東京ではまた緊急事態宣言は発出されるとのこと。
また移動などの制限がなされるかもしれませんが、僕の方は少しづつ「旅ランナー」らしい生活が戻りつつあります。
「旅ランナー」
なんて素敵な響きなんでしょうね。
旅をすることと、走ることが大好きな自分としては、この二つのキーワードが重なる肩書は憧れであり、希望です。コロナ前は、それこそ海外出張が多かったのでどこに行っても走ることを楽しみにしていました。コロナで国内も海外も出張がストップしてしまいましたが、少なくとも国内は少しづつ足を伸ばせるようになってきました。
自分で名乗ってしまえるほどのレベルには、旅人としてもランナーとしても凡人ではありますが、とにかく、明日からの出張にも早朝ランのためのシューズだけは忍ばせています。
今週は、愛媛、大阪、東京、奈良と繋いでいきます。
天気だけがね。梅雨時期だからどうにもなりませんけれど。
「坂の上の雲」に思いを馳せて。旅ランのご褒美は鯛だしラーメン
松山での朝ランのスタート地点は、いつも決まった場所。
そう、司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」で有名な、秋山好古、真之兄弟の生誕地です。
NHKスペシャルドラマとして3年連続で2009年〜2011年の年末に放送された「坂の上の雲」のオープニング、「まことに小さな国が開花期を迎えようとしている」というナレーションと共に流れるBGMに何度鳥肌が立ったことか。
松山の繁華街、大街道からすぐ。自分の定宿からもすぐということもあり、いつもこの静かな生家をスタートにして、松山城の城山をぐるりと一周する約5kmのコースを定番コースにしています。
城山の周りはフラットなコースでとても走りやすいコースとなっています。皇居や大阪城もそうですが、城の周りはランナーの天国。
こちらは坂の上の雲ミュージアム。
愛媛県庁。
この城山公園は、毎年2月に開催される愛媛マラソンのスタートとゴールになっています。昨年の2月、僕も出走しました。
お堀端からは山城である松山城の櫓が見えます。
10kmを走って、ホテルの大浴場で汗を流した後のランチは鯛だしラーメン。走っている途中に見つけたラーメン屋さんですが、この「麺魚(めんぎょ)本店」の鯛だしラーメンはとても有名だそうです。
鯛のだしがしっかり効いてうまー!
しっかり松山を堪能した後、松山空港でじゃこ天とじゃこカツを見つけてしまってお腹いっぱいでしたが購入してしまいました。
松山と金沢は半年に一回は滞在したいところです。
さあ、次はどこに行こうか。楽しみがたくさんあります。
店主の人柄そのままに、丁寧に丁寧に仕事をした肉の数々
一年ぶりの松山。
今回お連れいただいたのは、2019年11月オープンのビステッカのお店「OKIBI MAKIYAKI」。その名のとおり、薪火と炭火を使って肉を焼くお店。L字のカウンターとテーブル席1セットのみのこじんまりとしたお店です。とにかく美味しかったので久しぶりにグルメリポートを書いてみたいと思います。
今回のコースはこちら
梅雨時期で蒸し暑いので、キリリと冷えたスパークリングからいただきました。やっぱりジメジメした季節はスパークリングワインが最高に美味しいですね。フランス産だけど、日本の梅雨時期に飲むために作られたのではないかというほど、ぴったりマッチ。
一皿目は、和牛カメノコウのインボルティーニ
バターのまろやかさとお肉の食感、そしてミョウガの風味がたまりません。
拡大するとこんな感じ。
お野菜は地元愛媛産を使っているそうです。
どれも最高に美味しかったのですが、個人的にはこれが今日の一番。一発目からガツンとやられました。あ、ここ良いお店だってすぐ分かりました。
二皿目は、馬肉の漬け薪炙り焼き
肉の下にアボカドとトマトが添えられています。馬肉の臭みは一切なく、噛めば噛むほど肉の味わいが出てきます。
三皿目、甘とろ豚肩ロースの薪焼き
火入れが絶妙なんでしょうね。箸で裂けるほどのやわらかい豚。敷かれたリンゴのシャキシャキした食感とブルーチーズの香り、豚のとろけ具合の相性も最高でした。
四皿目、鴨胸肉の燻製
赤ワインとバルサミコ、赤味噌ソースが絶妙。味噌が入ることで和風なテイストになるのが不思議。でも意外と合う!
