共に学んで議論できる幸せ

今年からほぼ毎月のように参加させていただいている経済・政策勉強会。

東京発信ですが、オンライン開催ということで全国から国家・地方公務員、議員、教員、各分野で活躍するビジネスマン、現役学生など様々な分野の方が集まり、母校の経済学部の先生が中心となって行われている勉強会です。

月に一度、各分野の実務家の先生方をお招きして講演やパネルディスカッションが開催されているのですが、今日は参議院予算委員会調査室の先生のご講演でした。今年一年の振り返りと今後の予算政策について包括的に学ぶことができました。自分としては経済学の観点から「分配」のあり方について疑問を感じており、今回の55兆円という極めて大規模な経済対策の効果についても?と感じざるをえない中、改めて国としての動きを知り、本当にこの国大丈夫なのかなと不安に。というのも、財政健全化は今の永田町ではタブー視されており、当面の止血としてのバラマキ(およびその方法)のみが議論され、5年、10年先はおろか未来の国のあり方が議論されていないというのです。ほんとどうするんだろ。

米国ではテーパリングが発表され、金利引き締め=財政健全化の指針が少なくともロードマップ上で示されています。まあ、緩和したなら引き締めるというのは当然のことですよね。お金刷って金利下げれば良いというのは、一時的な止血方法にしか過ぎませんから。ただ、テーパリング発表とオミクロン株、さらに年末のタックスロスセリングも相まって米国株が大暴落しており、ここ数日、自分も涙目な状態ではありますが(笑)、まあ、長い目で見たらそっちの方が健全ですよね。

解決策の有無や方法はどうあれ、いずれにしても今後、日本が非常に厳しい状態になるのは目に見えています。一市民としてどうすることもできませんが、少なくとも、このような勉強会を通して全国の「学友」の皆さんと一つのテーマについて議論するだけでも、とても価値のあることだと思っていますし、今まで知り得なかった方々と親しくなれるのも嬉しいです。

学べる喜び、学べる幸せ。
日々感謝しながら、自分の考えを確立している最中です。

今朝のランニング風景

夜間飛行からの日常ルーティーン

久しぶりに夜間飛行。

夜のフライトは美しい夜景を楽しめる反面、一度海に出てしまうとほとんど何も見えないというデメリットもあります。まあ、国内の移動ですから、寝ていればすぐに目的地に到着するんですけどね。

往復とも、減便の影響で満席のフライトとなりました。通常ダイヤから間引いて運行しているので満席は当然。利用させてもらう者としては各航空会社にはがんばっていただきたいので、フライト変更や満席なんてなんのその。がんばれ航空会社さん。

家事全般が好きなもので。

お金を稼ぐ仕事よりも家事の方が本来は向いているなあと若い頃からずっと思い続けているし実際そうなのですけどね。そんなことを考えながらのアイロンがけ。

何も考えずに無心で取り組める瞬間が良いですね。

そういう意味では洗濯も、料理を作るのも同じ。物干し竿に洗濯物を干したり、野菜の皮をむくのも、煮たり焼いたりするのも無心になれる時間。食器洗いも食洗機を使うのはあまり好きではなく、ついつい手洗いしてしまうのも同じ理由です。

今、自分の中でいくつか課題があって、その課題に向かうためには何にも邪魔されない静かな時間が必要になってきます。基本的には、自分の限られたリソースをどこに集中させるかを考えています。そしてこれからの自分の歩み方も、今回の旅でなんとなくおぼろげに見えてきました。今まで考えもしなかったことが現実になるかもしれない。意外と身近なところにヒントはあったのです。

この二年くらいもがき苦しんでいますが、すっと抜けるまでもう少しかな。

戻ってほしいことと戻ってほしくないこと

週の半ば。おかげ様で朝から晩まで終わらぬ仕事に追われて忙しくさせてもらっています。どうしてもコロナ前後で考えてしまうのですが、コロナ前の方が良かったことっていうと、やはり渡航の自由と顧客訪問の自由さ。

経済界の要望で海外からの入国隔離期間が14日間から3日間に短縮されたとはいえ、空港へは受け入れ側が迎えに行って期間中ずっと帯同しなければならないし、残りの7日間は事前に提出した行動予定表に基づいて行動、PCR検査も3日に一回受けなければならないって、制限緩和ではない気がします。自分が海外出張できないのはまあ良しとして、技術フォローで海外から人が来ないと仕事にならないような場合、手続きが本当にめんどくさい。制限は良いとして、ちゃんと効果がある制限、意味にある制限にしてほしいものです。

