気づくと四日半、靴を履いていなかった

「靴を履いていない」
つまり、外出していなかった。
四日半も!ほぼ五日間も!一歩も!家から!

ギックリ腰を発症してから、地獄(尿瓶で用を足すレベル)の土日を経て、時間薬で徐々に歩けるようになってきました。リモートワークでずっと自宅で仕事をしているのと、家にCostcoで大量購入した食材があるので外出しなくても不便はない。

ようやく二足歩行が出来るようになったけれど、それまではほぼ歩けない状態だったので、マンションの5階から一歩も地上に降りていない生活が五日も続いています。自分の家の玄関にも行っていない。我ながらすごいなあと思っています。

昼は仕事、夜はClubhouseで色々と皆さんのお話を聞いていると面白いこともあるもので。昨夜は「シンニホン」の著者で有名な慶大教授の安宅和人さんのルーム(5000人の視聴者!)で非常に学びになる話を聴き感銘を受けたため、Twitterで気持ちをツイートしたら、なんとご本人から「いいね」と「リツイート」をいただくということがありました。ありがとうございます。光栄です。

こういうセレンディピティがあるのが面白いですね。

でもそろそろ動き始めないと体力が落ちそう。
ちょっとづつランニングも再開して行きたいし。

あ、そうそう。
先日最寄り駅にある持ち帰り専門スシロースタンドで購入したこの「鯛塩ラーメン」あっさりしていて美味しかったです(完全に陰キャ)

モニターに 映る自分は グレイヘア

中年45歳、自分の髪が意外なほど真っ白であることを、モニターに映る姿で知る。

先日のオンラインセミナーのリハの際、カメラに映る自分の髪が真っ白なのにおののきました。光の加減もあるんでしょうけど、それにしてもね。

どちらかというと「グレイヘア良し」とするタイプなので、染めようとは思わないのですが、今、中途半端な時期なのでいっそ真っ白にするか、シルバーにするか。銀髪もいいよなあ。仕事的にマズいかな。

なにかの糸が切れて、急に真っ白や銀髪にするかもしれませんので、驚かないでくださいね。笑


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今話題のclubhouse

ご招待をいただき少し前から始めているのですが、みなさん夜の時間に良くおしゃべりをされていること。アウトプットの情報量がすごい。個人が集まるラジオ局という感じでしょうか。Youtubeでチャンネルを持つよりもとっつきやすいかもしれません。自分は聴く専門でまだRoomをオープンしていないのですが、これからそういうことも出てくるのかもしれませんね。

もしされている方がいらっしゃれば是非フォローしてください。何か一緒に楽しい発信ができればと思います。

常に身体のどこかが悪い生活〜今日は安静に、Costcoランチとプライム三昧

メニエールに悩まされていたところに、ギックリ腰。腰の左側が強烈な激痛で歩行すら困難な状態。家の中でもトレッキングポールを使って歩いています。もうなんなんでしょうね、ほんと。

いつもお世話になっている同級生が院長を勤める整形外科で診てもらい、痛み止めなどの薬をもらいました。普段からメニエールの薬を4種類飲んでいるのに加え、痛み止めと神経の薬を追加しているので、夜は軽く10錠近くの薬を飲んでいます。これにリウマチがひどくなったらその薬も飲むので、もう数え切れん。

ああ、薬漬けの人生!なんとかこの生活を前向きに捉えたいのですけどね。ポジティブシンキングを鍛える修行が続きます。もう何年も修行しているので、いつか卒業したいのですが。

というわけで今日は安静に。
Costcoで買って来てもらったロティサリーチキン、台湾風まぜそば、サーモンちらし寿司など。

動けないので、午後からはアマゾンプライムで、懐かし「かもめ食堂」と「南極料理人」を視聴。両方ともいい映画だなあ。ヒューマンドラマに食が絡むと、もう僕の大好物の出来上がりなわけです。次は「深夜食堂」をシリーズ通しで見るかな〜。

静かに一人中華。中華は裏切らない

在宅ワークをしていると、濃い味のものが食べたくなることがあります。昨年の4月、5月もそうでした。外食をほとんどしませんからね。健康には良いのでしょうけれど。

時間がある時に「孤独のグルメ」や町中華系の番組を見ていると、この自粛期間ということも相まって、無性にそそられるのです。炒飯が食べたくなって、一人中華をしてきました。

