気づくと、それが当たり前になっている。
なにかを始める前は「こんなこと出来るのかな」とイメージすらできなかったことでも、少しづつ続けていけば、それがいつの間にか出来るようになり、出来て当たり前になっていることってありますよね。
ジョギングを始めた当初は3kmしか走れなかったけれど、少しづつ距離を延ばしていくとフルマラソン完走が当たり前になっている。僕も最近、隙間時間が3時間あれば20kmは走れる事に気づき(今さら)、こまめに距離を重ねています。以前はロングを走ろうと思ったら、それなりに気持ちを固めて時間を確保しなければならなかったのですが、意外とできるものです。
仕事でも同じで、とてもありがたいことに様々な方面からご相談をいただいています。自分が駆け出しの20代の頃には考えられなかったようなハイレベルなプロジェクトに次から次へと参画させていただき、ふとPCから離して目を上げた時に「思えば遠くへ来たもんだな」と思うことが増えてきました。そして、今ではそれが当たり前になっている。「あんな人たちと仕事したいな」「あんなプロジェクトに参画したいな」と昔憧れていたことが、今は目に見える日常の光景になっている。自分が重ねてきたことは間違いではなかったと、悩みもがいていた若い頃の自分に言ってあげたいです。
ここまではポジティブな「いつの間にか当たり前になったこと」ですが、ここ数週間で世界がガラリと変わるのを見て、ネガティブな意味でも「いつの間にか当たり前」になることってあるんだなと実感しています。戦争が始まる時は突然始まり、人々の考え方もガラリと変わる。自分の命が危険にさらされる可能性が現実的に分かった時、まず安全な場所と食料の確保に動き、すべてを捨てて逃げ、敵が目の前に迫ってきたら命をかけて戦う。
それまで、カーボンニュートラルやSDGsやコロナ対策が主な課題だったのが、一夜にして、エネルギー確保、食料確保、防衛、避難がメインイシューになる。有事の際は、命を守るために逃げ、隠れ、水と食料と燃料を確保するという極めてプリミティブなことが目先の関心事になり、命を守る時にはリサイクルとか省エネとか悠長なこと言ってられないのですよね。21世紀、宇宙開発や最新技術がどうのこうのと言っても、未だに第二次世界大戦の時のような戦い方が現実に目の前で起こっている。市街戦って21世紀もあるんだ。なんなんだこれは。自分がタイムスリップしたのかなと目を疑うくらいです。
カーボンやSDGsを議論出来ている時って、平和な時だからこそなんですよね。良い意味でも悪い意味でも変わる時は変わる。自らの成長は個々の努力に依存するけれど、不可抗力で変わる世界もある。そしてそれがいつの間に当たり前になる。
そんな時、一個人としてどこに目を向けるか、何に集中するか、問われている気がします。遠くと近くの両方を見るという視点のバランスが大切なのでしょうね。
投稿者「tmkbase」のアーカイブ
挑戦するために、基盤を安定させる。基盤が安定しているから、挑戦できる。
気持ちの良い場所、というのは人によって様々かと思います。
海が好きな人、山が好きな人。外が好きな人、家が好きな人。
いずれにせよ「ああ、ここ気持ちいいな」「落ち着く場所だな」と思う場所って誰しもありますよね。なぜそう感じるのかと考えたのですが、あえて定義付けするのであれば、馴染みの場所であるということ、慣れているということ、良い思い出があるところ、雰囲気が自分とマッチしていること。そのような複合的な要素が組み合わさってそう思うのかもしれません。
僕もそういう場所は色々とあるのですが、東京に行ってそう思える場所は定宿にしている半蔵門のホテルと、皇居周辺です。半蔵門駅に降りて、地上に出ると定宿が目の前にあります。その道に出るだけで「ああ、帰って来たな」と思うのです。なんだか自然と笑みがこぼれてしまいます。それほど自分にとっては馴染み深い場所なのかもしれません。不思議ですよね、実家でもないのに。
皇居周辺も、もちろん大好きな場所です。
東京のど真ん中にありながら凛とした空気が流れていて、丸の内の近代的なビル群と緑のコントラストが美しい。ここなら何周でも走れてしまうのではないだろうかというくらい体も軽く感じます。
せっかくだから色んなところに泊まりたい、色んなお店を開拓したいという人も多いと思いますが、僕はどちらかというと逆のタイプ。一つお気に入りの場所を見つけると、あまり変えたくないタイプの人です。食べることは大好きですが、その店でお気に入りのものがあれば、結構そればかり頼んでしまいます。
