日常使っている何気ない言葉の意味について

毎日忙しい日々ですが、できるだけ集中力を高めたい時、締め切りに追われてお尻に火がついた時、「よっしゃ、気合いや!」という言葉が勝手に出てきます。毎日「気合い」という単語を何度つぶやくことか。それほどまで「気合い」は日々の生活と共にあります。

でも良く考えてみると「気合い」の意味について良く知らなかった自分がいました。さらに悪いことに「気合いじゃ〜」と言ったところで、やる気がでない時は何も起きないことも日常茶飯事です。そこで今一度「気合い」の意味について調べてみることにしました。

Weblioを見てみると以下のように定義されています。

き-あい 【気合(い)】
読み方:きあい

1,精神を集中させて事に当たるときの気持ちの勢い。またそのときの掛け声「_がこもる」「_をかける」

2,呼吸。いき。「_をはかる」「_が合う」

Weblio辞書 

 
なるほど、気持ちの勢いか。あるいは呼吸。非常に抽象的なのでちゃんと理解できたかというと良く分かりませんが、言葉には力がありますので、それを口に出すことで精神が集中され、事に掛かる時に勢いが生まれるのかもしれませんね。

あなどることなかれ。騙されたと思って、これからも使い続けよう。

同じように「癒やされる」という言葉も日常的に使用しています。この「癒やされる」も実はあまり意味を知らずに使っていました。ということで同じweblioで調べてみると、

癒やされる
読み方:いやされる

それとの関わりを通じて、辛い思いなどが和らぎ、穏やかな気分になること。ストレスが軽減されること。

Weblio辞書

 
そういえば、仕事で煮詰まった時、ホームセンターのペットコーナーに行くことがあります。僕は動物全般、特に猫が好きなので、猫コーナーでじーっとにゃんこ達を眺めていると自然と目尻が下がり、笑顔になっています。

同じことが自然の中でも起きます。森の中を散歩する、空を見上げる、砂浜から海を眺めるといった行為を通じて、自然と肩の力が抜け、こわばっていた表情が緩むのです。

「癒やされる」という言葉について深く考えた時、それは「これでいいんだ、大丈夫」という気持ちなることと同意義なのかもしれません。日常に追われているとどうしても近視眼的になりがち。人との関わりも多いので、余計に視点が狭まってしまいます。でも、自分が生きている世界なんてちっぽけなもの。

自然の中に身を置いたり、猫を見たりしていると、「これでいいんだ」と思うし、自己肯定感が高まります。忙しい時ほど、苦しい時ほど、自分が生きている多様な世界に目を向ける。人間から離れる。

見る対象を変えることは大切ですね。日々、勉強の繰り返しです。

副業人材はなぜ優秀なのか

毎日暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

最近、珍しく会食が続いています。夏ということもあり、涼しくなった夕刻から集まって、冷たいビールやスパークリングを飲むというのは、最高の気分転換になりますよね。時間と場所にとらわれないので、MTGやアポがなければ、夕方早い時間からの飲みなどのお誘いも、基本的にはすべてお受けしています。笑

さて、コンサルタントという仕事柄、たくさんの企業やプロジェクトに参画させていただいていますが、分野も仕事の内容も多岐に渡るので、脳の切り替えが大変です。特に一時間おきにオンラインMTGが入る時など、それぞれのMTGの内容が全く違うので、地に足がつかず、空中に浮いて漂っているような感覚になります。もちろん、それでは仕事になりませんので、集中できる時間がある時に、各案件に対して集中的に思考を投下し、深く分析するようにしています。CPUの性能(処理能力)はもちろんのこと、メモリも増強しておかなければなりません。情報をしっかりインデックスし、いつでもどこでも必要な情報を引っ張り出してこなくてはなりませんから。こういうことを繰り返していれば、マルチタスクをこなす能力が格段に向上するような気がしています。

さて、このご時世ですから、顧問先企業の多くも常に人材不足です。特にエンジニア。自分も雇用側として最近では色んなツールを使って求職者の方々と接点を持つようにしていますが、副業OKの企業の社員さんが副業を探されているケースが多いように感じます。

