人が動けば街が動く

奈良での抱腹絶倒ラウンドの後、お誘いを受けて梅田で酒場放浪記。
久しぶりの梅田飲みです。

こだわりの旬の刺し身盛り合わせが最高でした。

梅田は土曜日の夜ということもあり、すごい人出。特に若い人たちの姿が目立ちます。横断歩道や交差点も混んで歩きにくいくらい。人が動くと街も動く。

行ったお店も満員御礼。客足が普通に戻って来ているようです。このまま冬に突入していくわけですが、第六波も来ず、飲食店の数字が回復することを願います。

飲食に使うお金の一部がゴルフに回っていたのか、どこのゴルフ場も盛況でビジターのラウンドフィーも(感覚的にではありますが)高くなっていたように感じますが、徐々に余暇の楽しみ方も元通りになっていくのでしょうか。それとも、コロナで慣れたスタイルが継続されるのでしょうか。いずれにしても、個人的には毎晩のように飲みに行くというスタイルは過去のものになりそうですが。

航空関連、ホテル関連株も徐々に回復していますが、この二年間で失った損失は図りしれず、補填には相当時間が掛かるでしょうね。今後の人の動きと経済活動に注目です。

今週と来週は山から下りて、都会へ繰り出すウィーク

二週間ぶりの出社。

朝スタバによって、ホットコーヒーのトールサイズを持って会社へ。午前中客先を訪問し、午後からはラボに閉じこもってパートナーの皆さんと一緒にデバイスの評価試験でした。

山の上にいつも籠もって仕事しているので、久しぶりに里にやって来ました(猿か)

今週は設備を使う仕事があるので、金曜日まで出社。来週は月曜日から金曜日まで関東出張です。

自然に囲まれて浄化されていたのに、また都会に染まってしまうのでしょうか。笑

心地良いことを追求する自由と、自由を手に入れるための努力

今が一年で一番好きな季節です。ランニングをしていても、ゴルフに行っても、金木犀の香りはするし、紅葉は美しいし。気圧も安定しているので、体調も快調です。

昨日のラウンド

秋って、陽の入り方と空の高さがなんとも心地良くて。

素敵だな、きれいだなと思ったらすぐにポケットのスマートフォンを取り出しては写真に収める。その中から選りすぐりをインスタなどで共有。

カメラ付き携帯の発明は人の暮らしを変えましたよね。

心地の良いものに囲まれていると、そうでないものが、より「心地悪いもの」として際立ちます。自分と自分がいる環境が心地良ければ心地良いほど、そうでないものとのコントラストがはっきりくっきりするのです。

悲しいかな、世の中というものはそんなに甘くなくて、大人の事情というものがあり、付き合いたくない人と付き合わなければならなかったり、好きでもない仕事をしたり、満員の通勤電車に乗らなければならなかったりして、「心地悪い」ものを生活の中に取り入れなければなりません。

これが人生だ
すべて修行だ
人間力が向上する
苦労の先に成功がある
ここを乗り越えた時に、新しい発見がある
嫌なことを糧にして、自己成長につなげよう
苦労すればするほど、成功に近づく
人としての器が広がる
弱い人の気持ちが分かるようになる





本当にそうなのかな?
 
若い頃は、僕も常にそう言い聞かせて前向きに、ポジティブに自己暗示をかけていたのですが、最近の僕は、まったくそうは思わなくなりました。

昔はね、努力と成功が比例したんですよね。高度経済成長期はそうでしたよね。今の時代は全く比例しないでしょう。中途半端な組織の中にいる人は、がんばればがんばるほど、むしろ消耗するご時世です。

泥の中から抜け出した方がよほど幸せだし、一緒にいたくない人とは一緒にいない方がどれだけ幸せか。でもみんな「そうしなければならない」のは、ぶっちゃけ利害関係があるからなんですよね。労使関係もそうです。経済的束縛。例えば、嫌いな会社を辞めれないのは、お金が稼げなくなるから。そのコミュニティにいる理由は、出ると孤独になるかもしれないから。もし逃げたいのであれば、とにかくスキルアップにいそしみ、自分の力で金を稼げるようになればいいし、本当に好きな人とだけ繋がっておけばいい。そして、自由に選択できる力を身に着けたらいい。

目に見えない同調圧力も無用。自分が心地良いと思う道を行けば良いですし、僕もそうしています。今のトレンドがこうだから、働き方はこうあるべき、チームビルディングは、イノベーションは、ネットワーキングは、コミュニケーション、ダイバーシティは・・・って、もう聞き飽きたでしょ?んなもん分かってるって。太古の昔からやってることです。大体、手法は表面的には良いけれど、根本の問題は解決しないものなんです。

