選択する力

3月に入り、寒暖の差が激しいことに加え、毎年3月からGWにかけては体調を大きく崩す時期ということもあり、いよいよ今年も本格的にやばい季節がスタートしたという感じです。

東西を仕事で行き来しながら、その合間に神社めぐりやゴルフ、ランチめぐりなどをしているのですが、体調がいつどうなるか分からず、なかなか先の予定も立てにくいところに身内の入院なども重なり、スケジュールをかなり調整させていただくことになりました。各方面、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

さて、いよいよ世の中も混沌としてきた感がありますが、経済面では株価が40,000円を突破して過去最高を更新した瞬間、また38,000円台に戻るという面白いことになっています。さらにここへ来て、時期尚早ともいえるマイナス金利政策解除のニュースもあり、今後株価は更に調整局面を迎えるでしょう。米国株も一旦頭打ち、新興国のドル離れもあり、上昇機運に乗っかってジャンピングキャッチしてしまった方、新NISAをスタートした方は、少ししんどい一年になるかもしれません。

いつも思うのですが、「こうすれば大丈夫」というテンプレートが何もない世の中において、マスコミや有識者、人の言うことはあてにできず、自分の身は自分で守るということがより求められています。攻略難度が年々高くなっているRPGの主人公のように、自分の選択を自分で信じるしかない。そのために「選択する力」をどう養うか。これに尽きるわけです。

マズローは、選択には、成長の選択と、退行の選択の二種類があると説いています。

成長の選択 = 自己実現に近づくけれども、当面、苦労する選択肢


退行の選択 = 自己実現からは遠ざかるけれども、当面、楽な選択肢

退行の選択は、安全や依存と結び付けられることもあります。セーフティゾーンから出たくないというのは、安全への欲求の裏返しだし、当面楽な選択ですが、それは自己実現から遠のいていくことになるかもしれません。人間として生きている以上、将来後悔しないために、一歩踏み出す勇気が求められるということです。

また、その選択をするためには、やはり物事の本質を見る力と抽象化能力が求められると思っています。抽象化能力って、意外と歴史を学ぶことで培われるものだと思っているのですが、それは、歴史を学べば、人間は同じことを繰り返しているだけだということが分かるからなんですね。

貧しい時代は子がたくさん生まれ(その代わり平均寿命も短い)きれいなピラミッド型の人口構成図になります。産めや増やせやで、経済が発展します。そしてある程度豊かになると出生率は低下して、高齢化が進み、人口は減少します。どんな王朝も政治形態も、成長期、安定期、衰退期を繰り返してきました。

人間が人間である以上、これが正解というのはない。そもそも、自然災害や戦争や食糧危機のリスクも含めて、いつどうなるか分からない時代にセーフティーゾーンはどこにも存在しないので、結局は「成長の選択」をしなければならないことになるんですよね。
どうせやるなら、思い切って。


選択する力、自分で自問自答する毎日です。
ビジネスの順調さとは裏腹に、いかんせん身体が思うように言うことを聞いてくれないこともあり、日々もどかしい思いをしている中で、選択する力について考えながら、自らを奮い立たせている今日この頃です。

調査結果:70歳以降働く人、最多の39%を受けて

2月中旬の日経新聞のトップに「70歳以降働く 最多39%」という記事が出ました。

将来に対する不安については「生活資金など経済面」が7割で、健康面の不安を上回ったということです。高齢になっても働く意思を持つということは素晴らしいですが、その理由が「経済的な問題」というのも、いかにも日本の状況を表しているといえます。

もっとも、自分の周りには気持ちも若く、経済的な事情というよりは、社会に貢献したい!という気持ちで定年を超えてもいきいきと働いている方もたくさん知っています。

人生100年時代。寿命が伸びたは良いが、普通にサラリーマンをしていると55歳をピークに給料は下がり、60歳で定年を迎え、雇用延長して働けたとしても65歳まで。定年引き上げで70歳まで働けたとしても、そこから15年、20年をどうしていくか。子供がいてもいなくても、自分の生活は自分でなんとかしていかなくてはならない。年金だけでは足りないし、いつまで貰えるかどうかも分からない。日本社会はシュリンクするのが見えているので、これから先が不安・・・というのが数字に出ているのでしょう。

