腰痛人生史上最大クラスのぎっくり腰に直面した時、人は何を考えるか

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昨夕、人生史上最大、まさにラスボス級のぎっくり腰を発症しました。
何の自慢にもならないことですが、腰痛は持病なので今まで何度もぎっくり腰を発症してきましたし、それなりにその激痛、苦しさは知っているつもりでした。しかし今回ばかりは、今まで経験したきたものをはるかに凌駕する痛み、苦しみです。そして今もその真っ最中です。

人は不思議な生き物です。
このような身体上のピンチに直面すると、まず「死」を考えます。大袈裟ですよね、どう考えても大袈裟です。当たり前ですが、ぎっくり腰が死因になる訳はないと頭では分かっているのですが、このままひょっとしたら死んでしまうのではないか、という考えがスッと頭をよぎるのです。もし、発症した場所がシベリアの大雪原だったら?サハラ砂漠だったら?ヒマラヤ登山をしている時だったら?など、ありもしない状況すら考えて軽く目眩を感じたり、恐れおののいてしまうのです。そして、その時の経験、考えたことを何かに残さなければならない、と考えてしまうのです。この「残さなければならない」という想いそのものが「遺書」に遠からず繋がって行くのかもしれません。

僕の場合、まず連絡しなければならない人達のリストを頭の中で組み立てました。ほとんどの連絡先は全てスマートフォンの中に格納されています。一番の問題はスマフォや携帯を見るためにはパスコードを伝えることが必要だと言うことです。現代人は、携帯、PC、SNS、登録サイト、メールアドレス、もちろんブログの管理画面を全てアカウントIDとパスワードで管理しています。このアカウント関連情報を残された人間にどのように伝えるか、が今後の遺書の大きなテーマになるに違いありません。だって、どう考えても見られたくない情報、恥ずかしいものもありますもん。死人に口なしと言いますが、「へー、パパこんなサイト見てたんだ。」とか娘に言われたら、いつまでも経っても浮かばれません。てか、ぎっくり腰程度でここまで考えるなよ、と今、自分で書きながら思いました。さて、前置きが長くなりましたが、事の顛末をお話しすることにしましょう。

前兆〜発症

実は年末、会社の大掃除を皮切りに持病の腰痛が悪化し始めていたのです。痛みを押しながら、年末は自宅や実家の大掃除に明け暮れました。年始はさすがにゆっくりしていたので、段々良くなるかな、と淡い期待を抱いていたのですが、なかなかどうして。治るどころかどんどん悪化して行き、昨日の午後には「レッドゾーン一歩手前」まで行ってしまったのです。

これはあかんということで、実家に電話を入れ、母が愛用しているプロ仕様(?)の腰痛ベルトを借りるべく車を走らせました。帰りにスーパーで買い物をし、自宅マンションに戻って腰をかばいながら廊下を歩いている時に激痛が走り、目の前が真っ白になったのです。ジョジョのポルナレフ風に言うと「な…何を言ってるのかわからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった… 頭がどうにかなりそうだった…」という状態。買い物袋をバタッと落として膝から崩れ、冷たい外廊下に四つん這いになって動けなくなってしまいました。ヨーロッパではぎっくり腰の事を「魔女の一撃」というそうですが、まさに目に見えない敵にバットで腰をどつかれたかのようでした。これは何度経験しても悲惨な痛みです。

三重苦

更に悪いことに、僕はその時「トイレを限界まで我慢」していたのです。経験者なら分かると思いますが、ぎっくり腰を発症すると一歩も動けません。しかしトイレは待ってくれないのです。ここで僕は、「動けない」「真冬の寒さ」に加え、「膀胱破裂」の三重苦を一気に背負うハメになってしまいました。(正直に言います。この瞬間、少し漏らしてしまいました。)幸い、自宅マンションの廊下だったので、すぐに携帯で妻に電話をして助けに来てもらうことができました。腰を痛める僕の姿は普段から見慣れているはずの妻ですが、さすがに寒い外の廊下でお仕置きポーズをしている僕の姿を見て、この時ばかりは「いつもと違う、決してふざけている訳ではない」と悟ったと思います。走って駆けつけてくれて大きな僕の肩を担いで部屋まで運んでくれました。