五皿目、カペレティ
人参のソースなんですよ。
ドライトマトと生ハムが乗っています。カペレティのもちもちした食感が良いですね。
白ワイン、赤ワインとつないで、六皿目の骨付き仔牛の網焼き
仔牛なのであっさりで柔らかい。焦がし茄子とクミンのディップが夏野菜のカレーを思い出させてくれて仔牛のあっさり感が引き立ちました。
メインの七皿目は和牛マルシンのビステッカ
肉汁が溢れて豪華ですね。様々な風味の塩をかけていただきます。ほんと丁寧に仕事してはるわ。左のレモンソースのさっぱりした味わいがアクセント。自家製粒マスタードとワイン塩だけでも持って帰りたい。
デザートは桃のコンポートの上にバニラアイス
店主の焼きさばきをカウンターで眺めながら、色々とお話を伺っていると、グリルも色々と試しながら作ったものだそう。試行錯誤しながら今のスタイルにたどり着いたようです。
爽やかで謙遜な店主のお人柄そのままに、一つひとつの肉の焼き加減が丁寧に管理されて、添えられる野菜やソース、ディップもすべて繊細に仕事されていました。
コロナ禍でなかなかお店に行く回数も減っている中で出会った小さな名店でしたので、久しぶりにグルメリポートにも力が入ってしまいました。また行きたいお店の一つです。
若いっていい。でも自分だって今この瞬間が一番若い。
おかげさまでありがたいことに、分刻みの忙しい日々を過ごさせていただいています。そんな中でも色々と楽しいことはありましてね。今日は少しだけそんな「楽しいこと」をご紹介したいと思います。
5月からスタートした全4回の工学部学生を受け入れてのインターンが終了しました。受け入れ部隊となった開発部のみなさん、今年もお疲れさまでした。
毎年、某工業大学の学生を当社に受け入れてIoT製品開発実習を行っています。今年は昨年の倍の4チーム16人。ハード組とソフト組に分かれて、Arduinoを使用した製品(もちろんプロトタイプです)を開発してもらうのですが、各班、アイデア出しからスタートして、回路を描いて、基板をレイアウトして、部品を選定して、制御プログラムを書くということをやってもらっています。
実習では、生基板に部品を半田実装までしてもらって動作を確認することもしています。半田の香りっていいよね〜(同意少なそう)
学生さんたちと混じってものづくりをするのは楽しいですね。
大変なこともたくさんありますが、動く動かないで一喜一憂したり、部品が足らないことが分かってその場で手配したり、そんなバタバタも楽しい(メンターのみんなは楽しんでいられないでしょうが・・・笑)
で、やっぱりこういう時に思うのは、「若いっていいな」っていうこと。学生は学生の時にしかできないことがたくさんある。今この瞬間をどれだけ有意義に過ごせるか。まあ、卒業しなきゃ分からないんですけどね、そのありがたさは。でも、やはり若さは大きな武器だ。
ある番組ディレクターの「若い子には、可能性は無限大ではないけど、選択肢は無限大だよと言っています」との言葉を思い出します。そう、若さの良さは「選択肢」が多いこと。あらゆることにチャレンジして、可能な限りたくさんの選択肢を試すことができる。
でもね、大人になっても、何でもできるっちゃできるんです。
僕のように40代半ばを過ぎても、「今この瞬間が一番若い」のですから。この歳になって新たな出会いもたくさんあるし、新しいことにチャレンジすることもある。そりゃ、選択肢は学生に比べると少ないかもしれないけれど、それは諦める理由にはなりません。今でも知らない分野を調べたり、論文読んだり(必要に迫られて、が多いですが笑)できることはありがたいことですね。
なんてったって、自分史上、今が一番若いのですから。
梅雨時期の重たい身体を軽くするためには
人によって調子の良いシーズン、悪いシーズンはそれぞれあると思いますが、僕の場合は春先から梅雨時期にかけて低空飛行期に入ります。特にこの梅雨時期。身体が鉛のように重たい!
