愛媛県に行ってきました。
服部足祭りとの御縁をいただいた、大洲市にある少彦名神社への御礼参りです。
大阪府豊中市にある服部天神宮と大洲市にある少彦名神社は、ともに「少彦名命(スクナヒコナノミコト)」を御祭神としています。大国主命とともに日本の国造りに奔走された方で、医薬や温泉の神様として崇敬を集めています。大洲の少彦名神社の参籠殿の斜面に薬草がたくさん植えられているのもそういう理由からなのでしょう。
参籠殿の前に、二頭のビーグル犬を連れた男性がいました。
こんにちは、と声を掛けて保護犬だという子犬を撫でさせてもらいながら話を聞くと、元は三重県鈴鹿市のご出身で、四国のお遍路参りをしている時に地元の方と知り合い、何度か足を運ぶうちに、こっちに住めと言われて愛媛に移住されたとのことでした。
西予に樽の滝というのがあってね、そこがいいんですよ
水量が多い時は滝壺の裏側から滝を裏見することができるんです
観音様もいらっしゃるんですよ
次回来られた時にはぜひ、と教えていただきました。
表情も語り口調もとても穏やかな方で、ああ、この人は満たされているんだなと思いながら話を聞いていました。
直感的にですが、樽の滝にいけ、と言われている気がしました。
思い返せば、2021年の秋にたまたま訪れた少彦名神社で、なにかに導かれるように拝殿の裏手の崩れた階段を滑りながら登り、なぜか一時間以上も掛けて獣道のような山道を藪漕ぎしながら山頂の小さな祠にたどり着いた時は、なぜここに来たのだろう、と理由が分からなかったのですが、その半年後に服部足祭りの立ち上げのお話をいただき、2022年のプレ開催、そして2023年に二日間で1万人を集めた第一回を経て、今に至ります。(今年も10/5、6に第二回足祭りを開催します)
少彦名命の御縁なのかな、お前にできることがあるだろう、やれ、と言われたのかな。今はそのように、勝手に解釈、理解をしています。今年のお祭りの成功も祈願してきました。
樽の滝か・・・
また次の宿題をいただいた思いです。これがどんな御縁につながるのか、今は分かりませんが、この先なにかに繋がるかもしれませんね。
未来に何が起こるかなんて誰にも予測ができません。
2021年といえば、コロナ禍の真っ只中。長い闘病生活の末、1月に母が亡くなり、それもあって自分自身の人生を見つめ直し、会社を退職して独立の道を選んだのが1年後の2022年の3月でした。自分の中では大きな人生の転換点だったと思います。あれから3年。その時の決断や選択があったからこそ、今こうして自由に、幸せに、素敵な仲間やクライアントに恵まれて仕事をさせていただいているのです。
先のことなんて全然分からないけれど、日々を丁寧に謙虚に。生かされていることに感謝し、自分がお役に立てることがあれば喜んでさせていただき、大切にすべきことを大切にし、あるべき姿をぶらさずに追求する。
その積み重ねだけなのかなと思っています。
それにしても、旅先での人との出会いって素敵ですね。
下灘駅近くのお店の方々もとても親切だったし、久万高原のパンも美味しかったし、AIを学ぶ学生との交流も楽しかった。また折に触れて書き残しておきたいと思います。
「学び」カテゴリーアーカイブ
旅で出会った素敵な言葉たち
和歌山から奈良にかけて、一泊二日、六社一寺を巡りました。良い天気に恵まれ、どこに行っても気持ちの良い風と水、空気に触れ、心身共にリフレッシュできたと思います。
和歌山の鹽竈神社に、「和合の松」というものがありました。
和歌の浦特有の、波と風で侵食された岩盤と松の木が一体化したもので、どこから木でどこから岩か分からないくらい、融合、和合しているのです。
「和合」の言葉の意味について、Weblioやコトバンクを見てみると、
二つ以上のものが結合し、とけあうこと
仲よくなること、親しみ合うこと
とあります。
異質もの同士が交わり合い、融合する。排除、忌避とは正反対の概念です。実は今回の神社巡りで「和合」という言葉にふれる機会がたくさんありました。
丹生川上神社下社では、宮司さんから素敵なお話を聞くことができました。
八百万の神。白でも黒でもなく、全部「白」。まずは別け隔てなく受け入れるのが元来の日本の精神。
西洋一神教のように神か悪魔か、こちら側か向こう側か、敵か味方かではなく、受け入れ、和合する。恐らくこのような概念と歴史を持ち合わせている国は日本だけなのでしょう。
ところが、人間の歴史は戦争の歴史と言ってもいいくらい、いつの時代も戦争が起こり、今でも戦争はなくならず、弱い人々が犠牲になり、辛い思いをしている。文明や技術がいくら発達、進歩しても(いや、発達しているのか?)何も変わらない。平和とは程遠い。
グローバリゼーションは「新しい植民地主義」と言われるとおり、弱い国は様々な制限がなされ、自分たちで自分たちを養えるような農作物を作ることすら許されず、自給自足とは程遠い生活を余儀なくされています。今の日本なんて食料に関しては危機的状況でしょう?