仕事につけるかつけないかは、需要と供給に依存しますが、シニアになると転職や再就職がしにくいのも現実です。最近はリスキル、リカレント教育など、学び直しがフォーカスされることも多いですが、何を学べば良いのかと相談を受けることがあります。
新卒で入社した企業でずっと生きてきて、50を過ぎて何か新しいことを初めようとすることには高いハードルがありますし、プログラミングやコーディングの勉強を今からやるには遅すぎる。独立起業を考えても、人を雇うお金もない、サービスを開発したいけど元手がない、というのもよく聞きます。

生成AIが一般の人にも広く知られるようになってきました。

今では、普通に使いこなしている人も多くいます。実際、僕自身も議事録や提案書の草案はGPTにしてもらって、内容を確認してちょこちょこと手入れをしたり、データを放り込んで分析してもらったり、色々と活用しています。仕事の相談相手にもなってくれますしね。

このようなライトな使い方だけでなく、自分のスタッフのように使いこなすことができるのがAI時代なんですよね。なので、今後は転職や起業に、生成AIを使いこなすことが必須になると思います。変に興味が持てない、興味が沸かないことをやるより、生成AIのプロンプトを学んだほうがいいと個人的に思っています。ほんと、何でもできます。

でも、実際、何から着手して良いか分かりませんよね。自分が少しお手伝いさせてもらっている自然言語解析ベンチャーの新サービスをご紹介します。初心者でもChatGPTを使いこなせるようになる、実践型のeラーニング教材です。もし興味がある方はぜひご覧ください。

「習うより慣れよ ChatGPT初級実践講座」
https://www.cade-ai.com/onlinelesson

【活用例】
企業の社員研修
ミドル・シニア向けの研修プログラム
現場で生成AIを使用して業務効率を向上したい個人の方
セカンドキャリアを見据え、今から生成AIを使いこなして起業や転職に活かしたい方

これからの仕事は、ポータブルスキルに加えて、生成AIと友達になること、この2つがキーワードですね。

それにしても、予測しにくい世の中になってきました。もうほんと難しい。
でも、明るい未来が来るのを待つのではなく、自分たちで作っていかなければならない。前向きに、考えていきたいものです。

日の出に感謝

典型的な朝型人間なので、毎朝5時台には目が覚めます。
先週は天気が悪い日が多かったのですが、雨が降る前の朝焼けってすごくきれいなんですよね。まるで夕日のような、燃えるような色をしているのです。

我が家のリビングは東向きなので、はるか遠く大阪平野の東端にある生駒山から昇る朝日を見ることができますが、その色の美しさったら!朝焼けがきれいに見えると天気が崩れるといいますが、まさにそのとおりの先週でした。

前回のブログで「何をモチベーションにするか」ということを書きました。
空腹の生き物と、満腹の生き物ではどちらが強いか(2024年2月17日)

あれから色々と考えていたのですが、自分の場合はただ単純に、毎日生かされていることに対する感謝の気持ちがモチベーションになっていることを再認識しました。せっかく生かされているのだから、誰かの何かのお役に立ちたい。願わくば、周りにいるひとたちを少しでも幸せにできればいい。

毎朝、太陽が昇ることに感謝
水や空気があることに感謝
その日、元気に生きていることに感謝

感謝すべきことを数えあげればきりがありません。
それは自然に対してだけでなく、人や社会に対しても同じ。社会的な生きものである人間にとって、一人で生きていくことは難しい。仕事をさせてもらえていることも、美味しい食べ物をいただいていることも当たり前ではないし、自分の力で出来てることって何もないよな。自分のためにはがんばる気持ちは沸かないけれど、人のためにはやる気が出るな。不思議ですよね。

さて、あっという間に2月も終わりです。
確定申告も早々に終わらせましたので、スッキリした気持ちで3月を迎えることができそうです。年度末という区切り、4月からの新たなスタート。春から夏の予定もたくさん入ってきて、今からワクワクしています。