まあそんなことも言ってられないので、身体に鞭打って走ったりするのですが、全身におもりを付けてるかのようにダラダラとしか走れません。ランナーってどうしても「良い時」の自分のイメージがあるので、風を切って颯爽と走っている時の記憶と現状を照らし合わせた時に「なんでだろ」となるのです。毎年のことだから慣れればいいのにね。
一応、対処は色々としていまして。
まず暑さに慣れるためには、汗をかける身体をつくること。一年中走っているので基本的に代謝は良いのですが、やはり夏のジメジメした暑さはこたえます。そこでしっかり風呂に浸かり、半身浴をしています。
そして、キューピーコーワゴールドαプラスを飲んでいます。はい、分かってますよ。栄養補助剤なんて気休めだってことくらい。いつもバッグに持病の薬を大量に持ち歩いているので薬モノは嫌いなんですけどね、まあ、お守り的な意味で。
あとは飲酒をとにかく控えめに、睡眠はたっぷり。
ガンガン飲んで、めちゃくちゃ走って、とにかく元気元気!な諸先輩方には頭が上がりませんが、真似しようと思ってもできません。酔拳を使えたのは若い頃で、今はさっぱり。できるだけ身体に負担を掛けないようにしています(守りに入ってる時点でイヤ笑)
「そのうち浮上するだろう」くらいの気持ちで、今は我慢がまん。
できることを積み重ねて行って、この秋〜冬のウルトラマラソンシーズンに備えたいと思います。今年は12月の沖縄100kmウルトラマラソンをターゲットにするか!チャレンジ富士五湖100km秋の陣がもし開催されれば、それも!
こうやって楽しみな目標を持つのも、身体を軽くする方法ですね。
町中華とカツ丼の話
金曜日から週末を挟んで今日まで、忙殺の日々。
ブログを書く暇も気力もなく、あっという間に月曜日になってしまいました。平日週末関係なく予定を詰め込み過ぎなのが良くないのですが、関わっていることが多すぎるので仕方ありません。でもちょっと悲しかったのは、ここ一番で頑張らなければならない時に持病が出てしまい、余計に気が滅入ってしまったことです。
そんな時に救いになるのは、やっぱり旨い飯でしょう。
今日は町中華のお話です。
「町中華」
なんて良い響きなんでしょう。
僕は町中華が大好きです。どこに行っても良い雰囲気の町中華があれば必ず入ってしまいます。先週、羽田空港近くの穴守稲荷駅で出会った町中華もナイスでした。担々麺と炒飯のセット。もうね、佇まいも店内も客も、ザ・町中華。味も良し。こういうガッツリ系のを押し込むと元気も出るというものです。
片言の日本語を話す中国人がやっているという点もポイント高し。
そして、今日のランチは、カツ丼とざるそばのセット。
これぞサラリーマンの定番ランチでしょう!!
梅雨時期を乗り越えるためには、やっぱりカツ丼!
ガツンと食って、寝れる時はガツンと寝て、またがんばる。
ひたすらこれを繰り返すのが人生というものなんでしょう。
明日も取引先のラボで丸一日、実証実験。
7月は楽しみたくさん。
とにかくこの時期を乗り越える!