考えれば考えるほど絶望するし、しんどくなりますよね。でも、神社巡りをすることで、絶望が希望に変わるんです。
そこには、本来のあるべき姿が残っているし、自然を敬い、命を大切にし、大切すべきものを守り、毎日感謝するという、当たり前のことを再確認できます。本来あるべき姿に戻れば、幸せに暮らせる。
人と比べたり、優劣をつけたり、競ったり、価値観を押し付けたり、否定したりするのではなく、全部「白」。かまへん、かまへん、全部まるっとオッケーでっせー、の精神で生きていければ、物があってもなくても幸せですよね。
今回巡った神社仏閣は以下のとおりです
【和歌山県】
日前神宮・國懸神宮
玉津島神社
鹽竈神社
丹生都比売神社
【奈良県】
龍泉寺
天河大弁財天社
丹生川上神社下社
素敵な出会いに感謝です。弥栄。
Instagramのアカウントの方では「神社巡り紀行」と称して、写真をアップしています。
是非ご覧ください。
数百年後の歴史家は、20〜21世紀を何時代と名付けるのだろう
関東から雨の神戸へ帰ってきました。
行きも帰りも、新幹線は外国人でいっぱい。グリーンなんて6割〜7割が外国人(白人多め)で、空席も少なめ。みんな大きなキャリケースを引っ張って移動しています。僕のようなビジネス客なんて少ないんじゃないかな。あえて混み合う朝夜は避けて、真っ昼間に乗っている、というのもあるのでしょうけど。
月に一、二度は関東出張に行っていますが、ここまで外国人が多いのも珍しい。なんでだろうと考えてたのですが、答えが分かりました。桜ですね。
ちょうど3月の終わりから4月にかけて、日本全国桜の花が咲き誇ります。日本特有のシンボリックな風景というのはいくつかあると思いますが、やはり満開の桜が一番「日本らしい」のかもしれません。桜を見ていて思うのですが、地域によっても開花度合いに差があるし、木そのものにも個体差がある。宿泊していた神奈川のホテル近くの桜はほぼ満開でしたが、打ち合わせに帰ってきた新神戸駅の桜はまだ2,3分咲きという感じでした。
さて、この時期はどこに行ってもフレッシュなスーツに身を包んだ新入社員を見かけます。
よく昭和世代、バブル世代、不景気世代、ゆとり世代、最近ではZ世代など、◯◯世代という分け方をされますが、たかだか数十年の時間軸で世代分けされていたら、日本史の年表は線だらけになるでしょう。たまに考えるのですが、数百年後から振り返った20世紀や21世紀は歴史家にとって、どんな分類をされるのでしょうかね。何時代と言われるのでしょうか。工業化時代、世界戦争時代、人口爆発時代、環境汚染時代、温暖化時代、AI時代・・・色々考えると面白いですね。
話は元に戻りますが、長い時間軸からみた今この瞬間は、老いも若きもなく、皆おなじ世代の人間です。たしかに文化風習、言葉、流行などに違いはあれど、大して変わりません。◯◯ガチャという言葉もありますが、今も昔も同じだろうと思うのです。戦争を経験している親戚のおじいさんから、「軍隊はなあ、運(うん)隊と呼ばれてたんやで。配属される部隊によっては天国か地獄。まさに運任せや」と、子供の頃に聞いたことがあります。今でいう配属ガチャですよね。
なんの因果かその時代に生まれ、同じ世代の人間と一緒に育っていく。世代間ギャップなんてあってないようなもの。いつの時代も学ぶこと、努力することは必要だし、昨日よりも今日、今日よりも明日を少しでも良くすべく、今できることをがんばって精一杯生きることだけです。こうやればうまくいくという答えもないので、自分で色々と模索しながら探して行きましょう。
4月に入りました。
これからますます良い季節になりますね。今週末が桜の見頃でしょうか。楽しみです。
自分で決めてやるしかない時代
3月も終わりが近づいてきました。
