かすうどんの唄(そんな唄はない)


オープン後、初めてグランフロント大阪に行って来ました。工事中の内覧の際、中にカツラが仕込まれたヘルメットを被って簡易エレベーターで見学したことがありましたが、それ以来。近くで働いているのにオープン後初めてなんて。人混みの苦手さがこういうところでも現れてしまいます。

慶應の大阪サテライトキャンパスには個人的に良く行くのですが、以前まで中之島にあったのが、グランフロントのオープンに伴いナレッジ・キャピタルに移転。JR組の僕的には非常に便利になりました。慶應だけでなくて、各大学の出張所がたくさん集積しているのもナレッジ・キャピタルの特徴。

日曜日だけあって盛り上がっています。

野暮用を済ませ少し肩の荷が降りたので、ランチにハイボール。
カウンターに一人で座れて、昼から酒が飲めて、美人な店員さんがいる店をチョイスするとここになりました。偶然にも大好物の「かすうどん」がランチメニューに。これは嬉しい。ハイボールも進む。

いわゆる天カスだけの「ハイカラうどん」よりも油に旨味があって塩味もある「かすうどん」の方が好み。ああ、かすうどん。

二杯目のアテには板わさ。

はい、これもツボ。
刺身を食べる時には「醤油:わさび=1:1」が原則の僕としては、普通の人が食べると「罰ゲームか」と思うであろう程のわさびが詰まった板わさはご褒美でしかない。

という訳ですっかり昼間から良い感じになってしまいました。
まあ、今日くらいはゆっくりさせていただきます。

久しぶりのDeep Houseです。
Ananda Projectと言えば「Kiss✕3」ですが、少しスピード感のあるこれ。

Ananda Project – Rain Down

列に並びながら夏を感じる


地元の水練学校に子供たちを通わせるため、申込場所に並んで来ました。
水練学校というのは、市や教育委員会がバックアップしているNPO法人で、夏休みに小学生を対象に行われる水泳学校の事です。ちなみにこの学校、創立65周年。一期生の方が当時10歳だとしても、今75歳。卒業者には国会議員やヅカスターなど。歴史を感じますね。

この水練学校、今でもかなりの人気。12時に申込み開始ということで、10時50分に並んだのですが定員450人に対して僕は既に300番台。子供の友達たち7人分の申込書とお金を持って並んでいる訳ですから、責任重大です。ちなみに昔は子供の数も多かったし、今のようにスイミングスクールもたくさんあった訳ではなかったので、このような水練学校は大変な人気で、夜中の2時からお父さんが並び始め、7時にお母さんにバトンタッチして、自分は仕事に行く、という時代もあったそう。先生も今の倍ほどの人数で対応されていたそうです。すごいですよね。

僕も1時間半は並ぶことを想定したので、本にイヤフォンを持参していたのですが、不快指数100%のジメジメした中、立って並ぶのはさすがにこたえました。昔のことを思うと全然楽なんでしょうけど。なにはともあれ、このような伝統ある水泳学校がいつまでも支持されているというのは何だか嬉しいことです。


天気予報ではスカっと晴れるんじゃなかったんかい!と心の中でぼやきながら、文献に埋もれ、PCに向かってテクストの海にダイブ中。たまに外に出て、降る雨を眺めたり。明日で山を超えるので、今日は我慢してこんな一日です。逆にこのような天気だからこそ、諦めもつくというもの。スカッと晴れていたら、この映像のビル・エバンス先生のようにネコ背になってうなだれてしまうことでしょう。

Bill Evans “Peace Piece”

幾つかのインスパイア


ツングースカ大爆発の原因が解明されたとのこと。

これまで原因が不明とされてきた、105年前の「ツングースカ大爆発」。このほどウクライナ、ドイツ、米国の科学者のグループが、隕石の微小な残片を確認した。(Wired.jpから)

ツングースカ大爆発とは(Wikipedhia)

