自分を鏡に映して見る


親友のNが出張で大阪入りしているということで半年ぶりに再会。長い付き合いの割にはお互い忙しくて年に一度も会えない時期が続いていたが、ここ一年程はタイミングも上手く重なって半年に一度くらいのペースで会うことができている。Nは同い年だけれど非常に優秀かつパワフルで、睡眠時間なんて僕よりも圧倒的に短く、それでいて驚くべきことに毎年毎年違うことにチャレンジしていて(今は何故か医学部の修士課程。そのまま博士課程に進むそうだ)一体どこからそんな力が出てくるのだろうと、いつも不思議に思うような生活をしている。詳しくは書かないけれど、人から見れば「嘘でしょ?」と思うような波乱万丈の人生を生きながら、だ。そして、僕はそんな同い年のNをただ純粋に尊敬している。

「鏡」の役割を持つ人間と出会えることは人生の中でそう多いことではないのだろうな、と考えることがある。自分よりも自分のことを良く知っている他人なんて、親以外にいない。親でも子のことを知らないことが多い。付き合いの年数だけでは測り知れない何かがある。本当に不思議だ。

僕はそういう相手を前にすると自分自身の内奥と対話するかのように、一言一句を確認し噛み締めながらポツリポツリと言葉を紡ぐ。というより、ポツリポツリとしか言葉を出すことができない。相手は僕のことを良く知っているから嘘もつけないし、無理もできないし、格好もつけることができない。そんなことをするとすぐにバレる。悔しいけれど、鏡はそんな言葉の一つ一つを黙って頷きながら聞いていて、短い言葉でそっと的確なコメントをくれる。それが確認作業となり、僕は自己を知ることができる。肯定も否定も全て含めて受け入れられる。「考え過ぎて自己の内部崩壊を起こしてしまう」という悪い性格を知っているから、言葉を上手に引き出してくれている。それが分かる。勝ち負けではないけれど、勝てる気がしない。昔はそうでもなかったと思うのだけど、ここ最近は親子のような、カウンセラーと患者のような関係に逆転してしまっている。悔しいなあ。追いつき追い越したい。笑

人それぞれ抱えている物も歩んで行く先も違うのだろうけど、日々チャレンジしている人間は、人の何倍も学んでいるし、考えているし、苦しみを乗り越えている。だから器が大きい。海のように広く、深い。そういう人間が周りにいる僕は幸せだな、と思うし、いつかは自分もそうなりたいと思っている。まだまだ浅瀬でちゃぷちゃぷしている状態だけれど、がんばろう。

まあ、それはさておき。
とにかくそんな奴が身近にいることに感謝している訳です。
このブログは読んでいないと思うので、いつもは恥ずかしくて面と向かって言えないことをここでこっそりと言っておきましょう。

ありがとう。

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