昨春は体調を大きく崩し、通院、入院、検査続きの春でした。
この経験のおかげで人生と向き合い、色んなことを学ぶことができた一方、先々の予定を入れることの難しさも実感しました。今年は上手に乗り越えれるでしょうか。まあ、先のことは分からないので、その時々の判断ですね。

とりあえず、今のところは元気です。

空腹の生き物と、満腹の生き物ではどちらが強いか

鈍ってきたなと思うことが多々あります。
頭の回転も、体力も、気力も。

年齢の問題もあるかもしれませんが、色んな意味で満たされてきたのかもしれません。若い頃は足りないことばかりで、自分に対しても、周りに対しても「もっとこうしたい」「もっとこうあるべき」という気持ちが強く、その満たされない思い(ハングリー精神)から、色々な考えを発信し、遅くまで飲みながら仲間たちと話し込み、仕事もプライベートも、睡眠時間を削りながらがむしゃらにがんばってきたと思うのです。

ところが、人生経験もある程度積んできて(「ある程度」というところがポイントです)、経済的にも社会的にも満たされつつも、一方で、なんとなく社会や経済の仕組み、金儲けの仕方、組織や人の在り方と限界、理想と現実の間に存在するギャップ、長い歴史から見る人間の営みと愚かさ、栄枯盛衰などについて理解してくると、まあ、こんなもんかなと、すべてを受け入れられるようになってくる。

良い意味でいうと、角が取れてくる。
角が取れると、自分に出来ることと出来ないことがはっきり分かるし、出来ないことは素直に「出来ない」と認めて、出来る人に任せれるようになるし、出来る人が羨ましいとも思わなくなる。逆に、出来ないことはどんどん手放し、ストレスフルな環境から離れ、人生の最適化を行うようになるんですよね。

これって、とてもストレスフリーなんです。ある意味とっても幸せな状態。でも角がないので、全部受け入れられる状態になり、色々な意味で鈍ってくるのと、生き物として「弱い」んです。満腹状態の動物って、空腹の動物と喧嘩したら負けるのは明らかなのですから。腹が減っては戦はできぬ、ではなく、腹が減っているから戦をする、なんでしょうね。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれている人々のように、明治維新で国家が誕生し、ちょんまげだった民衆や畑仕事をしていた農民が、慣れない「国民」となり、無理やり近代化を急速に推し進めていきながら日露戦争に勝利したのは飽くなきハングリー精神の賜物だし、戦後の焼け野原から高度成長期を経て世界第二位の経済大国になったのも「腹いっぱい食いたい」との思いからだったに違いありません。でも一旦満たされると、あとは衰退の一途をたどってしまう。諸行無常、栄枯盛衰ですね。

人間、ある程度「腹が減っている」状態の方がいい。がんばれる。

不条理に対して「なんでやねん」と食って掛かるくらいの気持ちをいかに持ち続けることができるか。実力も結果も全然伴っていない若者が「こうあるべき」「こうしたら成功する」と発信しているのを見て、いや何も分かってないな〜とは全然思わないんです。満たされていないことは、強さだ。

じゃあ、自分はどうなのか。何に対してアツくなれるのか。今年はどういうテーマでがんばろうかと思っていましたが、アツくなれるものを探すのが一つのテーマになりそうです。

ここはかつて温泉街だった

自宅から、昭和初期の苦楽園二番町付近の住宅地図が出てきました。

地図の上部に「六甲三楽園、六甲苦楽園 住宅経営地」と書かれています。
現在の苦楽園バス停がある山椒橋(現在は、三笑橋)を中心に、この地図には今は跡形もなくなってしまった旅館やホテルなどが記載されています。

僕は、自分が生まれ育った西宮市苦楽園が明治末期から昭和の初期までラジウム温泉街として栄えていた、ということは知っていたのですが、実際、どこにどのような旅館があったのかということは知りませんでした。