105年前に起こったことを解明するという科学者の執念に感銘。人類の歴史、地球の歴史、果ては宇宙の歴史と比較すると、それは「ほんのついさっき」という程度のことかもしれませんが、今生きている人間からすると、100年を超える時間軸というのは「寿命」と「世紀」という単位で図るため、その年月のイメージは遥かに長いものと感じます。専門的なことは分かりませんが、広範囲の影響箇所の中から微量の物質を発見して解析するという作業の膨大さは容易に想像できます。しかし、この105年、これほど大規模な隕石衝突は起こってないことがラッキーなのかなんなのか。落ちた場所がシベリアだったから死者は出なかったとのこと(詳細は不明)ですが、都会だったらどうなっていただろう、と思うとゾッとしますね。先日のロシアの隕石落下では、怪我人もたくさん出ました。まあ、地球規模から考えると「都会」にピンポイントに落ちる確率の方が遥かに低いとは思いますが。


大阪の山中にある、某メーカーの工場に見学と取材に行って来ました。
山間にあるこの場所、駅からの交通手段がほぼないに等しいため、最寄駅から先方に送迎していただきました(感謝です)が、自然に囲まれた環境の中で高い技術力を保有し「ものづくり」を行なっている方々を見ていると、「先端技術と自然と歴史」の融合とギャップを感じ、魅力的に感じます。以前、「朽ちるものが放つ美しさ」という記事をエントリーしましたが、その感覚と似ている。ギャップが放つ美しさ。働いておられる方も生き生きとして、とても親切な方ばかりでした。自然という環境が人をそうさせるのでしょうか。精密な仕事をして、時折社外に出て外の景色に目をやる。その景色が山と深い緑であれば、良い気分転換になりそうです。


昨日と今日、梅雨空に時折ゲリラ豪雨が降る嫌な天気です。
幸い、その豪雨の時間は屋内にいたので良かったですが、外を歩いているとエラいことになっていたでしょう。雨が降らなければ心配になるし、降れば降ったで鬱陶しいし、人間って勝手な生き物ですね。

さて、明日は金曜日。
週末は晴れそうです。最後のラストスパートがんばりましょう。

ちょっとDianaが続きます。
How Can You Mend A Broken Heart – Diana Krall

週末リベラル・アーツ


実務のことを考えると専門的かつ技術的な勉強の方が良いとは思うのですが、いわゆるリベラルアーツは視野を広げて意思決定の幅を持たせるのに役立つのでは、と思っています。遠回りかもしれないが、学びの分野を広げることで歴史と事例を知り、裏付けを得た上で物事の意味を知り、理解を深めることができるような気がして、まあ色々とやっています。

海外の人間と話したりビジネス交流する際に文化や背景を知らなければ、ノリで笑いは取れても本当のコミュニケーションは出来ない、とは良く言われることですし、昔学んだことでも今この歳でやるとまた違った観点から見ることが出来たりして発見の連続。学生の頃は「勉強」は決して楽しいものではなかったけれど、「学生のうちの勉強しておきなさい」という親の言葉、今は骨身に染みて分かります。アラフォーになり、それなりに経験を重ねた今だからこそ、学べることの贅沢さが分かりますわ。という訳で、今週末も良い天気に恵まれたこともあり、2日で15km走れたし、本もかなり読めたし、予定していたことをしっかり終えることが出来ました。


早いもので明日から7月スタート。
今年も半分が過ぎ、すっかり夏になってしまいましたね。
暑さに負けず、頑張って行きましょう。

一種のジャンキーであることを堂々と認める


強烈なアプトプットの後は、発散や充電ではなくインプット。
脳みそがスカスカになってしまうと、食欲と同じく、知識欲を満たさずにはいれなくなる。出張先からの飛行機で爆睡したので、疲れは癒えた。帰宅して本を貪り読み、楽しみにしていた23時からのEテレ「ハリウッド白熱教室」を気持ち良く視聴。映画制作界で世界最高峰といわれるUSC映画学部のドリュー・キャスパー教授の講義が、リモコンひとつで簡単に、しかも茶の間で視聴できるなんて、どんなに素晴らしい時代になったのだろう(「MIT白熱教室」といい、正直、Eテレはすごいです。EテレだけがTV番組としてあれば、日本人はもっと賢くなっているに違いない。多少バイアスがかっているかもしれないけど)。テンポ良く語り、次々と生徒に質問を浴びせ、とにかく脳を刺激し考えさせる。1時間があっと言う間、それだけ引き込まれる。講義中、講義の後で実際はディベートの時間などもあるかもしれないけれど、答えを与えたり、覚えさせたりするのではなく、とにかく考えさせて自分の言葉で意見を述べさせる。自分で考えて出した答えに疑問や違和感を感じるから、正しい答えに導かれた時に、ああ、そうか、なるほど、と腹落ちする。毎晩、毎朝、こういう具合に欲求を満たさなけば一日が終わった気がしない。お腹も脳みそも一杯になったので、気持ち良く眠れそうです。