コロナ前後といえば、感染対策によってもたされたリモートワーク。

人事界隈で言われているのは「ほとんどの業務がリモートワークで何の問題もなく進めることができることが実証された」ということ。うちの会社もそうですが、G-SUITEとSlackを導入している時点で、PCがあってネットさえ繋がっていれば、コミュニケーションを取りながら何の問題もなく「仕事」が出来るわけです。

ドキュメントをクラウドで共有し、カレンダーで全員の予定を確認し、backlog等のツールでプロジェクトの進捗を確認。Slackで仕事のやり取りや相談。実はほとんどの企業で、リモートはすでに準備万端だったってわけですよね。今後は、オンラインの良さを残しつつ、必要時は出社、など、選択的になっていくでしょう。そんな中で行動制限同様、しっかりとした意味と効果を提出できずに「出社に戻します」という動きは多くの人の同意を得られないでしょうね。

ただ、やっぱり、仕事はリモートOKだったとしても、社外交流はオンラインよりもリアルだと思います。昨夜はグローバル人事塾の第155回が池袋で開催されたのですが、久しぶりのリアル回、やはりライブはいいですね。

感染防止対策をしての懇親会。
会社や所属の枠を超えた学びの交流。

関東入りと時期が重なったため、久しぶりに仲間たちと顔をあわせて楽しく、爆笑のひとときを過ごすことができました。

こればかりはオンラインでは実現できない、リアルの醍醐味です。

心地良いことを追求する自由と、自由を手に入れるための努力

今が一年で一番好きな季節です。ランニングをしていても、ゴルフに行っても、金木犀の香りはするし、紅葉は美しいし。気圧も安定しているので、体調も快調です。

昨日のラウンド

秋って、陽の入り方と空の高さがなんとも心地良くて。

素敵だな、きれいだなと思ったらすぐにポケットのスマートフォンを取り出しては写真に収める。その中から選りすぐりをインスタなどで共有。

カメラ付き携帯の発明は人の暮らしを変えましたよね。

心地の良いものに囲まれていると、そうでないものが、より「心地悪いもの」として際立ちます。自分と自分がいる環境が心地良ければ心地良いほど、そうでないものとのコントラストがはっきりくっきりするのです。

悲しいかな、世の中というものはそんなに甘くなくて、大人の事情というものがあり、付き合いたくない人と付き合わなければならなかったり、好きでもない仕事をしたり、満員の通勤電車に乗らなければならなかったりして、「心地悪い」ものを生活の中に取り入れなければなりません。

これが人生だ
すべて修行だ
人間力が向上する
苦労の先に成功がある
ここを乗り越えた時に、新しい発見がある
嫌なことを糧にして、自己成長につなげよう
苦労すればするほど、成功に近づく
人としての器が広がる
弱い人の気持ちが分かるようになる





本当にそうなのかな?
 
若い頃は、僕も常にそう言い聞かせて前向きに、ポジティブに自己暗示をかけていたのですが、最近の僕は、まったくそうは思わなくなりました。

昔はね、努力と成功が比例したんですよね。高度経済成長期はそうでしたよね。今の時代は全く比例しないでしょう。中途半端な組織の中にいる人は、がんばればがんばるほど、むしろ消耗するご時世です。

泥の中から抜け出した方がよほど幸せだし、一緒にいたくない人とは一緒にいない方がどれだけ幸せか。でもみんな「そうしなければならない」のは、ぶっちゃけ利害関係があるからなんですよね。労使関係もそうです。経済的束縛。例えば、嫌いな会社を辞めれないのは、お金が稼げなくなるから。そのコミュニティにいる理由は、出ると孤独になるかもしれないから。もし逃げたいのであれば、とにかくスキルアップにいそしみ、自分の力で金を稼げるようになればいいし、本当に好きな人とだけ繋がっておけばいい。そして、自由に選択できる力を身に着けたらいい。

目に見えない同調圧力も無用。自分が心地良いと思う道を行けば良いですし、僕もそうしています。今のトレンドがこうだから、働き方はこうあるべき、チームビルディングは、イノベーションは、ネットワーキングは、コミュニケーション、ダイバーシティは・・・って、もう聞き飽きたでしょ?んなもん分かってるって。太古の昔からやってることです。大体、手法は表面的には良いけれど、根本の問題は解決しないものなんです。