忙しい日々の中で、一つのことに集中するために、心の状態をフラットに保ち、乱されないようにするための安定を、居場所と環境に求めているのかもしれませんね。特にビジネスシーンにおいては。出張先のホテルのような場所は拠点=基盤ですから。そのような決まった場所があるというだけで割と幸せなのかもしれません。
逆にビジネスや趣味に関して、どんどん新しいことにチャレンジしたいと思っているしそうできているのは、ステイブルな居場所を作れているからなのかもしれません。
アクティブに挑戦するために、基盤を安定させる。基盤が安定しているから挑戦できる。どちらからでも言えますね。
達人たちに学ぶ、時間の上手な使い方
「焦るな、急げ」という言葉があります。
この言葉の中で使われる「急げ」は「動け」という意味があると思っています。時間がないのであれば、あれこれ考えずまず動くこと。焦るくらいなら手を動かせということですよね。
たとえばマラソンのように、一つのレースを自分の思うように走りたければ、積み上げ型の練習が必要になります。その練習時間をどう捻出するかが大きな課題になります。それはマラソンだけでなく、すべてのスポーツにも言えることですし、スポーツだけでなく、例えば一枚の論文を書こうと思うと、その裏側に膨大な調査時間が必要になるのと同じですよね。
普段忙しくて時間に追われることが多い中、「時間の達人」というべき人が周りにたくさんいて学ばされることが多いです。忙しく働いているのに、毎朝、早朝から走っている人。会社を経営しながら月間500km走っている人。
予定が立て込んでいるのとタスクが膨大に積み上がっていて(それでもゴルフの予定は毎週入っているという・・・笑)、4月のウルトラマラソンを前に、ほとんど走れていない自分がいて焦っています。
いや、焦るなら急げ。考える前に着替えて走り出せ。
そういうわけで、皆さんがされているように隙間の2時間を使って20km走ってみました。2時間あれば意外と走れるものです。エイヤと出かけて良かった!
すべきことが決まっているのであれば、考える前に動く。
ちょっと追い込んで行きたいと思います。
それでも季節は進む。霜柱と梅の花。
まだまだ寒い日が続きます。
昨日の朝は、庭に霜柱ができていました。子供の頃は、踏むとサクサクする感覚が楽しくて、よく霜柱を探していましたっけ。
それでも季節は順調に進んでいるようです。
自宅の梅の木も日々開花する花が増えてきました。一日一日、満開に向かっているのが楽しみです。
ランニング中にもあちこちで梅の花が咲き始めているのを目にします。こちらは紅梅ですね。
自然が多い環境に身を置いていると、季節のうつろいを直に感じることができます。
天皇誕生日の祝日は和歌山に遊びに行きました。「和合の松」というのがあり、松の木と岩が同化しているような、まさに和合、融和の象徴のような木です。
いつの時代からか分かりませんが、「ずっとそこにある」という事実が、人間の寿命や時代の変化、技術革新などの時間軸をはるかに超越していて、今地球上で起こっている様々な出来事のなんと儚いことかと感じます。
それでも歴史の延長に今があり、今が未来に繋がっていく。それぞれの時代の、名もなき人たちの人生をこの松は見続けてきたのでしょう。そして、ずっと大切に守られてきたのでしょうね。
毎年のようにいろんな出来事があり、一ヶ月先の状況すら見えない世の中ですが、どの国の人も平穏に過ごすことができ、自分自身も日々小さな努力の積み重ねができればと願うばかりです。
気持ちの持ち方と身を置く場所によって、見える景色の色が変わる
先日投稿した記事「実務家の皆さんから得る学び」(2022/2/11)に対して多くの反響をいただきました。通う学校や、勤め先の会社など、すぐに環境を変えるのが難しいこともありますが、自分の気持ちの持ち方と付き合う人間は選ぶことができる、という点に共感をいただいたように思います。
人間って周りの環境に大きな影響を受けます。
朱に染まれば赤くなるのと同じで、ポジティブな人たちと一緒にいると自分もポジティブになるし、勉強大好きな人と一緒にいると自分もそうなるし、お金持ちと一緒にいると自分もそうなります。(←いやこれマジで。理由はまた別の機会に書きます)
親の立場の方なら分かると思いますが、子育てをする時にできるだけ良い環境で育てたいと思うでしょう?(人によって「良い」の定義は異なります)なぜそうしたいかというと、その子の人格形成に環境が大きな影響を及ぼすからです。知らず知らずのうちに周りの人の言動や思考パターンの影響を受けているんです。だから本当に、付き合う人、周りの環境って大切なんですよね。
環境といえば、社会人にとっては「職場」が一番気になるところです。
