黙考に最適の時間

5時半に起床しての3日連続早朝ラン。
朝に軽ジョグをすると一日が気持ち良く過ごせそうな気がします。ちょうど朝が気持ちの良い季節。出来る時は積極的に外に出ていこうと思っています。

走っている間の一時間は、一人黙考するのに最適の時間です。

大変お世話になった取引先の社長の突然の訃報に、今までの思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡ります。走りながら、色々なことを思い出していました。当日まで会社に出勤されていたのに、とても元気だったのに、突然の急逝でした。先月お会いした時にも、これからこんな風にしていくねん、色々と考えてることあるねん、と、いつものように楽しそうに豪快に話しておられました。

昨夜は社員さん達と、終電の時間まで酒を飲みながら思い出話で偲びました。残念、寂しい。思い出は尽きることがありません。
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山の稜線と空の継ぎ目

雨まじりの風がごうごうと吹き、雲が東に流れていきます。

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時折風がやむと、静寂が訪れます。標高1400mに位置する広大な牧場では、山々の稜線と空の継ぎ目がよく見えます。アルパカと水平線の継ぎ目も。

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午後からはすっかり天気もよくなり、3日連続のテニスを楽しむことができました。テニスで疲れてしまって、結局ランニングは一日だけ。同じだけカロリーを消費しているので、良しとしましょうか。
 
 
 

湧水となって湧き出る雪解け水

今、蓼科高原は雪解け水と桜のシーズンです。

八ヶ岳山麓に積もった雪が雪解け水となり、岩肌や隙間から湧水として湧き出ています。中でも、女の神氷水(めのかみひょうすい)は、蓼科山の山麓にあり、こんこんと水が湧き出ています。氷水という名のとおり、手が痺れる程の冷たさ。ペットボトルに汲んで飲んでいる地元の人もいる、天然無添加の湧き水です。

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ドライブしているとあちらこちらで満開の桜を目にすることができます。
桜の名所である蓼科山聖光寺はもちろんのこと、小さなペンションの軒先でも、道の傍らでも、白やピンクの桜が目を楽しませてくれます。

個人的には、ピンクの桜が好みかな。
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こちらは聖光寺の桜
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山の中で経験すること 〜 小鳥のなきがらと静寂

自然の中で生活していると、ちょっとしたこと、例えば、小鳥のさえずりとか、小さな花とか、雲の流れに目が行きます。

時間に支配されないからかもしれません。人や車が少ないからかもしれません。里山を走っていても、聞こえるのは、風の音と小鳥のさえずりくらいです。普段の生活とは比べ物にならないほど、限られた情報だけが五感に伝わってきます。

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朝起きると、家のデッキで小鳥が死んでいました。

黒と黄色で彩られた羽に覆われた小さな身体が横たわり、今にも飛び立ちそうでした。家の屋根か壁にぶつかったのか、原因は分かりません。しかし、小さな命が儚くも消えてしまったという事実だけがそこに残っていました。

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子供たちと一緒に大切に、庭に穴を掘って埋めました。山の中だからこそ、経験できることかもしれません。山では色んな経験をすることができます。

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知人に偶然会う意味とは

ここ最近、立て続けに不思議なことが起こります。

いや、不思議というわけではないかもしれません。これは予定調和なのかもしれないし、セレンディピティなのかもしれません。

ばったり偶然、道端で数年ぶりに人に会うことが立て続けに起こっています。昨夜も「あ!おおー!」みたいなことがありましたし、今日も打ち合わせから帰社途中に、友人ともう10年ぶりくらいに会う(すれ違う)ということがありました。久しぶりではありませんが、先週なんて、東京で、しかも丸の内線で、同じ車両に友人が乗っていて本当にビックリしたこともありました。まあ、それを言い出すと、グアムのビーチで友人とばったりということもありましたし、海外に向かう飛行機の中で知人に会うということもたくさん経験しています。