この地図を見ると、大観楼、松雲楼、長春楼といった旅館や、当時の社交場だった六甲ホテルの記載もあります。ちょうど自宅がある場所が、山椒橋と松雲楼の間くらいにありますので、ここも元は旅館の敷地だったということが分かります。

また興味深いことに、地図の上部には、阪神西宮駅から苦楽園までを繋ぐ「摂津電気軌道予定線」という線路も描かれています。そう、かつてこの苦楽園の山上まで電車を通そうという計画もあったんですよね(それも聞いたことがあります)。土地勘のある方は分かると思いますが、あの急勾配をどうやって電車通すの?と思われるかもしれませんが・・・もしかすると麓からはケーブルカーを敷設する計画だったのかもしれません。

この地の歴史については、「西宮ペディア 苦楽園ラジウム温泉」に詳しく書かれています。このサイトにも我が家にあるのと同じ地図が掲載されていました。

苦楽園ラジウム温泉には、多くの著名人が訪れ、当時の写真には、大隈重信や、犬養毅の奥様が人力車のようなものに乗って温泉に療養に訪れている写真も残されています。また、関東大震災から逃れてきた谷崎潤一郎が滞在していたのは、菊水館や萬衆館だったようです。

下の地図を見ると、「山上プール」の上に小さく「稲荷神社」とありますが、ここは今の苦楽園神社ですね。苦楽園神社には、清瀧龍王、大国龍命の石があり、南無阿弥陀仏と書かれた石碑の下には「豊受大神・三玉大神・蚕玉大神」と彫られています。苦楽園神社は、清瀧龍王(おそらく、善女龍王と清瀧権現=瀬織津姫がごっちゃになったものと思われます・・・)と、なんと伊勢神宮外宮の「豊受大神」が鎮座しているのは、個人的に胸アツなのですが、いずれにしても神仏習合の名残でしょうね。

郷土史って面白いですね。
かつて栄えた温泉地も、昭和13年の集中豪雨による阪神大水害で大打撃をうけたことで温泉が出なくなったこと、そして、戦争へ向かう世の中で次第に廃れ、今の閑静な住宅街となっていったことが分かります。

とはいえ、自宅の庭に残る石垣や、1995年の阪神・淡路大震災で半壊するまで残っていた実家のかつての姿をみると、ここが温泉地だった名残が今も残されていることが分かります。

震災で建て替える前の我が家

100年前は温泉地だったところも、今は住宅地になりました。
これから100年先はどうなるのでしょうね。

修羅場の数だけ成長する

年が明けてからあっという間に時間が過ぎ、もう1月も終わろうとしています。
ブログの更新も久しぶりになってしまいました。

僕自身「3等分生活」と称して、一ヶ月をビジネス、社会貢献、休暇をそれぞれ3割づつのバランスとした生活を心掛けていますが、ビジネスサイドの勢いが強く、他を圧迫してバランスが崩れています。反省。

激務上等。こういう時こそ若い頃の経験が活きますね。
30代は徹夜出張徹夜出張と、とにかく寝ずに仕事をしている時期も多かったです。仕事が少し落ち着くと空いた時間は飲みに回るので、まあ結局寝てないわけですよね。一日3〜4時間睡眠とか当たり前。こういう経験があるから今の状況でも「ああ、これこれ!」と目を細めて過去を懐かしむくらいの余裕もあるわけです。

最近は働き方改革でワークライフバランスが重要視されており、このような激務経験をした方が良いか悪いかと聞かれると答えに窮するのですが、「何事も経験」ということを考えると、若いうちに苦労しておいて良かったなと、個人的には思います。修羅場の数だけ人は成長する。対応の引き出しも増える。

古い考えでしょうかね。でも、建築学生の娘が徹夜で課題に取り組んでいたり、高校生の娘が試験前に徹夜していたりするのを見ると、いつの時代も同じですよね。積み重ねは決して無駄ではない。僕も多少のトラブルや激務くらいなんとも思いませんもん。「結局なんとなる」ということを身を持って経験しているからなんですね。一部の天才を除いて、普通の人間が唯一できることは「努力する」「時間を掛ける」ということだけですから。