テスラ丸裸
テクノフロンティアでは、テスラ3が分解され、丸裸になっていました。
エレキとメカ専門の展示会ですから、EVがどんなもんかという話なのですが、まあ見ればわかりますが、筐体以外は基板とモーターとバッテリーの塊です。
これだけの基板が使われているのですから、もはや走るコンピューター。
技術の肝はモーターとバッテリーなんでしょうね。
もちろんセンサーや制御もありますが、これだけの重たい車両をラジコンのように動かすのですからね。
久しぶりにEMC界隈の方々や電子業界の方々、知り合いや取引先と顔を合わせて話すことができてとても楽しかったです。やはり生身は良いものですね。
一週間、おつかれさまでした。
皇居ランと美味しい蕎麦屋の話
仕事終わりに皇居ラン。
数え切れないほどの回数を走っているコースですが、一周5kmで適度なアップダウンがある皇居、久しぶりに走ってみましたが本当に良いコースですよね。5kmが短く感じますもん。
日が沈む直前の空も美しかった。
気持ち良く2周10km。ちょうどいいです。
さて、ここからは蕎麦のお話。
表参道の蕎麦の名店、青山 川上庵。店構えも良い。
蕎麦好きに連れて行ってもらったのですが、美味しかった。僕も蕎麦にはこだわりを持っている方ではありますが、なかなか。
いい蕎麦屋で必ずオーダーする蕎麦味噌。
蕎麦の実の食感と風味も良く、酒が進みます。
名物クルミだれせいろ。
つゆがクリーミーで冷たくて、これはこれで蕎麦ととても相性がいい。蕎麦もしっかりと硬めに冷水で締めてあり僕好み。調べてみると食べログTP5000のお店みたいですね。
うん、とても良いお蕎麦屋さんでした。
走って、美味しいもの食べて、しっかり仕事する。
出張族の日常が少しだけ戻ってきたような気がします。
父の日だったんだ、と後で知る
昨日から出張で東京に来ています。
今週は金曜日までこちらに滞在です。
皇居の近くにある定宿のホテルにチェックインすると、フロントの方が「松田さん、約半年ぶりでしょうか。おかえりなさい。」と笑顔で声を掛けてくださいました。なんかこういうの嬉しいですよね。
さて、時間差投稿になってしまいましたが、先週の日曜日は父の日だったんですね。僕が日曜日にゴルフに行くことを知っていたのか、土曜日の夜に娘たちからサプライズプレゼントをもらいました。
父の日なんてまったく知らなかったので、本当にびっくり!!
娘たちからの手紙はいつもらっても嬉しいものです。
自分以外は全員女性で、ピンクとハートとスイーツが溢れているような家ですが、いつも賑やかで本当に楽しい!いくつになっても甘えてくれる娘たちはパパにとってかわいくて仕方がなく、本当にありがたいなあと思っています。
ブログ開設17年目。この一年で自分が関わる世界が劇的に広がった理由を考えてみる
毎年6月はこのブログの誕生月です。
このブログを書き始めたのが、2005年の6月。
誕生してから丸16年になり、17年目に入りました。思えば長いことやってるものです。書き始めた当初、自分が20代だったなんて信じられません。あの頃、僕は29歳で、長女は生後6ヶ月でした。それが今や、ね。月日が経つのは早いものです。
ブログを書くことは今どき流行らないとは思いますが、僕個人として続けて来て良かったなと思うのは、29歳から今までの歩みがしっかりとログとして残っているということです。
その時どんなことを考え、選択し、決定してきたのか。その積み重ねで、仕事の幅が国内から海外に広がって行き、仕事の内容も変わり、できることも増え、セミナーや講演会や大学の授業に登壇し、自分の立場も、関わる会社の数も増え、走る距離も走る場所も、ゴルフの回数も一緒に回るメンバーも、出会う人々の数も、様々な勉強会やコミュニティを通じて生み出す価値も、本当に色んな変化が起こってきました。
それらすべてが、若い頃には想像もしなかったくらい素晴らしいものばかりです。一つだけ言えるのは、その当時の僕に今の僕はまったく想像できなかったということです。ここから学べることは「自分の価値観と意思決定の軸だけしっかりしておけば、別に目標なんて決めなくて良い。結果は必ずついてくる」ということです。
今年一年の振り返り