「袖振り合うも多生の縁」という言葉がありますが、ここ最近偶然、しかも数年ぶりにすれ違った人たちは少なくとも、その時期にかなり深く関わり合った人間たちです。こうも立て続けに会うと、縁起でもないですが、自分の死期が近いからなのか・・・と邪推してしまうこともありますが、もしかすると春はそういう季節なのかもしれませんね。

毎日毎日、技術とロジックの仕事にどっぷり浸かっていると、やはりこういう「良く分からない偶然」が心の栄養となることは確かです。

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じっくりコトコト

ローマは一日にして成らず

この言葉は、何歳になってもずっと背負って行かなければならないんでしょうね。

北野武さんのコーヒーのCMではないですが、一つのことを究めるには膨大な時間が掛かるし、新しいことを学ぼうとする時なんて、文献を何回も何回も読んで、ようやく内容が理解できるようになり、そこから更に深め、自分のものにするためには、更に何倍もの時間が掛かります。金脈を探すかのごとく、コツコツ、コツコツと掘り続けて、ようやく微々たる量の金が見つかる、そんな感じがします。ローマのような大事業は一日して成らずのは当たり前、僕のような凡人にとっては、小さなことを形にするだけでも、随分と時間が掛かるものなんです。

情報が簡単に手に入るようになり、とにかくスピードが要求されるこの時代、何かを「それなりに」「かんたんに」アウトプットできるようになったかもしれませんが、まさにこのブログのように、10分でさらりと書いたものは10分の価値しかないし、一日考えて、更に一日かけて生み出したものは、二日分の価値がある。

そういう意味では、じっくりコトコト煮込んだものの方が良いのは自明の理で、やっぱり時間と努力は嘘をつかないよなあ・・・と実感する今日この頃です。

しんどいけれど、仕方がありません。それならコツコツ彫り続けることを楽しみ、趣味にする。そうしましょう。

ローマは一日にして成らず。

(福島のスペインバルで)
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路地の中の日常と平和

海が見たくて、朝ラン。芦屋浜に向かって走るも、途中で雨が降ったり、風が強まったりして、ノースリーブシャツ一枚では少し肌寒いランニングとなりました。

海を見てすぐに引き返すこともできたのですが、せっかく家を出て走り始めたのだから10kmは走りたいと思い、雨に追われて帰るのはやめて、距離を確保するため住宅街の中を通るコースを選択することにしました。

いつもと違うコースを通ると、新たな気付きを得ることができます。

閑静な住宅街は立ち並ぶ家を見ているだけで楽しい気分になりますし、一本路地を入った旧商店街の通り(ここは阪神大震災で壊滅し、区画整理された地域です)は、点在するお店が元気に営業していたりして微笑ましく感じます。それに何より、公園で子どもたちと遊んでいるお父さん、ベンチに座るご老人を見ていると、なぜだか急に、ああ、これが平和というものなのかなと思いました。

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当たり前の、何でもない日常というのは宝です。例えば、それば脅かされるようなことがあったり、自然災害に見舞われたりすると、その日常は脆くも崩れ去り、また、その「当たり前の、何でもない日常」を取り戻すためには多くの時間と労力を払わなければなりません。一度壊れてしまうと、元に戻すのは至難の業である。それは熊本城の復興に数十年も掛かるのと同じようなものなんですよね。だから大切にしなければならない。

たまに、住宅街を走るのも良いものです。そこには平和な日常がきっとあります。

目的地に向かう

近かろうが、遠かろうが、その時々で大小の選択を重ねつつ、目的地に向かうのが仕事であり人生ですよね。人生って決定の連続です。

一つの選択をするまでに、様々な検討を重ね、歩きながらでも走りながらも、その事を頭の中で考え、相談や打ち合わせをし、最適解を導きます。スティーブ・ジョブズじゃないけれど、人は将来を見ることができません。できることは、その場面、場面で、一生懸命考えて、数ある選択肢の中から一つを選び、その方向に歩を進め、その選択と決定を信じることだけです。