卒業式シーズンも一段落、これからは入社式、入学式、始業式と、新たな門出に胸踊る季節です。自分も独立するまでは4月1日といえば入社式でした。入社式の後は新入社員研修が続き、4月は研修シーズンでGW前にようやく落ち着くという生活でしたが、今は自分ひとりで仕事をしているので、せいぜい、支援先企業のお手伝いくらいになりました。
なんとなく、あの入社式の独特の雰囲気が今となっては懐かしく感じます。
新卒一括採用の良いところは、これといった特別なスキルや専門性がなくても、それなりに研修や教育で仕事のノウハウを教えてもらい、現場でビジネススキルを身に着け、ジョブローテで様々な職務を経験しながら一通りの仕事ができるようになることでしょう。時として、先輩や上司からの無茶振りや理不尽も経験しつつ、これらを燃料にして成長できる(させてもらえる)のです。
ここ数年、生成AIの台頭により、プロンプトを使いこなすことで仕事の生産性を上げる(CaDE-aiにリンク) ことができるようになってきましたが、新入社員にとってやはり基礎は大切。その基礎をどのように身につけることができるかというと、「学びと実践」以外にありません。
よく20代の人から「早く成長したい」「早く稼げるようになりたい」という相談を受けるのですが、そういう気持ちがある人には「一番の近道は短期集中ですよ」と伝えています。
どうせやるなら短期間に凝縮させる
例えば、新卒未経験で入った会社で3年間、慣れない仕事を覚えるために死にものぐるいで勉強し、土日も本を読み、仕事を優先した3年間と、仕事はそこそこにアフター5や週末は趣味や友達との時間に費やす3年間とでは、どちらがスキルアップのスピードが速いでしょうか。
答えは明白ですよね。前者です。
これは、どっちが良い生き方かという議論ではなくて、成長しようと思うと努力は避けて通れないということです。それゆえ「早く成長したい」と思うのであれば、短期間にその努力を集中させることが一番の近道なんです。これね、やっとくと後が楽なんですわ。将来、独立したい、リッチになりたい、多くの人の役に立ちたいと思う人は、(一部の天才は除き)できるだけ若いうちに修行だと思って努力と苦労を買ってでもやるようにしましょう。
特に最近は会社が無茶をさせてくれないので、「成長してやる!」との決意に自分でコミットしてがんばるしかありません。昔はピンからキリまで、イヤイヤでも無茶させられたので、気づくとある程度成長できていたのですが、今はやる人とやらない人で強烈な差が付いてしまいますので、大変ですよね。一応「そうじゃない生き方もある」ということは付け加えておきます。
知り合いがいない場所に積極的に出かけよう
人にとって居心地の良い環境というのは、地元の友達や学校の同級生と一緒に遊んだり、会社の同僚と飲みに行ったりすることだと思います。知った仲ですから、とても楽です。
でも成長しようと思うと、楽なメンバーとばかり一緒にいては何も得ることはできません。出来るだけ、知り合いがいない場所に出かけて色んな人から刺激や学びを得ることが大切です。これは、驚くほど成長に繋がります。
まず、知り合いがいない場所に行くと、誰も自分のことを紹介してくれません。自分から人に声を掛けなければ何も始まりませんよね。以下に場面を想定してみます。【】内はその場面で必要なスキルです。
1,初対面の人に声を掛ける【勇気、積極性】
2,その人と会話を続ける【話題の豊富さ、コミュニケーション能力】
3,その人に気に入ってもらう【思いやり、謙虚さ、気づかい】
4,その人の知り合いに紹介してもらう【好感度、さわやかさ】
【】内を見るだけでも、どれだけのスキルが必要か。4については相手が判断するものなので少し違うかもしれませんが、でも一度これらのスキルを身につけると、どこに行っても、どんな場所でも、誰とでも仲良くなることができます。もちろん、これは先天的なものではなく、やはり努力と惜しみないインプットによって獲得するものです。