さて、ここ数週間のハイライトを。

創立150周年を迎える、西宮市立今津小学校でキャリアのお話をしました。

依頼をいただいてから、子どもたちに興味を持ってもらえる話ってどんなかな~?と考えて行きついたところは、僕自身が現地で感じ、その後のビジネスに大きな影響を受けた、シリコンバレーの「愛すべきオタク(Geek)文化」。

技術と技術、我が道を行くオタクとオタクの交差点にイノベーションが生まれる。そして、評論家ではなくプレーヤーが尊敬され、「初めにそれをやった者」がリスペクトされる。

だから自分のしたいこと、夢中になれることに一生懸命取り組めばいい。

飽きないように、たくさんの写真を使ってお話しました。もちろん「コンサルタント」ってこんな仕事なんだよ、というお話も。Google知ってる!テスラ知ってる!と、聞いたことのある企業名が出てきたら相槌を打ってくれたり、たくさん質問もしてくれたりしてとても楽しかったです。

一般社団法人 グローバル人事塾 200回記念イベントを開催いたしました。

経営・人事が集まるHRのフラットなコミュニティを目指して、代表理事・樫村が立ち上げてから11年。僕が理事として参画させていただいたのが法人設立の2016年2月ですから、8年も経ったんですね、あっという間です。

その間、数え切れないほど多くの方に支えられて今があります。思い起こすと100回記念は2018年11月にサイボウズ本社で開催したんですよね。まだ昨日のことのように覚えています。(今でも語り継がれる伝説の回でした)

それからコロナ禍を挟んで約5年。オンラインに切り替えたりしながら毎月開催を続けてきました。そして今回の200回。230名の方にお集まりいただき、豪華なゲストの方々のスピーチもあり、皆さまの人事塾に対する愛を感じることができました。

個人的になにかを語る時は「最低10年」は必要だと思っています。ようやくコミュニティとしての存在感も出てきて、人事塾で扱うテーマも時宜に合わせて変遷し、アーカイブを見れば業界のトレンドが分かるくらいにはなってきたのかもしれません。

次の15周年、300回を迎えられるようこれからも人事のチカラで世界を変えべく、止めることなく前進していきたいと思います。

冬の空は透明感があっていいですね。
こちらは新幹線から見えた冠雪している冬の富士です。

こちらは丸の内ビルディングから見下ろす東京駅。

それでは、2月も引き続きがんばってまいりましょう!

僕と村上さんの間に、48万8千枚の歴史が存在した

先日、神戸のピノッキオ(PINOCCHIO)というピザ・レストランに行きました。ここは1962年創業の老舗で、水を使わずにミルクのみで生地を仕上げることで有名です。

60年の歴史を感じる佇まい。お店の外観も店内もレトロな雰囲気で、多くの方に愛されてきたんだなと感じます。神戸にはこのような歴史のある洋食屋やバーが数多くあります。

僕は事前にお店の情報を調べずに行くタイプなのですが、席についてはじめて、ここのピザには創業以来のロットナンバーが付与されているということが分かりました。焼き立てのピザが、番号が記された紙とともにテーブルに届けられました。そして、僕が注文したピザは1,446,872枚目ということでした。

ご一緒した方が「このお店、村上春樹の作品に出てくるようですよ」とおっしゃるので、その場で調べてみると、確かに「辺境・近境」の最後の章、「神戸まで歩く」に登場する。そういえばそんな一文があったかな・・・すっかり忘れていました。

僕は村上さんのエッセイが好きで、ほとんどの作品を読んでいるのですが「辺境・近境」もその一つです。帰宅して久しぶりに手にとってみようかと本を探すと、自室の本棚にちゃんと立てかけてありました。

運ばれてきたシーフード・ピザには「あなたの召し上がるピザは、当店の958,816枚目のピザです」という小さな紙片がついている。その数字の意味がしばらくのあいだうまく呑み込めない。958,816? 僕はそこにいったいどのようなメッセージを読みとるべきなのだろう?

