イグアスの滝には、
数か月に一度、満月の夜に虹がかかる。
一か月近くその瞬間を待って、
その虹をとらえた写真家は、
光景を目の当たりにした時、
瀑布にかかる夜の虹に向かって無意識に歩き出しそうになるのを、
必死でこらえたという。
人の叡智を超えたものというのは、
時として思考を不可知論的真理に導くこともあるし、
また「分」を理解させることもある。
出会いというのは、
60億分のNという確率での奇跡に近く、
その中での継続性というものは、
母数に対する数%に過ぎないから、
僕はその「親友」という存在に対して、
叡智を超えた何かを感じ、そう認識した個に対しては、
全くもって弱い。
その内の一人は、
独身時代に苦楽を共にした仲で、
今はお互い結婚して子供もいるのだけれど、
昨夜、そいつの坊やに始めて会った。
一歳になりたての坊やは、
ママにべったりで、ママも坊やにべったりで、
もう過ぎされば二度と戻らない
その一つ一つの瞬間が、
短い間の対面だったけれど、
もう、全てが愛おしく、美しく。
大阪の空には満月の虹が見えないけれど、
全て、知ることは可能なのだと、
脳内のもう一つの自分は教えてくれた。