合わないなら、自由になりましょうよ。心地良い環境に身を置きましょう。そのための努力は惜しまない。楽をするというわけではないです。自由を手に入れるためにこそ、頑張ること。

そんなことを、最高のシーズンに、自然に囲まれながら考えています。

環境適応能力と食欲について

もう11月なんですよね。

駅前から山の上に引っ越してきて丸三ヶ月が経過しました。人間の環境適応能力ってすごいもので、もうすっかりこの環境に慣れてしまいました。以前までは駅前の便利な場所にいたし、河川敷や海沿いなどジョギングルートもそこかしこにあったので山の上の生活には少し抵抗があったのですが、今となれば快適です。

ジョギングルートもだいたい決まってきました。
まずは見晴らしの良い場所まで登って、景色を見ながら深呼吸。

大好きな海が遠くにしか見えないのが残念ですが、爽快感はあります。

その後、電柱がなく、空が広い街を建物探訪しながら走る。
素敵な建物を見ながら走るのは最高ですね。庭造りの参考にもなるし。

当たり前のことですが山の中腹に住んでいれば、平坦な道がほとんどありません。登れば下らなければならないし、下れば登らなければならない。平坦道がなく、アップダウンだらけというところが自分の人生のようで、走りながらそういうことを良く考えます。

継続するためには、目の前にご褒美をぶらさなければなりません。

たまにハイカロリーのものが食べたい時がありますが、しっかり走ると、食べる言い訳もできます。というわけで、ラーメンとしゃぶしゃぶを週末のご褒美にしました。

それにしても良い季節です。
食欲の秋とはよく言ったものです。

木々の色づきと図書館の空気

体調もようやく元に戻り、新幹線の車窓から完璧な富士山が見えた関東出張も無事にこなし、週末を迎えています。

完璧に見えた富士山

今日は土曜日。
朝から近所をジョギングしていると、木の種類によっては徐々に色づき始めているものもあることに気付きました。紅葉シーズンの訪れに期待が膨らみます。

澄み切った青空に赤が映えますね。

電柱のない街は、空が広くて気持ちいい

とにかく気持ちの良い秋晴れ。
やはり身体を動かすのは気持ちの良いものです。お腹も空くのでご飯も美味しいですしね。

午後からは、図書館にこもっています。

元々図書館は大好きで、よく調べ物をしたり勉強をしたりするのに、自習室を利用していたのですが、コロナで居場所が自宅になり、本を借りにくることはあったとしても、図書館の自習室からは長いこと遠ざかっていました。

久しぶりに来ると、コロナ対策で自習室も座席の間隔を空けていますが、昔と変わらず若者からお年寄りまで、思い思いに本を読んだり、勉強をしたりしている姿をみて、やっぱりいいよなあ、と懐かしい雰囲気に浸っています。

これから、また徐々に通う回数が増えてきそうです。

(そんなに)がんばらない生き方

前回の投稿から一週間空いてしまいました。
相変わらず体調の方は低空飛行が続いていましたが、おかげさまで仕事の方は忙しく、出張の予定なども次々と入ってきてアレンジや調整に追われています。

嬉しいことに今朝、いつものように体温を測ると平熱になっていました。おお!二週間ぶりの平熱!底は脱したか!経験された方は良くご存知と思いますが、毎日37度〜38度あるのって本当にしんどいんです。ボディブローのように体力と気力を奪って行きます。薬でしか下がらない熱、先が見えないトンネル。

こういうことが定期的に起こるのですが、今回も日々、自分の身体と向き合う中で、いろんなことを考えました。

僕の場合は持病が顕在化しているので、もう、ある限界値以上のがんばりをすることができません。要するに無茶できない。なんとかこの状態を維持し、動ける時を見計らって、動く。そんな感じでだましだましの生活を送っています。

一度身体を壊してしまうと、元には戻らないものです。ではどうするか。僕が多くの意識高めの若い人たちに言いたいことは「細く長く働くのも大事だよ」ということです。

特に、ストレス耐性が強くない、あるいは体力がそんなにないと思う方は、仕事に関して「細く長く」続けていくことをおすすめしたいのです。そんなにがんばらなくて良い。このブログで10年前に投稿している記事の内容は「倒れるまで戦え動け働け」的内容だったのが、随分考えも変わりました。エリートビジネスマンを標榜し、とにかくバリバリ働いて遊んでむちゃくちゃ動くというのを良しとしていたのが恥ずかしいです。