そして、その副業を探している方(便宜上、副業人材とでもいいましょうか)は総じて優秀な方が多いですね。何かしらの専門性、例えば、マーケティング、ブランディング、MA、エンジニアリング、プログラミング、クリエイティブなどの専門性を持っている方はもちろんのこと、日頃から自分のキャリアを自分ごととして考えている方が多いので、自分の考えを自分の言葉で明確に話すことができる。また、学びたいという意欲もあるので、聞く姿勢も素晴らしい方が多いのに驚きます。専門性もあってコミュニケーション能力も高いなんて、企業側からしたら最高の人材です。

こういう人を副業人材として月に10万とか15万で一ヶ月に2,3日でも雇用し、そのスキルを調達して自社の戦力として雇用できるのであれば、企業としてこんなに良いことありません。一方、このような専門人材が転職したり、独立したりするのを防ぐためには、企業として「副業OK」を導入する必要が益々出てくるのではないかと思うのです。

個人的に「副業バンザイ!」でも「副業禁止を否定」しているわけではなく、もし副業を禁止にするのであれば、働き手が満足する報酬をしっかり出すよう企業側は努力しなければならないということです。三種の神器(新卒一括採用、終身雇用、年功序列)で行くなら、それを徹底すべきです。中途半端に削ろうとするから良くない。また、明確な理由のない「禁止」や、今は我慢してね、ちゃんと将来報いるから、という根拠のないニンジンをぶら下げても、今の働き手は賢いですからちゃんち見抜きます。会社の業績や将来性は、従業員が一番知っています。優秀な働き手を集めようと思うと、雇用側も働き手の気持ちになることが大切です。もちろん、働かない人をちゃんと解雇できる法的整備も必要ですけれど。

一方、インフレ+円安で給料が安い、上がらないというニュースも毎日のように流れてきます。基本的に、中小零細は一部の業績の良い企業を除き給料は上がらないと思った方がいいです。多少上がったとしても社会保険や税金も比例して上がっていくので、相殺されてしまいます。退職金が出ない会社も中小零細に非常に多いです。その環境が当たり前、仕方ないと諦めてしまうと、将来大変なことになります。文句を言っても誰も助けてくれません。であれば正社員として就業している間に、会社に依存しないキャリアを身につけるべきです。今、副業人材が欲しい会社はたくさんあります。稼ごうと思えば稼げるはず。

色んな方と接していて思うのは、稼ごうと思う人はいくらでも稼げる方法がある、ということです。決して煽っているわけではありませんが、やるかやらないか、ですね。

趣味の話について

いやあ、忙しいし、暑いですね!
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

先日、これといった趣味がないとおっしゃる方から、どうやって趣味を見つけたら良いのかと相談されたのですが、僕は真逆で「趣味しかない」という人間でして、どれか一つ減らしたら?と言われても反論できないくらい多ジャンルの趣味を持っています。もちろん、それぞれに時間を掛けていますので、スケジュールの調整も大変です。

ゴルフやマラソン、トレランといった体を動かすものから、森林浴、ガーデニング、料理、読書、郷土史研究に至るまで幅広く取り揃えています。そして、大抵の場合、それぞれの趣味のカテゴリごとにコミュニティがあり、実に多くの方と交流させていただいています。今日はそんな中から、年間約40ラウンドをこなすゴルフについて書いてみたいと思います。

祖父がゴルフ練習場を経営していたということもあり、幼い頃からゴルフは身近にあるものでした。学生の時に球拾いの手伝いをしながら、古いクラブを持たせてもらって打ち始めたのが最初です。練習場といっても今のように250yもあるような大規模な練習場ではなく、街なかにある打席数30くらい、40yくらいの小さな打ちっぱなし場でしたから、常連さん同士も仲良く、お茶飲みに集まるような、社交場のような練習場でした。場所柄、今でいうエグゼクティブな方々(芦屋の旦那衆ですね)が多く、よくかわいがってもらいました。みなさん教えるのが好きなので、あれこれ教えてもらってスイングがバラバラになることも多々ありましたが。笑

本格的にゴルフを始めたのは、30代の前半からだと思います。それまでは、たまにラウンドするくらいで正直ゴルフに興味を持てなかったのですが、友達に誘われたことがきっかけで再開し、会社メンバーで回ったり、取引先のコンペに出たりして月イチゴルファーとして、年間10ラウンドくらいはしていました。

