最も偉大な ジャズ・ピアニスト TOP10 ランキング が気になった

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その時に気分やシチュエーションにもよりますが、BGMにはJAZZを選択することが多いです。今日もitunesに入っているたくさんの曲をA33に飛ばして流していたのですが、

そういや、JAZZの歴史において最も偉大なピアニストは誰なんだろう

と気になり始めました。こういうランキングは、多数の音楽雑誌によって企画されていますし、その時代によっても変わるし、商業的成功で見るか、JAZZというジャンルの形成過程においてどのような影響を及ぼしたかなど、人の観点によって変わるものであることは重々承知。でもJAZZ Piano の巨人といえば、大体予想できますよね。ある意味、期待を裏切らないのではと思いつつ検索してみると、幾つかのサイトが見つかりました。

例えば、こちら。

The ten best jazz pianists of all time ( Aug. 27 2013 Denver Westword)

ほらね、Ahmad Jamal、Oscar Peterson、McCoy Tyner、Bill Evans、Chick Corea、Keith Jarrett、Herbie Hancock・・・レジェンドがずらり。
トップ3には、Bud Powell、Thelonious Monk、そして、視覚障害でありながらものすごいテクニックを誇ったArt Tatum。大方予想通りです。特にトップ3はJAZZの歴史的人物ですね。

こちらのランクでも、Art Tatum が一位。二位には、Bill Evans と Herbie Hancock がタイで入っています。あとは、大体顔ぶれは同じ。

Bill Cunliffe’s top 10 jazz pianists of all time (MARCH 29, 2012)

僕は特に、Bill Evans と Keith Jarrett が大好きなので、この二人がランクイン(当たり前だけど)しているのはとても嬉しいことです。現時点ではそうかもしれないけれど、例えば、あと10年後とか、20年後には、どんな人達がランクインしているんでしょうね。時代と共に変わっていくのでしょう。それはそれでとても楽しみでもあります。

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という訳で今日はその中から Herbie Hancock – Maiden Voyage をペタッとしておきます。

“maiden voyage” つまり「処女航海」ですが、この曲は「さあ行くぞ!」というよりは、不安気でどこか物悲しい中にも期待を秘めてそうな感じ。秋にぴったりのしっとりした曲だと感じます。

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読んでる本が面白くて仕方ない


ちょっと読んでみそ、と薦められたので、リリー・フランキーの本を読んでいる。

今更感満載だと思うのですが、今まで読んだことはなかったのでした。この本も2005年初版発行だから随分前のものですね。

美女と野球 (河出文庫)

通勤電車の中でパラパラと読んでいるとニヤニヤしてしまうのでマズい。かといって、しっかり腰を据えて読むというものでもないような気がするし、良い意味で物凄くバカバカしい内容からしてもそういう読書の仕方は逆に失礼じゃないかと思ったりしていると、消去法的に通勤電車となるわけです。

で、ここ数日の行き帰り電車はスマフォから離れて、読書。

ニヤニヤ、ニヤニヤ・・・プッ!!!・・・
あ、あかんあかん。

変な汗をかいています。


三連休の後半は超ド級の台風が直撃するようですが、ここ最近は割と天候が良いということもあって、平日の2、3日は朝ランをしています(今日はお休み)。起きた時間に合わせて、6kmの時もあれば、10kmの時もあるけれど、平日に少しでも距離を稼いでおくと月間距離が伸びて助かる。この一ヶ月、久しぶりに月間走行距離150kmに到達しました。

ようやく走れる身体に戻ってきたような感じ。

それでは、週の最後、金曜日。
しっかり頑張りましょう!!

71歳の御大に学ぶ「したいことがありすぎて」ワクワクして夜もなかなか寝付けないような生活


ライフストーリーが好きだ。

自己啓発書やビジネスのノウハウ本を読むのなら、人のライフストーリーを読む方が余程楽しい。そういった意味では、AppleやGoogleなど成功企業を外から取材してまとめられたような本も大好きである。

さて、最近読んだ記事で面白かったのがこれ。

『ビデオゲームの父』が語るゲームと学習の今後、ATARI、BrainRush創業者Nolan Bushnellへのインタビュー (TECH WATCH)

