仕事もマラソンも人生も

朝の空港から、おはようございます。
今日も最高の天気ですね。良い一日になりそうです。

昨夜は身内のような付き合いをさせていただいている取引先の社長と会食。二人でカウンターに座り、長い付き合いならではの昔話や仕事話で盛り上がりました。

ランナーであり、トライアスロン選手でもある社長とは様々な大会でご一緒させていただいた仲ですが、走る目的は「仕事のため」ときっぱりと言い切られます。

20年会社を経営してきて、良い時も悪い時も色々あった。でも、ようやく「これだ」というものを見つけられたと。それを実現するためには精神力と体力が必要。そのために、マラソンやトライアスロンを始めたということでした。今、ようやく第一歩を踏み出すにあたり、「今年はランもトライアスロンも休憩。めっちゃ働くよ!」と意気込んでおられました。「もう十分、精神力も体力も培った。あとはそれを仕事にぶつけるだけだ」と。

マラソンを始める理由は人それぞれありますが、こういう形もあるんだなと学ばされました。ビジネスマンやエグゼクティブにはランナーやトライアスロン選手が多いですが、ビジネスとマラソンはマインドの面でも肉体の面でも本当にリンクします。目標を設定し、そのための準備をし、種々の困難を経験し、乗り越えながらゴールを目指す。

まさに、仕事はマラソン、マラソンは人生です。

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じっくりコトコト

ローマは一日にして成らず

この言葉は、何歳になってもずっと背負って行かなければならないんでしょうね。

北野武さんのコーヒーのCMではないですが、一つのことを究めるには膨大な時間が掛かるし、新しいことを学ぼうとする時なんて、文献を何回も何回も読んで、ようやく内容が理解できるようになり、そこから更に深め、自分のものにするためには、更に何倍もの時間が掛かります。金脈を探すかのごとく、コツコツ、コツコツと掘り続けて、ようやく微々たる量の金が見つかる、そんな感じがします。ローマのような大事業は一日して成らずのは当たり前、僕のような凡人にとっては、小さなことを形にするだけでも、随分と時間が掛かるものなんです。

情報が簡単に手に入るようになり、とにかくスピードが要求されるこの時代、何かを「それなりに」「かんたんに」アウトプットできるようになったかもしれませんが、まさにこのブログのように、10分でさらりと書いたものは10分の価値しかないし、一日考えて、更に一日かけて生み出したものは、二日分の価値がある。

そういう意味では、じっくりコトコト煮込んだものの方が良いのは自明の理で、やっぱり時間と努力は嘘をつかないよなあ・・・と実感する今日この頃です。

しんどいけれど、仕方がありません。それならコツコツ彫り続けることを楽しみ、趣味にする。そうしましょう。

ローマは一日にして成らず。

(福島のスペインバルで)
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目的地に向かう

近かろうが、遠かろうが、その時々で大小の選択を重ねつつ、目的地に向かうのが仕事であり人生ですよね。人生って決定の連続です。

一つの選択をするまでに、様々な検討を重ね、歩きながらでも走りながらも、その事を頭の中で考え、相談や打ち合わせをし、最適解を導きます。スティーブ・ジョブズじゃないけれど、人は将来を見ることができません。できることは、その場面、場面で、一生懸命考えて、数ある選択肢の中から一つを選び、その方向に歩を進め、その選択と決定を信じることだけです。

テクノロジーの世界にどっぷり浸かりながら、ビジネススキームを描く仕事は性に合っています。選択が正しいかどうかというより、選択した方向へ歩を進める時(例えばプロジェクトのキックオフなど)の高揚感はたまりませんし、実際それが形になり、ビジネスとして成功すれば最高です。そういう意味では、昨日も今日も、それぞれのプロジェクトで良いミーティングをすることができました。

