連休明けで非常にバタバタしていますが、自然の中でしっかりリフレッシュできたので、仕事にもメリハリが出て、集中できているように思います。気づけば9月も後半。もう10月の声が聞こえてきましたね。雨の日以外は、いつどこを走っても気持ちの良い季節になってきました。
さて、走りながら考えていたことがあります。
それは、インプットを丁寧にすることの大切さ。
スマホからどんな情報にでもアクセスできる時代、自分のフィルタ(審美眼)をしっかり精度高いものにしておかなければ、いとも簡単に質の悪い情報に頭を持って行かれてしまう恐れがある。最悪の場合、それを信じて意思決定してしまうこともある。これ、本当に怖いことだと思うんです。情報が溢れ、どんな情報にでもアクセスしやすい時代だからこそ、です。雑なインプットで「分かった気」になって、アウトプットはしないという人が多くなっているのも気になります。
人間って信じやすい生き物です。思い込みだけで生きているといっても過言ではありません。自分の生まれ育った環境や、つたない経験の中で、人格は形成されます。どんな人間も大したことはありません。頭も悪いです。それなのに「分かった気」になるのが怖い。
基本的に格差はここから生まれます。「仕事が出来る人」と「出来ない人」、「稼げる人」と「稼げない人」、「成功する人」と「そうでない人」。何かそこを分け隔てるのでしょうか。答えはとても簡単です。
勉強しなくて良い人が、一生懸命勉強し、勉強すべき人が、なにもしない。
努力しなくて良い人が、一生懸命努力し、努力すべき人が、なにもしない。
これでどんどん差が開いて行きます。とても単純なシステムです。
前者は、インプットを丁寧にします。流し読みのような雑なことはしない。人から聞いた情報を鵜呑みにしない。しっかりとした文献を読み、正しいインプットを行う。時間投資も的確にする。 I / O を正確にしたいので、自分のフィルタの精度も高めるため、また学ぶ。このプロセスを繰り返していると、比較的アウトプットが雑でも「芯」を捉えているので、言葉に説得力が生まれます。そこがない人は、言葉が薄い。考えていることも隙だらけですが、思い込んでいるので、自分以外の言葉は信じません。成長が止まってしまうんですね。
特に、リーダーたる人間はそうならないように注意したいものです。
過去の成功体験で物事を判断したり、思い込みで意思決定したり、周りとのすり合わせを大切にするあまり意思決定を先延ばしにしたり、投資した額が「もったいない」と感じるタイプの人は危険です。そのようなリーダーに3年先、5年先を見通せる力はありません。
過去の歴史がそうであるように、精度の悪い判断の結果、撤退やピボットもできずにダラダラして大赤字を垂れ流し続けて、いつまでも成長できない、あるいは退場をよぎなくされる企業がとても多い。ガラケーや半導体や液晶ディスプレイといった日本の基幹産業だったものが完全に駆逐されたのがその良い例です。
ですから、インプットは丁寧に、アウトプットは大胆に。
自戒をこめて。
「学び」カテゴリーアーカイブ
導いてくれる人の存在がなくても「我以外皆我師」(自分以外はみな師)と思って学び、判断の精度を磨く
日々の習慣として、気づいたことや思ったことをメモするようにしています。メモしないと忘れてしまいますからね。
別に必ず何かを書くと決めているわけでもないのですが、思い立った時にコツコツと書いていたことが、いつの間にか、Google Document 10ページ分を超えているのに気付きました。
実際、その中のいくつかの文章は、このブログのスピンアウトコラム「心で見た景色を言葉にしよう 〜 辺境のソーシャルTips」として公開しているので、本当はもっとたくさんのページになるのでしょうけれど、今の僕のメモ帳は、アイデアや考えの源泉となっています。
表に出すのが、ブログやコラム。
自分しか見れない引き出しはメモ帳(document)。
こういうことを繰り返していると、最近、徐々に自分自身の考え方の精度が良くなってきた気がします。精度が磨かれてきた、というのか。こういうのは自分で言うのではなく、他の人が評価するものなのでしょうけれど、極私的な実感として。
