一回目の定年と二回目の定年

最近、腹巻きを愛用している自分です。
自宅では厚手の腹巻き、外出時は薄手のスポーツ腹巻きという風に使い分けているのですが、これがなかなか良い。冷えは万病の敵といいますからね、身体の温度を下げないようにしなければなりません。

さて、人生100年時代というと、折返し地点はやはり50歳になるのでしょうか。

僕は以前から、定年60歳(65歳)というのに違和感を感じています。平均寿命が75歳の時代ならそれでも良かったと思うのですが、今って人生100年時代なんでしょう?60歳、65歳はあまりに中途半端。先はまだまだ長い。そこで考えたのは、50歳定年説です。まだまだ元気なうちに一回目の定年を迎える方がいいのではないか。そういや、サントリーの新浪社長は、45歳定年って言ってましたね。それもありです。

人生100年のうち仮に働く期間を50年とすると、それを半分に割って25年×2回とする。新卒でも中途でも50歳で一回目の定年を迎える。50歳から第二のキャリアのスタートで75歳かそれ以上働く。50歳からは今まで勤めた会社から離れ、培ったキャリアを活かしてまったく別の業界で働いたり、起業したり、フリーランスになったり、次の25年を活き活きと活躍できるように、まったく違う、新しいことをする。自分が社長であったなら、自分が作った会社を若手に譲り、自分はまったく違うところで起業してもいい(会社を作る力がある人は、どこでもなんでもできるはず)

そうすると、しがみつきや、ぶらさがり、役職定年問題、無理やり必要のない役職やポストなどを用意する必要もなく、若手の邪魔もすることなく、それぞれの年代で楽しく働けるのではないだろうか。

今は人出不足なので定年引き上げで長く働けるようにした方が良いという人もいますが、これから先、労働力っていらなくなるはずなんです。AIや自動化が進むと労働者は必要ない。しかも人口も減少してマーケットもシュリンクしているので、サービス業もどんどん縮小しても良いのではないか(たとえば、コンビニやファミレスは夜21時までの営業にするとか)。大きな商業ビルやタワマンを建てる必要もなし、ハコモノ行政を脱却、地方の不採算道路はメンテの必要もなし、リニアも作らなくてよろしい。今ある新幹線をメンテして使おう。(話が脱線)

既存の産業での穴埋めの労働力としてシニアを見るのではなく、50歳以上はまったく新しいマーケットで勝負するか、新しい市場を創るという世の中がスタンダードになれば良いなと思います。そっちのがワクワクしますし、楽しいですよね。

とはいえ、今すぐにやれと言われても難しいでしょうから、定年50歳は10年後などからスタートするとして、これからの若者は、20代、30代のうちから、そういった先を見据えて、若いうちにしっかり会社で働き、出世し(僕は若者たちには、まず一つの会社で10年〜15年は働いて出世や昇進を経験するようにとアドバイスしています)、会社員として働いている間に、会社のリソースを使って社内・社外で人脈を作り、スキルを培い、専門性を高めて50歳以降の第二の人生に備える。そして同時進行で後進育成も行う。

様々なニュースを見ていると、今って、明らかに時代は変わりつつあり、旧態依然としたやり方では100%破綻するのが見えているのに、昭和・平成のやり方を中途半端に引きずっているように見えて仕方ありません。オリンピックや万博なんてその最たるものですし、政策や行政も同じです。民間ですらそうなんですから。

そういうことを、理事を務めている、一般社団法人 白秋共同研究所でも研究テーマとして扱って行きたいなあ。

変えるなら、ドラスティックに変えないと、何も始まりませんよね。
さあ、12月だ!