自分がそうだったのですが、今思えばとにかく無茶な働き方をしてきました。意識も高かったので、いろんなことに挑戦し、学び、寝る間を惜しんで人に会い、呼ばれたら断らず、ホテルや空港に住んでいるんじゃないかというくらい国内外を飛び回っていました。多い年では、一年のフライト距離が地球二周以上になったこともあります。休みの日は家族サービス、マラソンにゴルフ、研修会、セミナー。当然、その分の責任もありますので、常にヒリヒリした環境の中で仕事をし、相当なストレスを感じていたと思います。実際、眠れない夜を何度も過ごして来ました。

もちろん、そのおかげでたくさんの人に出会えたし、仕事の幅も広がったし、様々な経験もさせていただきました。でも結果的に、30代半ばから40歳にかけて次々に病気が出てきて、そこから薬漬けで長いこと苦しむことになります。子供もまだ中高生だし、40代半ばで今流行りのリタイア(FIRE)することもできませんので、これからはだましだましの生活を送らなければなりません。これもなかなか受け入れがたい事実なんです。だって、自分はまだまだ出来る、動ける、走れる、登れる、飛び回れるって思っているでしょう。そうしたいし。仕事外のオンラインミーティングや勉強会も夜がほとんどですが、夜に発熱するから参加もできないもどかしさ、です。こういう「したくてもできないこと」が指折り増えて行くのですから、たまりません。

とにかく、身体は壊すと元には戻りません。

ですので、今がんばっている皆さん、忙しいのも、がんばるのも素晴らしいことですけれど、身体は壊さないように。たまにストレスなんて1mmも感じず、血液の代わりにリポビタンDが流れてるんちゃうかというほど元気な人もいますけど、ほとんどの人はそうではありませんので、ほどほどに、まあまあで。

70歳、80歳まで働けるように、「あまりがんばらない生き方」で、長く楽しくやるのも一つかと思います。

出来ないことを嘆くのではなく、出来ることを喜ぶという修行

上皇后の美智子様は、昔のようにピアノが弾けなくなったことについて、

「今までできていたことは『授かって』いたもの、それができなくなったことは『お返し』したもの」

とおっしゃったそうで、これは本当に素晴らしい言葉だと思うのですが、まだ「自分は出来る」と思っていると、なかなかそうは思えないものです。

なんでこんなに身体が言うことを聞いてくれないのだろう、あれだけ出来ていたのに、どうして出来なくなったのだろう。どうしてもそう思っちゃうんですよね。

自分ごとですが、先週から高熱が一週間続いていて、ああ、またかという感じ。今のところ下がる気配はありません。昨年は4月に一ヶ月発熱が続きました。こうなると長引くのは分かっています。仕事に支障はありませんが、薬漬けになるし、走ると熱がぐんと上がるので、この最高の季節に走ることもできません。

一年のうち、半分は体調不良なので、もういい加減受け入れようよ、これが普通だよ、良い意味で諦めようよと自分に言い聞かせようとするのですが、まだまだ美智子様の境地には達することができず。焦るし、落ち込むし、しんど過ぎて辛いし、修行が足らんなあ。

こういう時は、今出来ることを書き留めるようにしています。
どんな小さなことでも、当たり前のことでも出来ることを書き出す。

意外とたくさんあるものです。
今できることに目を留めて、それを喜ぼう。

世界を広げるというのは人脈を広げるのではなく、関心の対象を広げるということ

良い天気が続いていますが、ちょっと気温が高過ぎますよね。
昨日は久しぶりにランニングチームの練習会で中之島から大阪城を走りましたが、暑さでやられてしまいました。もうちょっと涼しくなってほしいなあ。

でも、空はちゃんと秋空なんですよ。
美しい空。

昨日考えていたことをツラツラと。
自分の世界を広げよう、見ている世界を広げよう、とこのブログでも何年も前からことあるごとに書いてきたのですが、これ、人脈を広げようとか交友関係を広げようということとは少し違うのです。

言いたいのは「関心の対象」を広げようということなんですね。

点で見るのではなく、その先の枝葉を見る。木を見るのではなく、森を見る。たとえば、岸田ショックなんて言われていますが、株価が下落したのはなぜなのかと、「なぜ」を考えて、調べてみる。「ああ、下がっちゃった」だけではだめなんです。そこから先に関心を向けて調べてみる。株の変動が「金利上昇」と「企業業績」に基づくのはなぜなのか、ブランドイメージやイノベーションであまり変動しないのはなぜなのかと考えて調べてみる。なぜ金利が上昇しているのか、その要因を調べてみる。金利の上昇がインフレ懸念であるなら、インフレリスクと金利の関係を調べてみる。日本が貧しくなっているのはデフレ局面からスタグフレーションに移行しつつあり、これが相当ヤバいということが分かるようになる。そうすることで全体の大きな流れを把握することができます。

