偶然という名の必然


歩みを振り返ると、
脳天をガツンとやられたような衝撃の瞬間の
幾つかを容易に思い出すことができる。
その瞬間、点と点の幾つかは、
自身の価値観やその後の歩みに
大きな影響を及ぼしている。
自分の想像以上にだ。
年月が経てば、それらは血肉にまで染み渡った
一種のアイデンティティのようになり、
物事の判断、審美眼、それが「イケテル」かどうか
をジャッジする際に大きな影響を及ぼすようになる。
中学一年生の夏、
両親に連れられて初めてNYCを訪れた。
感受性が強い時期に見た、
マンハッタンの高層ビル群、
活気、匂い、ステーキの味、クラクションの音、、、
全てが昨日のように思い出せる。
A判定が出ていても日本の大学に興味を持たず、
米国の某大学に留学すべく、高校の三年間で
英会話学校に通ったことも、
「あの時NYCで感じた何か」に
突き動かされたからのことだった。

大人になると、
懇意にしている方の影響でブラジルに
興味を持つようになった。
何と言っても音楽。
大好きなBossaの名曲、
Corcovado、Chega de Saudade、
Garota de Ipanema・・・
スタン・ゲッツ、ジョアン・ジルベルトの
「Getz and Gilberto」を初めて聞いた時の感動を
きっと忘れないだろう。
全てはリオで生まれた。
イパネマ、コパカバーナ、コルコバードと
いった地名は、未だかつて行ったことのない
リオへ憧れを増幅させる。
国連ビルやブラジリア、
ニテロイ美術館を設計した、あの、
オスカー・ニーマイヤーもリオ出身だ。

ちょうど今、バー仲間の方が、
出張でブラジルに行っておられる。
地球の裏側から発せられるツイートの数々に
反応せずにはいられない。
全ては偶然を装った必然。
物事には意味がある。

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