今の僕を100均に連れていくとこうなります

相変わらずの缶詰無双です。

よりどりみどり、自分のストックがあるだけで幸福感に満たされます。ああ、なんて幸せなんだろう。今夜はどの子をハイボールのお供にしよう。そんなことを考えていると、夢中になって何も手につかなくなってしまいます。

上の写真は先週末、近所の100均で購入したものです。

よく買い物に行く100均はなぜか缶詰が充実していて(特にイナバのタイカレーシリーズがあるのが嬉しい)行くたびにたくさん買ってしまうのです。缶詰はテレワーク時代の大きな楽しみの一つですね。
テレワークしていないけど。


さて、先日から新しくコラムをスタートしました。主にビジネスシーンやキャリアに関係することで僕が普段考えていることを、普段の日記とは切り離して、ほんの少しだけ真面目に書いています。コラムのタイトルは、「心で見た景色を言葉にしよう 〜 辺境のソーシャルTips」

今までアップした記事のリンクを下に貼っておきます。一週間に一本のペースでアップしました。

これからは、月に2、3本くらいのペースで書いていきたいと思っています。よろしければお付き合いください。

【Vol.1】 一つのことを長く続けることには、どんな意味があるのだろう

【Vol.2】リーダーとは進んでリスクを取る人のこと

だめだ缶詰欲が止まらない

今さらながらイナバのタイカレーシリーズにハマってから(2020/07/15 「こういうのが一番旨いんですわ!」)、美味しそうな缶詰を探すことが習慣になってきました。

最近はこれ。
成城石井で見つけて購入。

焼鳥は安定の味ですが、イワシのレモン缶と、厚切りベーコン、めちゃ美味しかった。レモン缶はレモン風味のオイルサーディンのようで、そのままパスタにあえてもいけそうな味。ベーコンはもう、ビールやハイボールのアテとすれば最高!

最近の缶詰のクオリティはすごいです。

さくさく、とろーり。久しぶりに「む蔵」のかつ丼。

久しぶりに「とんかつ む蔵」へ。
ここでオーダーするメニューはいつも「む蔵丼」です。

とんかつと海老かつが半分づつ入っていて、上から卵がトロ~リとのっているこの丼、一見普通のかつ丼に見えるのですが、かつが短冊状に細かく切ってあるのと、だしと卵と一緒にとんかつを煮込むところが多いところ、かつと卵とじを別々にしているところが秀逸。

なので、かつはサックサク、卵はとろとろ。
このように、卵をはがすとサクサクのカツが出てきます。美味しい。

いつも変わらない味、癒やされます。

それにしてもずっと雨降ってますね

信州の高原の朝は、やはり雨。
今年のように梅雨が長引くと、庭が苔だらけになってしまいます。本当に雨ばかり。

近くの農家直営の野菜販売所に行くと、店番のおばあさんも「もう今年はお手上げです」とのこと。トマトにしてもきゅうりにしても不作らしくて。きゅうりは曲がり、トマトは割れてイマイチ。これから出てくるとうもろこしも大丈夫かな。野菜を大きくし、甘くするためには太陽の力が必要ですね。

そんなことなので、せっかく持参したトレランセットの出番はなく、近所の評判のパン屋(ベーカリーレストラン epi さん)で美味しいパンをたくさん買って自宅ごもり。
おかげでタスクが進みました。

連休もあっという間に終わり。
お盆休みまで二週間、猛ダッシュです。

昼神温泉から、八ヶ岳へ。こちらはしとしとと雨が降り始めました。

連休は両親と弟と四人で家族水入らずの旅行。
妻と娘たちは学校のため今回はお留守番ですが、お盆休みは信州の家(通称:八ヶ岳ベース)で過ごすことを楽しみにしています。

今回は、初日を阿智村の昼神温泉で一泊し、その後、八ヶ岳ベースに移動という旅程。昼神温泉は今回初めて行きましたが、温泉は最高でした。

一泊して朝風呂。

温泉の良さは朝風呂ですね。弟を誘い、誰もいない露天風呂を貸切状態。ほっこり温まった後は、朝食の時間まで読書。夜はどうしても飲んでしまってプチ宴会状態になるのですが、朝はゆったりチルアウトの時間を楽しみことができますね。チェックアウト後は、茅野の蓼科高原まで移動。

八ヶ岳ベースへはコロナの影響で昨年ぶり。5月にウッドデッキや室内の水回りなどをメンテナンスをしてもらっているものの、やはり庭木のことなどが気になります。庭仕事をやる気まんまんで来たのですが、こちらはしとしとと雨が降り始めました。こうなれば家の中で本を読むか、幾つかテーマが決まっているビジネスTipsの原稿を書きためるなどにゆっくり時間を使いたいと思います。

ランチは家から近くの蓼科湖に最近できた Tiny Garden さんへ。ここ、アーバンリサーチが運営しているようです。

古い旅館をリノベし、オートキャンプ場やグランピング施設などを併設しています。お洒落。

それでは、自然の中でどっぷりとデドックスしてきます。

静かなお店で静かに和食

また感染者数が増えてきました。防止策を取りながらも、なんとなく自分も通常に戻りつつあったのですが、やはり食事をするとなるとできるだけ静かで人との距離を保てるお店を選ぶようになってきました。

でもこの状況って、また飲食店からお客さんの足が遠のいてしまうような気がして、お店の目線で考えてみるとなんだかな、と思ってしまいます。

終息はするのでしょうか。どうなのでしょうか。

さて、そんなことを考えながら、昨夜は安心の馴染みの店へ。気の置けない仲間と一緒に美味しい酒を飲んで、美味しい食事をいただく。こんなことができるのも、お店を開けてくださっているからなんですよね。

感謝です。

こういうのが一番旨いんですわ!

