走ることについて語る、村上春樹の心情とシンクロしたりする日曜日


村上春樹の「走ることについて語る時に僕の語ること」をパラパラと眺めていると、そこにはランナー心理をこれでもかと的確に表現したテクストがズラリとならんでいて、「ああ、そうそう、ほんとに、そう」と共感せざるを得ません。

彼は「走ることを人に薦めることはしない」と述べ、走ることには適正がありランナーはランナーになるべくしてなる、勝手に走り始めるものだというようなことを書いています。それは小説など「物を書く」こともそうなのでしょう。走ることに理由などない。

村上春樹が瀬古利彦さんに「走るのしんどく思ったことないですか」と聞いた時のエピソードの中で、瀬古さんが目をまん丸にして「当たり前ですよ、そんなのしょっちゅうですよ!」とのくだり、僕も今から10km走ってこようと玄関で靴紐を結んでいる時、少なくともワクワクはしていないのですよね。何も考えずにランニングウエアに着替え、シューズをはき、iPhoneの「Runkeeper」を起動させて「ランニングを開始する」を押し、黙々と走り始める。考えたとして、今日は身体重いかな軽いかな(走り始めてみないとその日の調子は分からない)ということと、今日は何を聴きながら走ろうかな、くらい。

走ることに対して何も考えない。走るべくして走っている。それだけのような気がします。もちろん走っている間の一時間くらいはずっと一人なので、あれこれと考えていますし、それが脳の中に散らかった情報のデフラグに役立つことはあったとしても、人にあえて言う程のことは考えてはいない訳です。

なんとなく村上春樹は苦手で、数年前まではレイモンド・カーヴァーの翻訳集くらいしか手に取らなかったのに、最近になって自分の趣味というか興味の対象が、村上さんのそれとびっくりする程マッチしていて、これは何だろうと不思議に思い始めました。スコッチウイスキーしかり、マラソンしかり、物を書くということしかり。

もちろん、全ての分野において僕は彼の足元にも及ばないのだけれど、ここまでマッチすると不思議な親近感が沸いてくるというのもまた人の心というものでしょうか。市民ランナー全員の気持ちを村上さんが代弁してくれるのはありがたいとも思いますし。彼は小説を書くこととマラソンは似ていると述べていますが、僕もこうして10年近くブログを書いている中で、同じように思うことがあります。ちゃんと調べたことはないけれど、ブロガーの中にはランナーが多いんじゃないかな。

そんなことを考える日曜日です。

ああ、まどろんだ思考を叩き起こすカフェのコーヒーが美味しい。

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