提供できる価値とは

とてもありがたいことに仕事の依頼が多く、一足早い年末進行の様相を呈しています。

自分が独立した時に決めたのは、いつでも身軽でいれるようにと、社員は雇わず、自分のスキルとキャリアだけでお役に立てることを仕事にしようということです。低い志ですよね、一人会社です。多くの起業家が持つ高い志、拡大、規模面での成長、そんな目標は一切なかったんですよね。今までの仕事に疲れてしまい、少し休みたい、スローダウンしたいという気持ちもあったのかもしれません。「身軽」という言葉を言い換えると、いつでも始めて、いつでも畳める、そんな感じでしょうか。

でも、そんな低い志とは裏腹に、お仕事の依頼をたくさんいただけるのはありがたいことですし、仕事のほとんどが、ある程度の規模の会社の長期的アドバイザーの仕事が多いので、顧客企業の役員、担当者を初めとした社員の皆さんは自分の同僚のような気持ちで接し、良い関係を築くことが出来ています。伴走しながら組織拡大を目指すというミッションが多いので、顧客企業は自分が所属している企業、という感覚になります。

とはいえ、一人であることに変わりはありません。
顧客は、僕の「会社」にではなく、「僕という人間」に仕事のオファーを出してくださっている。そんな状況ですから、イチ会社員よりも、はるかに「自分の価値とは何だろうか」と考えることが多いのです。

自分はこんなことができます、この分野の専門です。

提供できる価値をスパッと言葉にでき、さらに「自称」ではなく、周囲からも「その分野の専門家」という評判を得ていなければ、仕事を得ることは難しい。僕の場合は、ほとんど人からの紹介で仕事のオファーが来ます。自分自身に営業するスキルもリソースもないので、自分から何か売り込むことはできません。だからこそ、自分が提供できる価値をコツコツと磨き、結果を出し、それで周囲の評判を得ていくことがすべてです。紹介いただく皆さんには本当に感謝しています。

年末に差し掛かり、新しい年を迎える前の時期、改めて自分が提供できる価値について考え、クライアントの事業を成長させるというミッションを遂行し、結果を出し続けることにコミットしたいと考えています。来年は、少しステップアップして、守備範囲を広げるべく、BPも増やしたいなと考えています。

今までの実績にあぐらをかくことなく、難しい時代であってもしなやかに変化しながら新しいことへのチャレンジをやめない。改めて気持ちを引き締めている今日この頃です。

日々は塗り絵

15年前以上の話でしょうか、スペインに住む読者の方から「tmkさんのブログは、毎日を丁寧に塗りつぶしておられるようで、いいですね」というコメントをいただいたことがあります。

当時はほぼ毎日更新をしていた時期でしたから、その日に起こった出来事や仕事の振り返りを行い、自分なりに解釈分析をしていた時期でした。15年前というと32、3歳の頃でしょうか、とにかく仕事も忙しく、徹夜は当たり前、遊びも子育ても毎日怒涛のようにこなしていて、今振り返ると本当に良く生きていたな・・・と思います。

毎日を丁寧に塗りつぶす

このフレーズがずっと頭に残っていて、ことあるごとに思い出します。
いくら忙しくても、逆にいくら暇でも、その日をしっかりと隅々まで塗りつぶせていたかどうか。それはすなわち、なにもせず漫然と時間を過ごすのではなく、一瞬一瞬に意味を付与できているか、ということだと思っています。

上手く行く時もあれば上手く行かない時もある。目の前にタスクが山積していて何から手をつけて良いか分からない時もある。でも、そういう時こそ全体を見るのではなく、目の前にある小さなものに目を向けてそこから手をつける。小さなことからコツコツと。そして、力を入れる時と、抜く時のメリハリをつけること。ぼーっとする時間も取り、その時間に意味を付与する。そうすると、隙間やムラが出来ず、隅々まで丁寧に色を付けることができると思うのです。

ビジネスも同じかもしれませんね。
結果が出ない時にも意味をちゃんと付与してあげる。事業なんて一朝一夕に結果が出るものはない。最短距離でゴールに向かいたいという気持ちを押さえつつ、考えて実行し、うまく行かなければやり方を変えてまた実行する。ある場合、環境(付き合う人や、事業を行う場所)を変えてみる。動きながら、変わりながら、前に進めるかどうか。

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11月に入ったばかりだと思ったのに、もう中旬に差し掛かりました。