コロナ禍が深刻になり始めた昨年3月に激しく体調を崩してしまいました。飛行機で国内外を飛び回る出張生活の疲れが出たのか、それとも、コロナ禍による世の中の激変に身体が過剰反応してしまったのか分かりません。ただ、その時の苦しみの中で僕は勝手にこう言い聞かせていました。
ちなみに今は、自分の身体が色々とアップグレードする前の脱皮のような状態だと理解していて、捨てるものと、新しく身に着けるものの間(はざま)を楽しんでいる状態とでもいいましょうか。とにかく、過渡期なんだろうなあと日々実感しています。(2020/03/02)
【笑って読んでください】一番嫌な持病が再発した今日、思ったこと。今は身体が古きから新しきにアップグレードする過渡期なんだろうなあ。(2020/03/02 記事)
結局その後、4月は毎日のように微熱が続き(PCR検査は二回とも陰性)、わずか2ヶ月で体重が8kg減少しました。この期間は本当にまったく走れない日々が続きました。
でもようやく夏になり身体も回復してくると、そこから徐々に自分の考え方も、周りの環境も大きく良い方向に変化していきました。ああ、これが「アップグレード後の自分なのかな」と徐々に思えるようになってきました。今までの自分はどこか生き辛さを感じていたのですが、急に視界が開けたというか。そして、同じような価値観を持つ仲間がどんどん増えてきました。引き寄せられてるというのでしょうか。2019年〜2020年まで本当に苦しんだのですが、産みの苦しみを乗り越え、ようやくアップグレードできたようです。長かったし苦しかったけど、ようやく出口にたどり着いた。辛かったけど、諦めずに頑張ってきて良かった。
昨年末にはこのようなことを書いています。
枠にはめ込まれるという窮屈な価値観や、お金や土地や地位を持っている人がえらいという旧時代の価値観は消えてなくなります。「勝ち組、負け組」の定義は、その人が今、幸せと感じているかどうか。
今まで生きづらさを感じていた人が、これからは生きやすくなる理由について(2020/12/30 記事)
所有よりもシェア。密よりも疎。囲い込みや制限よりも開放。物質的な幸福より精神的な充足。管理よりも信用、お金よりも人とのつながり。
みんな違ってみんな良いという価値観。人を大切にし、働き方の選択ができる会社が伸びるということを書いた時、僕がすべきことはこれだなと確信しました。そして、今年2021年の年頭に掲げた目標は「儲からないことに一生懸命」というテーマです。そして、本当にそのことを実践してきました。
今年に入って母を亡くし、辛い日々もありましたが、春以降、すべてがうまく回るようになって来ました。それも劇的に。数えるとキリがありませんが、仕事はもちろんのこと、社会課題と国際問題を解決するために大学と行政が中心になって提言する勉強会に参画させていただいたり、ベンチャー企業やスタートアップスのアドバイザーの依頼も増えました。本気で変えたい、本気でこうありたい、という人たちのお役に立てることができるのは本当にありがたいことです。
そして、これらはコロナ禍による「オンライン・コミュニケーション」の中で生まれたものです。オンラインがここまで定着しなければ、僕は毎週のように東京に行かなければならなかったでしょう。でも、オンラインだからこそ、時間と場所を選ばず、様々な人と繋がることができました。
最近本当に思うのは、この大きな変化の中で、波に乗れた人と乗れなかった人の差があまりに開いてしまったことです。毎日笑顔でニコニコいる人と、暗い顔をして、こんなはずじゃないのにと眉間に皺を寄せている人にくっきり別れてしまいました。自分はどっちにいるでしょうか。何が間違っているのでしょうか。もし間違っているのなら、なぜ変われないのでしょうか。これはみんなが自問すべき課題だと思います。
僕はもうね、とにかく毎日ワクワクしています。
来年なんて一体どうなっているだろう。どんな素晴らしい未来が待ち受けているだろう。楽しみで仕方ありません。
そんなこんなで、17年目に入ったこのブログですが、まだまだ続けて行きたいと思っています。大した内容もなく、ネットの過疎にいるようなサイトですが、17年目もお付き合いいただければ幸いです。