よくキャリアについて相談を受けることがあるのですが、僕なりにアドバイスをしていることは、「本当について行きたいと思う上司、リーダーがいるか?」「寝る前に明日の出勤が楽しみに思えるか?」「人生の大切な数年〜十数年を捧げたいと本気で思える会社か?」という点を自問自答することです。
もう少し細かく書くと、
・会社の雰囲気が明るく、ポジティブかどうか
・社員のスキルや技術を向上させるための施策を会社が積極的に推進、支援しているか
・次世代のリーダー育成に投資しているか
・一人ひとりの生産性が高いか
・社員に対して心身の健康を促進するための施策を実施しているか
・社長に対する社員の信頼が厚いか
・問題課題を先送りせず、リーダーの意思決定のもと迅速に対応しているか
このチェックリストに「否」が多い会社は早かれ遅かれ先細るので、今から離れるか、離れる準備をした方がいいです。
上記は働き手目線の問いかけになりますが、反転させれば経営者の目線として「従業員の心身の健康を守ることができているか」「従業員が安心して満足して仕事を長く続けることが出来る会社づくりが出来ているか」が会社の利益を増大させ成長を持続させることができる大きなポイントになると思っています。(加えて、ピボット力も大切です)
このテーマについてはいずれ、働き手目線、経営者目線の両方から、これからの時代に伸びる会社とそうでない会社の違いについてまとめてみたいと思います。
筋肉を痛めつける週末
土曜日に大阪城公園で所属ランニングチームと姉妹チームの合同練習会がありました。日頃から鍛えているつもりでも、コーチ指導の元で正しく筋肉を動かすことが、こんなにもしんどいものか・・・と改めて実感した週末です。
前回の合同練習でも、わずか一時間程度の練習にも関わらず、翌日ひどい筋肉痛で悶絶。今回も普段使っていない筋肉を容赦なく刺激していただき、予想通りのひどい筋肉痛。人間の体って無意識のうちに楽な方、身体のクセに沿った方に行ってしまいがち。普段のランニングから正しい姿勢で走るという意識が大切ですね。自分の場合はとにかく股関節の硬さが問題。日頃のストレッチとトレーニングで可動域を広げることを意識したいと思います。
それにしても、皆さんハードにやっておられます。追い込み力がすごい。
喉元すぎれば・・・ではなく、学んだことを日常生活に取り入れようと思いを新たにしました。
筋肉痛をひきづりながら、日曜日は所属ゴルフクラブの月例コンペ。競技なのでこちらも真剣です。ショットが良ければパットが悪く、パットが良いと、今度はショットが悪くなる。典型的なアマチュアゴルファーの領域をなかなか脱することができませんが、何回かは納得のショット、チップイン、ロングパットなどもあり、次回に繋がるゴルフが出来たことは収穫です。同組の楽しい皆さんとの爆笑ラウンド、そしてベテランキャディさんのアドバイスも的確で助かりました。
これから春にかけてウルトラマラソン、ゴルフのシーズンに入ります。今年はちゃんと目的意識を持って更なるレベルアップを目指して取り組んで行きたいと思っています。(←仕事もしろ)
実務家の皆さんから得る学び
どうせ同じ景色を眺めるなら、どんよりとしたモノトーンより、クリアで明るい色の景色を見たいものです。そのために、自分の心を常に健全で前向きに保っておくことように務めています。そうすれば目の前で起きる事象をすべてポジティブに受け入れられるし、相手を褒めたり、認めたり、前向きな意見を伝えることができますから。
人間ってほっておくと自然にネガに引っ張られる生き物だと思います。生き物なので、生存本能がそうするので仕方ない。だから「引っ張られないよう意識する」ことが大切なんだと思います。少なくともネガに引っ張られたとしても、それは自分の心の中で受け止めて、受け入れて、しまっておく。外には出さないようにしたいものです。
すぐに否定したり、ひがんだり、疎んだり、重箱の隅をつつくようにアラ探しをしたりする人がいるのは、きっと心のコンディションが悪いからなんでしょう。そういう意味では、周りの環境もとても大切で。常に気持ちの良い人たちに囲まれていると、自分もそうなりますよね。朱に染まれば赤くなる。誰と付き合うか、どんな環境に身を置くか、これらの要素はすごく大切です。集中して勉強したい時に図書館に行くのは、周りもみんなそうしているからですよね。そのような環境では自分も周りと同じように黙々と勉強が出来てしまうのです。
今週はオフの時間で様々な団体の企画に参加させていただきました。
