図書館の秘密


久しぶりに、ゆっくりと落ち着ける土曜日。

娘たちも土曜日は習い事に塾にという日なので、朝から図書館に来ています。二週間前に訪館した際は、ちょうど大学のテストシーズンでもあり、自習室も机もソファー席までどこも満席で苦汁を飲まされたため(大袈裟)、今朝は開館15分前に来てみました。それでも既に6人くらいが並んでおり、10時の開館時には僕の後ろに数十人の長蛇の列。みんなどれだけ図書館好きなんだ。

開館時間になると、ほとんどの人が自習室を目指すのではなく、「リサイクル図書」のコーナーに駆け寄っています。どうやら、そのラックにある本は自由に持って帰って良いというシステムらしい。ああ、なるほど、皆これが目的なのね。僕を含めた残りの人達は、自習室のボックス席や談話室のテーブルを目指します。わが街の図書館は2階に自習室があるのですが、僕はPCでカチカチやるので、自習室のボックスではなく、飲食も出来てPCも触れる談話室がお気に入り。窓際の席からは外の木々が見え、本やファイルやPCを十分に広げれられるほど机も広いし、とてもリラックスできるのです。

隣の青年が「モアイ像をどうやって運んだのか」という科学雑誌の記事を読んでいたり(僕も非常に興味がある)、おじいさんが老眼鏡を少しずらしてノートPCを使っていたり、学生が宿題をしていたり、と皆が真剣に何かに取り組んでいること、そしてその環境を提供してくれているのが図書館の良いところ。お弁当を持って来ている人もたくさんいます。クーラーもしっかり効いているし、何よりも静かで「集中できる」という環境が整備されているため、図書館通いはやめることができません。

物書きのBGMはこれ。

Stan Getz & Joγo Gilberto – Getz/Gilberto [feat. Antônio Carlos Jobim] (1964)

気分はイパネマ、コパカパーナ。

30代後半というのは実に中途半端な年代であるかもしれない


録画していた世田谷ベースを視聴していると、所さんが、カスタムしたピカピカのハーレーに乗って首都高を走る映像を撮ろうという企画がありました。ハーレーを駆っている時のBGMをどうしようと相談をしている場面があるのですが、普通なら革ジャンにブーツで「Born to be Wild」やロック系の曲をチョイスすると思いますよね。全然違うんです。

決定したのは、大橋純子の「シルエット・ロマンス」。ああ、なんというハイセンス。渋すぎるでしょう。所さんの服装もTシャツにワークパンツ。「これなら、これ」という枠に全く捉えられないところが、50代の渋いオヤジ衆の素晴らしいところ。画面切り替え時は、北島三郎の楽しげな囃子。この発想が出てくるのは、50代ならではないか、と思うのです。で、そしてこのアレンジが、ドはまりする。「Born to be WildとかがBGMだったら、お茶の間は安心して見れると思うんだけど、それじゃ面白くないんだよね」と。

取引先や飲み屋の常連さんなど、プライベートで可愛がっていただいている50前後の方々は、本当にパワフルで面白い。もちろん人それぞれだと思うのですが、自分より、ちょうど一回り上の方のパワーにはいつも圧倒されます。何だかね、楽しんでいるのですよ。自分達の世代がそれくらいの年齢になった時に、同じくらいの洒落とセンスとパワーを出せるかな、と思うと、正直自信がない。皆様、楽しみ方に奥行きがあるんです。

もちろん、人それぞれだと思うし、世代で一括りにするのはナンセンスであることは分かります。バブルを経験している、とか、子育ても一段落して経済的にも時間的にも余裕があるから、など、杓子定規的な判断も良くない。たまたまかもしれなけれど、そういう方々が多いような気がします。当たり前だけど、僕達30代後半世代は、アウトプットにアレンジがまだまだ効かないんですよね。センスに余裕がない。イマドキの曲も分かるし、父親世代の曲も知っている。どの時代もそうかもしれないけど、中途半端な世代であるのです。

