震災ネイティブなめんな

人間は自然によって生かされる。
その人の人生においてどれだけの苦難を経験したかが、その人の深みと咄嗟の行動に影響を及ぼすのではないか。

僕は阪神大震災を震度8地域で経験しているし、東日本大震災も淀屋橋の耐震ビルの9Fで経験している。ゆらゆら揺れるビルの中で、メニエールとの併発でえらく気分が悪く、アウトプットしそうになったことを覚えている。阪神大震災の時は、強烈だった。飛行機が当時住んでた家に落ちたと思った。それが地震だと分かった後、遠くから地鳴りのように聞こえる余震に怯えながら過ごした。家から徒歩すぐの体育館には、白い棺が並んでいた。遺体安置所だった。水道ガスが止まっていたので、川から水をくんでトイレに流し、シャワーが浴びれないので、水を使わないシャンプーを使い、線路を歩いて大阪の茨木(今回の震源地)の叔母のところに身を寄せた。

震災ネイティブをなめんな。

今朝8時のあの揺れを、早朝出勤中の会社で感じ、マニュアルどおりにすぐに公園に避難したが震災ネイティブからしたら屁でもない。しかし、尊い人命が奪われてしまった。自然が暴れる時、必ず人の命を(少なからず)奪っていく。それはなぜなのだろう。その子の命が尊ければ尊いほど、自然は自分の中に取り入れたがるのか。それは優しさなのか。自然の愛情なのか。

僕のように心の弱い人間は、その事実を受け入れることができず、極力日常生活を平穏に過ごそうとする。表向き、自分の命を惜しいとは思っていない。好きな時に自分が満足しながら死ねたら本望だとも。だから、こんな日でも身内の安否が保証されたのなら、酒を飲む。

あのなあ、人類ってそんなにヤワじゃないんだよ。
死滅し、数が減り、色々の苦難を経ても、生存し続けるのがホモ・サピエンスなんだよ。

震災ネイティブなめんな。
 
 
 
 
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