日本のマーケットを守っているのは、日本語という特異な言語と、分かりにくい文化なのかもしれない

国際ビジネスをやっていると、海外を飛び回ることが必然的に多くなります。
IT業界にいる人間にとって、例えば、シリコンバレーや、インドや、深センなどに行くと、日本の存在感の薄さに否応なしに気付きます。先週、ドイツでエレクトロニカが開催されましたが、そこから帰ってきた方も「日本の存在が薄い」と嘆いていらっしゃいました。

先週、僕が滞在していたバンガロールでは、日常的な公用語はヒンディー語ですが、ビジネス公用語は全て英語。つまり、現地でビジネスをしている人間は、皆もれなくバイリンガルです。果たして日本はどうでしょうか。英語が話せるとかっこいい、そう思われている時点で日本の特異性が明らかになります。僕は、少なくとも今の日本の市場と日本経済を見ていて、一億数千万の人口によるそれなりの規模の市場と、日本語と文化の特異性が日本という国を(鎖国的に)守っているのではないかと思います。もし、日本人がもれなくバイリンガルであったなら、外向けにもっと市場が広がる可能性もありますが、外資に蹂躙される可能性もなくはないのです。この日本語の言語としての難しさと、先進国の中で最も早く超高齢化社会を迎える社会と、わびさび的な分かりにくい文化と、博多の道路陥没の復旧の速さに代表される「火事場のクソ力」的な団結力と効率性が、日本を日本たるものにしているのではないかと考えてしまいます。至極内向きな発想ですが、グローバル化に対して、日本は日本が守っているということも、また一つ理論として言えるのかもしれません。

少なくとも、僕は久しぶりの蕎麦と日本酒に、やっぱり日本だなあと思う時点で、鎖国的国民なのです。(朝令暮改があってもご容赦くださいw)

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