「導いてくれる人の存在がとても大切だ」という言葉を良く聞きますが、周りにそういう存在がいないので、良くも悪くも「自分以外はみな師」と思い、人や本などから自分で学んだことと、目の前で起こる様々な出来事とを結びつけて、原因と結果をあぶり出すようにし、そこから解決の手順と方法を見出すようにしています。頭の中でぐるぐると。そして、実行。
違和感を感じることは、たいてい何らかの問題を内包している。その違和感と、自分が思う原因と、解決をメモする。その繰り返し。そうすると、何か光のようなものが見えてくるものなんですよ。
すべてを解決することはできないけれど、解決できることはそうしていきたいと思います。
毎日、戦いです。
夕焼けランニング 〜 軽くなった自分の隙間に新しい気が流れ込み、それらが風となって良い循環を生んでいく
そういえば、一昨日の日曜日の夕焼け空は素晴らしいものでした。
買い物から帰って一息つき、もう今日は走らないでいいかなと、怠け心が首をもたげてきたところ、やっぱり走ろうと思い直した自分に対するご褒美のような夕焼け空。
この写真を撮影した場所は芦屋川沿いの公園で、川の下を道路やJR神戸線が通っています。芦屋川は「天井川」なのです。
この公園ですが、西の空が開けているので、特に夕方に走る時にはお気に入りの場所です。
川沿いを下って、海へ。
刻一刻と変わる空の下を走りながら、六甲山に沈む夕日をパチリ。この一瞬の色。まさに自然が織りなす芸術作品。
こういう景色を見ていると、考えることがあります。
昨年末からの体調不良、コロナ禍、体重激減・・・これらに直面した時に、一体自分の身に何が起こっているのか、本当に苦しくて暗中模索の日々を過ごしていました。
でも、その時に思っていたのが、「今は脱皮の最中だ、これが終わればアップデートした自分に会える」ということでした。
感謝すべきことに、8月から見違えるほど元気になり、身体は健康、心は平穏、やることなすことすべて上手く行っています。
体調不良やコロナ禍が教えてくれたのは、余分なものを脱ぎ捨てること、正しい自分になること。軽くなった自分の隙間に新しい気が流れ込み、それらが風となって良い循環を生んでいくのを実感しています。
風。風の時代。
ナウシカのように、強くて優しい風使いになれるでしょうか。
「・・・おおお、俺の英語通じたぞー!!!」(おじいさん)の嬉々とした表情に癒やされた毎月恒例の多国籍ゴルフ会
毎月恒例の多国籍ゴルフ会。
今回の舞台は、隊長Oさん所属の三重県の名張カントリークラブで。同伴の外国人エグゼクティブ二人(二人とも大柄な白人)はゴルフが大好きで、日本赴任中にいろんなゴルフ場を回りたいと、我々の所属コースだけでなく、いろんなゴルフ場を毎月ラウンドすることを会の目標にしています。
さて、そんな彼らですが、やはり地方のゴルフ場では目立ってしまいます。
スタート前からカート周りの従業員のおじさんたちは興味津々。メンバーOさんに「この人たちはどんな人なん?」「どうやって知り合うの?」と尋ねたりして、普段とは違うゲストの登場にウキウキしていらっしゃる様子。
ラウンド終わりに、カートからバッグを降ろしてクラブ拭いたり本数確認をしてくれるのですが、彼らのバッグを担当している一人のおじいさん、思い切って直接彼らに声を掛けました。
「クラブ、オーケー?」(本数合ってますかとの意味と思われ)
「Yeah, OK!」(エグゼクティブ)
「・・・おおお、通じたぞー!!!」(おじいさん)
もう大喜びで、同僚のおじさんたちに、俺の英語通じたぞ、聞いてたか?と自らの快挙を嬉々としながら話し、そんな様子を見守るマスター室の若い女性も笑顔で目配せしながら笑っていたりと、もう本当にいろんなことがすごく微笑ましくて心が温まりました。
平和だ!Love and peace!!
そういえば自分が子供の頃ってこんなんだったよな、と思うのです。外国人を見かけるだけで胸が高まったことを覚えていますし、少しでもコミュニケーションしようものなら家の中でニュースになった。このおじいさんも、きっと仕事を終えて家に帰ったら、家族に今日の出来事を自慢げに話すのでしょう。今日休んでいた同僚に、明日、同じことを話すのでしょう。なんて素敵なんだ!
