先日、ある大きな組織の重役と一緒に飲んでいた時に、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉が話題になりました。もう昔からある言葉で、どんな文献にでも引用され、ビジネス書にもさんざん書かれている言葉ですが、この言葉の意味が分からない人が多い、というのです。
この言葉の意味は、「人は学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ」として知られています。
企業や組織のトップ、学問を極めた人こそ、腰が低く謙虚である、ということはいつの時代も変わりません。人望が厚い人もそうです。僕も幸い、このような素晴らしい人格を持った方を幾人も知っています。(その逆もまたしかり、ですが)
しかし、「腰が低く謙虚である」という言葉の意味を、「卑屈になること」と捉えたり、「縮こまる」こと「卑下する」こと、「大人しくする」というように捉えている人が増えていると、その方はおっしゃっていました。なんだか負けを認めているようで反発する人が多い、と。
いや、むしろその逆だよ、と思うのです。
僕自身は、「謙虚さ」というのは「強さ」だと捉えています。
いくら自分が偉くなったり、立場が出来たとしても、「我以外皆師 (われいがいみなし)」= 自分以外はみな先生だと思って接すること、それが謙虚さ、なのです。そして、このような態度は「強みを活かす組織づくり」と密接に関係しています。なぜでしょうか。
強みを活かすためには、人の良い点(強み)に常に目を向けなければなりません。そうする時に「自分以外はみな先生」という考えを常に持っていると、人の弱さに目を向けず、強み(=学べる点)を意識して探すようになります。
相手の得意な分野、強みに目を向け、その人の強みを活かすことは、強い組織を作る上で不可欠です。前回のブログ記事(組織で働くことの一番の意義は、「強みだけを生かし弱みを意味のないものにできる」こと。強みを見つけて、その強みで貢献していきたいものです)で、ピーター・ドラッカーの言葉を引用して、そのことを書きました。
皆がそれぞれの強みに目を向け、その強みを持ち寄って活かし合う組織はなんと素晴らしいのでしょう。そのためには、個々に「謙虚さ」が求められます。加えて、相手に敬意を払い、感謝の気持ちを忘れないこと、自分がしたいことだけをするのではなく、チーム内での最低限のマナーやルールを守る、という思いやりも必要でしょう。
このような組織は、弱点を指摘し合って、足を引っ張るような陰湿な空気ではなく、前向きでプラスの循環が生まれます。働く人間は幸せで、お互い学び合い、褒め合い、強みを活かせるので売上も業績も向上するでしょう。
人は生き物ですから、いろんな感情を抱えています。プラスのもマイナスのも。
でも、少し目線を変えて、謙虚な気持ちで周りを見てみると、自分も楽になりますし、多くを学ぶことができ、ひいては自らの成長に繋がります。
そんな集団を作りたいし、その中で自分も「謙虚さ」を忘れないでいたいものです。
投稿者「tmkbase」のアーカイブ
組織で働くことの一番の意義は、「強みだけを生かし弱みを意味のないものにできる」こと。強みを見つけて、その強みで貢献していきたいものです
現代経営の父、ピーター・ドラッカーの名著「ドラッカー名著集6 創造する経営者」の中に、僕の好きな一文があります。
人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。人とは費用であり、脅威である。
しかし人はこれらのことゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。
組織の目的は人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。
創造する経営者
これはマネジメント層に語られた言葉ではありますが、働き手の視点で見てみると、組織で働くメリットは、ずばり「自分の強みだけで仕事ができる」ことにあります。
例えば、営業が得意な人、コーディングが得意な人、経理が得意な人、いろんな「得意」がありますが、すべてを出来る人はほとんどいません。自分が一人会社の社長だとしたら、営業、製造、仕入、管理、経理、すべて自分がしなければならないのです。それは大変なことですし、必ず抜け漏れが発生します。
でも、組織(会社)なら、働く人間それぞれ得意分野が違うわけですから、僕のように営業が苦手な人間でも、他に強みがあれば、その分野で仕事をさせてもらえるのです。
有用な人間になるためには、まず自分の強みを知ること。
自分で分からなければ、同僚や上司に聞いてみるのもありですよ。
無理して苦手なことを克服しようとしたり、興味のない分野で努力するよりかは、自分の強みをどんどん伸ばす方が圧倒的に組織で用いられますし、転職したり、独立したとしても、その強みがほしい会社はたくさんあるはず。出来ないことは無理にしない。その代わり、出来ることを一生懸命、人一倍がんばる。そうすることによって、チームに貢献する。
明日から本格的に社員面談がスタートしますが、自分にはない強みを持っている仲間たちに、いつも感謝していることを伝えられたらと思います。強みを活かして、伸び伸びと!