技術でもそう。先日マイカー乗り換えのタイミングでコネクテッドカーとはなんぞやということを簡単に書きましたけれど、表に現れる車の機能の裏側にはどのような技術が使われているか、どのような部品が必要か、どのようなリスクがあるか、このあたりにまで関心事を広げて調べて見る必要がある。そうすると、昨今の半導体不足や、中古車市場の値上がりの要因、今後必要とされる技術のイメージまで予測することができるのです。

点だけで見て物事を理解した気になり判断するとロクがことがありません。関心事の範囲が狭い経営は、目先だけしか見ない経営と同意義です。仕事でいうと日雇い労働と同じ。目先一年先までは仕事をもらえて食えるかもしれないが、ちょっと身体を壊したり、市況が悪くなると一瞬で食えなくなります。数年先なんてどうなっているか全然分からない。まあ大丈夫だろう、ではダメなんですよ。もし自分の会社がそういう「目先経営」(問題先送り、長期的利益ではなく目先の利益を追う、コアビジネスがない、明確なビジョンがない、数値目標が3年以上未達成、お客様第一など、誰でも言えるようなふんわりした理念を掲げている)の色が濃いとしたら、一刻も早く逃げた方が良いです。マジで。ちなみに「目先経営」と「ピボット」はリンクしません。

ちょっと企業レベルの話になりましたが、経営者はもちろん関心事を広げることは当たり前ですし、経営者でなくても個人レベルで関心事を広げることは自らのスキルアップのための必須事項です。狭い世界で目先だけを考えることのリスクは計り知れません。

これを習慣づけると、結果としてビジネスで必須とされる「抽象化能力」が身につくし(2021年3月23日「本質を見極めることと、抽象化能力の関係について」参照)、必要な情報を入手するため、あるいは学ぶために様々な勉強会やセミナーに参加するようになるので交友関係(人脈)も広がります。

というわけで、関心の対象を広げること。事象を深堀りすること。
特に若い方はぜひ意識してみてください。

芸能人も一般人もなくなって来ましたね

かつてはテレビを見る時間が多かったのが、生活が全く変わってしまいました。見たいものは、YoutubeかAmazonプライムで選んでみるようになってきたし、スポーツはDAZNなどの有料専門チャンネルで視聴。地上波はほとんど見なくなりました。

こうなると、いわゆる芸能人にも疎くなってきて。
Costcoや業務スーパーなどで買ったものを紹介するチャンネル、家事や掃除のチャンネルなど、一般人が自らチャンネルを持って情報発信するのですから、そこから必要な情報を得ることさえできれば、発信者は有名人や知識人や芸能人じゃなくても良いわけです。いや、一般人の方がむしろ変なバイアスやしがらみがなくて良い。

でも、僕と同じような考えを持ち、自分が欲しいと思う情報は自分で探し、取りに行き、良し悪しを判断するという属性の人と、お年寄りのようにずっとテレビの前にいてそこからの情報を当たり前のように信じる属性の人とでは、まだまだ後者の方が多いように感じます。若い人デジタルネイティブ世代の人たちなんて完全に前者でしょうけどね。

最近特に感じるのが、こういう情報取得のパラダイムシフトというべき変化に対して自然に順応している人と、そうでない旧態依然とした人との差が著しく広がっており、その差がそっくりそのまま仕事にも表れているという点です。

具体的にいうと、前者は競合他社の動向や、市場環境の変化、自社製品・サービスのポジションについて自分の頭で周囲の情報を収集し、分析し、答えを導き、次の打ち手を考えることに長けています。一方後者は、自分で考えるというより、上の人から言われることをそのまま鵜呑みにするか、過去の成功体験から物事の良し悪しを判断するか、同調圧力に流されて漫然と仕事をしているので新しいことを生み出すことができないし、市況の変化に疎い人が多い。

後者のタイプが多い会社は一見穏やかな社風で平和に見えるかもしれませんが、合議を重んじるために会議が多くなり、成長はなく、やがて埋没するケースがとても多いのです。

ちょっと話がそれてしまいました。
やはり、自分で調べて、頭で考えて、行動すること。
これがとても大切ですね。