それと同時に、外国人が普通に周りにいて英語を使うことが仕事柄、日常になってしまった自分の世慣れ感が、なんだか寂しくて。グローバルが日常で、このようなローカルに感動してしまう。何が良いか悪いかではなく、こういう日本の原風景(なのか?)はやっぱり自分の心の中で大切にしていかなくてはと思ったのでした。
ちなみに、名張CCのカツカレーはめっちゃ美味しいです。ぜひご賞味あれ。
【閲覧注意】全身全霊を掛けている、一切の妥協を許さない、命を燃やしている、という人に限ってビジネスがうまく行っていない理由
挑発的なタイトルで申し訳ありません。少しだけ毒を吐きますので、苦手な方はここでページを閉じてくださいませ。
最近、世の中の変化にストレスを感じている人が多いのか、閉塞感があるのか、余裕がないのか分かりませんが、やたらと「精神論」と「お金儲け」の話題がタイムラインを駆け抜けていて、辟易してしまいます。できるだけ、TwitterでもFBでもそういうのは目に入らないように避けているのですが、なかなか、ね。他にもっと大事なものがあるだろうと思うんです。
どうして、そういうものを避けているかというと、なんていうのか・・・とにかく浅はかなんです・・・そういうことを言う人に限って儲かっていないから。
分かりやすい例でいくと、Twitterなんかで、名前の後ろに「@副業で月収100万円」とか、「@元気の源の秘訣教えます」とか、「@夢を叶える魔法の言葉」とか書いている人いますよね。もしそうなら、自分が儲けて納税するなり、寄付するなりすれば良い(前澤さんのようにお金を配るのも有。個人的にはあまり好きではないけど)。元気や夢を叶える方法を知っているのなら、自分がそうなって、有名になって、社会をより良くしてくれればいいのですよ。あえてアピールすることにどんな意味があるのでしょうか。まあ、営業活動の一貫なんでしょうけれど。
安倍総理が「安倍晋三@総理になる方法教えます」とか、経団連の中西会長が「中西宏明@日立の会長にまで登り詰めた7つの秘訣」などというアカウントを持っていると思いますか。
また今日のタイトルにあるように、決意表明なのかなんなのか分かりませんが、やたらと己の哲学を熱く語る人、例えば「俺はこれだけを信じてやってきた」「一切の妥協を許さない」「誰もしなくても、自分だけは一人になってもやる」とか言っている人に限って、ビジネスはうまく行っていません。偉そうなこと言ってすいません、たかだか44年の経験しかありませんが、そういう人を本当に、悲しいけれど、嫌というほど見てきました。どんどん消えていってしまいました。だからもう見たくないんです。去勢を張るのはもうやめよう。自分に素直に、あるものを受け入れて小さな幸せを見つけてそれを大切にする方がよっぽどいい。人それぞれ器というものがある。
お金の話でしたね。
お金を儲けるためには、お金を追いかけてはだめです。自分が人に信用される人になること、社会に貢献できるようになること、人の役に立つこと、それだけ考えていれば、自然に回るもんなんだろうと思います。
僕はお金儲けが苦手です。
どちらかというと元々技術畑で営業じゃないから、営業なんて出来ません。会社の役員がこんなこと言ってはダメですが、モノを売るのは苦手です。だから、最初からそこは捨てています。でも、いい意味で諦めた時から、お金がめちゃくちゃ回るようになりました。不思議です。追いかけるスキルもないから追いかけない。その代わり、何か人の役に立ちたい、それだけを行動指針にしています。それだけで、お金に困らなくなりました。様々なところからお仕事でもプライベートでもお声を掛けていただけるようになりました。本当に感謝です。諦めるって大事ですね。
テクニックもあります。
安く仕入れて、高く売る。これだけです。株の場合は、安く買って、高値で売る。投資の場合は、伸びそうな会社に目をつけて出資する。でもリスクもあります。リスクを回避するためには、「卵は同じカゴに盛るな」です。つまり分散投資です。借金は極力してはいけません(金利0の今なら投資に回す目的なら有りかも)。結局、自分の選球眼、自分磨きをがんばるしかないんですよね。
精神論や根性論を語る暇があれば、相手、顧客に少しでも良いサービスを提供すること、コードを一行でも書くこと、手を動かすこと、この方がよっぽど利益に繋がります。(ブログを書きながらストレスを解消している僕がいうのもなんですが・・・笑)本当に稼いでいる人はお金の話なんてしません。静かに目の前の仕事に掛かっています。
これは僕の経験なんですけれど、根性論で仕事をしている時は、夜中2時に来たメールを3時に返すみたいな仕事の仕方をしていたんですが、その時が一番お金なかったんですよね。