「辺境・近境」村上春樹

 
「辺境・近境」に記されているように、村上さんが食したピザは958,816枚目。阪神大震災が1995年で、その2年後に旅したとありますから、1997年にこのお店を訪れたとすると、それから約26年後に僕がこの場に来ている訳です。村上さんから僕に至るまで、48万8千枚のピザが食されたということですよね。

村上さんは大学に入るまで過ごした阪神間や神戸の街が、1995年の大震災でどのように変わったのかを見るために西宮から神戸まで歩いたとあります。僕も被災した時は18歳で、そこから29年が過ぎました。明日1月17日は、阪神淡路大震災から29年を迎える日です。
そんな時に、結果的に「聖地巡礼」となったのはなにか意味があるのでしょうか。

日々忙しくしていると、目先のことにだけに意識が集中しがちで、本の内容すら忘れていました。こうしてたまに時間を取り、小説やエッセイの世界に飛び込んでみるのも良いですね。仕事や研究に必要な本は読んでいるものの、娯楽としての本は読んでいなかったな。

色々悩んでいた時は、常に本の世界に逃げていた自分もいます。それは知識を増やすためではなく、今、この場から違うところに逃げる手段として使っていたのかもしれません。そう考えると、当時に比べれば悩みは軽減され、自分の思い描いていたような人生を歩むことができているのかもしれませんが、やはり心の栄養のために、こうした時間は必要ですね。

日本人は誰を、何を守ろうとしているのだろう

ちょっと前にお正月を迎えたと思ったら、もう二週間が経とうとしています。
皆さまはどのように年末年始の休暇を過ごされましたか?

僕は普段と同じペースで生活をしながら、地元の廣田神社、越木岩神社、芦屋神社を周り、6日には日帰りで伊勢神宮にお参りしてきました。

伊勢神宮。
2000年続く、生きた神殿。

深い森、大きな木々、美しい五鈴川のせせらぎを見ながら、心の底から清らかな気分になりました。それと同時に、僕の頭は少し混乱してきました。そうか、ここは遺跡でも遺産でもなく、2000年間ずっと人が維持し、守り、呼吸をし続けてきた「生きた神殿」なんだ、と。

世界には様々な神殿がありますが、パルテノンやアンコールワットなど、いつしか人がいなくなり、遺構だけが残されているところがたくさんあります。そのようなところは「世界遺産」として登録されている。でも、伊勢神宮は違う。なぜなんだろう。なぜ、世界で唯一ここだけが数千年の歴史を保っているのだろう。日本人は、誰を、何を守ろうとしているのだろう。

伊勢神宮には、20年に一度、外宮と内宮のすべての社殿が建て替えられる「式年遷宮」があります。前回の遷宮は2013年でしたから、次は2033年の予定。第63回目となるそうです。持統天皇の時代から始まった式年遷宮の回数が記録に残っているのもすごいことですが、1300年続くこのお祭りのために、神宮は木々を育てる森と、その水源となる森の両方を有し、萱山で屋根を葺くための萱を育てているそうです。

環境保護とかSDGsとか色々と言われていますが、なんのことはない。
八百万の神々の思想を持つ日本人は、2000年の間、自然と調和し、自然を敬い、大切にしてきたのでしょう。森を守り、水を守る。当たり前のようで、今となってはとても難しいことをさらりとやってきた。そこにはある種の秩序やルールのようなものがある。

自然界には「エントロピー増大の法則」があります。物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはないということです。沸騰したお湯は放っておくと冷めるし、家を放置しておくと荒れ廃れてしまいます。エネルギーは低下し、無秩序の状態に変化していくのです。でも、ここは常に人の手で守られてきた。式年遷宮により、技術と精神性が受け継がれてきたんですよね。

そう考えると、自然破壊や、水源を外国資本に簡単に売却するようなことは、どれだけ浅はかで馬鹿馬鹿しいことかと思うのです。技術は進歩し、便利な世の中になり、医学が進歩したおかげで寿命も延びた。でもそれが本当の豊かさなんだろうか。むしろそれは地球から見たら、人間が傲慢で自分たちのことしか考えないモンスター化しているだけなのではないだろうか。それは進化ではなく退化なのではないか。