僕は「アタリ」という社名にノスタルジーを覚えるような世代でもなく(僕達はファミコン世代だ)、アタリと聞いて思うのは、スティーブ・ジョブズが40番目の社員として入社したこと、新人のクセに尊大な言葉をまき散らしながら裸足で風呂にも入らず社内をほっつき歩いていたこと、この会社で与えられた仕事をウォズにやらせて報酬をピンハネしたことなどのエピソードでアタリを知っているだけである。

しかし実際に、このインタビュー記事の中で創業者のノーラン・ブッシュネルが語る言葉を読んでいると引きこまれてしまった。ゲーム業界の生けるレジェンドであるノーランを語るのにこの記事はあまりに短すぎるし、もっともっと色んなことを聞きたい、知りたいという欲求が沸き起こる。

特に印象的だったのは、御年71歳、ビデオゲームの父と呼ばれる彼のこの言葉だ。

<記事引用>

『僕は死ぬまでにあと12個のビジネスをつくりあげると決めている。今までに22のビジネスに携わり築き上げてきた。4つのビジネスに失敗し利益のでないビジネスも他にいくつかあった。それでもキャリアからのリタイアは僕にとって死ぬのも同然なんだ。まだまだやりたいことがありすぎる。将来何十年先にくるであろう未来をもっとはやく実現したいし、常に未来を生きていたいからね。』(TECH WATCH)

彼の年齢の半分程度、現在38歳の僕は同じような気持ちで日々を過ごしているだろうか。やりたいことが多過ぎて、毎日ワクワクして夜もなかなか寝付けないような生活をしているだろうか・・・ 楽しいこと、ワクワクすることも多いけれど、実際はそうでないことの方が多い。この状態は、まさに「猛省」の一言に尽きる。なぜなら、どうせ元気で生きていて、一日10時間仕事をしているのなら、常にそうでいたいではないか。

シリコンバレーに出張することはあっても、現地で住んだことも、勤めたこともない僕にとって、ノーランが育ったその風土がどんなものなのかは分からない。ただ、失敗しても何度でもチャレンジできるという文化がDNAレベルで根付いているというようなことが、梅田望夫さんの「シリコンバレー精神」に書いてあったような気がする(うろ覚え)。

もしそういう文化なのであれば、日本のような終身雇用とは対局に、やりたいことをやって、失敗しても何度でもチャレンジするという生き方がごく自然に出来るのだと思う。成功しようが、成功しまいが、こんなに楽しい人生はないだろう。


冒頭に触れたので、この機会に、幾つかお薦めの本を紹介しておく。
どれも業界の人なら知っている、スーパーメジャー級に有名な本ではあるけれど、良いものは良い。

1,社員をサーフィンに行かせよう

昨日書いた記事ともリンクするが、環境企業として名高いアウトドアブランドの「パタゴニア」創業者の経営哲学。普通の企業が絶対にしないような、自分達の商品なのに「この製品は買わないで」というようなキャンペーンや、平日の勤務時間でもいつでも社員はサーフィンに行っても良いというルールなどを実施し、成功している。人生観が変わる(読み過ぎると、現実との差異に悩むので要注意)経済書。

2,icon スティーブ・ジョブズ 偶像復活

先のアタリでのエピソードも、僕はこの本を通して知った。544ページという分厚い本だけれど、何度も読み返したくらいの名作だと思う。ちょっと気分が落ちた時などに読むと、また元気になったりする(多分、僕だけ)。

3,グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ

Googleのインサイドに迫る本。これもとっても面白い(世界を本気で変えようとしている戦略は時に怖い)。こちらも632ページを超える大作だけど、全く飽きないでジェットコースターのように読める。サーゲイとラリーは二人共「したいことを徹底的にさせる」モンテッソーリ教育を受けた点にも注目されているけれど、実は僕もモンテッソーリ教育で有名なマリア幼稚園の出身だ(笑)。同じ教育を受けているはずなのに、なぜこうも違うのか、なんて思ってみたりして(笑)

クレイジーな発想は「常識」という無価値な壁をブレイクスルーする


ハフィントン・ポストから。

クレイジーな人々が新しい時代を創る!「ダム撤去」を常識に変えた”ダムバスター”