今週もあっという間の一週間でした。

皆様、よい週末を過ごされますように。

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ランナーとしてよちよち歩きだった頃の桜は

誰も歩いていない深夜の芦屋川の夜桜。満開の桜を眺めながらの家路に、ランナーとしてよちよち歩きだった頃の自分を思い出したりして。

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7年前、健康のために走り始めた頃は、ほんの2、3Kmでも自分にとっては達成感があり、今なら最低でも10km走らないと走った気にならないような自分なんて、その当時は全く想像できませんでしたよね。平日の夜であろうが、飲んで帰って来ようが、家の周りをこうしてぐるぐる回って、芦屋川の桜を見て、ちょっと汗かいて満足して。

それが成長なのかどうかはともかく、過去の自分と比べてある意味退化している自分がいるのは事実ですが、一度始めたことは、12年書き続けているこのブログもしかり、走ることもしかり、少なくとも根暗な性格は昔も今も変わっていない。

そのことは、川の流れと春に咲く桜の花と同じくらい不変なんです。

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収穫のための種まき

収穫のための種まき。

そんな感じの一日です。今日はサンノゼからアメリカ人のパートナーを大阪に迎えて4時間会議をし、東京とSkypeを繋いで一時間会議、そして夜は案件の打ち合わせ。

長い一日でしたが、しっかりと種まきを行うことができました。あとは育てて刈り取るだけ。愛情を持って育てれば、きっと豊かな季節を迎えることができますよね。何事も愛情と情熱をもってすれば良い結果が生まれると信じています。

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情報疲れを起こした時には

日々相当な量の情報に晒されていると、たまに疲れを感じることがあります。食傷気味になってしまうというか。そんな時は、眠気を感じて膝に本を置くように、開いているものをパタンと閉じて、深呼吸するか走って脳をデフラグするかします。

このブログでもよく書くことですが、人間のキャパなんて結局のところ、その人ひとり分の器しかなく、どう足掻いたって与えられた一日は24時間しかなく、あれもこれもと手当たり次第手を伸ばしていたらお腹いっぱいになってしんどくなるのと同じ。バイキングで食べ過ぎた時のように、あああんなに食べなけりゃ良かった、疲れてもういいや、となってしまいます。

そういう訳で、今朝は早起きして10kmのジョギングに出掛けました。寒い朝でしたが、頭もシャキッと。やはり早起きランは最高です。

もうちょっと暖かくなってほしいですけれど。

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正しい場所にピースをはめるように

正しい答えに辿り着くまでの過程って、本当にパズルのようですね。

何かの答えを出そうとする時、まず頭の中で分散している断片的なアイデアを拾い出し、並べ、組み合わせて行きます。パチっと音を立ててピースがはまることもあれば、はまらないことは分かっていても「なんとかしたい」という感情が先に走ったり、時間的な拘束があったりして、無理やり形を変えて、ピースを押しこむこともあります。

でも結果として、どんな事でも、「無理やり」というのは正しいことではありませんよね。その時は良かったとしても、必ずどこかで不整合、コンフリクト、ひずみ、ゆがみ、不自然、違和感を生んでしまうからです。今日の夜、取引先で打ち合わせの後に一人カフェで別の課題に取り組んでいた時、ふとそう思いました。

正しくなかったり、言いくるめたり、無理に押し込んだりすることは、必ずどこかで不整合を生む。人の心や感情もそう。
そう感じます。

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この写真は日曜日の須磨海岸。

僕は泣くためにフルマラソンを走っているのかもしれない

今年の篠山ABCマラソンは例年になく好天に恵まれました。気温も高く、4回目の篠山ですが初めて半袖で出走。こんなことあるんですね。今大会は一緒に応援に来てくれた友達の親戚方がご自宅を提供してくださり、駐車スペースだけでなく会場への送迎や暖かいお食事(絶品!)までお世話になり、いつも以上にホスピタリティを実感した大会となりました。感謝感謝です。