その結果、居心地の良い閉じた小さな世界では出会えない属性の人々から学びや気づきを得たり、思わぬ人と繋がったり、人脈が広がって趣味や遊びや仕事の幅が広がったりするのです。ちなみに、人脈は、広げようと思って追っかけるものではなく、富や立場と同じで「結果として」ついてくるものだと思います。
4月が近づいてきたので、新入社員の方に向けて少しでもヒントになるようなことを書いてみました。昔と今は時代が違うとよく言われますが、最近のスポーツ選手の活躍やインタビューを見ていても、成功者はものすごい努力を積み重ねていますよね。見えないところでどれだけコツコツやれるかが大切なのだと思います。
自由だけど不自由、自己責任とは聞こえはいいが、事実、切り捨ての時代をどう生き延びるか、ですね。
丁寧に暮らす
Instagramストーリーズではちょこちょことアップしているのですが、丁寧に暮らすということを最近特に意識するようになりました。
ただ漫然と時間を消費するのではなく、一瞬一瞬に意味を持たせたい。人生=時間とするのであれば、スマホやPCの前で一日の大半を過ごすのはあまりに虚しい。人と比べず自分と向き合い、好きなこと、心地よいと感じることでできるだけ時間を満たし、何にでも少しのこだわりを持って楽しむ。それが人生を豊かにするんでしょうね。
子育ても仕事も落ち着いてきて、有閑な時間も出来てきた今、そんなことを考えています。
今日は最近のこだわりを少しだけ紹介させてください。
出汁を引いて味噌汁をつくる
元々料理をするのが好きで、自宅で仕事をするようになってから更にその傾向が加速しているのですが、毎朝出汁を引いて味噌汁を作るのが習慣になりました。
かつおの香りが早朝のキッチンに充満するのがなんともいえません。妻は引いた後のガラで、ふりかけを作ったりしています。無駄にもならず、美味しいんです。
鍋類もフルリニューアルし、気分も一新。
さあ、何を作ろう。
ぬか漬け
無印良品のぬか床で、きゅうり、大根、人参などを漬けてぬか漬けを作っています。元々発酵しているぬか床なのでメンテも楽だし、簡単にぬか漬けが出来ます。漬け時間で味の濃淡も変えれるし、塩分も調整しながら野菜も美味しく食べれるし。苦手な方もおられるかもしれませんが、僕は好きです。
にがりとマグネシウム
身体に良いと聞き、何にでもにがりをいれるようにしています。今まではサプリでマグネシウムや亜鉛を取っていたのですが、天然のものは良いですね。気持ち、効果が出ているような気がします。
また、風呂にはマグネシウムを入れてゆっくり浸かるようにしてから、明らかに肩こりや腰痛が良くなりました。ちょっとしたことで全然違いますね。
無心になれることをする
庭にアプローチスペースを作って、ボールをコツコツと打ってます。
無心になれる時間がいいですね。ジョギングしている時間も同じですが、単純作業の間に頭を整理する。スパゲティな回路を最適化する。仕事でボトルネックになっていた課題がスッと解決することもある。新しいアイデアが生まれることもあります。
つらつらと書いてみましたが、ちょっとしたことにこだわると楽しいですね。
もちろん「暮らしの達人」みたいな人たちに比べるとやっていることはごく初歩的で当たり前のことだとは思いますが、めんどくさいことを楽しむ余裕って大切だと思います。
結局、時間に追われたり、外的要因に振り回されて受け身になり、海に漂う流木のごとくふらふらするのではなく、自分で時間を支配している実感がほしいんでしょうね。
人生は、時間だ。
身近なところに春の訪れを感じます。
自宅の庭では、梅の花が散り、代わりに桃の花が咲き始めました。温室ではカトレアも咲いていて、季節の移ろいを感じます。ぼやぼやしているとあっという間に一年過ぎちゃうな。一瞬一瞬を大切に。
選択する力
3月に入り、寒暖の差が激しいことに加え、毎年3月からGWにかけては体調を大きく崩す時期ということもあり、いよいよ今年も本格的にやばい季節がスタートしたという感じです。