ダムが環境に及ぼす影響を懸念する人々がダムを撤去し「川を開放する」という運動のドキュメンタリー。実際に過去20年で約850基のダムが撤去され、生態系が取り戻されつつある。クレイジーと言われる人々の発想が、今の時代だからこそ必要とされる。これは僕も常日頃考えている「シュリンク」と「散らかしたものを片付けるというビジネスモデル」とも(比べるのは恐れ多いけれども)リンクする。また、「環境経営」のお手本として、MBAの教科書に必ず載るパタゴニアの経営戦略も思い出される。(参考:「ぶれない環境経営がブランドになったパタゴニア 時代が会社に追い付いてきた」– 2014/6/2 日経ビジネス)

時代は変わる。今「常識」と言われていることは、いつどの時代に設定されたものなのか。その時代背景と、今の時代とは同じなのか。

貨幣価値は?
人口は?
街は?
ワークスタイルは?
家族構成は?
経済は?
インフラは?
産業構造は?
市場規模は?

多角度的かつ比較して考えるなら、今、「そんなの常識」と言われていることが、いかに古いかがよく分かる。僕達が子供の頃と、自分達の子供が生活する環境は全然違う。たかだか30年で、全然違う。違いに気付き、個人で責任を取らないための言い訳となる「常識」と、集団主義的な固定観念などの、余分かつ不要な要素を取り除き、濾し取り、最終的に残るであろうものは何か。それは、社会でも、仕組みでも、人間でもなく、「自然のサイクル」である。数百年後に人間が「絶滅危惧種」として認定されないという保証はどこにもない。

そういうことを学ばされる気がする。


今日は久しぶりに鈍重から開放されたので、帰宅前のカフェ勉タイム。
従って、ノンアルコール。

週明雑記 〜 酒場放浪、島暮らし


台風一過のクリアな空が好きな人は多いと思う。
まるで空に掃除機がかけられたような気分になるから、気持ちもスッキリする。


低気圧が過ぎ去ったにも関わらず、どうにも調子が良くなかった今日。重たい頭を抱えながら歩かなければならないような時、気をダランと抜いて見れるような番組が好きだったりする。

その一つが、「おんな酒場放浪記」

BS-TBSで放送している、とてもダラダラした番組だ。

コピーも「酒場という聖地へ 酒を求め 肴を求めてさまよう・・・」というダラけたもの。

でも、この番組が僕は大好きである。酒豪を自称する女流棋士、モデル、カメラマンなどが居酒屋にフラッと入って常連と交流しながら酒を飲むだけの番組なのだけど、これがまた、同じく「酒場好き」の僕からしたら、その雰囲気がとても心地よくて、ああ、出張先や旅先でこんなことが出来ればいいなと、自分の中の妄想と重ね合わせてバーチャルトリップを楽しんだりする。そして、そのような時はバーよりも居酒屋や小料理屋がいい。


どこからが「アル中」なのか「そうでない」のか、その境は分からないけれど、外飲みじゃなくても、家でも必ずウイスキーをソーダで割って何杯も飲むし(今日のような鈍痛の時は、着替えもせずに真っ先にキッチンにいって冷凍庫で冷やしたサントリー角瓶を取り出す)、それすら我慢できない時は、最寄駅前のコンビニで缶ハイボールを買って、家までの徒歩3分の間にぶらぶらと飲みながら帰ったりする。だから、夜にブログを更新する時は、必ずアルコールが入っている。今もまさにそうだ。

そうすることで、硬直した脳に血を通わせているような感じがする。一口飲むと、脳にまた血が通い始める。これで「ああ、良かった、今夜も寝るまでの時間を楽しめる」とホッとする。これってなんだろう。精神安定剤のようなものだろうか。


帰宅すると、珍しく長女が起きていて、iPadを駆使しながら何やら調べ物をしている。聞くと、宿題で「周防大島の暮らし」を調べなけれならないとのこと。なぜに山口県?と思っていると、娘が通っている小学校は4年生から毎年修学旅行のようなものがあり、今年は広島、山口に行くと。恐らく、その前調べなんだろうと思う。

早く寝なきゃいけないからパパも手伝ってと言われ、周防大島について調べていると、なんとまあ、島暮らしの素晴らしいことよ。美しい海に、大自然。うまい魚に農作物。

何もTVを見なくても、こんなことがきっかけでバーチャルトリップが出来ることもある。

予定が変わって良いこともある


天気予報では、今日一日雨とのこと。
朝起きたらシトシトと雨が降っているのだろうと思ってカーテンを開けると、曇天ではあるものの雨は一滴も降っていない。よし、今のうちだと思ってウェアに着替えてランに出発。途中で降り出したら引き返してこよう、くらいの気持ちだった。