都会でソフィスティケートされた東京もいいけれど、地方で、田舎で、サイズも程良い芦屋に帰って来ると落ち着く。

駅から家に帰る途中の、こんな芦屋川の風景が大好きだ。
後ろを振り返れば、六甲の山並みが月明かりに照らされ、南を見れば、湾岸沿いを走る高速の明かりが見える。その下は海。

明日はリフレッシュの時間。
今週もお疲れ様でした。

良い週末を。

人に教えることを意識しながら学ぶ


朝6時から長女の勉強を見るということが習慣化して来ました。

きっかけは、彼女が塾に通うになってから。算数と国語の宿題をたくさん持って帰ってくるのですが、分からなかった問題だけを残しておき、パパに唯一会うことが出来る朝に教えてもらうのです。

僕は教える際、とにかく分からない問題があればその内容を紙に書けと言っています。下手な絵でも何でも良い。例えば、「お父さんとお母さんとA子ちゃんと弟の年齢を足すと、ちょうど100歳になります。お父さんと弟の年齢を足した数とお母さんとA子ちゃんの年齢を足した数は同じです。弟は6年前に生まれ、4年前、弟の年齢の3倍がA子ちゃんの年齢でした」という文章題があるとします。一問目は「弟の今の年齢は何歳ですか」というもの。二問目は「A子ちゃんの今の年齢は何歳ですか」、三問目は「お父さんとお母さんの今の年齢は何歳ですか」。

一問目は分かったとしても、二問目、三問目は小学3年生には少し難しい。文章をさらっと読んだだけでは内容を理解しづらいこともある。でも、文章題というのは、問題の中にヒントがたくさん潜んでいるものです。そこで、自由帳などに絵を描かせる訳です。家族4人の絵を描き、与えられているヒントを書き込んで行く。そうすると、全体像が見えてきます。某◯◯ハイスクールの先生ではないですが「数式ではない、言葉です」という通り、問題の意味と意図をすばやく把握できる子供というのは、頭の中で情景を思い浮かべることが上手な子なんだと思います。絵を描かせるのは、そのための訓練だと思っています。慣れてくれば、そのうち紙に描かずとも頭の中だけで整理しながら読み解くことができるようになるでしょう。

もう一つのポイントは、人に教える事を想定して、自分が学ぶということ。自分は理解出来ている問題を、分からない子にどのように説明するか。こういうことを意識すれば、問題の意図を理解しやすくなると同時に、記憶にも焼き付けやすい。人に何かを教える時、教えている側の方が頭を使いますよね。時として絵を描きながら教えたりもするでしょう。そう意識すると、自然と問題の意図を理解できるようになります。アウトプットを意識したインプット、という訳ですね。

もちろん僕はプロの教育者ではなく、ただの「お父さん」ですから教え方に間違いも色々とあるでしょうが、そういう訳で、今は教えることが僕にとって、とても楽しいことになっています。懐かしさ半分、先生になったような感覚半分。また、娘を見ていると、しっかりしているな、とも思います。僕が小3の時はどうだったか、と考えると朝早起きして勉強なんてしてなかったよな、何も考えていなくて、うんこみたいな子供だったよな、と思うのです。いいオッサンになった今でもあまり変わっていませんが。


今日は読み応えのある記事に二本出会いました。

INTERVIEW この10人のイマジネーションが、日本に変革をもたらす:VOL.4_福山太郎【wired.jpより】

育った家庭環境も大きく影響しているとは思いますが、まずやってみよう、と向こう見ずに挑戦するチャレンジ精神、年齢関係なく見習うべきですね。

社員旅行で眺めた日本(NewsWeek 日本語版より)