今年も残すところ、あとひと月と半分。すでに年末進行の様相を呈していますが、年明けから春まで大きなイベントが待ち受けていることもあり、仕込みと刈り取りのメリハリを付けながら日々を丁寧に過ごして行きたいと思います。

それでは、今日から一週間、元気に参りましょう。

季節を感じる

この三連休は季節外れの暑い日が続きました。
今年はエルニーニョ現象が続き、冬も暖冬になるそうですね。

「今冬は暖冬傾向、エルニーニョ現象の影響で9〜2月の気温は平年より高い予想」ウェザーニューズ、2023.09.06

日本はせっかく四季があるのですから、春夏秋冬のメリハリがきっちりしている方が嬉しいのですが、気候変動の影響でしょうか、境があいまいだったり、季節外れの何かがあったり、穫れるはずのものが穫れなかったりというのはなんだか気持ち悪いなと思う今日この頃です。

さて、10月は割と出掛けることが多く、それなりに秋を楽しむことができました。

金沢・近江町市場

金沢駅近くの居酒屋でボタンエビなど

富山・雄山神社

称名滝の紅葉

そして、秋といえば、ひやおろしに新そばですよね。

季節を感じることができるのは、それだけ平和な証拠だなと、昨今の戦争や紛争のニュースを見ていて思います。人間ってなぜ殺し合い、搾取したりするんでしょうね。環境は壊すわ、勝手に増えて地球上の資源を食い荒らすわ、同じ種族で殺し合うわ。地球にとっては一番迷惑な生き物でしょう。

富山の雄山神社で修験道の行者さんたちを見かけた時、人間ってもっと謙虚に生きるべきだと思いました。

いつの時代も人間同士で争いはあったでしょうし、これから先も未来永劫、争い事はなくならないと思いますが、日本人は昔から自然を敬い、自然を崇拝し、自然と調和して生きてきたのでしょう。その文化を大切にしていきたいですし、そうすることで、日本人らしく和の心で生きていくことが少しでも出来れば御の字です。そういう意味では、キリストやイスラムなどの一神教は八百万(やおよろず)の日本人にはどうも合わない。一神教って、それこそ争いしか生まないように出来ていますよね。(あ、それぞれの宗教を否定しているわけではありませんよ)

さて、11月に入りました。
今年も残すところあと2ヶ月。昨年と今年でどう変わったでしょうか。少しは進歩したでしょうか、それとも退化したでしょうか。進歩ありきとは思っていませんが、良い意味で成熟した考えを持ち、その考えをベースに生活をデザインできればとは思っています。

あと二ヶ月、今年の集大成です。

小さなことから少しづつやっていこう

10月、11月は一年のうちで一番好きな季節です。
どこに行っても何をしていても気持ちいい。空気もからりとしていて、涼しい風が吹いて、上にパーカーなど少し羽織るものがあるくらいがちょうど心地よいですね。

最近はカフェでコーヒーを飲んだり、蕎麦屋でひやおろしと新そばを楽しんだりしています。ゴルフ場も山も今がベストシーズン。季節の変わり目に体調を崩しやすいので警戒していたのですが、おかげさまで体調も良く、このままの状態がずっと続けば良いなと思っています。

さて、最近、世の中を少しでも良くしていこう、大きなことはできないけれど、小さなことからコツコツとできることをやって、自分と自分の周りの人間くらいは幸せにしよう、助け合いながらなんとかやっていこうという気概に満ちた人が増えている気がします。

自分の利益を満足させても幸せではない。最新の機器や贅沢なものに囲まれていても、それが何の役に立つのか。「誰かの、何かの役に立ちたい」という利他の精神や、ありがとうと誰かに言ってもらえることが、心身の満足と健康に繋がり、居場所を感じ、生きている実感に繋がるのでしょう。

でも、「役に立ちたい」はあくまで自発的な意思によるもので、自分が納得できないことであれば動きません。たとえば、同じ「役に立ちたい」でも、裏側に政治や、使途が不明なものや、実は違う目的がありそうなものは、人の関心を引くどころか非難の対象になることもあります。

