一つ肩の荷が降りた気分

先日、ようやくファイザー製ワクチン2回目の接種が終わりました。
その後の二日間は特に大きな発熱もなく、少しの頭痛と倦怠感はあったもののほぼ通常どおりの生活ができ、仕事にも支障をきたすことはありませんでした。良かった良かった。

こうして無事に二回目を終えると、なんだか肩の荷が降りた気分になります。やるべきことをやったという感じ。今後ワクチンパスポートも流通するかもしれないし、そうなると今ストップしている海外出張などにも行けるようになるかもしれない。

僕は比較的後ろの方の順番でしたけど、やはり打っておいて良かったと思うのです。ワクチンの効果は別にして。もちろん、打たない自由もあるとは思います。

緊急事態宣言も明け、お陰さまで仕事の方も忙しくなってきました。今は出社するよりも在宅ワークの方が多いのですが、ほんとどこにいても仕事ができる今の時代、良いですよね。

こんな時期ですけれど、あちこちで粛々と研究開発は進み、ビジネスも進んでいます。何も停滞していないし、日々新しい技術が開発されている。なんだかんだ言ってすごいよなあ、社会というものは。金利上昇、テーパリング、米国デフォルト危機の影響で株価は軒並み下落していますけれど、足元をしっかりみて出来ることを日々積み重ねていくと良いことありますよ。

それでは明日もがんばりましょう。

インパネはタブレット一枚、スマホで制御

今日は納車日。

3年乗ったSUVから、同じメーカーのほぼ同じグレードのSUVへの乗り換えです。わずか3年とはいえ、その間に車も進化するもので。

特に驚いたのはインパネが細長いタブレット一枚になっていること。

奥行きがなく、ペラペラの板一枚。
左側のタブレットはタッチパネルで操作。奥行きがないことに慣れてしまえば便利なのは便利です。テスラは最初から縦長のタブレット一枚でしたけど、他メーカーも追随していますね。

今の車はインターネットで接続されており、それが故に「コネクテッド・カー」とも呼ばれていますが、もうひとつの進化は、スマホの専用アプリからの制御。

車の位置情報の取得はもちろんのこと、ドアのロックの開け締め、ウインドウの開け締めまでスマホから遠隔操作で行えます。ライトを点灯させることもできるし、燃料の残量や走行距離、ウォッシャー液、タイヤの空気圧、ブレーキオイルの状態まで確認可能。

まさにコネクテッド・カーですね。内燃機関を積んでいるとはいえ、もはや自動車は走るコンピューター。これが故に半導体、IC、ハーネス、ケーブル、コネクタ、ワイヤレスモジュールなどの部品が大量に使われるようになってきました。逆に、昨今の半導体不足など供給の問題が発生すれば、一部の機能を削減して販売するなど臨機応変な対応も可能なわけです。

とはいえ、シンプルではないなあ。
システムとしては複雑だし、コネクテッドなゆえにセキュリティリスクとも背中合わせ。

今日もラウンド中にゴルフ仲間が「70歳越えたら車運転してゴルフ場なんて行けなくなるよね」と言っていたのですが、いやいや、20年先なんて車は全部自動化されてますよ、形もどうなっているか分からないし、と話をしていました。

実際、車や移動方法も形を変えているでしょうね。人が運転するということはなくなっていると思います。間違いなく。

信念があれば越えて行ける。

それがたとえ高過ぎる山だと感じても。
信念を信じて、越えて行く。信念があれば、越えて行ける。

今日はそんなことを考えさせられた一日でした。

まずは、ドイツの最長トレイルレース「megarace 2021」に出場され、10日以上かけて今日の夕方にゴールされたアドベンチャーランナー北田雄夫さん。なんと総距離1001km (実際は1003kmとも1004kmとも・・・) のトレイルを無事完走されました。本当におめでとうございます。

毎日、GPSと連動したマップで位置を確認していましたが、とてつもなく長い距離を少しづつ、少しづつ、しかし着実に進んで行かれる姿を見、さらに今日の感動のゴールを映像で目の当たりにして、人間の持つ強さを垣間見た気がします。