まあ、何が言いたいかと言うと、自分達の世代に否定的な何かを書きたいのではなく、「日々勉強」ということです。毎日必死で当たり前。成功と苦労を積み重ねていくことが経験であり、アウトプットは経験に基づく、ということなんだろうと思います。仕事においても趣味においても。

そういう事を考えながら、また明日からがんばって行きたいと思います。
それでは今日はこの辺りで。

かすうどんの唄(そんな唄はない)


オープン後、初めてグランフロント大阪に行って来ました。工事中の内覧の際、中にカツラが仕込まれたヘルメットを被って簡易エレベーターで見学したことがありましたが、それ以来。近くで働いているのにオープン後初めてなんて。人混みの苦手さがこういうところでも現れてしまいます。

慶應の大阪サテライトキャンパスには個人的に良く行くのですが、以前まで中之島にあったのが、グランフロントのオープンに伴いナレッジ・キャピタルに移転。JR組の僕的には非常に便利になりました。慶應だけでなくて、各大学の出張所がたくさん集積しているのもナレッジ・キャピタルの特徴。

日曜日だけあって盛り上がっています。

野暮用を済ませ少し肩の荷が降りたので、ランチにハイボール。
カウンターに一人で座れて、昼から酒が飲めて、美人な店員さんがいる店をチョイスするとここになりました。偶然にも大好物の「かすうどん」がランチメニューに。これは嬉しい。ハイボールも進む。

いわゆる天カスだけの「ハイカラうどん」よりも油に旨味があって塩味もある「かすうどん」の方が好み。ああ、かすうどん。

二杯目のアテには板わさ。

はい、これもツボ。
刺身を食べる時には「醤油:わさび=1:1」が原則の僕としては、普通の人が食べると「罰ゲームか」と思うであろう程のわさびが詰まった板わさはご褒美でしかない。

という訳ですっかり昼間から良い感じになってしまいました。
まあ、今日くらいはゆっくりさせていただきます。

久しぶりのDeep Houseです。
Ananda Projectと言えば「Kiss✕3」ですが、少しスピード感のあるこれ。

Ananda Project – Rain Down

列に並びながら夏を感じる


地元の水練学校に子供たちを通わせるため、申込場所に並んで来ました。
水練学校というのは、市や教育委員会がバックアップしているNPO法人で、夏休みに小学生を対象に行われる水泳学校の事です。ちなみにこの学校、創立65周年。一期生の方が当時10歳だとしても、今75歳。卒業者には国会議員やヅカスターなど。歴史を感じますね。

この水練学校、今でもかなりの人気。12時に申込み開始ということで、10時50分に並んだのですが定員450人に対して僕は既に300番台。子供の友達たち7人分の申込書とお金を持って並んでいる訳ですから、責任重大です。ちなみに昔は子供の数も多かったし、今のようにスイミングスクールもたくさんあった訳ではなかったので、このような水練学校は大変な人気で、夜中の2時からお父さんが並び始め、7時にお母さんにバトンタッチして、自分は仕事に行く、という時代もあったそう。先生も今の倍ほどの人数で対応されていたそうです。すごいですよね。

僕も1時間半は並ぶことを想定したので、本にイヤフォンを持参していたのですが、不快指数100%のジメジメした中、立って並ぶのはさすがにこたえました。昔のことを思うと全然楽なんでしょうけど。なにはともあれ、このような伝統ある水泳学校がいつまでも支持されているというのは何だか嬉しいことです。


天気予報ではスカっと晴れるんじゃなかったんかい!と心の中でぼやきながら、文献に埋もれ、PCに向かってテクストの海にダイブ中。たまに外に出て、降る雨を眺めたり。明日で山を超えるので、今日は我慢してこんな一日です。逆にこのような天気だからこそ、諦めもつくというもの。スカッと晴れていたら、この映像のビル・エバンス先生のようにネコ背になってうなだれてしまうことでしょう。

Bill Evans “Peace Piece”