たとえば、このニュース。

阪神&オリVパレードのクラファン、出資伸びず 1週間で3千万円、目標の6%どまり(神戸新聞NEXT)2025/10/25付

オリックスと阪神の優勝は嬉しいけれど、パレードの開催に際して実行委員会の裏に大阪府がいたり、まったく足りていない万博の資金の補填に使う疑惑があったり、盛り上げようとPRに利用したり、そもそも5億円集めて何に使うの?といった不透明な意図が見え隠れすると、総スカンをくらうということです。両チームの優勝、関西ダービーにあれだけ関西が熱狂しているのに、です。(まあ、これから増えるかもしれませんが・・・)

人々は本当に成熟していて、普通の市民ほど物事を冷静に捉え、迎合されず、本当に良しとするものであれば積極的に支援し動くという本質的なところに目が向いているのだなと思います。

本当に今と未来に必要なものは何なのか。数十年前の成功体験に縛られ、動き出したら動き出したでサンクコストのジレンマ(コンコルド効果)に教科書どおりに陥り、損失を湯水のように増やし、未来の子供たちに負の遺産を負わせるようなことばかりをずっと見ていると、政治や行政や大企業ほど、責任の所在地が不明確で押し付け合い、意思決定のスピードが遅れていくんだなあ、と思います。頭の良い人が集まっても、歴史から学ばず、同じことを繰り返してしまう。

小さなこと、身の回りのことから少しづつやっていこう、という市井の民の方がよほどピュアで賢いと思うので、僕はそちらを大切にしながら、自分でも出来ることを探して、小さなことから少しづつ活動をしていきたいと思います。

根を張り、花を咲かせるためには

朝と夜が涼しくなり、いたるところから金木犀の香りが漂ってきます。
我が家にも金木犀の木がたくさんあり、それぞれが花を咲かせ、香りを放ち、一年がめぐってまた秋が来たなと実感します。

金木犀のような植物のすごいところは、大して世話もしていないのに、そこに根を張り、毎年、花を咲かせること。主張も要求もしなければ見返りも求めない。それなのに、人を癒やし、動物や昆虫の糧となるんですよね。

広告やPRが効かなくなって久しいですが「本当に良いもの」は、金木犀のようなものだと思うのです。自分を誇示したり、自社の製品やサービスをよく見せようとしたり、必死でアピールしたりしなくても、良いものであれば自然と人が集まるし、売れるし、成長するし、社会に貢献する。一方、無理やりなものはすぐに見抜かれてしまいます。

良い意味で社会は成熟しているし、人はその裏側に有るものや本質に目を向けるようになっています。ハリボテで作られたものや、メッキが貼られた物はすぐにバレてしまい、本当に重要なこと、たとえば環境に優しいものや、人の温かさや、利他の精神や、愛や、思いやりや、社会の役に立ちそうなことが見えないと、相手にもされません。

高度経済成長期やオリンピックや万博などに代表されるように、未だに過去の成功体験や価値観から抜け出せず、今やっていることが上手く行かないことの原因が分からず、断末魔をあげながら、それでも過去の虚像にしがみつこうとして、周りに迷惑を掛けながらもがいているような光景も目にします。それは人も同じで、見ていて「そういうのはもうだめなんだよ」と思うこともあります。

分断が深刻な影響を及ぼしている現在、見えているものが本当に良いものなのかを見極める力が必要だし、自分は自分で自己研鑽が求められています。

金木犀のように、しっかりを根を張り、見返りを求めず、周りのために花を咲かせることができるか。日々、自己研鑽です。

抽象化の先にある「ポンコツでも大丈夫」

情報が溢れている現代において、正常な見方と精神を保つためにますます抽象化能力が求められていると感じています。抽象化とは「物事の共通部分を抽出して、把握すること。一般化。上位の概念に物事を昇華して考えること」です。