さて自分はどうか。自分ならどうするか。

人は誰でも目の前に大きな山が立ちはだかった時に悩み、尻込みするものです。

真剣に生きていれば、越えれそうにない壁に直面することもあるし、登り始めるとあまりのしんどさに途中で止めようかと思うこともある。見えない明日に不安になって寝れないこともある。それでも前に進まなければならない時がある。

気が狂いそうなくらい悩みつつも、なんとか自分を信じ、自分の信念を信じて進む。たとえ人にどう思われようが、反発を受けようが、身体がどれだけ痛かろうが、信念を持って突き進む。

自分もこれからが人生の勝負どころ。

自分はどこまで出来るだろう。
さて、やってやろうじゃないか。

年を重ねたからこそ分かる感覚って面白い

素麺の味なんて、若い頃は分かりませんでした。どれを食べても味は同じだし、ガッツリ食べた感がないし、夏休み中の母の(言い方は悪いけれど)手抜き料理の一つくらいにしか思ってなかったのです。

でも、今、素麺好きだなあ・・・本当に美味しい。
どの素麺も好きだけど、やはり関西にいるので奈良の三輪素麺が好きです。しっかりコシがあって、歯ごたえがあって、風味が良い。

いつもゴルフ場に行く道すがらに素通りしがちな奈良駅前ですが、先日やっぱり素麺が食べたくなってお店に入り、注文しました。美味しいなあ。自宅用に素麺も買って帰りました。

素麺、蕎麦、湯葉、みょうが・・・
大人になって、というより、年を重ねて分かる味があるし、自分の好みも変わっていきます。本当に、毎年、毎年、新しい発見がある。今まで気にもしなかったことに興味を持ったり。

こういうの、本当に面白いですね。
また来年、そしてこれから先に新たな発見があるかと思うと、ワクワクします。

というわけで、今日も新しい世界が広がりますように。
毎日ワクワク!

焦らなくて良いです、みんなだいたい同じようなものですから

ずっと順調そうに見えていても、好不調の波はあるもの。

不調の時はそのまま不調でいいよね、と、年々考えるようになって来ました。若い頃は気合と根性でなんとかなっていたものが、もがいてもどうにもならない時がある、という事実を知ってしまったからかもしれません。自分は自分、人は人、という違いをちゃんと受け入れることもできるようになった。だから羨ましいと思うことも、逆に自分を卑下することもなくなった。

これって撤退戦に見えて、実は進歩しているのかもしれないのです。

世の中の多くの人は、メディアやSNSで流れてくる情報をみて、それがすべてだと思いがち。世の中にはすごい人がたくさんいるなあ、って思っているでしょう。みんなすごいよなって。でも、SNSを始め、表向きに語られること成功話のほとんどは「盛られて」いますから。肩書なんて自分でいくらでも自由に作れるので、能力の証明にはならないし、SNS上で目立っているからといって成果を上げていることにもならない。

先日、誰もしないお金の話(2021/08/26)という記事を投稿しましたが、実際に儲かっているの?成果出ているの?という点に疑問を感じることが多いのです。組織論や人材育成、成功哲学を声高に語る人に限って、一人会社の一人社長だったりすることが本当に多いし(それが悪いとは言いません)、別に大きいことが偉いというつもりは全くありませんが、実はそんな「すごい人」っていないんです。

ですから、大丈夫。だいたいみんな同じようなものだから。

ただ、少しだけ言い方を変えると、「すごい人はいない」のではなく「すごい人は表に出てこないこと」が多いのは事実。

僕がいつもゴルフ場で学んでいることの一つに、本物の資産家、成功者は表に出ないという点があります。自分では絶対に言わないから分からないのです。でも、とんでもない人がゴロゴロいる。マジで。それは資産的にも能力的にも実績的にも、です。

少し話がそれてしまいましたが、だからこそ、人のことは気にしない。みんなだいたい同じようなもの。好不調があって当然じゃないですか。良い時はがんばり、悪い時は流れに身を任せて浮上のタイミングを待つ。