炒飯は家でも作れるし、それなりに腕に自信もあるのですが、やはりお店独特の味がほしくなる時があります。担々麺のセットにしました。最高ですね。

中華は裏切らないなあ。

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ちょっとお仕事のお話。

ありがたいことに、なかなか忙しい日々です。
今週はバーチャル展示会【バーチャルテクノ・フロンティア】に出展しており、毎日たくさんの方にアクセスいただいています。明日はオンラインセミナー、そして、来週もオンラインセミナーです。それぞれ登壇していますので、5G関連、EMC対策関連に興味のある方は、よろしければどうぞ。テクノ・フロンティアは事前の無料登録が必要です。

CSi Global Alliance 5G関連ソリューションブース(テクノ・フロンティア)

Quadcept × NEC EMIチェックによるノイズ対策セミナー(NEC共催)

アルテア・エンジニアリング主催 「計測とシミュレーションを活用したEMC対策セミナー」

6年ぶりに日本で年を重ねることができたのも何かの縁かもしれない

先日、母が70歳でなくなりました。

末期の膵臓がんと診断されてから、奇跡的な回復と体力で三年三ヶ月もがんばって生きてくれた母。その間にいろんなところを旅行し、たくさんの思い出を作ることができました。長い闘病生活、本当に良くがんばったと思います。たくさんの方からお悔やみや励ましのお言葉をいただき、感謝しております。とても心強かったです。ありがとうございました。

僕としてはコロナの影響で、なんと6年ぶりに日本で過ごす誕生日となりました。この時期は毎年カリフォルニアのサンノゼに滞在していて、時差の関係で誕生日を二回過ごすことができるということをネタにしていたのですが、今年はコロナの影響でそれもなし。

でも、そのお陰で母の側にずっと一緒にいることができました。本当に良かった。これも何かの因果というか縁なんでしょうかね。

45年前に僕を生んでくれた母が、僕が生まれた45年後になくなった。人生、長いようで短いものです。その一瞬の光のきらめきは切なくて、でも、本当に尊くて。

この年になるといろんな変化が周りで起きます。

さらに時代の変わり目ということもあります。ごまかしや上辺だけを取り繕うことが通用しなくなる、より本質的な世の中になっています。

今は前を向いて足元をしっかり固めつつ変化を続けて行こうと思っています。

芯の通った、骨太の人間になって強くありたい。そして、周りの人には優しくいたい。

この一年もどうぞよろしくお願いいたします。

45年前の母と僕

久しぶりの出社。やっぱりオフィスはいいな

今週はずっと在宅ワークをしていたのですが、登壇する技術セミナーの録画のために今日は一週間ぶりに出社。

社員の5割強が在宅ワーク中なので、フロアの半分は人がおらず、照明も落とし気味ですが、出社組のメンバーと一緒に話をしたり、たまたま近くにいらっしゃった取引先の担当者の方が立ち寄ってくれて、こちらも久しぶりにワイワイと話をしたり、良い気分転換になりました。コロナ禍で「人と会う」という今まで当たり前だったことがプレミア感満載の特別なことになっています。外で食事をするということもそう。

今まで当たり前だったことが当たり前でなくなった時に、その大切さを知る。
不思議な気持ちになりますが、これが時代の変わり目ということなんでしょう。

下の写真は、みんながちょっとしたミーティングで使うための、通称ビッグ・テーブル。奥のガラスの向こう暗闇は、30名が集えるセミナールームです。以前のようにオンサイトのセミナーが開催される日は来るのでしょうか。もうオンライン・セミナーが定着しまいましたもんね。

オフィスも使うところと使わないところが出てきました。
これも変化の一つということで。

ミニマリストとランナーという二つの属性が一つの人格に融合した時、何が起きるか

今日は本当にどうでもいい話を書こう思います。
なんの為になりません。

このブログを読んで下さっている方なら良くご存知のとおり、僕はウルトラマラソンやトレイルランニングを趣味とするランナーです。フルマラソンを10年前に完走し、ランニングを趣味としてから、体つきだけでなく多くのことが変わりました。

まず、早寝早起きという生活習慣。ビールは控えてハイボールに。そして服装。普段着は限りなくジャージに近い服装になり、機能性を重視するようになりました。そしてジャケット+パンツという仕事着もシンプルなものを選ぶようになりました。シューズも距離やロードの状態に合わせていろんな種類を揃えるようになりました。そして、脚の毛を剃るようになりました。レースの時は膝やハムストリングスにキネシオテープを貼るのですが、毛があるとテープがはがれやすくなるし、見た目も悪いからです。

よく自転車に乗る人はファッションの一つとして脚をつるつるにしますが、僕はランナーとしての誇りを持ってそのようにしています。

ところが、自分自身のもう一つの特性である「ミニマリスト」という人格が、このランナー特性と合わさせってしまって、毛剃りをどんどんエスカレートさせてしまっているのです。つまり、ミニマリストなので、必要最低限のもので暮らし、断捨離を良しとします。逆にいうと不要なものはすべて排除ということです。このような思考パターンですから、体毛になんの必要性も必然性も普遍性も感じません。必要がないということになります。したがってそれを黙々と排除しています。