自分は何のために、しんどくて辛いフルマラソンを走っているのかずっと考えていましたが、一つの結論が出た気がします。僕はきっと、泣くためにフルマラソンを走っているんだ。そう思いました。

今回のように無私の気持ちで支援してくださる皆さんの愛情に泣かされ、沿道の子どもたちのハイタッチに泣かされ、老人ホームの前で車いすを並べて応援してくださるご老人方の笑顔を見て泣き、吹奏楽や太鼓や地元の方々の途切れない声援の応援にまた泣かされ、30kmを過ぎた後に必ず来る辛さに泣き、膝の痛みに泣き、攣りそうな脚をなんとか抑えこみながら気持ちを切らさずゴールした自分のがんばりを思って泣き、ねぎらいの言葉と共に首にメダルを掛けてくれる地元の学生の笑顔に泣かされ、仲間たちとの宴会で泣き笑いして。

一度でもフルマラソンを走った方なら分かっていただけると思いますが、本当に、マラソンって色んなシーンで泣けてしまうんです。一番こみ上げる瞬間は、ゴール後、しゃがむことすら出来ないランナーのシューズチップを高校生やボランティアの方々が座って外してくれるところでしょうか。大の大人が恥ずかしい話ですが、「ごめんね、ありがとう」と口にすると、必ずぐっと来てしまいます。

何度走っても、どの大会を走っても辛いフルマラソンですが、人の優しさと、感謝と、辛さを乗り越えた自分に泣ける経験なんて、他ではできない。そう考えると、僕はやっぱり泣くためにフルマラソンを走っているのかもしれません。

全てに感謝です。
ありがとうございました。

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最後に残るのは本物だけ

昨夜、帰りの電車の中で親友に聞いた良い話。
神奈川で国政に立候補した方を支援したある人のエピソードです。

その方は自分の友人が立候補すると聞いた時、「自分には金もないし、地位もない。何もできないけれど、彼のことは絶対に支援したい。自分に出来ることは応援することだけだ」と、それから毎朝いつもより三時間も早く起床して都内の自宅から横浜に行き、「いいぞ!そうだそうだ!」と朝立ち演説の応援をしてから、また都内に戻って出勤するということをやっていたそうです。週に一度、とか、週末だけ、ではなく、毎朝です。毎朝三時間を、彼に捧げたと。そこまで出来るんだと、深い人間関係と私利私欲のない行動に感銘を受けました。

この話を聞いた時に、最終的には本物しか残らないんだよねという意見で一致しました。良く聴く言葉ですが本当にそのとおりなんです。人間関係、信頼関係、技術、ものづくり、ビジネス・・・すべてにおいて、最後に残るのは「本物」だけ。では、本物ってなんだろう。信頼の度合い、真剣の度合い、長い時間軸、努力の総量、競争力・・・この辺り、また色々と考えなければなりません。

こちらは淀屋橋のTHE LINKSでのイベント帰りに仲間たちとヒューガルデンのホワイトを。

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安心感とは「肯定」だと思う

いつの間にやら3月に入りましたね。
今年も6分の1が終わり、その分、成長できたということで喜ばしい日となりました。1/6分成長できた。良かった良かった。

安心感というのは、「守られている」というようなネガティブな感情ではなく、「ああ、やっぱりそうなんだ」という自己確認、肯定に近い感情のことを指すのではないかなと思います。「守られている」という言葉の前に「今は」という前置詞を置いてみましょう。一気に先が怖くなりますよね。怯える日々が始まります。でも、「ああ、やっぱりそうなんだ」の後に、「よし、このまま積み重ねていこう」という言葉を続けると、日々前向きに歩めるはずです。ちなみにですが、「自己満足」と「肯定」とは似て非なるものです。「肯定」という言葉の前提条件としては、日々の努力やブレイクスルーやマドルスルー(泥の中をもがいている状態)がありますからね。

そういう環境に身を置けているのはとても幸せなことです。

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