その代わり、自分が「どこを見ているか」は常に意識する。自分が思う正しいと思う形はなんなのか、どうあればよいのか、向かう先はどこなのか、そのためにどうすればよいのか。この精度を上げるために質の高いインプットを続け、磨いていく。なんとかそこからフォーカスをぶらさなければ、きっと自分の理想の形に少しづつでも近づけると思うんです。

だから焦らなくても大丈夫。
一歩一歩ゆっくりでも進んでいれば、ゴールに近づいていきますから。

こんな風に自分に言い聞かせています。

空を見れば季節が分かる

朝晩が涼しくなりました。
季節の移ろいは、空を見れば分かりますね。これから一番好きな季節がやってきます。

笑うと免疫力が上がるといいますよね。
面白いことがあってもなくても、わっはっはと笑うようにしています。

不思議と元気が出ます。

車の乗り換えで知る、半導体不足のリアル

マイカーの乗り換え時期となりました。

同じメーカーのほぼ同じモデルでの乗り換えですから、カタログを集めることも、いろんなディーラーを回ることもありません。乗り換えに掛かる手間を完全に省いています。

なんだろう、この年齢になるとあれこれ乗ってみたいという欲求がなくなるんですよね・・・今乗っている車がとても気に入っているというのもあるので、他に目移りしないってのもある。良い意味での探究心がないので技術分野に居る人間にとって良くないのかもしれませんけど、できるだけ選択肢を少なくして余分なストレスを排除するというライフスタイルになってきました。

それは別として、問題は、昨今の半導体不足による車の在庫状況と納期。

国産車、輸入車問わず、減産・調整傾向にある状況を、エレクトロニクス業界にいて目の当たりにしていますので、何ヶ月も前にディーラーの担当者とやり取りしながら、一台在庫を確保してもらっていたのです。人気車種らしく、あっという間に在庫もなくなり「早めに押さえておいて良かったです」とのことでした。

しかし、半導体不足は深刻です。

もちろんカーメーカーは生産停止することができないので、いろんな機能を削減して車をなんとか生産しています。たとえば、シートベルトの自動アジャスト機能を削除したり、TVのチューナーをオプション化して年間利用料のサブスクで課金したり。機能削減を実施しても価格は変わらないので、実質値上げですね。今、新車も中古車も不足しているので値引きすらできない状況らしいです。今回の半導体不足は昔のタイの洪水被害や、東日本大震災など一部の地域の問題ではなく、世界全体の問題ですので、解消までにまだあと数年はかかるでしょうね。

今の車は走るコンピュータ。
半導体を始め、部品不足は命取り。

この時代の車なら、金型屋さん、板金屋さん、旋盤加工屋さんががんばればなんとかなったようなものなのでしょうけどね。

複雑化するシステムは世の中を便利にもするし、複雑にもします。

目の前で起こる小さな幸せをすべてパワーに変えていきたい

長い人生、いろんなことがあるよね、明けない夜はないよね、と自分に言い聞かせながらの今週です。

というのも、なぜだか今週に入って持病のリウマチとメニエールが猛威を振るい出して体調がすこぶる悪く、思うように身体が動かないし、動けない。めまいで汗びっしょり。全身寒気がして発熱(コロナじゃないですよ)。関節は痛み。仕事に穴を開ける訳にはいかないので石にかじりつくようにPCに張り付いて仕事はこなすのだけど、まあ、しんどいものです、本当に。

こんな身体と何年も付き合っているので、健康のありがたみは人の何倍も分かっているつもり。改めて、みなさん健康は本当に宝です。健康な方、どうぞそのまま健康でいてください。

そんな日々の中では、目の前で起こる小さな幸せをすべて自分のパワーに変えるように意識しています。例えば、在宅ワークの期間、少しでも元気な時は庭に出て水やりをするのですが、猛暑の中でもがんばって力強く咲く花からパワーももらっています。

みんな、たくましいな!

先週末のゴルフでは、同伴の外国人エグゼクティブM氏が、人生2回目というホールインワンを達成!Congrats!自分のことのように嬉しい!

人の偉業を自分のパワーに。笑

低気圧病クラスタの皆さんも、昨日、今日しんどいでしょう。
あともう少しの辛抱ですね!