東西を仕事で行き来しながら、その合間に神社めぐりやゴルフ、ランチめぐりなどをしているのですが、体調がいつどうなるか分からず、なかなか先の予定も立てにくいところに身内の入院なども重なり、スケジュールをかなり調整させていただくことになりました。各方面、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
さて、いよいよ世の中も混沌としてきた感がありますが、経済面では株価が40,000円を突破して過去最高を更新した瞬間、また38,000円台に戻るという面白いことになっています。さらにここへ来て、時期尚早ともいえるマイナス金利政策解除のニュースもあり、今後株価は更に調整局面を迎えるでしょう。米国株も一旦頭打ち、新興国のドル離れもあり、上昇機運に乗っかってジャンピングキャッチしてしまった方、新NISAをスタートした方は、少ししんどい一年になるかもしれません。
いつも思うのですが、「こうすれば大丈夫」というテンプレートが何もない世の中において、マスコミや有識者、人の言うことはあてにできず、自分の身は自分で守るということがより求められています。攻略難度が年々高くなっているRPGの主人公のように、自分の選択を自分で信じるしかない。そのために「選択する力」をどう養うか。これに尽きるわけです。
マズローは、選択には、成長の選択と、退行の選択の二種類があると説いています。
成長の選択 = 自己実現に近づくけれども、当面、苦労する選択肢
退行の選択 = 自己実現からは遠ざかるけれども、当面、楽な選択肢
退行の選択は、安全や依存と結び付けられることもあります。セーフティゾーンから出たくないというのは、安全への欲求の裏返しだし、当面楽な選択ですが、それは自己実現から遠のいていくことになるかもしれません。人間として生きている以上、将来後悔しないために、一歩踏み出す勇気が求められるということです。
また、その選択をするためには、やはり物事の本質を見る力と抽象化能力が求められると思っています。抽象化能力って、意外と歴史を学ぶことで培われるものだと思っているのですが、それは、歴史を学べば、人間は同じことを繰り返しているだけだということが分かるからなんですね。
貧しい時代は子がたくさん生まれ(その代わり平均寿命も短い)きれいなピラミッド型の人口構成図になります。産めや増やせやで、経済が発展します。そしてある程度豊かになると出生率は低下して、高齢化が進み、人口は減少します。どんな王朝も政治形態も、成長期、安定期、衰退期を繰り返してきました。
人間が人間である以上、これが正解というのはない。そもそも、自然災害や戦争や食糧危機のリスクも含めて、いつどうなるか分からない時代にセーフティーゾーンはどこにも存在しないので、結局は「成長の選択」をしなければならないことになるんですよね。
どうせやるなら、思い切って。
選択する力、自分で自問自答する毎日です。
ビジネスの順調さとは裏腹に、いかんせん身体が思うように言うことを聞いてくれないこともあり、日々もどかしい思いをしている中で、選択する力について考えながら、自らを奮い立たせている今日この頃です。
調査結果:70歳以降働く人、最多の39%を受けて
2月中旬の日経新聞のトップに「70歳以降働く 最多39%」という記事が出ました。
将来に対する不安については「生活資金など経済面」が7割で、健康面の不安を上回ったということです。高齢になっても働く意思を持つということは素晴らしいですが、その理由が「経済的な問題」というのも、いかにも日本の状況を表しているといえます。
もっとも、自分の周りには気持ちも若く、経済的な事情というよりは、社会に貢献したい!という気持ちで定年を超えてもいきいきと働いている方もたくさん知っています。