ところがここ数年、メインとなる所属クラブが決まり、さらにお誘いを受けて入会したクラブも別に一つ増え、合計二つのゴルフクラブのメンバーとして活動し始めた一昨年あたりから、月例競技に出たり、クラブの親睦コンペに出たりして一気にラウンド回数が増え、ほぼ週イチでラウンドするという状態になっています。さらに、3月に独立して一人コンサルタントとして活動し始めたことにより、平日も融通が効くようになり、いわゆる「へーゴル」(平日ゴルフ)も増えました。

ゴルフ場の会員権と聞くと、バブル時代のイメージからとても高額なイメージがありますが、今はそんなことはなく、そこそこのクラブでも手の届きやすい範囲となっています。所属クラブでコンペに出始めると、おのずと同じクラブのメンバー同士で仲良くなることも多く、一気に人脈が増えて、それはそれでとても楽しいのがクラブライフの良いところです。

僕の場合は、老若男女問わず、色んな方と交流させていただいており、中には自分の父親よりも年上の方と回ることもあれば、20代のメンバーと回ることもあり、仕事の話やプライベートの話を聞いたりしてとても刺激を受けています。またそれぞれのクラブによっても文化があり、カジュアルなゴルフ場もあれば、みんなでクラブを大事に、良くして行こうという雰囲気のゴルフ場もあり、それぞれのカラーを楽しめるのも面白いですね。

ゴルフは、スポーツとして面白い、自然の中で身体を動かして癒やされる(ただし、スコアは気にしないことw)というのももちろんありますが、僕自身は同じゴルファー同士の関わりの中で気遣いやマナーを学び、人となりを知りながら、ゴル友さんが増えていくことに楽しみを感じています。スコアは二の次です。笑

共通の趣味を持つ仲間が増えていくのは、マラソンなどの他の趣味でも同じかもしれませんね。

コロナ以降、ゴルフを始める若い人も増えてきたのが嬉しいです。特に関西は都心からゴルフ場が近いこと、数が多いのが魅力です。車を持っていなくても、カーシェアリングもありますしね。プレーフィーも昔ほどは高くないので、今はハードルも随分下がったと思います。

ゴルフに興味のある方、これから始めようという方、色々とアドバイスが出来ると思うので、お気軽にお声がけくださいね。

グリーン・エクササイズとパフォーマンス向上の関係性について

自分と向き合い、心を平静に保つため、朝のグリーン・エクササイズを日課にしています。グリーン・エクササイズとは自然の中で体を動かすことを指すそうですが、僕の場合は毎朝、近所の植物園から繋がるトレイルを5km〜10kmほど歩いています。

その中で心掛けていることは二つ。
一つ目は、すれ違う人とは必ず挨拶をすること。

朝って良いですよね、こちらから「おはようございます!」と声を掛けると、必ず「おはようございます」と返していただけます。朝から声を出して挨拶するのって気持ちの良いものです。

二つ目は、森の中を歩き、深呼吸をすること。

特に池や川の前で、吐く方を意識しながら深呼吸をすると、気持ちが落ち着き、悩みやストレスがすべて吐き出され、浄化されていくように感じます。人は水場にいくことで癒やされるという研究結果が出ているそうですが、作家の村上春樹さんも、著書「ラオスにいったい何があるというのですか」の中でこう書いています。(ちなみに僕はこの一文が大好きです)

「僕は思うのだけれど、たくさんの水を日常的に目にするというのは、人間にとってあるいは大事な意味を持つ行為なのではないだろうか。まあ「人間にとって」というのはいささかオーヴァーかもしれないが、でも少なくとも僕にとってはかなり大事なことであるような気がする。僕はしばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かをちょっとずつ失い続けているような気持ちになってくる。」

山の手に引っ越してから、以前のように川や海沿いをジョギングする機会は減りましたが、森の中で鳥のさえずりを聞きながらマインドフルネスのようなことをすることは、自分自身をまた違う次元にアップデートさせていくために必要だと考えています。会社勤めをしていた時と違い、時間を自由に使うことができるようになったので、朝の時間をたっぷり、ゆっくり、グリーン・エクササイズに充てることができています。

人は周りの環境(職場や、付き合う人など)の影響を大きく受けやすい生き物ですので、環境はその人を成長させる、あるいは退化させる重要なファクターにはなり得ますが、それよりも自分自身と向き合い、物の見方を良い方向に調整し続けること、考え方をポジティブな方向に向けることで、明らかにその人のパフォーマンスは変わります。そのためには、しっかり自然の中で時間を取り、自分と向き合うことが大切です。