自分が住んでいる自治体の市長とリアルな場で意見交換させていただいたり、3月の政策カレッジに防災担当参事官をお呼びして開催する勉強会の企画について意見をさせていただいたり、はたまた地元関西の活性化についてのイベント企画を仲間と一緒に考えたり。こういうことに取り組んでおられる方々ってみなさんとても前向きで素敵な方ばかり、まさに僕の今年のテーマである「Desgin a Better future」を地で行く方々です。
見る視点によってみなさんの考え方もそれぞれで。例えば地方行政では、使える資源をどう使うか、手元にある予算をどう按分するか。地域活性化では、人を呼び込むためにどのような仕掛けを考えるか。ハード面とソフト面でそれぞれ得意分野はあるものの、実務家だからこそアイデアも出る。たまにロジックや知識だけ豊富で実践経験や修羅場を踏んでいない人が現場で何もできないという場面に遭遇することがありますが、やはり手を動かし、汗をかき、実務の場数を踏んでいる人は強い。
そういえば、先日尊敬する経営者の友人と一緒にお茶していた際、「恋愛塾塾長、恋愛経験なし」というキーワードが出てきて大爆笑しましたが、知識だけ豊富で実践なし、という人にならないように自分も注意したいと思います。
少し話がそれてしまいましたが、気持ちの持ち方と身を置く場所によって、見える景色の色が変わるのは確か。与えられた時間を漫然と過ごすのではなく、一分一秒を大切にしていきたいと思います。
受け皿は大きい方がいい。そして十分なスペースを空けておく方がいい
忙しい日々が続き、ブログの更新が少し空いてしまいました。この期間に何があったかというと、何も特別なことはありません。仕事して、走って、ゴルフをしていただけです。それだけといえばそれだけ。
その中でもちょっとしたイベントといえば、2/2に46歳になりました。コロナの影響で二年連続、日本国内で過ごす誕生日です。それまではこの時期、毎年シリコンバレーに出張していてカリフォルニアで誕生日を迎えていたのです。
思えば良くここまで生きてこれたなと思います。家族も子どもたちも元気だし、自分もまあまあ健康だし、なんとか生活も出来ている。すべては周りの皆さんのおかげです。自分の力だけでは何ひとつ出来ませんでした。
四捨五入して50歳。いよいよこれからは周りの皆さんと社会に対して恩返しをしていくフェーズに差し掛かってきたなと思っています。今年はまさにそのための始動の年、Design a better future, です。
そのために、昨年から自分が身軽でなければならないと思い、自由に動ける環境を作る準備を進めて来ました。そして自分のアンテナに「良いと思う」ものを同じ波長でキャッチしたものに対して自らのリソースを割くことができるよう、モノ・考え方、人間関係、環境を含め、いろんな意味で身辺整理も進めてきました。
時間と心に余裕を持ち、常にパツパツ・カツカツではなく、不要だと思うものは整理して、自分という「受け皿」に十分なスペースを空けておくこと。そして、「ここ」というところに集中してリソースを投下できるように動きました。
そうすると、空いた隙間をちゃんと埋めてくれる人やモノが出てくるんです。今本当に必要な人たちがすごいタイミングで現れる。不思議なものです。僕は専門家ではないので間違っているかもしれませんが、自分の解釈として、断捨離というのは古きを捨て、新しきを受け入れるということ以上に、自らをアップグレード、再構築するための手段なんだなと実感しています。願わくば、その結果として本当に大切な人たちを幸せにできるかもしれない。
泥のように苦しかった数年の期間を経て、見える景色も周りの環境も付き合う人たちも大きく変わってきました。空が明るく広くなり、気持ちも晴れやかです。もちろんこれから先、下の写真のショートホールのようにトラップがたくさんあるかもしれませんが、それすら楽しんで行こうと思っています。
最後に、誕生日に際してたくさんの方からメッセージをいただきました。皆さまのおかげで生かされています。いつも応援していただいて本当にありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
あれから一年
母が亡くなってから一年。
自分は意識していなかったのに、不思議なことに母が夢に出てきました。すぐそこにいるのに手を伸ばしても届かないもどかしさを感じ、泣きながら目を覚ましました。悪夢を見て叫びながら目が覚めることはありますが、泣きながら目が覚めたことはあまり記憶にありません。良い年をして恥ずかしいことですが、やっぱり意識のどこかに母を失ったことが常に残っているのだなと思います。
この一年で自分自身も周りの環境も大きく変わりました。