人生100年時代。寿命が伸びたは良いが、普通にサラリーマンをしていると55歳をピークに給料は下がり、60歳で定年を迎え、雇用延長して働けたとしても65歳まで。定年引き上げで70歳まで働けたとしても、そこから15年、20年をどうしていくか。子供がいてもいなくても、自分の生活は自分でなんとかしていかなくてはならない。年金だけでは足りないし、いつまで貰えるかどうかも分からない。日本社会はシュリンクするのが見えているので、これから先が不安・・・というのが数字に出ているのでしょう。
仕事につけるかつけないかは、需要と供給に依存しますが、シニアになると転職や再就職がしにくいのも現実です。最近はリスキル、リカレント教育など、学び直しがフォーカスされることも多いですが、何を学べば良いのかと相談を受けることがあります。
新卒で入社した企業でずっと生きてきて、50を過ぎて何か新しいことを初めようとすることには高いハードルがありますし、プログラミングやコーディングの勉強を今からやるには遅すぎる。独立起業を考えても、人を雇うお金もない、サービスを開発したいけど元手がない、というのもよく聞きます。
生成AIが一般の人にも広く知られるようになってきました。
今では、普通に使いこなしている人も多くいます。実際、僕自身も議事録や提案書の草案はGPTにしてもらって、内容を確認してちょこちょこと手入れをしたり、データを放り込んで分析してもらったり、色々と活用しています。仕事の相談相手にもなってくれますしね。
このようなライトな使い方だけでなく、自分のスタッフのように使いこなすことができるのがAI時代なんですよね。なので、今後は転職や起業に、生成AIを使いこなすことが必須になると思います。変に興味が持てない、興味が沸かないことをやるより、生成AIのプロンプトを学んだほうがいいと個人的に思っています。ほんと、何でもできます。
でも、実際、何から着手して良いか分かりませんよね。自分が少しお手伝いさせてもらっている自然言語解析ベンチャーの新サービスをご紹介します。初心者でもChatGPTを使いこなせるようになる、実践型のeラーニング教材です。もし興味がある方はぜひご覧ください。
「習うより慣れよ ChatGPT初級実践講座」
https://www.cade-ai.com/onlinelesson
【活用例】
企業の社員研修
ミドル・シニア向けの研修プログラム
現場で生成AIを使用して業務効率を向上したい個人の方
セカンドキャリアを見据え、今から生成AIを使いこなして起業や転職に活かしたい方
これからの仕事は、ポータブルスキルに加えて、生成AIと友達になること、この2つがキーワードですね。
それにしても、予測しにくい世の中になってきました。もうほんと難しい。
でも、明るい未来が来るのを待つのではなく、自分たちで作っていかなければならない。前向きに、考えていきたいものです。
空腹の生き物と、満腹の生き物ではどちらが強いか
鈍ってきたなと思うことが多々あります。
頭の回転も、体力も、気力も。
年齢の問題もあるかもしれませんが、色んな意味で満たされてきたのかもしれません。若い頃は足りないことばかりで、自分に対しても、周りに対しても「もっとこうしたい」「もっとこうあるべき」という気持ちが強く、その満たされない思い(ハングリー精神)から、色々な考えを発信し、遅くまで飲みながら仲間たちと話し込み、仕事もプライベートも、睡眠時間を削りながらがむしゃらにがんばってきたと思うのです。
ところが、人生経験もある程度積んできて(「ある程度」というところがポイントです)、経済的にも社会的にも満たされつつも、一方で、なんとなく社会や経済の仕組み、金儲けの仕方、組織や人の在り方と限界、理想と現実の間に存在するギャップ、長い歴史から見る人間の営みと愚かさ、栄枯盛衰などについて理解してくると、まあ、こんなもんかなと、すべてを受け入れられるようになってくる。
良い意味でいうと、角が取れてくる。