そして、もう一つ気付いたことがあります。
本物には自然と人が集まる、ということです。

宣伝したり、PRしなくても、いつの時代でも人々が足を運び、お参りする場所というのもすごいことだと思います。廃れたことがないのです。親から子、子から孫へと、日本人の中に脈々と生き続けてきたこと。それって一体なんでしょうね。

最近の僕の関心は、ビジネスでも技術でもなく、日本という国はどういう国で、日本人は一体何を、どんな目的で守ってきたのか、ということです。あまりに長く、深い歴史と文化に、目眩がしそうです。僕の頭では到底理解が及びませんが、今、自分が生きている短い間だけでも、少しでも社会が良くなるよう、皆が幸せに生きることが出来る世の中になるよう、できることをコツコツとやっていけたら、と思うのです。

起業はプロボノの延長線にあった方が良い理由

新年明けましておめでとうございます。
今年は辰年(龍年)ですね。辰年早生まれの僕は今年は年男。干支が4周します。昇竜のごとく勢いをつけていきたいところですが・・・コツコツと目先の仕事に全力投球していきたいと思います。

さて、新年ということもあり、決意を新たにしている方も多いのではないでしょうか。やはり気になるのは自分自身のキャリアについて。僕自身が早々に会社勤めを辞めて一人会社を経営しているということもあり、起業(フリーランスを含む)を志す方から相談を受けることが多くあります。

起業というのは、確かに魅力的な選択肢です。人生100年時代、寿命が延びた分、働く期間もそれだけ長くなるわけですよね。平均寿命が70歳の時代は定年60歳で良かったのですが、平均寿命が90歳になると、これからは80歳までは普通に働かなければならなくなります。そういうことを考えると、一つの会社に依存するのではなく、自分でなにかしら飯の種を持っておいたほうが良い。

しかし難しいのは、起業したはいいが稼げるの?ということなんですね。

個人的な考えですが、起業には向き不向きがあると思っています。
どうも世の中的に、テクニック先行の起業支援みたいなものが多くありますが、どうなんでしょうね。テクニックで稼げている人、僕はほとんど見たことがありません。

一例として、僕が知っている起業家は、学部生の頃になんとなく起業したいという思いから、仕事もなく、ビジネスのコアも定まっていないのに、とりあえず株式会社を登記し、そこから自分たちが得意だった動画制作を軸に、広告マネジメントに事業を拡大させ、都内の一等地にオフィスを構え、社員も増やして会社を成長させています。

理念やパーパスは後付け、SNSでの発信もなし。
最初に仕事をくれたクライアントを大切にし、少しづつ仕事を増やし、経験したことがないことは学び、結果を出し、良い評価を得て、満足したクライアントがまた別のクライアントを口コミで紹介して仕事を増やし・・・という基本的なプロセスを充実に回しているだけです。阪神タイガースの岡田監督が「当たり前のことをやれば勝てる」と言っているのと同じなんですよね。稼げている会社の創業者って、こういうパターンが圧倒的に多いです。ピッチなんて、したことないんじゃないかな。

僕は個人投資もしているので、比較的スタートアップスを色々と見ている方だとは思いますが、その基本がないのに「自分がこうしたい」という思いや理想だけが先行して、ビジネスにならない人を山ほど見てきました。そういう人に限ってSNSでの情報発信は立派なのですが、中身がない。他にも、稼ぎたい!という思いでブルーオーシャンに飛びこんだは良いが、マーケットニーズがなくて売上が上がらず、出資先へのリターンも出せずに頓挫したケースも枚挙に暇がありません。

これに関しては過去記事をご覧ください。
思いはあっても仕事はないという現実にどう対処するか(2023年8月11日)

個人的な意見ですが、起業はセンスが9割だと思っていて、自治体やVCなどによるベンチャー支援やスタートアップス投資などのプログラムには非常に懐疑的な部分もあります。誰でも起業とは聞こえは良いが、無理ですって。(いろんな人を敵に回しそう・・苦笑)