これからの道を切り拓こうと様々な動きを行って来ましたが「どうなりたかいか」ということへの関心はまったくなくて、「どうありたいか」を念頭に進むべき方向を絞ってきました。たどり着く場所を決めて地図に則って進むのではなく、コンパス = どうありたいか が指す方角に進む。結果的にたどり着く先はどこでもいい。
どうありたいか。
困っている人がいれば手を差し伸べ、必要とされる場所があれば飛んで行く。仕事もプライベートも関係なく、より良い(Better)な社会について考える。そのために身軽でありたいと思う。でも価値観が違う、波長が合わない、考え方に同意できないところからは距離を置く。「なんでもする」というのはもうやめにして、本当に力を注ぎたいと思うところに注ぐ、そのメリハリをしっかりつけてきたのがこの一年でした。
ただ、やっぱり「認めてもらいたい」という思いに変わりはなく、一番認めてほしかった母がいなくなって心にぽっかり穴が開いている状態に変わりはありませんが、逆に良い意味で力が抜けて「良い」と思う方向に自然に進むことができている実感も出てきました。
自分に何が出来るのだろう。
出来ることは少ないかもしれない。色々と失敗することもあるけれど、すべての出来事に意味がある。自分にできることはコンパスの精度を上げることだけ。この一年、本当にたくさんの方々に支えていただいた感謝も忘れずに。
気持ちをしっかりと保ち、毎日を丁寧に生きて行こうと思います。
世の中もっとシンプルで良いのではないのかなと思う時があります
世の中もっとシンプルで良いのではないのかなと思う時があります。
カオス理論のバタフライ効果ではないですが、ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こすかの如く、世の中は複雑にシステムが絡み合っていて、何かの偶発的現象が別のどこかで不具合を引き起こすようなことが毎日のように起きています。
オミクロン株のまん延と、マクドナルドのポテト不足が関係しているのも同じですよね。一見、まったく関係のない二つの要素がリンクする。株価もそう。インフレ懸念のテーパリングは理解できたとしても、なぜこれほど株価が不安定なのかここまで社会の仕組みが複雑になってくると、将来どうなるかの予想なんて専門家でも難しいのではないでしょうか。
マクロからミクロに視点を移しても同じで、例えば組織運営も、売上予測も、人流も、目先は見えても3年先なんて分からないもの。世の中、ある一つの出来事でガラリと変わってしまいますからね。そこで必要なのは賢い頭や理論ではなく、変化に柔軟に対応できるかどうか、あるいはピボット力ともいうべき方針転換力だと思っています。
冒頭の「世の中もっとシンプルで良い」という話題に戻すと、最近Youtubeで、うどん屋、そば屋、寿司屋などの厨房に密着し、仕込みから提供までを見せてくれるチャンネルにハマっていまして。すごく学ばされるのです。
特におすすめは、「うどんそば 大阪奈良」や「鮨、寿司専門」などのチャンネル。職人さんたちの長年の経験と技術による一切の無駄がない洗練された動き、素材に対する愛、お客さんに対する対応、厨房での笑顔、これらを見ていると、ただ「旨いものを提供する」というシンプルな目的に対して持てる武器すべてを集中させるというプロ意識に感服します。
老舗の店では雇用者と従業員が家族のような関係で、高齢の板前さんと腰の曲がった女将さんと一緒に、若いベトナム人の出稼ぎの女の子が屈託のない笑顔をお客さんを見送る様子などを見ていると、そうそう、仕事って本来こうだよなと思って、胸が熱くなるのです。
自分はとにかく「カオス」をどうにか紐解き、理解しようと思っていたのかも。土台無理な話なのに。世の中はもっとシンプルでいい。なんでも効率化とかKPIとかKGIとか、結局そんなの、コンサルタントの飯の種でしかないんだよなあ(怒られるやつ)。だって、本当に社会課題を解決するソリューションがあれば少子高齢化も解決できるし、税金、物価、社会保険料は毎年上がれど、30年間も可処分所得が増えないなんてことになってないでしょう。働くだけ貧しくなってしまうという、おかしなシステムなんですよね。ちなみに、今年から来年にかけてはもう一段厳しくなると思います。グローバル化って色々と日本には合ってないんでしょうね。
日本はもっと日本らしいやり方がある、と、特に和食の個人店の厨房を映像で見ていて実感します。良いものを安く仕入れ、それを技術で美味しくし、適正な価格で提供する。それが顧客を満たせば、またリピートしてくれるから商売はうまくいく。
今一度、シンプルに物事を考えるトレーニングをしてみたいと思います。