この一週間、目眩で車にも電車にも乗れないので、すぐにベッドとトイレにエスケープできる自宅で仕事をさせてもらいました。ミーティングはZOOMかGoogle Meetで。PCさえあれば仕事ができるこの業種、ありがたいです。もちろん、社内のみなさんには色々と助けてもらっていますので、本当に感謝。
メニエール病を再発してからというもの、リウマチと自律神経失調症はこのラスボスの前にすっかり影を潜めてしまいました。面白いものです、「それ」よりキツいものが出ると身体が反応する。もちろん関節の痛みはあるのですが、神経がよりキツい方に向いているのが良く分かります。
そして、この数日、あれこれと考える時間も取ることができました。そして、いろんなことを思い出しました。
そういえば僕がランナーになったきっかけは、10年前にメニエールを発症したことだったのです。その前の年に腎盂腎炎になり、翌年にメニエールが出たものだから、さすがにこれじゃあかん、死んでしまう。運動しなきゃ!と直感的に思ったのでした。その時に始めたランニングにすっかりはまり、今に至ります。今回もランニングで治す。リウマチのせいにして運動からすっかり遠ざかっていた自分を反省。今回もメニエールに教えてもらったようです。
仕事の合間にウォーキング(たまに走ってみたり)をしながら、夕日に輝く海を眺めて色々と考えました。そうすると気づいたことがあります。
病気って一つの個性じゃないのかな。
先天的な物も後天的な物も、心のも体のも。
誰一人同じ人はいません。その個性が70億個集まって、人類社会を形成してるんですよね。今回、本当にいろんな方から励ましと共感の言葉をいただきました。みなさん、あるいは、家族や身近な方が同じように抱えている方もたくさんいらっしゃいました。
そんな風に抱えてるものを隠さず出して、みんなで思いやれれば、もっと良い世の中になるのに。「病気は恥ずかしい」そういう風潮こそ恥ずかしいのではと思います。
病気は一つの個性だ。
そもそも、70億の個性がある中で、誰に良し悪しを判断できるのでしょう。今この瞬間に隕石が落ちてきて地球が滅びる可能性も0ではない。そうすると、今まで批判したり、決めつけたりして積み上げた価値観や常識は何のためのものだったのでしょう。
抱えているものを吐き出して、みんなで理解し、思いやる。
得意分野で貢献して、不得意分野は補ってもらう。
それが、助け合いの世の中なのかなと思います。