その結果、最近、自分でも「強くなったなあ」と思うことが多くなりました。少々のことでは動じない。気持ちに余裕が出てきて、いつもニコニコできるようになりました。ビジネススキルに関しては、以前よりも鋭い判断ができるようになり、概念の構造化スピードも速くなったように思います。

そうなると不思議なもので、仕事もプライベートもますます順調になり、仕事の依頼や面談の依頼、食事のお誘い、ゴルフのお誘い(笑)が、新しい関係の方々から毎日のように来るようになりました。笑う門には福来る、ということでしょうかね。

何事も自分次第でどうにでもなる。
グリーン・エクササイズはそのことを教えてくれています。

こちら、平日のホームコースのゴルフ場です

若者世代から学ぶことは多い

今週は東京出張ウィークでした。

コロナ以降、オンラインミーティングが日常の中ですっかり主役になったため、出張中であったとしても、ホテルの部屋であれ、移動中であれ、合間合間に自然とオンラインミーティングを行っています。

最近、はじめましての方からミーティングオファーをいただくことが多く、この出張期間中にも24歳でPR会社を起業した若者からミーティングの申し出がありました。僕は時間が許すなら、できるだけ依頼はお受けするようにしているのですが、その理由としては、様々な企業さんとお仕事をしているとはいえ、一人会社ですのでやはり情報や考え方が偏ってしまうことも多く、バランスを保つためにも色んなジャンルの話が聞きたいという思いがあるからです。

さて期待通り、彼らのPR手法というのはTik Tokの活用や、プライベート・ビジコン・イベントの主催など、自分たちのレガシーな業界ではまず考えられないようなものばかり。でも今の時代はこれが当たり前なんですよね。他にも色々とありましたが、昭和(平成?)の頭でいくら頭を捻っても出てこないようなアプローチの仕方と、その効果に、とても刺激を受けました。

自分が社会に出てからもう二十数年が経過しています。新卒22歳と定年65歳のちょうど中間くらい(やや定年寄りですが・・・)の年齢に位置づけている自分として、昭和の高度経済成長期やバブルを駆け抜けてきた世代の話も分かるし、デジタルネイティブ世代の話も分かる、いい意味で良いとこ取り世代だとは思ってはいるものの、どこかで拘りが強くなって来ている自分もいるし、良い意味でも悪い意味でも、今の時代に絶望と諦めを深く感じているところもあるので、年齢関係なく、様々なジャンルの人の話を聞いて学ぶということの重要性を今さらながら実感しています。気づきもたくさんありますしね。

「我以外皆我師」という言葉にあるとおり、自分以外はみんな先生。
そう考えると本当に新鮮だし、その中でも特に、若者から学ぶことはとても多いですよね。

こちらは東京でお気入りの蕎麦屋さんです

口角を上げて笑顔でいることって想像以上の良い効果がありますよね

普段、小難しいことばかり考えていることが多く、知らずしらずの内に険しい顔つきになっているなあと、ふと気づきました。

確かに生きていると良いことばかり起こる訳でもなく、たまにガッカリすることもあるのですけどね、世の中全然捨てたもんじゃなく、毎日の生活の中で笑顔になるようなことがたくさんあります。

例えば、仕事部屋からは緑がたくさん見えるし、毎朝、近所の植物園までジョギングして、マイナスイオンたっぷりの新鮮な空気の中で深呼吸する。これって本当に今自分が手にしている生活の中の素晴らしい一面です。それに、眉間にシワを寄せて考えている小難しいことだって、結局は社会を良くすることであったり、対象となる会社を成長させることだったり、人を笑顔にすることだったり、ビジネスであろうが、ボランティアであろうが関係なく、楽しいことばかりです。そう考えるとPCに向かっている時も、MTGの時も自然に笑顔になれることに気づきました。テンションが低い時は、無理やりにでも口角を上げると自然に笑顔になるんです。

