いかにして個人的な情報を発信するか


見えるものが全てではない

という点について、最近思いを巡らせています。ソーシャルメディアの時代に生きている人の多くは自分の生活の一部を公開するようになりました。個人メディアとして、ブログやFB、Twitterで情報の発信を行っています。時として私生活や日々の思いを発信することにより、繋がっている人々に親近感を与え、共感を生み出し、エンゲージする。この事は人間関係をより強固なものにする上で大きなメリットを生みます。実際に会った回数が少なかったとしても、このような手法を活用することにより短期間で濃い人間関係を形成できる場合もあります。また、遠方に住んでいる家族や友人、なかなか会う機会を持てない人達との人間関係を保つ上で、このようなシステムは嬉しいですよね。

その上で、ソーシャルを有効に活用するための方法は「見えるものが全てではない」という前提をいかに理解するかにかかっていると考えています。当たり前ですが、発信する情報はあくまで発信者のインディビデュアルな意思決定に基づくものであり、他の誰かから日々の行動を「日報」のように提出を義務られるものではありません。僕のように実名で発信している場合は特にセンシティブにならざるを得ません。

例えば、僕自身もこのブログやソーシャルメディアで発信している情報は、全て自分自身の「グレートファイアーウォール」を通過しているものであり、言い換えれば完璧な情報統制を行いフィルタリングされた上での情報、ということになります。例えば、このブログではほとんど自分自身が関わるビジネスについては記載していません。というより、できません。なぜなら、他の全てのビジネスマンがそうであるように、ビジネスシーンにおいてはNDAやコンフィデンシャルが絶対条件となるプロジェクトがほとんどであり、それを逐一(あるいは特定の企業名や製品名がぼんやりとでも分かる場合も含め)報告していればNDAに抵触する恐れがあり、それは情報のリークとして訴訟の対象となってしまいます。当たり前ですがこのような事を行う人はまずいないでしょう。従って仕事の話になると、既に公開しているものやオフィシャルなプレスリリース、メディアでリリースされている内容をせいぜいキュレーティングする程度の内容になってしまいます。

プライベートな内容においても同じ事が言えます。僕の場合、ここで掲載している内容は(人や店や行った場所を含め)全てパブリックな情報です。言い換えると「知ってもらいたくない」情報を掲載することは絶対にありません。例えば僕のブログではBARNSに関する話が多く登場しますが、これはつまり「公開しても全く問題のない」内容です。もっと分かりやすく言えば、妻や子供、親にさえ知られても良い内容なんですよね。それに、お店はパブリックな場です。しかし、BARNSに行く度にTwitterやFourSquareで「ここにいますよ」という訳ではありません。一人で飲みたい時などは「知らせたくない情報」になりますので発信しませんよね。店の話が出たのでついでに続けると、例えば「自分一人で大切にしたいお店」はここには記載しない、ということになります。

逆に、自分にとっては構わないのだけど、掲載される相手にとっては不快と思われる内容を悪気なくアップしてしまうこともあります。写真を個人が特定されない程度に縮小して掲載する場合もありますが、写っている人から「公開しないでほしい」と言われるとすぐに謝罪し削除します。公開してもOK?という確認を事前に取ることがほとんどですが、これも情報の取捨選択の一つです。またFBにアップしている写真もほとんど「誰と一緒にいるか」のタグ付けを行いません。これも上記の理由です。(エラそうに言っておきながら最近も自主的にいくつかの写真を下げました。すいません。何かあればご指摘を・・・)

このように多くの場合、人の24時間のほとんどは「知ってもらいたくない」情報で成り立っています。発信できる情報なんて氷山の一角にしか過ぎません。隠れた氷山の全貌を見たいと思っても見れる訳がありません。まさに「見えるものが全てではない」ということになります。見えるものはあくまで、見ても良いよ、とフィルタリングされたテキストでしかないのです。

このポイントを抑えると、ソーシャル上のコミュニケーションは非常に楽しいものになります。人間には元々「知りたい」という欲求があるものです。しかし欲求が強すぎると、それは自分にも相手にもストレスを与えてしまいます。そこを理解し適切なキュレーティングを行うことが、円滑なコミュニケーションを生む秘訣であると考えています。

そんなことを、昨夜は某所で白ワインを堪能した後、別の店でコロナを一本空けながら考えていました。

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