物事の本質を見極めるためには、抽象化が必要です。出来事を点で捉えているだけでは全体像が把握できないし、言葉を読んだり聞いているだけでは、その背景は見えない。大切なのは、全体像であり、本質であり、背景であり、心理です。WHATではなく、WHYの視点が大切です。

ウクライナ紛争に加え、イスラエルとハマスの衝突など、世界は相変わらず不穏なニュースで満ち溢れています。なぜこんなことが起こるのだろうと心が痛みますが、歴史を学ぶと分かるとおり、人類の歴史=戦争、天災、疫病の繰り返しです。ジャレド・タイアモンドや、ユヴァル・ノア・ハラリなどの歴史家の本を読むと更に理解が深まりますが、人間とは非常に特異な生き物で、愛し合うけど殺し合うし、進歩や技術革新、豊かで便利な社会と称して、強者が弱者を支配するシステムを構築しようとします。

いくら経済学が発展したといっても、世の中の格差を解決し、豊かで平和な世の中を実現することはできていません。つまり、人類の歴史とは「そういうもの」なんだと思います。昔より今の方が良いというわけでもありませんしね。現代の東京よりも江戸の方がはるかにSDGsな街だったことはよく知られています。まあ、進化と退化、増加と減少を繰り返しているわけで、今、また退化の方向に向かっていると感じています。要するに「思ったとおりにならない」のが人間と人間社会なのかもしれません。

「人間は考える葦である」で有名なパスカルは、「人生は壮大な暇つぶしである」という言葉も残しました。

本当にそうだな、と心底納得します。なぜだか分からないけれど生まれてきて、生まれてきたら、なぜだか分からないけれど80年〜90年くらい生きて死にます。では、その間をどう生きるか。抽象化して、人生を積極的な「暇つぶし」と考えることができれば、人と比べることもなく、自分の生きたいように生きて、それが何か人の役に立つことであれば尚良し、くらいの気持ちでいれるのではないか。

良し悪し、優劣をつけようとするのが人間の悪い癖で、物差しはなくていいし、あるとすれば、自分で自分を測るためのものであれば良い。抽象化の先には、「ポンコツですけど、死ぬまではがんばって生きたいと思います」くらいの決意が残り、それだけで十分なのではないのかなと思います。もちろん、何かを見捨てたり、諦めたりするのではなく、少しでも良い方向へ、期せずして同じ時代に生まれた身近な人を少しでも幸せにできれば、その小さな努力だけでも立派なことだと思うんですよね。

ポンコツが階段を一段一段登っていく図

魚のいない池に釣り糸を垂れていないか

現役女性大生、女子高生(もちろん娘たちのことです)と一緒に住んでいると、同じスマートフォンでも使い方がまったく違うなと思うことがあります。

そもそも利用しているサービスが違う。
インスタは同じかもしれないけれど、彼女たちは得体の知れない(少なくとも自分には馴染みがない)サービスを利用しているし、インスタの投稿もストーリーズのみ。FBなんて登録したこともなければ見たこともない。

僕の個人的な肌感覚では、30代前半くらいまでの層はFBに登録してはいても見ていないんじゃないかなと思っています(年代別登録率では30代が一番ですが)。一応、上司や先輩に言われて、あるいはビジネスで必要だという理由で登録はしているというレベル。自分からの発信は、Twitterか、すぐに消えるインスタストーリーズ、またはTikTokで、フォローしているのは自分が関心のあるアカウントのみ。つまり、僕たちが日々FBやその他SNSでシェアしている情報は、30代前半までのビジネスガチ勢以外の一般的な若手(若手というのか?)にはほとんど届いていないんじゃないかなと思うのです。

SNSでの発信は、自分を含む中高年が、同じ属性、同じ年代の中で、絵日記をぐるぐると回している感じなので、10代、20代、30代との世代間ギャップは生まれるし、これからの時代を背負っている、いや、すでに引っ張っている若者世代には、我々の日々の発信はほとんど何の影響も及ぼしていないということを考えると、バーチャル、リアル問わず、どこに行っても変わり映えのしない景色が広がっているな、同じ人としか出会わないな、と感じることに納得できるのではないでしょうか。