幾つかのインスパイア


ツングースカ大爆発の原因が解明されたとのこと。

これまで原因が不明とされてきた、105年前の「ツングースカ大爆発」。このほどウクライナ、ドイツ、米国の科学者のグループが、隕石の微小な残片を確認した。(Wired.jpから)

ツングースカ大爆発とは(Wikipedhia)

105年前に起こったことを解明するという科学者の執念に感銘。人類の歴史、地球の歴史、果ては宇宙の歴史と比較すると、それは「ほんのついさっき」という程度のことかもしれませんが、今生きている人間からすると、100年を超える時間軸というのは「寿命」と「世紀」という単位で図るため、その年月のイメージは遥かに長いものと感じます。専門的なことは分かりませんが、広範囲の影響箇所の中から微量の物質を発見して解析するという作業の膨大さは容易に想像できます。しかし、この105年、これほど大規模な隕石衝突は起こってないことがラッキーなのかなんなのか。落ちた場所がシベリアだったから死者は出なかったとのこと(詳細は不明)ですが、都会だったらどうなっていただろう、と思うとゾッとしますね。先日のロシアの隕石落下では、怪我人もたくさん出ました。まあ、地球規模から考えると「都会」にピンポイントに落ちる確率の方が遥かに低いとは思いますが。


大阪の山中にある、某メーカーの工場に見学と取材に行って来ました。
山間にあるこの場所、駅からの交通手段がほぼないに等しいため、最寄駅から先方に送迎していただきました(感謝です)が、自然に囲まれた環境の中で高い技術力を保有し「ものづくり」を行なっている方々を見ていると、「先端技術と自然と歴史」の融合とギャップを感じ、魅力的に感じます。以前、「朽ちるものが放つ美しさ」という記事をエントリーしましたが、その感覚と似ている。ギャップが放つ美しさ。働いておられる方も生き生きとして、とても親切な方ばかりでした。自然という環境が人をそうさせるのでしょうか。精密な仕事をして、時折社外に出て外の景色に目をやる。その景色が山と深い緑であれば、良い気分転換になりそうです。


昨日と今日、梅雨空に時折ゲリラ豪雨が降る嫌な天気です。
幸い、その豪雨の時間は屋内にいたので良かったですが、外を歩いているとエラいことになっていたでしょう。雨が降らなければ心配になるし、降れば降ったで鬱陶しいし、人間って勝手な生き物ですね。

さて、明日は金曜日。
週末は晴れそうです。最後のラストスパートがんばりましょう。

ちょっとDianaが続きます。
How Can You Mend A Broken Heart – Diana Krall

週末リベラル・アーツ


実務のことを考えると専門的かつ技術的な勉強の方が良いとは思うのですが、いわゆるリベラルアーツは視野を広げて意思決定の幅を持たせるのに役立つのでは、と思っています。遠回りかもしれないが、学びの分野を広げることで歴史と事例を知り、裏付けを得た上で物事の意味を知り、理解を深めることができるような気がして、まあ色々とやっています。

海外の人間と話したりビジネス交流する際に文化や背景を知らなければ、ノリで笑いは取れても本当のコミュニケーションは出来ない、とは良く言われることですし、昔学んだことでも今この歳でやるとまた違った観点から見ることが出来たりして発見の連続。学生の頃は「勉強」は決して楽しいものではなかったけれど、「学生のうちの勉強しておきなさい」という親の言葉、今は骨身に染みて分かります。アラフォーになり、それなりに経験を重ねた今だからこそ、学べることの贅沢さが分かりますわ。という訳で、今週末も良い天気に恵まれたこともあり、2日で15km走れたし、本もかなり読めたし、予定していたことをしっかり終えることが出来ました。