海から見た空は、不穏な感じ。

山側も。

ところが全然、雨が降る気配がない。
結局10km走って帰ってきたけれど、同じように「あれ、降ってないやん」と思って出て来たような人々が、犬の散歩やランニングなど思い思いに河川敷を楽しんでいる。なんだか不思議な光景だ。

これなら山に行けば良かったな〜などと思いながらも、一日自宅で過ごすつもりだったので色々と予定をこなすことが出来て良かった。買い物にも行けたし、仕事も家事もしっかり出来た。こういう日があっても良いなと思う。

【Run】距離を確保することって、意外と難しい


11月末のフルマラソンに向けて、走行距離を伸ばして行こうと思っています。

今まで週末は10km、平日の朝は、5km〜10km程度だったのを、LSD(Long Slow Distance)を取り入れていかなければ、いつものように30kmを過ぎてガックーンとスピードが落ちてしまう。

フルマラソンのためのLSDは、30km、3時間が目安のようです。7分/km ペースくらいのゆっくりスピードでとにかく長い距離を走る。そうすることで、長い距離と時間に身体を慣らして行くことができるんですね。


というわけで今朝、いきなり30kmはキツイので足慣らしに20kmを走りました。ペースも05:47/km でゆっくりと。30kmなら、キロ6:00〜6:30でも良いかもしれませんね。LSDをする時に悩むのが「どこを走るか」ということ。国道沿いをひたすら西へ東へ走れば、もちろん距離は稼げるのだけれど、信号で止まらなければならないし、車の排気ガスも嫌。かと言って、河川敷や同じ場所をグルグルと周回するもの嫌。せっかく長い距離を走るのだから、少しでも景色を変えてみたい。

そこで今朝は、芦屋川を南下して、浜の堤防沿いを走り、夙川を遡上するというルートを通ることにしました。夙川河川敷の遊歩道の一番北まで行けば、10kmくらいは稼げそうです。

久しぶりの夙川。
芦屋川とはまた景色が違います。

香櫨園浜

芦屋川

今日も涼しく、走っていてとても気持ちよかったです。
何をするのも良い季節になりましたね〜。

”必要のないもの”を保持し続ける必要はない理由について

【内容正当故、閲覧注意されたし】


昔懐かしの味、ナポリタンとハイボールの組み合わせ。

僕はジャイアントコーンが好きである。

厳密に言うと、ジャイアントコーンが好きなので、ミックスナッツは買わないし、他のナッツを必要と感じない。つまり、「ジャイアントコーン原理主義者」だ。

必要と感じないものには即刻退場していただきたいという「白黒はっきりした」考えの持ち主であるし、不利益な要素(経済学的に言うと、満足をもたらさないもの)はできるだけ早い段階で排除すべきであるという考え方を持っている、とても分かりやすい人間である。

その因子に前科があるかどうかはどうでも良い。組織として利益があるかないか、顧客に気に入れられているか、そうでないか、である。


誤解のないように言うと、人間は不完全であるがゆえに過ちや罪を犯すものであるとは理解しているが、企業単位、資本主義経済単位で言うと、利益を生まずに不利益な事ばかりする要素については、保持(あるいは維持)する必要がない。そうする倫理的な理由も、どこにもない。

資本主義経済においては、即刻排除、または、自ら退場いただくしかないということが、残念ながら現実としてある。それが嫌なら、北朝鮮か、キューバか、中国に行って工場のラインに並べばよろしい。

悲しいかな、経済合理性とはそういうものであるし企業は利益を追求する集団であるがゆえに、不利益を生む要素を、即刻排除することは仕方がない。残念だけど、そういうものだ。そこに善悪がないかと言えばそうではない、一番の悪は「独りよがりで自分が一番正しい」と思っているどうしようもない因子なのである。

この年齢になって美味しいと感じるもの


かなり前の話になりますが、味噌カツと味噌煮込みうどんを名古屋で食べた時に、それらの美味しさがあまり分からず「ふーん、こんな感じか」と思って以来、口にすることはありませんでした。そもそも、トンカツを塩で食べる程の塩党ですから、ソースはまだしも「味噌」をつける意味が分からなかったのです。