【どうでもいい話】寝言って、なんで言うんでしょうね
人間って、なんで寝言を言うんでしょうね。
僕、よく寝言を言うらしくて。自覚があるものもあれば(自分の寝言で目を覚ますこともある)、全く自覚がないものもあります。同居の家族にとっては迷惑な話ですけどね。
先日、早い時間にリビングで寝ていた時に、また寝言を言ったようなのです。
起きていた妻が忘れないようにと、僕が言った寝言をそのままLINEで送ってくれたのですが、それがこちら。
「ほらーどけどけどけー」
「いえーい」
朝起きて、妻からLINEが来ていたのでなにこれ?と思ったら、パパ、0時くらいに楽しそうに寝言を言ってたよ、と。テスト勉強で起きていたという次女も、うん、パパ嬉しそうだった、ハイテンションだったと。
何を嬉しそうに蹴散らしていたんでしょうね。
普段「どけどけー」なんて言葉使わないし、「いえーい」は日常生活で言う言葉じゃないし、不思議なものですね。
恥ずかしいです!
神戸海沿い25kmラン:船の上で撮っているように見えるでしょう
来春の富士五湖ウルトラ100kmの部にエントリーしたので、残り4ヶ月は意識してロング走に取り組まなければなりません。
週末はバンバン予定が入ってくる(あるいは、入れてしまう)ので、先に来年のGoogleカレンダーに、原則月2回のロング走の予定を入れました。
僕がいうロング走は、せいぜい30km〜50kmです。最近お会いするランナーさんたちは、平気で一日70km走ったり、100kmを三週連続走ったりするので、なんだか距離の感覚がなくなってきました。もはやフルマラソン42kmがハーフマラソンのような感覚です。でも、そういう考えの方が、ウルトラマラソンを走る際の精神的、肉体的ハードルを下げてくれるのかもしれません。僕も早くその感覚に慣れて行きたいと思います。
今日のコースは神戸海沿いラン。
HAT神戸をぐるぐる。これぞ港町、神戸の景色ですね。
船の上で撮っているように見えるでしょう?
25km走って、帰宅。
テスト前で自宅で一人お留守番しながら勉強中の長女を誘って、ラーメンに。ラン後のラーメンは格別に美味しいのですが、いかんせん、食べすぎてしまいます。車なので、ノンアルで。
まとまった距離を走ると気持ちいいですね。
とはいえ、まだまだロングとは言えません。これからどんどん距離を伸ばして行きたいと思います!
ハードな週日が終わり、ハードな週末がスタート
昨夜、出張先の新横浜から帰宅。
5日ぶりの我が家です。帰りの新幹線(金曜日の夜だというのにガラ空き)で崎陽軒の炒飯弁当を食べながら、秒速の一週間を振り返っていました。これから本格的に年の瀬に向けてジェットコースターです。
平日も忙しいですが、週末もランにゴルフに仕事に大忙し!最高です!誰だこんなスケジュール組んだのは!(自分)
冬の早い時間のスタートは起きるのが厳しい反面、暖かいうちに上がれるし、暗くなる前に帰って来れるのでいいですよ。今日も素敵な方々と楽しくラウンドをさせていただきました!ご同伴のみなさま、感謝です。
ホームコースの千刈カンツリークラブでのラウンドは、今年残すところあと一回です。
酔っ払って帰ってきた朝のスマホの検索履歴に「ダブルピース」と残っていた時
会食の後、そのままバタンと出張先のホテルで就寝。
翌朝、なぜか起床時に手の平にはスマホが。見ると「ダブルピース」と検索していた履歴があった時にどうすればいいのでしょうか。
酔うと思考がプリミティブになるといいますが、それでいうと僕の本音、もしくは本質は「ダブルピース」だったのか!小学生!