合わないなら、自由になりましょうよ。心地良い環境に身を置きましょう。そのための努力は惜しまない。楽をするというわけではないです。自由を手に入れるためにこそ、頑張ること。

そんなことを、最高のシーズンに、自然に囲まれながら考えています。

【極楽六甲トレラン】走れる幸せ、飲める幸せ

阪急宝塚駅スタート、六甲山縦走路を六甲ケーブル山上駅のテンランカフェをゴールとする、まいどおなじみ「極楽トレラン」の日です。

前日、思いがけずに腰を痛めてしまい、あーやっちゃった、これは明日DNSか・・・と気をもみながら、マッサージをしたりストレッチをしたり、考えうる限りの対策をしたのが良かったのか、起床時はだいぶマシに。それでも通常の状態とは程遠かったので、湿布を貼り、コルセットを巻き、痛み止めを飲んで、集合場所へ向かいました。

ラン友さんたちと合流し、いざスタート。腰の安全のためトレッキングポールを使うことにしました。恐る恐る走り始めると・・・あれ?なんか大丈夫そう。いけるかも。皆さんとのトークが楽しすぎて紛れたのか、走りながら自然に腰があるべき位置戻っていったのか分かりませんが、意外なほど痛みはなく、スイスイ。日頃のアップダウン走の成果が出たのかもしれません。

標高が上がってくると、徐々に木々も色づき始めます。

六甲山頂を経由して、ガーデンテラスへ。
ここでは「六甲ミーツ・アート 芸術散歩2021」が開催されていました。

記念撮影。
雲が近いでしょう。

18km、登り標高1270m、下り標高550mの山行です。
ゴールのテンランカフェで、最高の六甲クラフトビールをいただきました。

こうして、素敵な仲間と走れる幸せ、飲める幸せ。
やっぱりいいなあ・・・この幸せをしっかりかみしめました。

ご同行の皆さん、楽しい一日をありがとうございました!

環境適応能力と食欲について

もう11月なんですよね。

駅前から山の上に引っ越してきて丸三ヶ月が経過しました。人間の環境適応能力ってすごいもので、もうすっかりこの環境に慣れてしまいました。以前までは駅前の便利な場所にいたし、河川敷や海沿いなどジョギングルートもそこかしこにあったので山の上の生活には少し抵抗があったのですが、今となれば快適です。

ジョギングルートもだいたい決まってきました。
まずは見晴らしの良い場所まで登って、景色を見ながら深呼吸。

大好きな海が遠くにしか見えないのが残念ですが、爽快感はあります。

その後、電柱がなく、空が広い街を建物探訪しながら走る。
素敵な建物を見ながら走るのは最高ですね。庭造りの参考にもなるし。

当たり前のことですが山の中腹に住んでいれば、平坦な道がほとんどありません。登れば下らなければならないし、下れば登らなければならない。平坦道がなく、アップダウンだらけというところが自分の人生のようで、走りながらそういうことを良く考えます。

継続するためには、目の前にご褒美をぶらさなければなりません。

たまにハイカロリーのものが食べたい時がありますが、しっかり走ると、食べる言い訳もできます。というわけで、ラーメンとしゃぶしゃぶを週末のご褒美にしました。

それにしても良い季節です。
食欲の秋とはよく言ったものです。

木々の色づきと図書館の空気

体調もようやく元に戻り、新幹線の車窓から完璧な富士山が見えた関東出張も無事にこなし、週末を迎えています。

完璧に見えた富士山

今日は土曜日。
朝から近所をジョギングしていると、木の種類によっては徐々に色づき始めているものもあることに気付きました。紅葉シーズンの訪れに期待が膨らみます。

澄み切った青空に赤が映えますね。

電柱のない街は、空が広くて気持ちいい

とにかく気持ちの良い秋晴れ。
やはり身体を動かすのは気持ちの良いものです。お腹も空くのでご飯も美味しいですしね。

午後からは、図書館にこもっています。

元々図書館は大好きで、よく調べ物をしたり勉強をしたりするのに、自習室を利用していたのですが、コロナで居場所が自宅になり、本を借りにくることはあったとしても、図書館の自習室からは長いこと遠ざかっていました。

久しぶりに来ると、コロナ対策で自習室も座席の間隔を空けていますが、昔と変わらず若者からお年寄りまで、思い思いに本を読んだり、勉強をしたりしている姿をみて、やっぱりいいよなあ、と懐かしい雰囲気に浸っています。