こうして、なんとか一日一日こなしていけば、そのうちスッと浮上する。
その浮上の瞬間をイメージしながら、毎日がんばりましょう。

誰もしないお金の話

世の中的に、お金の話ってタブー視されがちです。

世の中はお金で回っているのに、それを表立って語ることは「卑しい」「下品」と思われがち。仕事にフォーカスすると、この会社は本当に儲かっているのかな、この人は本当に稼げているのかな、と思うことはあれど、それを口にすることは否とされる。

一方でやりがいや動機、哲学、心の豊かさは重要視されるし、それを声高にアピールする人も多い。もちろん、後者はとても素晴らしいことなんですけれどね。でも「思い」だけで本当にみんな、ちゃんと満たされているのだろうか。

信念がいくら立派で、気合と根性が輝くものであっても、仕事(対価として報酬、給料が貰えるもの)である以上は稼げないと意味がない。趣味やボランティアなら別と言っても、趣味やボランティアもある意味、お金がないとできないことです。ではなぜ、お金は嫌われるのか。

そんな中、noteで、このような記事を見つけました。
「多様性のある社会で、お金の価値がやけに高くなる理由」

詳しくはリンク先の記事を是非読んでいただければと思うのですが、お金や数字は多様性のある社会での共通言語であるという前提から、「お金はすべてをフラットにする」(=多様な価値観を一本化して比較できる)という表現があり、同意しました。

だからこそ、お金は嫌われるんだな、と。お金は、というより、お金でモノを測ることが嫌われる、の方が正しいかもしれません。自分がとても大切にしているものがあるとして、それをお金に換算すると「0円」と判断されるとそりゃ嫌ですもん。ほっといてくれ、これは世の中的には無価値であったとしても僕にとっては宝物なんだ、と言いたくなりますもんね。

話を元に戻して「仕事にフォーカス」してみます。

仕事という言葉も幅広いですが、先に述べたように「報酬としてお金がもらえる」仕事に特化してみると、人はなぜ働くのか、会社はなぜ存在するのか。この質問に対してまず出てくる答えは「生活費を稼ぐため」であり、その次に、やりがい、チャレンジ、製品・サービスを広めたい、仲間と一緒に、など抽象的なものがあるのではないでしょうか。たまにその逆で、自分がしたいことをして、その結果お金がついてくれば良い、という人もいますが、もしついて来なければよほどの資産がない限り長続きしないでしょうし。

であれば、やっぱりちゃんとお金の話をしないとな、と思うんですよね。

会社は会社の財務状況、財布の中身を明らかにする。
従業員であれば、雇用者と給料の話をする。
勉強のために、少額でも株式投資や積立NISAなどにお金を投じてみる。

見て見ぬ振りをするのではなく、また、経済学や財政論、経営管理論など仕組みの話ではなく、生身の金とちゃんと向き合うことによって、色々な悩みが解消されるかもしれません。人類共通の関心事であり、悩みなのに、お金についてちゃんと語られることが少ないように感じられますから。

色々ある世の中ですけれど、穏やかに、健やかに、機嫌良く

どうせ生きてるなら、毎日機嫌良く過ごしたいものです。

このご時世ですから、今まで上手にできていたことが出来なくなったり、行動も制限されたり、それによってストレスも溜まることもあるでしょう。

だからなのか分かりませんが、メディアのニュースやツイッターなどを見ていても、なにかと文句、不平、不満、嫉妬が多くなっているような気がするんですよね。言葉も強めですしね。強く攻撃的な言葉は人を弱く見せるってことにも気付かないくらい、色々と余裕がないのかもしれません。

まあ、そんなものばかり見ていても仕方ないので、僕はできるだけ自分にとって「あまり良くないよな」って思うものからは遠ざかり、心地良いと感じるものの側にいるようにしています。

ほら、ちょっとしたことでも見方を変えればバラ色だし、ハンバーグに目玉焼きを2つも乗せちゃえばめちゃくちゃハッピーになるじゃないですか。自分の機嫌はちゃんと自分で取れるのです。

色々ある世の中ですけど、穏やかに、健やかに、機嫌良く。