社員旅行で初めて日本を訪れた中国人4人による座談会です。自分達が中国に対して持っているイメージと彼らから発せられる言葉には大きな隔たりがあるとも感じました。純粋に、そう思ってくれていて嬉しい、という気持ちになります。メディアから入ってくる情報だけでイメージを固定化するのは良くないとも思いましたね。いつでも答えは現場にある。

まるで箱庭のような街


小さなエリアに色んな要素をギュッと詰め込んだ、箱庭のような街、芦屋。

家から歩いて5分で人々が散歩やジョギングをしている芦屋川に、同じく5分で車やバスが行き交う駅の北側にアスセスできます。家族が友達の家に遊びに行っている間、僕は自宅に引きこもっていたのですが、気圧の関係で鈍重な頭を少しでもすっきりしたいと思い、気分転換にコーヒーが飲めるところへ家出しました。

フルオープンに開かれた店、タイピングに疲れると時折目を上げて目の前を行き交う人や、ホテル竹園前のタクシー乗り場に降り注ぐ雨を眺めたり。雨の日はいいですね。静かだし、軒下にいる安心感が心地良い。

ほぼ予定通りにスケジュールをこなすことができました。
明日からまた新たな一週間が始まります。

気持ち新たに、5月後半戦、がんばって参りましょう。

環境を整えることと、会いに行くには理由がある、ということ


来週末に提出のレポートがあり、今日は朝から図書館にでも出掛けて一日閉じ籠ろうかなと思っていたのですが、朝から娘たちがバレエに出掛けているので、結局自宅に閉じ篭っています、今のところ。

自宅に篭るメリットは、移動に費やす時間を削減できること。ただしデメリットも。眠たくなったらすぐにソファでコロンと昼寝が出来てしまうのですね。これは問題。そのために、人の目がある公共の場所に出掛けていく訳です。以前にも書きましたが、そこに行くと「それしか出来ない」環境に強制的に身を置くことになります。「それしか出来ない」ということは素晴らしい。


雨の昼下がりです。

昨夜はカフェでひたすらライティングをした後、疲れを取るために電車に乗って苦楽園のthe Barnsへ行き・・・やはりというか予想通りというかウイスキーを飲み過ぎてしまいました。ここには飲み過ぎるために行っているようなものです。途中から親父のようなマスターも巻き込んで、ほとんど会話もせずに一緒に僕のボトルを飲みましたが、起床時の頭は鈍重。それにしてもマスターにこれを言うと嫌がるかもしれないけれど・・・親父みたいな人だな。だから僕は、通っているんだろうな。ある店に通うということは、ウイスキーが飲みたいからではなく、お店の人に会いに行きたいと思っているから。会いに行くには理由がある。気まぐれで神出鬼没で行けば飲み過ぎてしまうけど、歓迎するしない関わりなく、いつも店を開けてくれているマスターに感謝。


あまりに雨の昼下がりが気持ち良いので、そろそろ出掛けようかとも思っています。
Nicola Conte が 雨の日に心地良すぎる。

Nicola Conte – Other Directions

人脈は社内ではなく、社外で作ること


常日頃から皆にも良く話し、かつ僕自身も実践していることの一つに「とにかく社外の人間と積極的に交流し、人脈を広げる」ということがあります。社内の人間関係を疎かにするという意味ではありません。社内の人間とは月曜日から金曜日まで一日12時間 × 週5日間もずっと一緒にいる訳ですから、そこは当たり前の事としておきます。

社外の人、出来れば利害関係がなくて共通の話題がある人達との人脈を広げることは、生活に彩りを添え、自分自身のためにもキャリアのためにもとても重要なことだと考えています。色んな人と交わることによって様々な気付きを得ることができる。人と人の繋がりで色んな人と出会える。誰しも時間とお金には限りがあるのですから、せっかくお金を使うのであれば、普段会わない人との方が良いという訳です。

そこから仕事に繋がることもあります。
例えば、先日、ほろ酔いで電車に乗っている時のこと。
隣に座っている真面目そうな男性が難しい資料を見ながら、「うわ、これすごいな」を連呼しているのに気付きました。普通なら「何この人、独り言ブツブツ言って気持ち悪い」と思うかもしれません。しかし、そこは昨日のエントリー「問い続けること」。様々なことに興味を持つことは成長のために肝要です。僕はその人が読んでいる学会のレポートが気になり、横目でずっと文字を追っていました。すると、その視線に気づいたのでしょうか、「あれ、同じ業界の方ですか?」と声を掛けてくださいました。