で、なんでこういうことをわざわざ書いているかというと、元々、自分がかなりのネガティブ思考でして。しかもタチの悪いことに、ロジカルなネガティブ思考なんです。どういうことかというと、ダメだと思うことは、ダメな理由をロジカルに考えて、ダメなエビデンスを参考文献と共にレポートにまとめて提出してしまうくらいのロジカル・ネガティブシンキングな持ち主なのです。

でもね、過去の経験から理解しているのですけれど、これって何もプラスのものを生み出さないのですよ。何も良いものを生み出さないのであれば、最初っから陽転思考でニコニコしながら、どうにかなるさーって考えてる方がよっぽど良い。怒りや失意からは何も生まれないのと同じですよね。最初っからニコニコしてるといいよね。

それとね、自分のことばかり考えていると笑顔になれないです。人って、自分のためではなく、他人のために動く時に幸福を感じるのだと思います。

というわけで、最近は、ねじり鉢巻を頭にまき、一升瓶抱えて「かまへん、かまへん、ガッハッハッハー!!!」というオッサンを頭の中でイメージしながら、常に笑ってる自分でいるようにしています。

極端か。笑

最後に、近所の北山植物園のバラをおすそ分け。百花繚乱、咲き乱れていますよ。平日の早朝の植物園は人もほとんどいなくて、貸し切り状態。ゲートが開いている時はいろんな植物や花を見ながら歩いています。

口角を上げる練習。


「それそのものにどんな意味があるのか」を考え、あるべき姿を常に想像しながら歩んでいきたい。ブログ開設18周年のご挨拶

雨が上がって、青空が広がる。
毎朝、庭の水やりを日課にしていると、天気の変化に敏感になります。朝起きて今日は晴れてるかな、曇っているかなと空を見上げ、庭の土の乾き具合を見る。近所の植物園までジョギングをして、森の中で肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込んで、ゆっくり時間を掛けて息をはく。サウナはあまり得意ではありませんが、この森林浴も一つの「ととのう」ということなのでしょうか。

6月は、このブログをスタートした月になります。

2005年の6月にブログを書き始めて丸17年が経過し、18年目に入ります。当時はスマートフォンもなく、その間、コミュニケーションの手段やインターネットで使用される技術もどんどん変化して行きましたが、自分はこのようにネット世界の辺境で、ひっそりと、こつこつと、テキストを打ち続けることによって「思考をととのえる」ことを習慣にしてきました。書き始めた頃は30歳になる手前で、もちろん書いていることも今とは違うし、仕事に対する思いもテクノロジーに対する考え方も今とは異なっていたように思います。17年という月日は人を変化させます。願わくば「成熟」という方の変化が良いのですけれど。

最近、自分が関わっているプロジェクトや製品について、なんでもかんでも新しい技術やトレンドを導入することを最優先にすることはやめ、とにかく「理念と哲学」にこだわるようになってきました。

参画しているメタバース・プロジェクトでは、目に見える社会の課題をどのように解決できるか、それによって人が幸せに生きていくためにはどうすれば良いかを考えています。具体的には、地域ごとの自立分散型経済と互助共助社会の実現です。インターネットが出現してから30年、2019年ノーベル経済学賞のバナジーとデュフロがいうように「先進国に関する限り、インターネットの出現によって新たな成長が始まったという証拠はいっさい存在しない」という事実と、少なくとも30年間経済成長のない(=物質的に豊かになっていない)この国において、じゃあ、自分たちはどのような未来を作っていけるのか、そこはグローバルとは真反対のレイヤーを構築していくことではないかと考えるのです。

企業を成長させることや売上を上げることはとても大切です。でもね、最近、世の中の潮流が少しづつ変化しているように感じませんか?

「グーグルがこんなことをやっている」とか「イーロン・マスクがこんなことをやっている」とか「シリコンバレーではどうのこうの」(自分もSVで仕事をしていたのでこの地の魅力は良く知っているのですが)というキーワードに飛びつく人がものすごい勢いで減っているような気がするのです。むしろ、彼らがやっていることはより良い社会の実現というよりは富と情報の一極集中であるよね、と。富も体力も時間も搾取されることに疲弊してきた自分たちは、分断を作る世の中ではなく、お互い助け合いながら貨幣経済に依存しない社会で生活する方が幸せなのではないだろうか。