じゃあ、若い頃にそのような働き方をしていたことが今に生きているかといえば、それは生きています。僕は、仕事量や労働時間は収入に比例しないということを学びました。ビジネスには、勘所と強弱が必要です。毎日3時間睡眠で仕事していたら、いずれ身体を壊します。徹夜を三日続ければ、仕事のパフォーマンスは明らかに低下します。じゃあ、どうするか。頭を使うんです。
それは自己アピールでも、金儲けの仕方を考えるのでもなく、社会が、世界がどの方向に向いているかを見極め、諸問題を解決するための方法を考え、よりよい世界にするにはどうすればよいかを考える。そして実行する。人知れず動いていても、誰かが見ているものです。
正しい目を持っていれば、成功する。うまく行かなければ何かが間違っている。
個人的には成功=お金ではないと思っているので、その価値の置所も人それぞれ大切ですが、追いかけると逃げていくものもあること、これは事実だと思っています。
あ、今日のタイトルに対する答え、ちゃんと書いてなかった!これだからお酒入るとだめなんだよな…すいません、またの機会にちゃんと書きます。
走ることは、自分を調律するということ
久しぶりにゴルフの予定がない週末です。
ゴルフの時は朝6時には出発しなければならないので朝ランはなかなか難しい。となると自分の中で、今日はゴルフ場でしっかり汗をかくからまあいいか、という言い訳のようなものをしてしまいます。まあ、ゴルフもカートに乗らずに歩いて移動すれば、結構な運動になるんですけどね。
朝のランニングほど気持ちの良いものはありません。
いつものコースを海に向かって。ヨットハーバーに係留されているヨットやクルーザーを眺めながら。磯の香りに遠い日の記憶を呼び起こされながら。見え隠れする秋の気配に淡い期待を抱きながら、走る。
僕はランニングを「自分に対する調律」だと思っています。
走りながら頭の中を整理し、幾つかある未解決の課題に対してあれこれと様々な確度からアプローチする。あ、これだと思うことに関しては、頭の中にメモをします。記憶できそうにないことは、スマホを取り出して、メモアプリに残す。過去の行動や言葉を思い出して、あの時こうしておけば良かった、もっとこう言えば良かったと思うこともあります。その中から、本来あるべき正しいこととは何なのかということを考えます。
そうことを繰り返していくと、自分が「正しくいれる」ような気がするのです。まさに調律。
人によって調律の仕方は様々あると思います。自然の中に出掛けたり、一人でカフェで過ごしたり、家で好きな音楽を聴いていたり。
今日も素敵な日曜日をお過ごしください。心と身体の調律です。
自らInspiredされる機会を生み出せる人と、そうでない人とでは大きな違いが生まれる
在宅、リモートワークが一般的になり、会食や出張、訪問などもすべてオンラインになると、Inspiredされる場面がおのずと少なくなっていることに気づきます。
こういう言い方をすると古臭く感じるかもしれませんが、ランチMTGや夜の会食、商談や打ち合わせの雑談といったことから、いかに日常的に、無意識のうちに、インスパイアドされていたか。そういうことって本当に多かったんだなとつくづく実感します。字義どおり、感化、啓発、鼓舞、奮い立たされたり、ひらめきや刺激をもらっていたんですね。
ところが、呼吸をするように、意識しなくても刺激されていたことが、意識しなければ取り入れることができないようになってくると、ただ日々を漫然と凡庸に過ごしてしまい、タスクを消化することに精一杯で、新しいことにチャレンジしたり、何かを生み出したりすることもなく、結果として無気力感が増幅されるということになりかねません。仕事に対するモチベーションも変わり、パフォーマンスが落ちることもあるかもしれません。
そこで、これからの時代、一人ひとりが元気で健全にモチベーションを高めていくためには、それぞれが工夫して【自らインスパイアドされる機会をつくる】ということが必要です。そのためのスキルを身につけること、これがこれからの時代を生き抜く上でとても大切なことだと思っています。
まさに、リクルートの旧・社訓「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」の言葉どおりですね。勝手に入ってこないなら、自分で探しにいく、見つけにいく。
幸い、ツイッターなどのツールを使えば、有名人や専門家じゃなくても、心の中に小さくとも熱い炎を燃やした一般の方々のコシのある言葉に触れることができます。それらの言葉からひらめきや刺激を受け、また明日からがんばっていく。
今日もある技術者の方とオンライン飲み会で様々な刺激をいただきました。
自らで機会を創出していきましょう。
今までもがんばってきたけれど、ここからもう少しだけがんばりどころ。
9月に入りましたね。
ここのところ、いろんな意味で力が入る場面が多く、ちょっとしんどいなあと思っている方、いらっしゃいませんか?