これから、また徐々に通う回数が増えてきそうです。

新そばとひやおろしで感じる季節のうつろい

関東出張から帰ってきて、新大阪駅から梅田の馴染みの蕎麦屋へ。
秋といえば、新そばと、ひやおろしの季節。この季節ほど、日本人で良かったと思う季節はありません。

恥ずかしながら、今日蕎麦屋に行くまで「ひやおろし」のことは忘れていたのです。
手書きの品書きを見て、あっ!と。

そして、やはり日本酒には、新そばなのです。

飲みとか、外出とか、そういうのが少なくなってきたので、うっかり季節ごとの美味しいものを忘れていました。外に出るということは本当に大切なことですね。

(そんなに)がんばらない生き方

前回の投稿から一週間空いてしまいました。
相変わらず体調の方は低空飛行が続いていましたが、おかげさまで仕事の方は忙しく、出張の予定なども次々と入ってきてアレンジや調整に追われています。

嬉しいことに今朝、いつものように体温を測ると平熱になっていました。おお!二週間ぶりの平熱!底は脱したか!経験された方は良くご存知と思いますが、毎日37度〜38度あるのって本当にしんどいんです。ボディブローのように体力と気力を奪って行きます。薬でしか下がらない熱、先が見えないトンネル。

こういうことが定期的に起こるのですが、今回も日々、自分の身体と向き合う中で、いろんなことを考えました。

僕の場合は持病が顕在化しているので、もう、ある限界値以上のがんばりをすることができません。要するに無茶できない。なんとかこの状態を維持し、動ける時を見計らって、動く。そんな感じでだましだましの生活を送っています。

一度身体を壊してしまうと、元には戻らないものです。ではどうするか。僕が多くの意識高めの若い人たちに言いたいことは「細く長く働くのも大事だよ」ということです。

特に、ストレス耐性が強くない、あるいは体力がそんなにないと思う方は、仕事に関して「細く長く」続けていくことをおすすめしたいのです。そんなにがんばらなくて良い。このブログで10年前に投稿している記事の内容は「倒れるまで戦え動け働け」的内容だったのが、随分考えも変わりました。エリートビジネスマンを標榜し、とにかくバリバリ働いて遊んでむちゃくちゃ動くというのを良しとしていたのが恥ずかしいです。

自分がそうだったのですが、今思えばとにかく無茶な働き方をしてきました。意識も高かったので、いろんなことに挑戦し、学び、寝る間を惜しんで人に会い、呼ばれたら断らず、ホテルや空港に住んでいるんじゃないかというくらい国内外を飛び回っていました。多い年では、一年のフライト距離が地球二周以上になったこともあります。休みの日は家族サービス、マラソンにゴルフ、研修会、セミナー。当然、その分の責任もありますので、常にヒリヒリした環境の中で仕事をし、相当なストレスを感じていたと思います。実際、眠れない夜を何度も過ごして来ました。

もちろん、そのおかげでたくさんの人に出会えたし、仕事の幅も広がったし、様々な経験もさせていただきました。でも結果的に、30代半ばから40歳にかけて次々に病気が出てきて、そこから薬漬けで長いこと苦しむことになります。子供もまだ中高生だし、40代半ばで今流行りのリタイア(FIRE)することもできませんので、これからはだましだましの生活を送らなければなりません。これもなかなか受け入れがたい事実なんです。だって、自分はまだまだ出来る、動ける、走れる、登れる、飛び回れるって思っているでしょう。そうしたいし。仕事外のオンラインミーティングや勉強会も夜がほとんどですが、夜に発熱するから参加もできないもどかしさ、です。こういう「したくてもできないこと」が指折り増えて行くのですから、たまりません。

とにかく、身体は壊すと元には戻りません。

ですので、今がんばっている皆さん、忙しいのも、がんばるのも素晴らしいことですけれど、身体は壊さないように。たまにストレスなんて1mmも感じず、血液の代わりにリポビタンDが流れてるんちゃうかというほど元気な人もいますけど、ほとんどの人はそうではありませんので、ほどほどに、まあまあで。