小よりも大、遅よりも速、狭よりも広、停滞よりも成長、が良しとされ、自分もビジネス一辺倒で今まで走り続けてきましたが、そろそろ舵を切り替えるタイミングに差し掛かっています。成長第一の旧態依然とした考え方には年々不感症になってくると同時に、周りにそのようなギラギラした人も自然といなくなり、淘汰され、周りには価値観を共有できる本質志向の人たちだけのコミュニティが残り、心地良さの中にも課題意識があるという不思議な感覚です。

テクノロジードリブンで新しいものを次々に構築していくことは否定しませんが、ソフトにしてもハードウエアにしても、あるいは会社経営にしても「それそのものにどんな意味があるのか」を徹底的に考え、あるべき姿を常に想像しながら意思決定をしていきたいと思っています。

さて、毎年、ブログの周年を迎えるに際し「僕はここでなにかしらをずっと書いています」と決意表明をしているのですが、今までなんとかその言葉どおりに続けてくることができました。そして、これからも僕はここでなにかを書き続けるでしょう。

いつも独り言に付き合ってくださる皆さまへ感謝の気持ちをこめて。
18年目もどうぞよろしくお願いいたします。

日本にはまだまだ素晴らしい会社がたくさんある

少しブログの更新が空いてしまいました。

ゴールデンウィークと聞くともう遠の昔のように感じますが、連休明けは、ゴルフ、東京出張、皇居ラン、六甲山トレラン、自宅オフィス作り、パーティー、飲み会、とあっという間に一週間以上が過ぎてしまいました。知力と体力と胃袋と肝臓を全力で使ってしまったということもあり、少々体力の回復に時間が掛かってしまいました。

以前までは一日24時間の中で「出来ること」がたくさんあって予定を詰め込むことを良しとしていたのですが、時間と場所の拘束から解放された今の生活では、一日の時間を自分のペースで刻むということを実験的に行っており、体調が優れない時は寝る、元気な時は動く、といった、非常に分かりやすい生活をしています。

それが良いか悪いかは別にして、得たものとしては、体調の変化に敏感になったこと、静かな環境にいるので感覚が研ぎ澄まされること(ほぼ森の中のような環境で仕事しています)、その一方で物の見方が自分よりに偏ってしまうようなこともあり、こりゃいかんと元に戻す作業をしたり、まあ、色々と試行錯誤です。

それにしても、日本にはまだまだ優秀な会社がたくさんあるものです。

日々、技術系の色々な会社をご紹介いただいてお会いしているのですが、上場企業からベンチャーまで、素晴らしいな〜と思う会社ばかりでアドバイザーとして紹介していただいている自分が学ばされることばかりです。

「素晴らしい会社」ってどんな会社なんでしょうね。僕が思うに、分かりやすくまとめるとこんな感じかなと思います。

・保有している要素技術やサービスが他社と明確に差別化できている

・経営理念と目標が明確で、社員全員およびステークホルダー全体に浸透している

・経営者、社員、株主の距離が近く、皆で一つの方向を見ている


まず、上記の一番目の要素(=エンジン)があって、その上でコンセプト(=ハンドル)とコミュニケーション(=タイヤ)があるようなイメージでしょうか。もちろんガソリン(=燃料)は資金ですよね。これらが揃って初めて会社は成長するのだと思います。

このような会社は多少荒削りであったとしても、とりあえずは走ります。人事や評価、経営管理部門等の荒削りな部分(=内装等)は、走りながら調整して行けば良い。最終的に乗り心地の良いクルマにしていけば良いのです。

頭を使うシーンが多い今日この頃ですが、少しでも自分の持っている力でポテンシャルの高い会社をもう一段上に押し上げるお手伝い、お仕事をして行きたいと思っています。

ほんと、まだまだ素晴らしい会社がたくさんあるんですよ。

東京で食べたあっさり醤油ラーメン。醤油ラーメンなのに替え玉が出来てしまう美味しいラーメンでした。(天雷軒 麹町店)

正しい音を出すために調律が必要なのは楽器だけではなく、人間もなんですよね

GWも終わりに近づいてきました。
皆さんはどのように過ごされましたか?

