モノを考え、発信する習慣


今日はこの習慣がいかに大切かについて。

一日に使える時間が30分であっても、考え、発信する。
例えば、何かに詰まる。考える。それに対してヒントや手がかりが少しでも見つかったのであれば、発信してみる。発信すれば思考の整理と実行に繋がる。「考え」→「行動」のPDCAを効率的に回すことができるのが、個としての情報発信だと僕は思っています。

発信は誰でもできます。何を書こう、どうしよう、と、大袈裟に考えなくて良い。プロセスは至って簡単。「発信」を目的とするなら「モノを考え」なければならず、「モノを考えた」のであれば、それを効率的に自分の身とするために「発信」する。後者の場合、英文を声に出して読むことによって目と耳の両方から吸収することによる学習法と似ているかもしれませんね。反復練習の類もそうです。出せば出す程、記憶する。

幸い個人が気軽にメディアになれるこの時代、この「考え」→「発信」というプロセスはその気になればブログやソーシャルコミュニケーションツールを使えば誰でも行うことができます。個人が情報発信するメリットはどこにあるの?という問題に対しては、コミュニケーションディレクターのさとなおさんがここ二日間のエントリーにて簡潔にまとめておられますのでご参照を。非常に共感できる内容なので勝手にリンクさせていただきました。佐藤さん、すみません。怒られたらバーンズでお酒を差し出して謝ろう。

組織や肩書きに頼らず「自分」を晒して生きるということ
http://www.satonao.com/archives/2012/03/post_3387.html

ネットで「個」を発信できるのは、当たり前なことではなく、
実にラッキーなこと
http://www.satonao.com/archives/2012/03/post_3386.html

僕はソーシャルコミュニケーションの専門家ではないので、この分野について専門的な観点から何かを書くことはできないけれど、自分が実名で約7年ブログを書いているそもそもの目的は何だったのか、という問に対して、この記事は一つの答えになっている気がします。まあ僕の場合は非常にスモールスケールですが、この記事は肌感覚として実感できる。会社の肩書きや組織としてのオフィシャルな発信ではなく、個としての発信。自分自身を発信する。そして、知ってもらう。僕の場合、ブログを始めた当初の目的は、自分自身の「日記」つまり備忘録でありライフログであった訳ですが、それでも発信していることに変わりはなかったですね。たいしたことを書くことはできませんが。

お陰で、色んな人が僕のことを良く知ってくれるようになりました。それがきっかけで業種業界を越えて仲良くなった人もたくさんいますし素敵な出会いもたくさんあります。それらは全て財産です。

もちろん、全てをさらけ出している訳ではありません。でも可能な限りオープンにしているつもりです。たとえ取引先や社員や上司が見ていたとしても気にしたことはありません。それがソーシャル時代に「個として生きる」ということなんだろうと思います。名前を出して発信するということには責任が伴います。それが良い意味でプレッシャーになり、己の成長を助けてくれることもあります。僕も組織人としてしっかりした肩書きをいただいていますが、組織人としてでは、今のようには発信できなかったし、発信したとしても回数は少なく、業界に偏った内容ばかりで書く方も読む方も何も面白くなかったでしょう。そもそも長続きしない。それに自分を本当の意味で知ってもらうことはできません。「モノを考え、発信する」ことを習慣付けることはたやすいことではありませんが、一度習慣にしてしまうと新しい発見や気づきが多くなります。お薦めです。

ちなみに、ここまで書いて約30分。
30分の思考整理です。

・・・と、たった今、2006年の2月〜10月までの記事がごっそりインポートできていないことに気づきました。なんてこったい。この時期は自分の中でも大きな変化があったのに・・・もう一度インポート/エクスポートしますかね。

さあ、夜の小休憩おしまい。
一旦仕事に戻るとしましょう。

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