角が取れると、自分に出来ることと出来ないことがはっきり分かるし、出来ないことは素直に「出来ない」と認めて、出来る人に任せれるようになるし、出来る人が羨ましいとも思わなくなる。逆に、出来ないことはどんどん手放し、ストレスフルな環境から離れ、人生の最適化を行うようになるんですよね。
これって、とてもストレスフリーなんです。ある意味とっても幸せな状態。でも角がないので、全部受け入れられる状態になり、色々な意味で鈍ってくるのと、生き物として「弱い」んです。満腹状態の動物って、空腹の動物と喧嘩したら負けるのは明らかなのですから。腹が減っては戦はできぬ、ではなく、腹が減っているから戦をする、なんでしょうね。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれている人々のように、明治維新で国家が誕生し、ちょんまげだった民衆や畑仕事をしていた農民が、慣れない「国民」となり、無理やり近代化を急速に推し進めていきながら日露戦争に勝利したのは飽くなきハングリー精神の賜物だし、戦後の焼け野原から高度成長期を経て世界第二位の経済大国になったのも「腹いっぱい食いたい」との思いからだったに違いありません。でも一旦満たされると、あとは衰退の一途をたどってしまう。諸行無常、栄枯盛衰ですね。
人間、ある程度「腹が減っている」状態の方がいい。がんばれる。
不条理に対して「なんでやねん」と食って掛かるくらいの気持ちをいかに持ち続けることができるか。実力も結果も全然伴っていない若者が「こうあるべき」「こうしたら成功する」と発信しているのを見て、いや何も分かってないな〜とは全然思わないんです。満たされていないことは、強さだ。
じゃあ、自分はどうなのか。何に対してアツくなれるのか。今年はどういうテーマでがんばろうかと思っていましたが、アツくなれるものを探すのが一つのテーマになりそうです。
ここはかつて温泉街だった
自宅から、昭和初期の苦楽園二番町付近の住宅地図が出てきました。
地図の上部に「六甲三楽園、六甲苦楽園 住宅経営地」と書かれています。
現在の苦楽園バス停がある山椒橋(現在は、三笑橋)を中心に、この地図には今は跡形もなくなってしまった旅館やホテルなどが記載されています。
僕は、自分が生まれ育った西宮市苦楽園が明治末期から昭和の初期までラジウム温泉街として栄えていた、ということは知っていたのですが、実際、どこにどのような旅館があったのかということは知りませんでした。
この地図を見ると、大観楼、松雲楼、長春楼といった旅館や、当時の社交場だった六甲ホテルの記載もあります。ちょうど自宅がある場所が、山椒橋と松雲楼の間くらいにありますので、ここも元は旅館の敷地だったということが分かります。
また興味深いことに、地図の上部には、阪神西宮駅から苦楽園までを繋ぐ「摂津電気軌道予定線」という線路も描かれています。そう、かつてこの苦楽園の山上まで電車を通そうという計画もあったんですよね(それも聞いたことがあります)。土地勘のある方は分かると思いますが、あの急勾配をどうやって電車通すの?と思われるかもしれませんが・・・もしかすると麓からはケーブルカーを敷設する計画だったのかもしれません。
この地の歴史については、「西宮ペディア 苦楽園ラジウム温泉」に詳しく書かれています。このサイトにも我が家にあるのと同じ地図が掲載されていました。
苦楽園ラジウム温泉には、多くの著名人が訪れ、当時の写真には、大隈重信や、犬養毅の奥様が人力車のようなものに乗って温泉に療養に訪れている写真も残されています。また、関東大震災から逃れてきた谷崎潤一郎が滞在していたのは、菊水館や萬衆館だったようです。