僕もまさにそう。いろんな問題が目についてしまう、思いどおりに進まない、プレッシャーが掛かる場面が多い、などなど、ちょっとだけ我慢だな、正念場だなと思う場面が多くなりそうな9月です。
9月に入ると、年末まで残すところ4ヶ月。
年内を区切りにした進行案件も多いのではないでしょうか。コロナの影響でいろんなことが後ろ倒しになったり、来年が見えないことも多いですよね。計画どおりに行かないこともありますよね。やってることが正しいかどうか分からなくなりますよね。しんどいですよね。でも夏休みの宿題のように、毎日一つひとつ目先の課題をこなして行けば、そのうち余裕も出てくるというものです。
今までもがんばってきたけれど、ここからもう少しだけがんばりどころ。
さあ、もう少しです。
そのことが正しいことであれば、道は開かれる
ちょっと忙しかった今週。少し疲れた身体を癒やすべく牛タンの店へ(牛タンは癒やしの食材なのか)。
「スター選手は、正しいときに輝きを見せる」というイチローの言葉について友人と一緒に話をしていると、ビジネスシーンにおける「輝き」が = 売上・利益であるなら、正しいこととはなんなのか、ということを考えさせられます。
正しいことをやっていても、鳴かず飛ばずの時もある。正しいことをやっているのに、ジリ貧になることもある。では、正しいこと、とは何なのか。時流に乗っているから、マーケットに受け入れられているから、需要があるから、クリエイティビティだから、運が良かったから、という単純なことではなさそうなんですよね。そこに、何かありそう。
いずれにしても、昨夜の友人との会話のように、波長の一致は新しいものを生み出し、そこから生み出されたものが正しいものであるならば、利益を生む。そのように考えてまず間違いはなさそうなので、「正しさ」について次は追求して行きたいと思います。
そのことが正しいことであれば、道は開かれると考えれば、なんだか元気が出るじゃありませんか。
それでは今日も一日、がんばりましょう。
走り始めるも暑さにやられて10kmで帰ってきたという
この時期、走り始めの時間が少しでも遅くなると大変なことになりますね。
昨日、いつものように5時30分起きをしたものの、朝一番で頭がスッキリしているうちにと思って、仕事をしたり、アイロンをしたり(別に頭使わないけど)していると、あっという間に8時に。ああ、早く走りに行かねばと思って着替えてスタートした時間は8時30分。
今日は15kmくらい走れたらいいなと思っていたのですが、さすがに夏場の8時台がスタートするのは遅過ぎることは分かっています。熱中症対策をしっかりして国道の日陰にへばりつくように走り始めました。
日陰はたしかに涼しいのですが、気温がどんどん上昇してくると、さすがにバテます。ソフトフラスクに冷たい水を充填しておいて良かった。でも、分かる人には分かると思うのですが、500mlのソフトフラスクを Ultimate direction Ultra 5.0 のベストタイプのランバックの両胸に装着しているとですよ、結構ちゃんと締めていてもユッサユッサ揺れる訳ですよ。少しだけ、豊満なご婦人の贅沢なお悩みが分かったような気がします。だって、両胸で1リットルある訳ですから。
でも今回は、その持参したフラスクの水が「命の水」になりました。
火照った首筋や顔、膝などに水を掛けながら走ると随分楽なものです。なんとかごまかし、ごまかしやっていたのですが、途中でガクンとスピードダウン。結局10km地点でリタイアして電車で帰ってきました。てへぺろ。
スタートが遅れた日に向かうは、ロードではなく、山ですね!