早いもので明日から7月スタート。
今年も半分が過ぎ、すっかり夏になってしまいましたね。
暑さに負けず、頑張って行きましょう。

一種のジャンキーであることを堂々と認める


強烈なアプトプットの後は、発散や充電ではなくインプット。
脳みそがスカスカになってしまうと、食欲と同じく、知識欲を満たさずにはいれなくなる。出張先からの飛行機で爆睡したので、疲れは癒えた。帰宅して本を貪り読み、楽しみにしていた23時からのEテレ「ハリウッド白熱教室」を気持ち良く視聴。映画制作界で世界最高峰といわれるUSC映画学部のドリュー・キャスパー教授の講義が、リモコンひとつで簡単に、しかも茶の間で視聴できるなんて、どんなに素晴らしい時代になったのだろう(「MIT白熱教室」といい、正直、Eテレはすごいです。EテレだけがTV番組としてあれば、日本人はもっと賢くなっているに違いない。多少バイアスがかっているかもしれないけど)。テンポ良く語り、次々と生徒に質問を浴びせ、とにかく脳を刺激し考えさせる。1時間があっと言う間、それだけ引き込まれる。講義中、講義の後で実際はディベートの時間などもあるかもしれないけれど、答えを与えたり、覚えさせたりするのではなく、とにかく考えさせて自分の言葉で意見を述べさせる。自分で考えて出した答えに疑問や違和感を感じるから、正しい答えに導かれた時に、ああ、そうか、なるほど、と腹落ちする。毎晩、毎朝、こういう具合に欲求を満たさなけば一日が終わった気がしない。お腹も脳みそも一杯になったので、気持ち良く眠れそうです。


都会でソフィスティケートされた東京もいいけれど、地方で、田舎で、サイズも程良い芦屋に帰って来ると落ち着く。

駅から家に帰る途中の、こんな芦屋川の風景が大好きだ。
後ろを振り返れば、六甲の山並みが月明かりに照らされ、南を見れば、湾岸沿いを走る高速の明かりが見える。その下は海。

明日はリフレッシュの時間。
今週もお疲れ様でした。

良い週末を。

人に教えることを意識しながら学ぶ


朝6時から長女の勉強を見るということが習慣化して来ました。

きっかけは、彼女が塾に通うになってから。算数と国語の宿題をたくさん持って帰ってくるのですが、分からなかった問題だけを残しておき、パパに唯一会うことが出来る朝に教えてもらうのです。

僕は教える際、とにかく分からない問題があればその内容を紙に書けと言っています。下手な絵でも何でも良い。例えば、「お父さんとお母さんとA子ちゃんと弟の年齢を足すと、ちょうど100歳になります。お父さんと弟の年齢を足した数とお母さんとA子ちゃんの年齢を足した数は同じです。弟は6年前に生まれ、4年前、弟の年齢の3倍がA子ちゃんの年齢でした」という文章題があるとします。一問目は「弟の今の年齢は何歳ですか」というもの。二問目は「A子ちゃんの今の年齢は何歳ですか」、三問目は「お父さんとお母さんの今の年齢は何歳ですか」。

一問目は分かったとしても、二問目、三問目は小学3年生には少し難しい。文章をさらっと読んだだけでは内容を理解しづらいこともある。でも、文章題というのは、問題の中にヒントがたくさん潜んでいるものです。そこで、自由帳などに絵を描かせる訳です。家族4人の絵を描き、与えられているヒントを書き込んで行く。そうすると、全体像が見えてきます。某◯◯ハイスクールの先生ではないですが「数式ではない、言葉です」という通り、問題の意味と意図をすばやく把握できる子供というのは、頭の中で情景を思い浮かべることが上手な子なんだと思います。絵を描かせるのは、そのための訓練だと思っています。慣れてくれば、そのうち紙に描かずとも頭の中だけで整理しながら読み解くことができるようになるでしょう。

もう一つのポイントは、人に教える事を想定して、自分が学ぶということ。自分は理解出来ている問題を、分からない子にどのように説明するか。こういうことを意識すれば、問題の意図を理解しやすくなると同時に、記憶にも焼き付けやすい。人に何かを教える時、教えている側の方が頭を使いますよね。時として絵を描きながら教えたりもするでしょう。そう意識すると、自然と問題の意図を理解できるようになります。アウトプットを意識したインプット、という訳ですね。