ただいくつかデメリットもあります。まず、風呂の時間が長くなること。よく人から「そんなんなら永久脱毛したら?」と言われるのですが、将来的に体毛ブームが来るかもしれないので、それはしません。それに最初はめんどくさかったのですが、長年続けていると、毛剃が趣味のようになります。一種の気分転換ですね。

あと、銭湯で変な目で見られるということもありますが、まあ、人の目をあまり気にしないタイプなので、デメリットというほどでもないかな。ということは、ほとんどデメリットはないですね。

何を書いているんでしょうね。
ここまで付き合っていただいた皆様、ごめんなさい。

ようやく雨もやみ、この二日間は早朝ランに出ています。気分転換になりますし、身体を動かすと仕事にも集中できますから。

朝日がきれいです。

一緒に過ごす時間の価値

それはもう二度と帰ってこない一瞬の光のきらめき。

その時間はその時だけのもの、その瞬間はその一瞬だけで、再現性もないし、リテイクもできないし、巻き戻し再生することもできない。その代わり、その時間を「確かに過ごした」という事実は永遠に残る。その瞬間を一緒に過ごした相手がいるのであれば、それはたった一瞬であったとしても、一度きりの出会いだったとしても、その人と人生が重なったということになる。

そう考えると、誰と、どのように過ごし、どのような気持ちでその時間を送るかは本当に大切で。

誰に対しても出来るだけ優しく、愛情深くいたいと思うし、自分にできることがたとえスプーン一杯分のことだけであったとしても、喜んでそれを差し出したいと思う。それが思いやりというのものなんだろうなと。助け合うということはそういうことなんだろうなと。

先日、母のことをブログに書いたことで、本当に多くの方から共感のコメントや励ましのメッセージをいただきました。「母のこと」(2021/01/22)

自分の気持ちの整理のために独り言として書いたことが、こんなに多くの方に読んでいただけるなんて。感動しました。そして、掛けていただいたどの言葉も温かくて心に沁み渡り、誰もが一度や二度は大切な人を見送るという経験をしているのだなと分かり、心強くなりました。本当にありがとうございます。

ほぼ昏睡状態の母の介護を続けながら、すべての瞬間を愛おしく感じることができています。赤ちゃんのように、うん、と、ううん、しか言えなくなってしまった母ですが、息子の声でちゃんと目を開いてくれる。笑ってくれる。この一瞬一瞬がかけがえのない時間です。これは事実として永遠に残り続けるのだろうなと思います。

母のこと

あまりこういう私的なことを書くのもどうかと思ったのだけど、そもそも私的なことしか書いていないブログを15年以上も続けているのに何を今さらと自分につっこみを入れたりしながら。

今年に入って母が何回か危篤状態になり、それでも奇跡的な意識回復を繰り返す中、実家に行って手を握ったり脚をさすったりしている時は母の顔を見たり時折会話もできるので安心するのだけど、母の側を離れると心配で心配で、もうどうにもならなくて。

帰る時に、お母さんまた来るねと言うと、意識がある時は目を開いてくれて、小首をかしげて困ったように笑いながら、知ちゃんありがとう。おやすみ。と言ってくれる母の顔を毎日ずっと引きずって過ごしている。そういう気持ちをどこにも出せないので、ブログに書くしかなくて。

すいません。

2017年10月に末期の膵臓がんと診断され、そこから本人のがんばりと、家族の支えと病院の先生や友人たちの励ましのおかげで奇跡的に3年以上も生きている母。どこの病院の先生や、民間治療の先生や看護師さんや理学療法士の方が異口同音に3年以上生きている事自体がもう奇跡です、こんな人みたことないです、と言われ続けて、困ったなあと言いながらも嬉しそうにしていた母。

それでも病の進行と抗がん剤治療の(副作用も含めた)限界も来て、昨年12月からは本人の意向もあり、治療もやめて民間の先生方に教えていただいものを使いつつ緩和ケアを続けながら自宅で過ごしている。お母さんは家が大好きだし、広い庭に植えている好きな花の手入れも大好きなので、好きなものに囲まれているのが一番いいと思っているみたい。もう一ヶ月の間、大好きな庭には出れていなけれど。

僕としてはこれだけ生きてくれたことに本当に感謝しているのだけど、さすがにろうそくの火が細くなっていく中で、その小さな火を消すまいと、辛いながらも懸命に生きている母を目の当たりにし、ふとした瞬間に自分が幼い頃から今に至るまでの母との思い出をずっと辿っている自分がいるのに気づく。母は背が高くて、きれいで、強かった。そして、今も強く生きている。