テクノロジーの世界にどっぷり浸かりながら、ビジネススキームを描く仕事は性に合っています。選択が正しいかどうかというより、選択した方向へ歩を進める時(例えばプロジェクトのキックオフなど)の高揚感はたまりませんし、実際それが形になり、ビジネスとして成功すれば最高です。そういう意味では、昨日も今日も、それぞれのプロジェクトで良いミーティングをすることができました。

今週もあっという間の一週間でした。

皆様、よい週末を過ごされますように。

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収穫のための種まき

収穫のための種まき。

そんな感じの一日です。今日はサンノゼからアメリカ人のパートナーを大阪に迎えて4時間会議をし、東京とSkypeを繋いで一時間会議、そして夜は案件の打ち合わせ。

長い一日でしたが、しっかりと種まきを行うことができました。あとは育てて刈り取るだけ。愛情を持って育てれば、きっと豊かな季節を迎えることができますよね。何事も愛情と情熱をもってすれば良い結果が生まれると信じています。

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マラソンの応援に学ぶ、相手の心に届くコミュニケーション

昨日は今シーズン最後のフルマラソンとなる徳島マラソンでした。徳島には初めて行きましたが、本当に良いところですね。神戸から車で2時間以内で行けるし、食事は美味しいし、風光明媚だし。

朝からラン友さんたちと合流してワイワイと夜まで楽しみ、沿道では、幼馴染の旧友が応援に駆けつけてくれ(Mヒロ、ありがとう!)、ボランティアの方々やエイドの方々の熱心な応援に涙し、自己ベスト更新というおまけまでついて、無事にシーズンを締めくくることが出来ました。

それにしても、沿道の応援(もちろん、SNSで送ってくださるコメントやメッセージも含めて)って本当にチカラになります。それはきっと、応援してくださる方の気持ちが背中を押してくれるからだと思います。応援しながら自分も汗をかき、並走してくれているんです。

例えば、昨日、一番心に残っている応援は、沿道に一人で立って応援してくれていた、年配女性の一言でした。その方は、がんばって、がんばって、と走りゆく人に声を掛けておられたのですが、「ありがとうございます!」と返事をすると、僕の目を見て微笑み、こう答えてくれたんです。

「わたしの分までがんばってね!!」

なぜか僕はその言葉が心に残り、その言葉をゴールまで持って行くことになりました。
走りながら、ずっとその言葉について考えていました。もしかしたらあの方は、かつてランナーだったのかもしれない。足の故障が原因で走れなくなったのかもしれない。すごく走りたいんだけど、何かの理由で走れないのかもしれない。

そう思うと、僕は走っているのではなく、走らせてもらってるんだ、あの方のように走りたくても走れない、でも、せめてランナーの応援をすることによって自分も走ろうと思っておられるんだ。辛くなると、その言葉が頭をよぎり、あきらめずにゴールを目指すことができました。

マラソンの沿道で応援してくださる方は、みなさん、本当に「並走型」なんですよね。僕達が速く走ろうが、リタイアしようが、全く皆さんには関係ないのに関わらず、せっかくの日曜日に朝早くから起きて、おにぎりを握ったり、アメやドリンクの準備をしたり、その上、皆が通り過ぎる5時間も6時間もずっと、身を削って応援してくれます。晴れていようが、雨が降ろうが、本当に時間もお金も使って、無私の気持ちで応援してくださいます。

ランナーはランナーで、ネガティブな辛さではなく、ポジティブな辛さを抱えて走っています。先が見えない暗中模索の状況ではなく、42.195km先のゴールを心の目で見ながら、一歩づつ辛さを乗り越えて行きます。そこに並走してくださる方々の応援にどれだけ励まされ、チカラをもらえることか。

だから、感動し、感謝し、エネルギーが生まれ、僕らランナーは、どれだけ辛くても、一歩一歩ゴールに向かって足を踏み出すことができるんです。

ゴールした後にランナー全てが感謝を口にするマラソン。
本当に素敵なスポーツです。

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