いえ、僕はITなので構造解析や化学は分野外なのですが、あまりにも「すごい」を連呼しておられるので気になりました。と正直に答えました。彼は某製薬会社に勤める博士号を持つ研究員で、学会の帰りでした。いかにこの学会で発表された論文がすごいか、ノーベル賞級だ、と、そこから熱心に教えてくれたのです。駅に着き、彼が降りる時に「折角なので名刺交換でも」と申し出てくださいました。名刺交換をしていただいた方には、仮に仕事で全く絡まないような人でも御礼のメールを送るようにしています(最近はFBのメッセージも多いのですが)。次の日にメールを送ると、ある解析シミュレーションに興味があるのだが、なにか良い製品があれば教えてほしい、とすぐに返答をいただきました。そこからトントン拍子に話が進み、先日パートナー企業の専門家を連れて、デモンストレーションに行って来たのです。そして今も提案中です。

これは、どこから何が始まるか分からない良い例だと思います。
もちろんビジネス目線の下心を常に持つことが大切である、と言いたい訳ではありません。僕も人と交わる時、仕事のことなど全く考えていません。ただ楽しいし勉強になるから一緒にいる。しかし結果論ではありますが、仕事に繋がることも多いのです。

終身雇用制が崩壊し、人は会社に頼らずに生きていくことがシビアに求められるようになりました。一つの会社に長年勤めたからと言って給料が上がる保証もありません。つまり、何かに頼るのではなく、一人一人が自立し結果を出さなければならない世の中になっています。仮に今の仕事を辞めざるを得なくなったとしても、社外に人脈があればどうにでもなります。また、会社としても色んな人脈や繋がりを持つ社員達がたくさんいるのは、とてもありがたいことです。ですので、是非、社外に人脈を作るようにしましょう。社内政治に気を遣ったり、同僚と飲みに行って愚痴を言い合う時間があれば、どんどん社外の人間と出掛けましょう。


最近、企業説明会で既卒者と話す機会が多いので、ついついこういうテイストの記事が多くなってしまっていますね。こうしうて書くことで、自分自身の思考の整理にもなっています。

さて、明日の午後から東京入りです。
週の後半もがんばって行きましょう。

問い続けること


なぜ? 
どうして?

仕事でも学びのシーンでも、千本ノックのように問い続けることが肝要なのだろうと思います。問うことから、考える行為が生まれ、考えることからアイデアやソリューションが生まれる。そして、その生み出された何かに対して、さらに問う。どうしてこうなるのだろう、どうしたら良いのだろう、ひたすら問いを自分にぶつけ続けることによって、考える力が養われ、答える力が身に付く。反復練習。

しかし日々の生活に流されていると「問いかける」ことが少なくなりますよね。そんなこと考える時間がない。心身共にリラックスして落ち着いた状況の中でなければ、ゆっくり思い巡らすことなんてできない・・・。いやいや。普通に生活している人の中で、一日のうちに贅沢にゆっくりとリラックスできる時間を持つことができる人がどれほどいるでしょうか。きっととても少ないと思います。では、どうすれば良いのか。意識して問いかければ良いのです。ええ、先程そのことに気付きました。

今から1時間程前、帰宅途中の電車の中で政治関係の本を読んでいました。いつものようにただ文章を目で追っているだけ。お決まりのマルクス・レーニン主義について記載されている箇所で、ふと、いつもと違う感覚を覚えました。「・・・この革命がどのような仮定から生まれてくるかといえば、それは近代資本主義の発展の結果必然的に到来するというのである・・・」という一文があり、瞬間的に「え?なんで?」と思ってしまったのです。「なんで、必然的に到来するの?」この問いが発生してから、そこから先が面白い面白い。なるほど、あまり興味の持てない分野でも、意識的に「問いかければ良いのか」と思いましたですね。

普段の通勤電車で、景色を見て歩いている時、仕事のメールを打っている時、これをしなさいと指示された時、取引先と話している時・・・どんなシーンでも「問いかける」ことを意識して習慣付けることができれば、考えに広がりと深みが出る。

これからちょっと意識的に取り組んでみたいと思います。

So what, so why.