下の地図を見ると、「山上プール」の上に小さく「稲荷神社」とありますが、ここは今の苦楽園神社ですね。苦楽園神社には、清瀧龍王、大国龍命の石があり、南無阿弥陀仏と書かれた石碑の下には「豊受大神・三玉大神・蚕玉大神」と彫られています。苦楽園神社は、清瀧龍王(おそらく、善女龍王と清瀧権現=瀬織津姫がごっちゃになったものと思われます・・・)と、なんと伊勢神宮外宮の「豊受大神」が鎮座しているのは、個人的に胸アツなのですが、いずれにしても神仏習合の名残でしょうね。
郷土史って面白いですね。
かつて栄えた温泉地も、昭和13年の集中豪雨による阪神大水害で大打撃をうけたことで温泉が出なくなったこと、そして、戦争へ向かう世の中で次第に廃れ、今の閑静な住宅街となっていったことが分かります。
とはいえ、自宅の庭に残る石垣や、1995年の阪神・淡路大震災で半壊するまで残っていた実家のかつての姿をみると、ここが温泉地だった名残が今も残されていることが分かります。
100年前は温泉地だったところも、今は住宅地になりました。
これから100年先はどうなるのでしょうね。
僕と村上さんの間に、48万8千枚の歴史が存在した
先日、神戸のピノッキオ(PINOCCHIO)というピザ・レストランに行きました。ここは1962年創業の老舗で、水を使わずにミルクのみで生地を仕上げることで有名です。
60年の歴史を感じる佇まい。お店の外観も店内もレトロな雰囲気で、多くの方に愛されてきたんだなと感じます。神戸にはこのような歴史のある洋食屋やバーが数多くあります。
僕は事前にお店の情報を調べずに行くタイプなのですが、席についてはじめて、ここのピザには創業以来のロットナンバーが付与されているということが分かりました。焼き立てのピザが、番号が記された紙とともにテーブルに届けられました。そして、僕が注文したピザは1,446,872枚目ということでした。
ご一緒した方が「このお店、村上春樹の作品に出てくるようですよ」とおっしゃるので、その場で調べてみると、確かに「辺境・近境」の最後の章、「神戸まで歩く」に登場する。そういえばそんな一文があったかな・・・すっかり忘れていました。
僕は村上さんのエッセイが好きで、ほとんどの作品を読んでいるのですが「辺境・近境」もその一つです。帰宅して久しぶりに手にとってみようかと本を探すと、自室の本棚にちゃんと立てかけてありました。
運ばれてきたシーフード・ピザには「あなたの召し上がるピザは、当店の958,816枚目のピザです」という小さな紙片がついている。その数字の意味がしばらくのあいだうまく呑み込めない。958,816? 僕はそこにいったいどのようなメッセージを読みとるべきなのだろう?
「辺境・近境」村上春樹
「辺境・近境」に記されているように、村上さんが食したピザは958,816枚目。阪神大震災が1995年で、その2年後に旅したとありますから、1997年にこのお店を訪れたとすると、それから約26年後に僕がこの場に来ている訳です。村上さんから僕に至るまで、48万8千枚のピザが食されたということですよね。
村上さんは大学に入るまで過ごした阪神間や神戸の街が、1995年の大震災でどのように変わったのかを見るために西宮から神戸まで歩いたとあります。僕も被災した時は18歳で、そこから29年が過ぎました。明日1月17日は、阪神淡路大震災から29年を迎える日です。
そんな時に、結果的に「聖地巡礼」となったのはなにか意味があるのでしょうか。
日々忙しくしていると、目先のことにだけに意識が集中しがちで、本の内容すら忘れていました。こうしてたまに時間を取り、小説やエッセイの世界に飛び込んでみるのも良いですね。仕事や研究に必要な本は読んでいるものの、娯楽としての本は読んでいなかったな。
色々悩んでいた時は、常に本の世界に逃げていた自分もいます。それは知識を増やすためではなく、今、この場から違うところに逃げる手段として使っていたのかもしれません。そう考えると、当時に比べれば悩みは軽減され、自分の思い描いていたような人生を歩むことができているのかもしれませんが、やはり心の栄養のために、こうした時間は必要ですね。