70歳、80歳まで働けるように、「あまりがんばらない生き方」で、長く楽しくやるのも一つかと思います。

出来ないことを嘆くのではなく、出来ることを喜ぶという修行

上皇后の美智子様は、昔のようにピアノが弾けなくなったことについて、

「今までできていたことは『授かって』いたもの、それができなくなったことは『お返し』したもの」

とおっしゃったそうで、これは本当に素晴らしい言葉だと思うのですが、まだ「自分は出来る」と思っていると、なかなかそうは思えないものです。

なんでこんなに身体が言うことを聞いてくれないのだろう、あれだけ出来ていたのに、どうして出来なくなったのだろう。どうしてもそう思っちゃうんですよね。

自分ごとですが、先週から高熱が一週間続いていて、ああ、またかという感じ。今のところ下がる気配はありません。昨年は4月に一ヶ月発熱が続きました。こうなると長引くのは分かっています。仕事に支障はありませんが、薬漬けになるし、走ると熱がぐんと上がるので、この最高の季節に走ることもできません。

一年のうち、半分は体調不良なので、もういい加減受け入れようよ、これが普通だよ、良い意味で諦めようよと自分に言い聞かせようとするのですが、まだまだ美智子様の境地には達することができず。焦るし、落ち込むし、しんど過ぎて辛いし、修行が足らんなあ。

こういう時は、今出来ることを書き留めるようにしています。
どんな小さなことでも、当たり前のことでも出来ることを書き出す。

意外とたくさんあるものです。
今できることに目を留めて、それを喜ぼう。

世界を広げるというのは人脈を広げるのではなく、関心の対象を広げるということ

良い天気が続いていますが、ちょっと気温が高過ぎますよね。
昨日は久しぶりにランニングチームの練習会で中之島から大阪城を走りましたが、暑さでやられてしまいました。もうちょっと涼しくなってほしいなあ。

でも、空はちゃんと秋空なんですよ。
美しい空。

昨日考えていたことをツラツラと。
自分の世界を広げよう、見ている世界を広げよう、とこのブログでも何年も前からことあるごとに書いてきたのですが、これ、人脈を広げようとか交友関係を広げようということとは少し違うのです。

言いたいのは「関心の対象」を広げようということなんですね。

点で見るのではなく、その先の枝葉を見る。木を見るのではなく、森を見る。たとえば、岸田ショックなんて言われていますが、株価が下落したのはなぜなのかと、「なぜ」を考えて、調べてみる。「ああ、下がっちゃった」だけではだめなんです。そこから先に関心を向けて調べてみる。株の変動が「金利上昇」と「企業業績」に基づくのはなぜなのか、ブランドイメージやイノベーションであまり変動しないのはなぜなのかと考えて調べてみる。なぜ金利が上昇しているのか、その要因を調べてみる。金利の上昇がインフレ懸念であるなら、インフレリスクと金利の関係を調べてみる。日本が貧しくなっているのはデフレ局面からスタグフレーションに移行しつつあり、これが相当ヤバいということが分かるようになる。そうすることで全体の大きな流れを把握することができます。

技術でもそう。先日マイカー乗り換えのタイミングでコネクテッドカーとはなんぞやということを簡単に書きましたけれど、表に現れる車の機能の裏側にはどのような技術が使われているか、どのような部品が必要か、どのようなリスクがあるか、このあたりにまで関心事を広げて調べて見る必要がある。そうすると、昨今の半導体不足や、中古車市場の値上がりの要因、今後必要とされる技術のイメージまで予測することができるのです。

点だけで見て物事を理解した気になり判断するとロクがことがありません。関心事の範囲が狭い経営は、目先だけしか見ない経営と同意義です。仕事でいうと日雇い労働と同じ。目先一年先までは仕事をもらえて食えるかもしれないが、ちょっと身体を壊したり、市況が悪くなると一瞬で食えなくなります。数年先なんてどうなっているか全然分からない。まあ大丈夫だろう、ではダメなんですよ。もし自分の会社がそういう「目先経営」(問題先送り、長期的利益ではなく目先の利益を追う、コアビジネスがない、明確なビジョンがない、数値目標が3年以上未達成、お客様第一など、誰でも言えるようなふんわりした理念を掲げている)の色が濃いとしたら、一刻も早く逃げた方が良いです。マジで。ちなみに「目先経営」と「ピボット」はリンクしません。

ちょっと企業レベルの話になりましたが、経営者はもちろん関心事を広げることは当たり前ですし、経営者でなくても個人レベルで関心事を広げることは自らのスキルアップのための必須事項です。狭い世界で目先だけを考えることのリスクは計り知れません。

これを習慣づけると、結果としてビジネスで必須とされる「抽象化能力」が身につくし(2021年3月23日「本質を見極めることと、抽象化能力の関係について」参照)、必要な情報を入手するため、あるいは学ぶために様々な勉強会やセミナーに参加するようになるので交友関係(人脈)も広がります。

というわけで、関心の対象を広げること。事象を深堀りすること。
特に若い方はぜひ意識してみてください。