しかし今日、ものすごく久しぶりに味噌カツを食べるチャンスが訪れました。出張で訪れた名古屋駅の「名古屋旨いもん通り」(?)みたいなネーミングのエキナカ食堂街を、打ち合わせ帰りにぶらぶらしていると、ちょうど「名古屋めしが食える店」みたいな店があり、まあ、名古屋は良く訪れるとはいえ、「らしいもの」は一度も食べたことがなかったし、いっちょ行ってみるかと、普段は入らないスイッチがONになってしまった訳です。

で、オーダーしたのが、こちら。

味噌ロースカツ定食と、手羽先。
まるで観光客のようなメニュー。

前回がいつだったか忘れてしまうくらい、本当に久しぶりに味噌カツ。お味は・・・旨い!!うん、旨い。炭水化物制限中なのに、ご飯が欲しくなるじゃないか。まあ、昼間だし食っちゃえ!・・・パクパク・・・ご飯と一緒だと、また一段と美味しい〜!と、一人飯なのにキャッキャウフフ顔で完食してしまいましたね。

味噌カツも、手羽先も、基本甘めの味付けなんですね。
塩ばっかりを好んで食べているので、たまに食べる甘めの味付けが余計に美味しく感じたのかもしれません。まあ、意外でした。

でも、まあ「たまに」でいいかな。笑

エボラ出血熱とForbes400の対比・人の生き死には極めて個人的な出来事なのか


児童の殺傷事件や御岳の噴火災害など心が痛むニュースが多い中、この記事には胸がうずいてしまった。

エボラ出血熱で数千人の孤児 親族に拒否され路上生活を送っている子供の約2割は2歳未満(画像)【huffingtonpost】


(September 23, 2014. ZOOM DOSSO/AFP/Getty Images – huffingtonpostより)

両親を亡くし、親族にも受け入れを拒否され、一人で路上に佇む子供たち。明日を夢見て眠ることを許されない子供がいるという悲惨な状況がまさに今この世界で起こっているという現実。子供達の表情を見て、この記事を読むんじゃなかったという後悔すら感じずにはいられない程、胸にうずく何かを生んでしまった。

しかし実際、この記事を読んでひどく悲しんでいる僕に、彼らが救えるのだろうか。エボラの感染拡大は悲惨な現実を生んでいるけれど、今この瞬間にも、最愛の子どもや、愛する親や、仲間を亡くしている世界中の人々の悲しみ、何らかの理由で殺されようとしている人々や、不条理に苦しむ人々の絶望と、アフリカの子供達との悲しみには、何かの違いがあるのだろうか。

ちょうど毎年好例の Forbes 400 がリリースされた。

Forbes400 – The Richest People In America 2014

毎年、大体同じ顔ぶれが並ぶ。ゲイツの8兆円に続き、バフェット、ラリー・エリソン、そして悪名高いコーク兄弟が4位、5位を締め、ウォルマートファミリーが10位以内を独占という変わらぬランキング。若干30歳、ラフなTシャツを着たザッカーバーグが3.4兆円で11位に入っているのが話題という。トップ400人の個人資産の合計と、人口2億人のブラジルのGDPが同じ額という、にわかに想像し難い富の偏りも、この世の現実として存在する。

とは言え、裕福な彼らが死の淵に立たされた時の絶望、あるいは愛する人を亡くした時の深い悲しみの気持ちと、アフリカの子どもたちの気持ちに何か違いがあるのだろうか。

人の生き死にや絶望や悲しみというのは、極めて個人的体験なのではないかと考えるのは、どこかで「人間は公平であるべきだ」「命の価値は同じだ」、あるいは「現実を見たくない」という自己納得と自己防衛本能が入り混じった考え方なのかもしれない。

香港の抗議デモのように、目に見えない力で人々の自由や平等や尊厳が奪われることもある。

世の中は不公平と不条理で満ちているかもしれない。それでも、病気であれ、地震であれ、戦争であれ、人の生き死には悠久の歴史で繰り返されてきた「いとなみ」であるし、その場その場の体験は、ごく個人的なものなのだということを受け入れることで救われることもあるのかもしれない。

それでも、何か出来ないか、何とか良くする方法はあるのか、せめて何かしたい・・・
こういう人々の気持ちがこの脆い世界を支えているのも、また事実として存在するのだろう。