全てに時間かかる

なんとか家に入り、妻や娘たちに手伝ってもらって着替え完了、すぐにベッドへ。このように書くとあっという間の出来事に聞こえるかもしれませんが、一つ一つの行為に10分は要します。例えば、ジャンパーを脱ぐ:10分、パジャマに着替える:10分、寝室に移動:10分、などという風にです。ちなみに横になったからと言って楽になる訳ではありません。むしろ、横になった方がキツイのです。寝返りをうつのに10分から30分はかかります。それだけ時間をかけても激痛で寝返りすら諦めるケースも多々あります。足を折りたたんだり、身体を少しひねるだけで激痛が走り、ポルナレフのようになるのです。ベッドを出てトイレに行こうものなら一時間は覚悟しなければなりません。普通の3LDKのマンションですから寝室とトイレは目と鼻の先にあるにも関わらず、です。これ、本当です。

敵は痛みだけではない

激痛にうなされる僕を見て、当然、妻や娘たちも心配してくれます。しかし、腰痛とは無縁の人生を歩んできた彼女たちは、ぎっくり腰というものがどういうものなのか、全く理解できていません。ですから良く分からない的外れな気遣いを示してくれます。例えば、服を脱がす時に腕を強く引っ張る、寝返りをうつのを手伝ってくれようとして背中を思いっきり押してくれる、など。人って本当に痛い時「声が出ない」状態に陥ります。先の二つのケースはまさに「声が出ない」程の痛みを誘発します。地獄とはこういうことを言うんだと思います。

また、咳や笑いも激痛を誘発します。咳一発で軽く死ねる程です。
妻は僕を気遣ってくれて、徐々に起き上がろうとしてベッドに肘を付いて固まっている僕を見て「脇の下に入ってあげようか?」と声を掛けてくれます。恐らく、自分が僕の体の下に入って支えになり起き上がらせようとしてくれているのだろうとは思うのですが、先に書いた通り、外部の力で何かをされるというのは、とんでもない激痛を誘発すること、そして事あるごとに「脇の下に入ってあげようか?」と言うのがもはや意味不明であることから、それを言われる度に可笑しくて可笑しくて笑いを堪えるのに必死になってしまうのです。妻の気遣い → 笑いを堪えようととして咳込んでしまう → 激痛 このスパイラルは本当に苦しいものでした。

そして笑いを堪えなければならないのは僕だけではありません。なんとか起き上がって壁をつたいながら立って廊下を移動している僕は、常に「ジョジョ立ち」のような立ち方になっているのです。座っている時もジョジョの奇妙な座り方をしています。それを見て娘たちが心配そうな顔で苦笑するのです。そして僕のジョジョ立ちポーズを真似るのです。それを見て僕も笑うのです。はい、激痛。

今の状態

とりあえず、腰痛ベルトをして痛み止めを飲み、椅子に座っています。一度横になってしまうと次に起き上がるのに大変な時間と労力を要するので、限界まで座ったままの状態で仕事をしたり勉強をしたりしようと思っています。本当は寝て安静にしておかなければならないようですが、少しでもタスクを減らしたいのでがんばります。しかし一度こうなってしまうと、最低でも2日〜3日は動けないと思うので、無理せず安静にしておきます。仕事面で迷惑を掛けてしまうかもしれません。関係各所申し訳ありません。

最後に、参考になったサイトを上げておきます。
All About 「健康・医療 > ぎっくり腰」

このサイトには応急処置の方法や解消法なども紹介されていますので、同じ悩みを抱える方にオススメです。とにかく、早くこのラスボス級の痛みから開放されることを願っています。ここまでの長文を読んでいただいた皆様、ありがとうございました。とりあえず、目先の一分一秒を強い気持ちで生きて行きたいと思います(大袈裟)。




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腰痛人生史上最大クラスのぎっくり腰に直面した時、人は何を考えるか」への1件のフィードバック

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