こういうことを考える時、自分たちが発信したい情報を、誰にどのように届けるか、その見極めがとても大切だということが分かります。魚のいない池に釣り糸をたれても何も引っかからないのと同じで、狙う獲物はどこにいるのか、どのようにすればコンタクトできるのか、これを考えなければならない。そして、それは単純にSNSでシェアすれば良いというものではない。見ているのは「いつものひとたち」だから、広がりがない。最初は広がっても徐々に縮小し、10年経てばほとんどなくなります。

またコミュニティに関しても、同じ属性・年代がいつもの場所に集まっているだけなので、新しいムーブメントは生まれず、結局、旧態依然としたビジネススキームを回しているだけで、イノベーションは生まれません。

では、どのようにすれば良いか。
それはやはり有機的な活動を行うリアルな団体間との連携であったり、企業、大学、地域のコミュニティなどの場との接続、異質な者同士が共感し合う、魅力的かつニーズのある理念、コンセプト、サービスの設計なわけです。「こういうのを求めていた!」というものを見つけ、なおかつ前述のような有機的なリアルな団体や、影響力の強い企業とのパイプがあると、一気に広がる可能性があります。

先日、第一回の服部足祭りが開催されました。
長年続く有名なお祭りならともかく「第一回」です。第一回にも関わらず、50社を超える企業の協賛、90名以上のボランティア、二日間で1万人以上の参拝者が集まりました。これはまさに、上記の条件をある程度満たしたものではないかと思います。

もちろん、これから長く続けていくために、進化し続け、改善を続けて行かなければなりませんが、モノと情報が溢れている世の中でも「良いもの」には自然と人が集まるということなんだろうと思います。

というわけで、なにかしら広がりがほしい時、ビジネスを拡大したい時、停滞しているように感じる時は、安全圏から出て、異質の空間に飛び出しましょう。

違和感と向き合い、違和感を大切にする

何かを違うと感じたり、何だかしっくりこない。
言葉にするのは難しいけれど、スッキリしない、モヤモヤする。

学校、仕事、人間関係、様々なシーンで「違和感」を感じることがありますよね。個人的な経験からいうと、自分が感じる「違和感」は大切にした方が良いと思っています。

違和感の正体は、自分の価値観と反するものであったり、同じ場所に立っている人と見ている方向が違っていたり、心地よいと思うものが違っていたりする時に起こるものだと思うのですが、この「違和感」は、事故を避けるアラートのようなもの、自分の身を守る警報機のようなもの、あるいは、測定器の性能を維持する校正器のようなものだと感じています。調律と言い換えることもできるかもしれません。

人間というのは、環境適応力が高い反面、何かを変えることに腰が重たい時があります。

自分が動くと周りに迷惑を掛けるのではないか、それなら動かず我慢していよう、せっかくここまでやってきたのだからもう少し続けてみよう。気遣いという名の逃げ、臭いものに蓋をする、サンクコストのジレンマなど、色々と描写されますが、違和感と向き合い、その感覚を大切にし、時にその場から離れる、迅速に方針転換することは、事態を悪化させず、対象となるものを最低限のロスで抑えられる可能性があります。違和感を感じたら、即行動しよう。

最近の政治、経済、政策絡みのニュースを見ていて、ほんとつくづく思います。
万博も五輪同様、建設費1000億円上乗せしてもやるんだろうなあ。減税せずにこのままバラマキを続けるんだろうな・・・なんて。違和感を感じている「中の人」も多いはずなのに、動けない、決断できないんでしょうね。それがさらなる事態の悪化を生む。

大きな組織を動かすのは難しいかもしれませんが、個人で感じる違和感は大切に、価値観の精度は磨き、フットワーク軽く、いつでもピボットできるようにしたいものです。

最近の仕事について

先週は7日間の内、ゴルフが4ラウンドというなかなかハードな一週間で、ガラスの腰が悲鳴を上げております。とはいえ、この時期はまだサマータイムでスループレーが出来るので、早朝からラウンドして昼過ぎには帰って仕事が出来るのが良いですね。