この連休中、いろんな所を旅行し、たくさんの人と会い、美味しいものをいただきました。天気に恵まれたこの土日は二日連続ゴルフでしたが、それまではラウンドもなく、バラエティに富んでいるという意味ではバランスの取れた休暇だったように感じます。

このような長期休暇は、心身を休め、自分自身を調律するための時間として使うようにしています。実は僕、この「調律」という言葉が好きなんです。

ウィキペディアでは「調律(ちょうりつ)とは、楽器の音高を、演奏に先立って適切な状態に調整すること」と説明されています。正しい音を出すために調律が必要なのは楽器だけではなく、人間も同じだと思っています。自分にとってどの状態が「正しいか」は人それぞれあるとして、普段の生活の中で、知らずしらずの内に考え方が歪んだ方向に向かっていたり、忙しさの中で余裕を持てなくなったり、疲れて目先のことだけしか見えなくなったり。無意識の内に自分が出す音色が乱れてしまっていることがあります。

ではその乱れを直して調律してくれるのは何なのか。これも人それぞれだと思いますが、僕の場合は自然と触れ合うこと、人に会うこと(特に自分のことを良く知ってくれている人)、そして、本を読むこと。自然、人、本、この三つを大切にしています。

自然からは生きている環境と、人の本来あるべき姿を知り、人と会うことによって自分が発する言葉から今の自分が何を考えているかを再帰的に知りつつ、相手からも多方面でアドバイスをいただいたり、ツッコミをもらったりする。小説や学術書などジャンルは様々ですが、本からは客観的なインプットをする。我以外皆我師。知ること、学ぶことは、欠かせません。このようにして調律が完了すると、仕事でもプライベートでもまた良いパフォーマンスが出せる気がしますし、少なくとも、このGWは最高の調律ができたと思います。

また明日から新たな週がスタートします。

来週は火曜日から木曜日まで東京出張もあり、仕事の予定も目白押し。たくさんの方とお会いできるのが楽しみです。肩の力を抜きつつも一つひとつ丁寧に向き合い、ニコニコしながらも一日一日を丁寧に過ごして行きたいと思っています。

【ワーケーション中に考えること】テクノロジーのイノベーションだけで経済成長はしないという事実と、その先にあるものとは

愛媛県でワーケーション。
今日は快晴。外を歩いていると汗ばむほどです。

仕事しながら旅をする、あるいは、旅をしながら仕事するというのを、今年は少しづつやって行きたいと思っています。時間が許す限りですが。自分のようにPCとネットとスマートフォンがあればどこでも仕事ができる人間は、インターネットの発達における恩恵をまさしく享受しているのですが、一方、インターネットをはじめとするテクノロジーの進歩は本当に世の中を良くしたのか、という点も考えなければなりません。

こうして地方の城下町を歩いていると、地産地消に代表されるようにそれぞれの地域の小さな経済圏でモノのやり取りを完結する方が、結果的に豊かな社会を実現できるのではないか、と考えざるを得ません。仮にスタバやアップルストアやヴィトンがなくても(この街には全部ありますが)生活するのに困らないじゃないか。

コロナにしても、ウクライナ問題にしても、米国金利引き上げによる円安加速にしても、グローバル化によって社会が複雑に絡み合っているがゆえに関係のない地域まで巻き添えを食らってしまう。こんなことってロクなことないよな、と思っていたので、余計にそう思うのかもしれません。グローバル化がもたらしたあらゆる問題を解決する方法は、地域分散型(自律分散型)経済しかないよな〜ということです。

すいません、インターネットの発達から少し横道に逸れてしまいましたね。
関連することですが、先日、山口周さんがTwitterでこのように言っておられました。

ここで引用されている、2019年ノーベル経済学賞受賞の経済学者のアビジット・V・バナジーとエステル・デュフロは、「絶望を希望に変える経済学」の中で、このように述べています。

フェイスブックのCEOマーク・ザッカーバーグはインターネットの接続性が計り知れないプラス効果をもたらすと信じているが、そうした信念を共有する人は大勢いるらしく、多くの報告書や論文にそれが反映されている。たとえばアフリカなど新興国に特化した戦略コンサルティング会社ダルバーグが発表した報告書には「インターネットが持つ疑う余地なく膨大な力がアフリカの経済成長と社会変革に寄与することはまちがいない」と書かれている。

この事実はほとんど自明なので、あれこれ証拠を挙げて読者を煩わせるまでもないと考えたのだろうか、何のデータも引用されていない。これは賢い判断だったと言うべきだろう。そんなデータは存在しないからだ。先進国に関する限り、インターネットの出現によって新たな成長が始まったという証拠はいっさい存在しない。