もちろん僕はプロの教育者ではなく、ただの「お父さん」ですから教え方に間違いも色々とあるでしょうが、そういう訳で、今は教えることが僕にとって、とても楽しいことになっています。懐かしさ半分、先生になったような感覚半分。また、娘を見ていると、しっかりしているな、とも思います。僕が小3の時はどうだったか、と考えると朝早起きして勉強なんてしてなかったよな、何も考えていなくて、うんこみたいな子供だったよな、と思うのです。いいオッサンになった今でもあまり変わっていませんが。


今日は読み応えのある記事に二本出会いました。

INTERVIEW この10人のイマジネーションが、日本に変革をもたらす:VOL.4_福山太郎【wired.jpより】

育った家庭環境も大きく影響しているとは思いますが、まずやってみよう、と向こう見ずに挑戦するチャレンジ精神、年齢関係なく見習うべきですね。

社員旅行で眺めた日本(NewsWeek 日本語版より)

社員旅行で初めて日本を訪れた中国人4人による座談会です。自分達が中国に対して持っているイメージと彼らから発せられる言葉には大きな隔たりがあるとも感じました。純粋に、そう思ってくれていて嬉しい、という気持ちになります。メディアから入ってくる情報だけでイメージを固定化するのは良くないとも思いましたね。いつでも答えは現場にある。

まるで箱庭のような街


小さなエリアに色んな要素をギュッと詰め込んだ、箱庭のような街、芦屋。

家から歩いて5分で人々が散歩やジョギングをしている芦屋川に、同じく5分で車やバスが行き交う駅の北側にアスセスできます。家族が友達の家に遊びに行っている間、僕は自宅に引きこもっていたのですが、気圧の関係で鈍重な頭を少しでもすっきりしたいと思い、気分転換にコーヒーが飲めるところへ家出しました。

フルオープンに開かれた店、タイピングに疲れると時折目を上げて目の前を行き交う人や、ホテル竹園前のタクシー乗り場に降り注ぐ雨を眺めたり。雨の日はいいですね。静かだし、軒下にいる安心感が心地良い。

ほぼ予定通りにスケジュールをこなすことができました。
明日からまた新たな一週間が始まります。

気持ち新たに、5月後半戦、がんばって参りましょう。

環境を整えることと、会いに行くには理由がある、ということ


来週末に提出のレポートがあり、今日は朝から図書館にでも出掛けて一日閉じ籠ろうかなと思っていたのですが、朝から娘たちがバレエに出掛けているので、結局自宅に閉じ篭っています、今のところ。

自宅に篭るメリットは、移動に費やす時間を削減できること。ただしデメリットも。眠たくなったらすぐにソファでコロンと昼寝が出来てしまうのですね。これは問題。そのために、人の目がある公共の場所に出掛けていく訳です。以前にも書きましたが、そこに行くと「それしか出来ない」環境に強制的に身を置くことになります。「それしか出来ない」ということは素晴らしい。


雨の昼下がりです。

昨夜はカフェでひたすらライティングをした後、疲れを取るために電車に乗って苦楽園のthe Barnsへ行き・・・やはりというか予想通りというかウイスキーを飲み過ぎてしまいました。ここには飲み過ぎるために行っているようなものです。途中から親父のようなマスターも巻き込んで、ほとんど会話もせずに一緒に僕のボトルを飲みましたが、起床時の頭は鈍重。それにしてもマスターにこれを言うと嫌がるかもしれないけれど・・・親父みたいな人だな。だから僕は、通っているんだろうな。ある店に通うということは、ウイスキーが飲みたいからではなく、お店の人に会いに行きたいと思っているから。会いに行くには理由がある。気まぐれで神出鬼没で行けば飲み過ぎてしまうけど、歓迎するしない関わりなく、いつも店を開けてくれているマスターに感謝。


あまりに雨の昼下がりが気持ち良いので、そろそろ出掛けようかとも思っています。
Nicola Conte が 雨の日に心地良すぎる。

Nicola Conte – Other Directions