そんな日の朝は、近くの日産スタジアムの周りをぐるぐる。
出張時の旅ランは最高ですね。
全然人に会わないので、安心です。
今年お世話になったお店へ年末のご挨拶(からすみ大根と日本酒編)
今年の関東出張で一番お世話になったお店へ、年末のご挨拶。
いつも座らせていただくカウンターの席で、大将の手さばきを拝見しながら日本酒を。美味しいお魚とお酒をありがとうございました。
「年内最後と言わず、年末までにあと二回は来てくださいよ(笑)」と言ってくださるのはとても嬉しいのですが、今週が年内最後の関東出張となりそうです。
こうして、旅先で覚えていただけるお店があるというのはとても嬉しいこと。出会いは一期一会ですね。大切にしなければなりません。
さて、今日のラインアップです。
旬の牡蠣。
日本酒各種
日本酒のアテとして、のどぐろと並ぶツートップ、手作りのからすみ大根。
なんて美味しいのだろう・・・
今週はあと三日。
非常にハードに仕事をしていますが、なんとか乗り切って行きたいと思います。
待ってろ富士山!2021チャレンジ富士五湖ウルトラ100kmの部にエントリー完了(大会開催されますように)
来年の富士五湖ウルトラのエントリーが始まっているよ〜とラン友さんたちに教えていただきまして。次々と大会が中止や延期になる中、軽く目標を見失いかけていた僕の心に火がついてしまいました。
大会の正規な開催可否の決定は2/17ということ。なんとか開催されるといいのだけど。
2019年に走った富士五湖ウルトラの記憶がとても鮮明で(完走後の足の痛みの記憶も同様に)、辛さや苦しみなんてすっかり忘れてしまって、前夜祭も後夜祭も含めて、楽しかったあの大会にまた出たいなと思う気持ちが抑えられずにエントリーです。今回はちゃんと準備して走り込もう!
今回は、2019年の12時間31分を超えたいなあ。
準備あるのみ!
僕たちは広くて大きな世界を見るよう教えられ過ぎたのではないだろうか
ほら、猫だって窓の外を眺めているだけで幸せそうだよ。スマホも持っていないけれど。
常に何かを追いかけ何かにを追われ、人の目と評価を気にし、ダウンサイジングよりもスケールアップを良しとし、持たないよりかは持つ方を優先し、小さな世界よりかは大きな世界を見るように教えられてきた。
そう教えられすぎて、そうならなくちゃいけないと思い過ぎてきたのではないかなあ、とYoutubeの北欧暮らしのチャンネルをボーッと眺めながら考えるのです。
窓辺の猫は、何も持っていないけれどとても幸せそうだし、眠たくなったら心地の良い場所を探して寝ることができるような時間と自由を持っている。でも、人間は何かを手に入れようとして背伸びして、でも届かなくて、無理に手に入れようとするけれど、計画通りに行かないことが発生した時に破綻し、絶望する。自分で自分に足かせを掛けているかのように。であれば、元から自分の手の届く範囲の中で満足し、出来ないことは無理にせず、出来ることをその範囲の中だけでやればいいんじゃないかな。
今年の暮れになって、相変わらず自分で自分を苦しめている人もいるし、自分の選択の結果、何かに追われ続けている人を見るにつれて、ああ、もっと楽にできるんじゃないかなと思うのです。本質的な部分で、思考転換の時期に来ていると思います。小さな世界でもいいから、手の中に収まる幸せを考えましょうよ。
早朝の空に満月
12月に入ったので心機一転ということで、久しぶりに平日の朝ラン。
こんなに冬の早朝の空気はクリアなんですね。
いつも走る地元の川なのに、絵葉書のよう。
満月のお月さまです。
海面に月光が映ってとても美しい。
ひょんなことから、またまた故障気味。
今度は肩。上がりません。これからコンペ続きなのに!
しかし、出来ないことではなく、出来ることに目を向けて、感謝の気持ちでがんばろう。きれいな空を見上げると、そんな風に思います。