しょうもないことを言う時と、阪神タイガースの応援の時は大阪弁になる人いますよね。

さて、先日100均に行った時に、これ美味しそうと思って購入した缶詰二種類。ワクワクしながら開けて食べたのですが・・・めちゃくちゃ旨いやんけ!!(濃いめ大阪弁)

バターチキンはコクがありマイルド!タイカレーは、ちゃんとグリーンカレーで汗が出るほど辛くて美味しい!腰抜けたわ!!

これはリピート決定やで!
ご飯にかけても良し、お酒のお供にもよし。

いわゆるB級グルメと言われている缶詰やコンビニ弁当って、ものすごくこだわって作られているんですよね(添加物は多いかもしれないけど)。
缶詰マニアみたいな人がいますけど、気持ちが分かるような気がします。

梅雨空を切り裂いてひとっ飛び

まだ人が少ない伊丹空港。
手荷物検査場も全く待たずに通過できました。

ANAの搭乗口はすっかりリニューアルされていましたが、久しぶりとはいえ身体はやっぱり導線を覚えているようでスムーズに搭乗口まで。

それにしても久しぶりに飛行機に乗りました。2月にサンフランシスコから帰って来て以来、約5ヶ月ぶりです。

何かあれば意見を聞き、的確な言葉をくれる親友とフレンチの名店へ。料理はもちろん、ロケーションも最高でした。

コロナもまだまだ。というより勢いを増して来ている気がします。

予想していたとおり一過性のものではなく、待ったなしで新しいワークスタイル、ライフスタイルへのトランスフォーメーションが本格的に求められるようになりつつありますね。

慣れないことをすると身体が驚いてしまう

東京の方は新型コロナウイルスの感染がまだ収まらないようですが、大阪は今は少し落ち着いているようです。

予防と感染に対する様々な取り組みがなされている中で、徐々に日常が戻りつつあり、飲み会や会食も復活してきました。今週の後半は連日飲んでいます。平日は飲み、週末はゴルフとランニングという、おっさんの鏡のような生活が戻って参りました。

こちらから客先に訪問することはまだ控えていますが、徐々に来客も増えてきました。来客が増えるとなると、会食も増えるわけです。ビジネススタイルは、オンラインでのカンファレンスコールなどが主流になりましたが、今後はどうなるんでしょうね。

さて、今日の帰り。
お酒が入っていたこともあり、そういえば、かなり久しくラーメン食べてないなと思ってシメの一杯を求めて天一へ。

一言でいうと、調子に乗ったらダメでした。

久しぶりの天一の味は美味しかったのですが、普段していないことをすると胃がびっくりしてしまいます。笑

なんやなんや、となるわけです。

こういうところも含めて、徐々に復帰となるんでしょうかね。

あの日の憧れが日常になった時の現実感は、成長なのか退化なのか

言葉の響きだけで、興味を引き立てられるものって多いと思います。

例えば、「ボストンのチャールズ河沿いでランニング終わりに飲むキンキンに冷えたサミュエルアダムス」や、「京都の老舗豆腐屋で醤油だけで食べる汲み上げたばかりの湯葉」などは、もうイメージだけで、ああ、めっちゃいいなあとなるわけです。

僕の場合、子供の頃から「夜間飛行」という言葉の響きにとても強い憧れを抱いていました。

飛行機が点滅する夜空を見上げて、行き先はパリかな、ニューヨークかなと想像し、それは家族旅行のフライトとはまた違う大人なイメージでした。

それなりに大きくなっても「夜間飛行」のイメージは変わらず、頭の中で考えるのは、離陸前の空港でのひとときや、ラウンジで飲むウイスキーのソーダ割りや、フライト中の薄暗い機内で子守唄代わりに聞くステファン・ポンポニャックの音楽など、勝手に想像しては、夜に空港を離陸して、朝には異国の地に降り立つというこの「夜間飛行」の独特な優雅さ、お洒落なイメージがどんどん膨らみ、夜間飛行への憧れが強くなるのです。

しかし、ここ10年ほど実際に海外出張に頻繁に行くようになると(そしてほとんどが夜間飛行)、そのお洒落なイメージはどこかに行ってしまいました。

確かに離陸前にビールやハイボールは飲むものの、そこに優雅さのようなものはなく、直前までノートPCでバタバタと仕事をしていたり、搭乗前にゲート前のコンビニで柿の種やバターピーナツ、レトルトの味噌汁など生活感溢れるもの、かつ、海外であると嬉しいものを買ったり、イヤフォンから流れる音楽はステファン・ポンポニャックのようなラウンジミュージックではなく中島みゆきだったりするわけです。

機内ではビールを飲んで着陸後の仕事に備えてがんばって寝ようとするし、そこには優雅にワインを飲みながら映画を見るなんてものはあまりありません。

どんなものでもそうだと思いますが、あの日の憧れが日常になってしまうと、それはとても現実的な意味を持ちます。夜間飛行と同じで、毎日ランニングした後にチャールズ河のほとりでサミュエル・アダムスを飲んでいると、「かつての憧れ」を実現しているにも関わらず、きっとその次の予定のことを気にするでしょう。

その現実的な何かを知るということは、成長なのでしょうか、退化なのでしょうか。それとも、単純に「慣れ」なのでしょうか。成長であれ退化であれ、またそのうちに次の憧れが出てくるのでしょうか。それとも、かつてのイメージと現実は(夜間飛行の優雅でお洒落なイメージと、柿ピーを携えた実際の夜間飛行)乖離したまま、並行に走って行くのでしょうか。

どうなんでしょうね。
ちょっと考えてみると、寂しいような面白いような。

みなさんはどう考えられるでしょうか。