絶望を希望に変える経済学

 
インターネットは経済成長に寄与していない。
僕のような一般人でさえ、この言葉はとても良く理解できます。

日本の高度経済成長期には、インターネットもPCもスマホもなく、紙の書類と電卓と電話、テレックスで鉛筆なめなめ仕事をしていたにも関わらず、10%以上の経済成長をしていた時代がありました。物を作れば作るだけ売れた時代です。その後、テクノロジーが進化し、インターネットが普及して「便利な時代」になったこの30年間はどうでしょう。

経済成長率は0なのです。便利になったら生産性が上がって、仕事の速度が上がり、効率よく仕事ができるから豊かな社会になるんじゃないの?と思いますよね。でも、今起こっていることは、逆です。物が行き渡った時代には、物を作っても売れないのです。

下の図は、厚生労働省調査の1990年から2019年までの月収の推移です。

厚生労働省「毎月勤労統計調査」

月収は1997年頃から最低値の2013年頃まで約15年間で15%も減少しています。バブル後の不景気、高齢化に伴う社会保険、厚生年金の増大もあり、可処分所得は年々減っています。では、給料は減ったとして、余暇の時間は増えたか?それが、そうでもない。生じた余白は別の仕事で埋められr、人々の生活はどんどん忙しく、どんどん貧しくなっているという事実があります。

ちなみにAIの発達ついても同様で、経済学者の井上智洋先生は、このように書いておられます。

人工知能(AI)は、経済にほとんど影響を与えていない。それが証拠に、日本全体でAIが生産性を向上させているとか経済成長率を引き上げているといったデータは一切ない。

スマートXのプラットフォームを握った企業が次代の覇者となる

 
このような事実から、昨今叫ばれているDXなどのキーワードも、経済成長には一切貢献しないということができます。モノが行き渡った世の中に、無理やりモノを売るべく、新しい概念を提示して利益確保、雇用創出のため「なくても良いものを無理やり売る」にしか過ぎず、これから先も新しいキーワードが生まれては消え、ということを繰り返し、労働者が疲弊しながら、良くてゼロ、実質マイナス成長をしていく日本の姿を容易に想像することができます。少し乱暴な意見かもしれません。でも、大きく間違っているとも思いません。

インターネットが世界中に行き渡り、グローバル化が促進され、世界が複雑に絡み合う時代においてもたらされたものは、GAFAMを代表とする巨大企業による情報の集権と一部の巨大企業または資本家だけがひたすら儲かるという格差社会です。日本の大企業ですら、GAFAMを前にして下請けにならざるをえなくなりました。日本だけでなく、すべての国は米国や中国に利益を吸い上げられているという構造です。

では、そこから抜け出すためにはどうすれば良いか。

自律分散型の経済圏を確立し、グローバル社会とは一線を画すことは一つの解かもしれません。小さな地域(またはコミュニティ)で、物々交換をしながら、皆で仲良く暮らす。地域通貨があれば、為替の影響を受けずに済む。環境も無茶に破壊しない。安全保障の問題は残りますが、それはまた別の議論が必要でしょう。一例として、どの国もお互い一切干渉しない(全国家、総鎖国状態w)というレギュレーションを作れば安全保障の問題もクリアになるかもしれない。そのようなエコシステムが現実社会で難しければ、メタバース上の世界で新しい経済圏を作る。

先日、大学教授とデジタルアーティストの方と僕の三人で、同じような話題で二時間ほど話していました。自分の場合は数年前から「集団ではなく個としてどうあるか」を働きかたの視点から、自分の身を自分で守ることの重要性を発信してきましたが、そもそもいくら頑張っても、貨幣経済の下で生活することに変わりなく、お金を稼いでも、お金に支配される状態に変わりはないかもしれない。であれば、稼ぐのではなく、価値交換に主軸を置き、貯めるのではなく、回すという循環型モデルの方が良いかもしれない。そう思うようになってきました。

いずれにしても、場所を変えて仕事をすると、新たな気づきを得ることができますね。

今日の記事ではとりとめのない話をつらつらと書いてしまい、だから言いたいことは?と聞かれると答えに窮すのですが、今後、この自律分散というテーマをもう少し地域経済に絞って考えてみたいと思います。