正義感が強く、曲がったことが嫌い。納得しなければ動かず、融通が効かずに「ややこしい」ところも、長男である僕はそっくりそのまま受け継いでいて、自分で嫌になることもある。母との違いは、彼女が使用人がたくさんいる大きな家の守られた環境で育ち、ある意味そのままの母でいることを良しとしてもらえたことに対し、僕のように社会に出て揉まれてそれなりにコミュニケーションの仕方や、人との関わり方などを学んで多少丸くなったくらいの違いで、底流の部分はほとんど同じなんだろうなと思う。似ているからこそ、たくさんぶつかった。ただし母は人に優しかったし、いろんな人を助けていた。そして本人は自分の弱さを、ちゃんと強さに変えていた。

3年4ヶ月前の2017年10月のあの日のことを僕は一日も忘れたことはない。出張中で、中央線に乗って東京駅に向かっている電車の中で携帯電話が鳴った。みると母だった。普段仕事中に電話なんて絶対に掛けてこない母なのでびっくりして小さな声で電話を取ると、ちょっと話があるの、と。お母さん、僕いま電車に乗ってるんだ。ちょっと待っててね。次の駅で降りるからすぐに掛け直すね、と神田のホームで母に電話を掛け直した。

出張中にごめんね。知ちゃん驚かないで聞いてね。お父さんにもおばあちゃんにも、Sちゃん(僕の弟)にも、まだ誰にも言ってないのだけど。お母さん、膵臓がんみたい。それもすごく大きな。お父さんには話すけど、きっとショックを受けてどうなるか分からないから、まず一番に知ちゃんに話しておきたくて。お母さん、もう本当にあまり長くないかもしれない。

明るく気丈に振る舞っていたけれど、その声はやっぱり弱々しかった。そして少し泣いていた。その日から今に至るまで、家族みんなで母を支え、いろんな決定をし、母が大好きな八ヶ岳の家にも身体が許す限り季節ごとに通ったし、いろんなところを一緒に旅行した。そして、闘病中の母から多くのことを学んだ。

いつかはこうなると思っていたし、この3年で覚悟も出来ているつもりだった。今はもうあとどれくらい一緒にいれるのかを指折り数えるようになっている。話が出来る時もあるけど、今日のようにまた意識がなくなって危篤状態になる時もある。僕はずっとお母さんと一緒にいたい。でももう叶わないかもしれない。寂しいし、悔しい。もうあんな困った顔で無理やり笑顔を作らせたくもない。がんばってほしいけど、がんばってほしくもない。自分の中で混沌とした思いがずっと渦巻いている。そして、一人でいると涙が流れてしまう。

先のことは考えない。
お母さん、待ってて。また明日も手を握りに行くから。


追伸:
出たり抜けたりしている自分の仕事のフォローをしてくれている会社の皆さん、予定を調整させてもらっている仲間の皆さん、色々な励ましの言葉を掛けていただいている皆さん、本当にありがとうございます。力になっています。感謝です。

もちろん、いつも母の傍にいてくれる僕の愛する家族たちにも。

明るく前向きな言葉っていいですよね。自然と頬が緩み、気持ちが前を向く。

冬場は味噌ラーメンが欲しくなります。
今日はラーメンを食べながら考えたことを書いてみたいと思います。

今年に入ってから特にですが、取引先とのメールのやり取りで「がんばりましょう」「乗り越えましょう」など、前向きな言葉が文末で飛び交うようになっています。お互い状況を気遣い合い、労り、励まし合う。

これってすごくいいことだと思うんですよね。状況の良し悪し問わず、垣根を越えてみんなで励まし合い、前に進む。自分が経験してきた中では震災後の光景を思い出します。そうやっていつの時代もみんなで力を合わせて乗り越えてきたんですよ。

うちの会社は、ガチガチのエレクトロニクス・IT業界にいるので、コロナ禍の影響を受けている訳ではないのですが、それでも先行き不透明な時代、閉塞感は感じます。業界団体の会合でも、この状況を乗り越えるために様々な意見交換がされています。個人レベルでも感染防止に気を付けながら生き抜いて行かなくてはなりません。困っている人もたくさんいるのも知っています。人によっては今まで当たり前に出来ていたことが出来なくなるというストレスもあるでしょう。

ちょっとした気遣いや励ましの言葉がいつも以上に心に染みる時期ですね。
みんな元気で、無事に乗り越えましょう。

前向きな言葉で、自然と前を向けますね。