の言語としての難しさと、先進国の中で最も早く超高齢化社会を迎える社会と、わびさび的な分かりにくい文化と、博多の道路陥没の復旧の速さに代表される「火事場のクソ力」的な団結力と効率性が、日本を日本たるものにしているのではないかと考えてしまいます。至極内向きな発想ですが、グローバル化に対して、日本は日本が守っているということも、また一つ理論として言えるのかもしれません。

少なくとも、僕は久しぶりの蕎麦と日本酒に、やっぱり日本だなあと思う時点で、鎖国的国民なのです。(朝令暮改があってもご容赦くださいw)

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毎朝目が覚めた時にワクワクするように

寝る前にワクワクしながら床につき、朝起きた時にワクワクしながら起きるような日々は、決して与えられるものではなく、インディビデュアルでいて、けれども自分にとっては辛くて苦しい小さな努力の積み重ねと、結果としての遅々とした歩みと、仲間たちとの腹を抱えて笑えるような時間が与えてくれたギフトのような物ですね。

また明日。
ワクワクして寝れない!

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月末は、せんば自由軒のインディアンカレーと共に過ぎ去る

10月もあっという間に過ぎ去ってしまいました。まさに光陰矢のごとしです。今月は割と満足の行く月でした。まず月間の走行距離ですが175kmを達成しました。レースにエントリーせずにこの数字はなかなか頑張ったと思います。だって、毎月ロクに100kmの走行距離を超えないんですから。これは走友会の皆様やトレラン友のお陰です。いつも感謝しています。ありがとうございました。

そして、ランよりも大切なのがシゴトですが、こちらも一生懸命がんばりました。毎日毎日、よくこれだけ問題が起きるなと思いますが、乗り越え乗り越え、なんとかやっています。みんなのお陰です。まあ、シゴトなんて問題解決の連続ですからね、うまく行ってる方がおかしいのかもしれません。

そんなこんなで記念すべき月末のランチは、せんば自由軒本店でのインディアンカレーとカツレツのセットでした。明日から11月ですね。心機一転がんばりましょう!

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どんな運命が愛を遠ざけたの

なんとなく色々とがんばっていたら今こうなった、というのがほとんどの人の人生ではないでしょうか。
色々とがんばって、その日その日を一生懸命生きていた結果がこう。思っていたよりも良いことが起こったら、なんだか分からないうちにこうなってしまった。思っていたより悪いことが起こっても、なんだか分からないうちにこうなってしまった。

つまり結局、人の人生って、なんだか分からないうちにそうなってしまっているのではないかと思います。例えば僕が朝6時に起きて走っているのも良く分からないし、来月インドのバンガロールのセミナーで登壇することが決定してしまったことも良く分からないし、帰りの電車で片手に本、片手に缶ハイボールを持っているのも理由は愚か、なんの因果関係もないんです。例え、シリコンバレーのど真ん中でプルコギを食べていたとしてもです。なんでこうなったのか。

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荒井由実の「翳り行く部屋」の歌詞のように、愛を遠ざけた理由がどんな運命なのか、結局そういうものなんでしょう。(悲しいかな、恋愛も失恋もしておりません・・・カムバック青春)

って、どんな記事やこれ。