Less is more 言葉の持つ温度について


たまに「真っ白なキャンバスに点一つ」くらい、引いて引いて引きまくってみたくなる時があります。音もいらない。言葉は最低限の分量で。

ほんの一行だけで、見えないはずの情景をイメージさせ、聞こえないはずの音を奏で、顔の表情までを想像させるような文章を書く方がおられますが、とかく情報量が多い生活の中で、こういうテクストに出会った時には砂漠のオアシスのように感じることがあります。センスですね。引き算の美学。余分なものをそぎ落とし、あとは読み手の主観に委ねる。

俳句の五七五などがそれに当たるのだろうと思いますが、僕は俳句のように決められた文字数の中での表現よりも、さらっと溜め息と一緒に出てくる独り言のような文章に惹かれる傾向がある、と最近気付きました。不思議なもので、言葉は温度を持ちます。全く同じ文章でも、温かさを感じるものもあれば、冷たさを感じるものもある。重みを感じるものもあれば、軽く感じるものもある。押し付けるものもあれば、引き出すものもある。ビジネスメールでも、ブログでも、短い中でも「温かさ」を感じさせるような文章を書ければいいなと思っています。気持ちは伝わりますから。


言葉繋がりではありませんが、とても納得したので共有。
東洋経済の一記事です。

”あうんの呼吸”はアジア人にしか通じない
多文化コミニュケーションの極意

文字通りの言葉でコミュニケートする欧米人、文間でコミュニケートするアジア人。ほんとその通り。「空気読んで」「やんわり断っているのに」とか、曖昧さを許さない(伝わらない)人種の人たちとビジネスで交わらない訳には行かなくなってきました。逃げ道を作って、とか、ぼやかす、とかも無理なんですよね。日本人の良さをそのまま伝えようとしても「言葉」や「文化」として存在しないから、そもそも伝えることが出来ないケースが多い。この記事、参考になります。

さて、いよいよ1月最終日ですね。
しっかり締めて参りましょう。

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