日常的にたくさんの水を目にするということ

村上春樹さんの本の一節に、こういう文章があります。

僕は思うのだけれど、たくさんの水を日常的に目にするというのは、人間にとってあるいは大事な意味を持つ行為なのではないだろうか。まあ「人間にとって」というのはいささかオーヴァーかもしれないが、でも少なくとも僕にとってはかなり大事なことであるような気がする。僕はしばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かをちょっとずつ失い続けているような気持ちになってくる。

ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

度々このブログで書いているように、僕はこの言葉にすっかり同意しているので、出勤前にちょっと走りに行こうかという日は、自然と川を下り海を目指すということになります。

ボストンのチャールズ河の水量には遠く及びませんが、近所の芦屋川も(一応)水は流れているし、浜に出ればそこには海が広がっています。近くに水があるということが人間の生活には欠かせないものであるとしたら、僕は今住んでいるところに感謝しなければなりませんね。

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さて、早寝早起きを心掛けているので、今朝も5時半にパッチリと目が覚めてしまいました。軽く走ろうかと約7kmのランに出掛けて、シャワーを浴びて出勤。早起きして運動するデメリットは、お腹が空くことです。取引先との打ち合わせの帰りに、ラーメン屋に立ち寄って、替え玉までしてしまいました。

運動しては摂取し、運動しては摂取する。
さあ、また明日もがんばろう。

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