このような生活をしているものですから、松田は一体どんな仕事をしているのか、と良く尋ねられます。遊んでいるように見られますが、実はちゃんと仕事もしていまして。今日は少し長くなりますが、自分が今関わっている仕事について書いてみたいと思います。

当たり前かもしれませんが、仕事の多くは企業からいただくもので、その会社の中に入って新しい事業の立ち上げから軌道に乗せるまでの事業開発支援、会社の成長のために必要な人材を獲得し、目指すべき会社を作るための採用計画とブランディング、広告計画の策定、組織開発の支援、ポテンシャルユーザーと既存顧客の双方と効果的にコミュニケーションするためのマーケティング施策の設計と運用、SNS広告や動画広告を効果的に活用して商品の宣伝を行うことなど、幅広くたくさんの企業のビジネス支援を行っています。そして、関わっている企業の数々が着実に結果を出せているのは嬉しいことです。

もちろん、自分ひとりでは抱えきれない場合もあるので、ビジネスパートナーとして各地域の制作会社やマーケ会社に仕事を割り振りしながらチームとして支援させていただくこともあります。顧問、とか、アドバイザー、とか、コンサルタント、という肩書をいただくこともあります。また、上場を目指すベンチャー企業の社外取締役などもさせていただいています。いずれにしても、自分がテックの領域にいたので、その知見を活かす仕事が多いですね。

で、ここまでが「ビジネスとしての仕事」です。

それ以外に、ビジネスではないが「やるべき仕事」というのもたくさん抱えています。ボランティアワークとでもいいましょうか。具体的には、社団法人の活動や地域活動、大学との連携による社会課題解決の活動などです。

まず、理事を務める一般社団法人グローバル人事塾は引き続き毎月二回の勉強会を開催しながら精力的に活動していますし、この9月1日にはシニアのウェルビーイングと向き合う企業コンソーシアム、白秋共同研究所を一般社団法人化し、一般社団法人白秋共同研究所として立ち上げ、理事(監事)に就任いたしました。WEBサイトはまだ仮公開中なので、今後充実させていく予定です。これらの活動は、超高齢化社会を迎えている今の日本社会に必要な活動だと思い、ブラックボックス化されてきたシニアのキャリアという課題に風穴を開ける切り込み隊長のような役割を担うことができればと思っています。この辺りの戦略とビジョンについては、また別の機会に詳しく書いていきたいと思います。

さらに、地域活性化、自立分散化、コミュニタリズムといった文脈での活動も行っています。こちらについては非常に難しい課題ですが、脱資本主義を実現するために、資本主義を大いに活用する、といった自分なりの戦略で向き合っています。特にゴルフを一緒に回っている方々などはビジネスの第一線で活躍されている方ばかりですので、そこから様々な情報を得ながら、短期と長期の両軸を見据えつつ戦略を考えているところです。(←ここ、抽象的ですいません)本当にお金のあるところというのは、表に出てこないものなのです。

あとは、先日も書いた「思いはあっても仕事はない」という方々のために様々なアドバイスを行っています。これから起業や副業を考えている方、起業はしているけど、お金がない(儲かっていない)という方も含め、対応できる場合は時間を割いてお話を伺いながら、自分なりに微力ながらアドバイスをさせていただいています。

これらの一つひとつを深掘りしていくと相当なボリュームになってしまいますが、仕事ということを考えた時に、「仕事とは、事に仕える」ということであるならば、僕にとっての「事」とは、単にお金を稼ぐということではなく、社会にとって必要な「こと」や、人々が豊かに暮らしていける「こと」に、自分の経験や知識を活かせる(=仕える)かどうか、そこがもっとも重要な要素になっています。

これがないとやる気にならないし、志を共にする仲間たちと一つの目標に向かっていく瞬間が一番幸福感を得られるものだとも思います。明日からは関東出張。またね、一つ面白い話があるんですよ。今までになかった大学発のベンチャーができるかもしれません。

では、今週もおおいにがんばりましょう。