結局、補助金や出資金頼みで実利も上がらずにシャブ漬け状態になり、撤退、廃業というケースが多すぎる。そもそもセンスがないんだと思うし、ピッチのテクニックだけが向上し、先に書いた「ビジネスの基本」が出来ていないケースが多いのではないでしょうか。

では、どうするか。
まずは会社員として会社勤めをしながら、社外での越境プロボノ活動やボランティア活動を積極的にすることで人脈を広げ、経験を磨くことをおすすめしています。会社経営で必要なのは、様々な財布(稼ぎのチャンネル)をたくさん持っておくこと。起業しても、クライアント一社からの受託業務をメインに仕事している方も多いですが、それでは契約社員と変わらないし、なにかあったらすぐに切られてしまうということで非常にリスキーです。

いずれにしても会社員をしながら、新しいことにチャレンジし、お小遣い稼ぎレベルでも良いから、本業以外で稼ぐことをやってみる。その積み重ねの先に起業があるのではないでしょうかね。

とにかく、今年は円高基調が予想されるとはいえ、ビジネス環境が厳しいのに代わりはありません。今年も様々な業界で淘汰が進むでしょう。今一度気を引き締めて、がんばってまいりましょう!すべての人にとって今年一年が素晴らしい年になりますように。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

元日の六甲山

不安定を楽しむ

今年も楽しい一年でした。
物理空間と精神空間の間を行ったり来たりし、多くの新しい出会いもあり、また一つ成長できたような気がします。

人は試練の時に真価が問われる。

春の体調不良の時は、多くの方にご心配をおかけしました。人の温もり、励ましの力を本当に実感しましたし、今でも久しぶりに会った方からは「元気?」「最近どう?」という言葉を掛けていただきます。肉体的にも精神的にも決して強くない、いやむしろ病弱で低空飛行が通常という自分を受け入れつつ、それでも生かせていただいているのは、なにか社会の役に立つことをしなさい、と叱咤されているのではないかなと、山や森、神社にお参りに行くたびに思うわけです。感謝の心を忘れず、前へ。

独立して二年目、一人会社の一人社長とはこういうことかと色々学ばせていただいた一年でした。端的にいうと、会社員と違って時間拘束がないので、自分で時間のコントールはできるけれども、自分が動かないと何も進まないし、自分の代わりに仕事をしてくれる人もいない。とにかく自転車を漕ぎ続けるがごとく、自分が動き続けなければならない。そんな感じです。倒れたら終わり、という恐怖心とも常に隣り合わせです。その代わり働いたら働いた分だけ収入はある。この不安定さがなんとも面白いのです。どこにも何にも甘えることはできない。

ありがたいことに仕事が急角度で増え、来年の予定もびっしりと埋まっています。僕のような仕事は年間契約で動くことがほとんどですので、契約更新をしていただくとまた一年、顧問先、支援先の会社と伴走しながら成長を支える、そのようなイメージです。だからこそ、結果が求められる。誰もができる仕事をしていては、必要とされない。専門性、経験、他にない価値とはなにか、それをひたすら自問自答しながら、黙々と磨いてきた一年でした。

よく予測不能な時代、と言われますが、予測できた時代など人類の歴史の中であったのでしょうか。人はどの時代でも予測ができない不安定な世の中で生き、子孫を残し、今この瞬間まで何万年も続いてきたという歴史があります。その時、その一瞬をどう生きるか、その無数の選択の積み重ねが線となって今となり、そして次の時代に続いていくのでしょうね。良いことも悪いこともすべて含めて。

だからこそ、一つひとつの選択を信じて進む。光が指す方向へ歩いていると、本当に不思議なことに新しい人とのつながりができたり、思わぬ人に出会えたりするのです。志をともにする仲間は自然と引き寄せられていくのでしょう。

最後に個人的な今年のハイライトを。

トレイルレース:3月 六甲縦走キャノンボールラン

ゴルフ:約40ラウンド

新しく始めたこと:シニアモデルとしての活動

嬉しかったこと:某学校法人創立100周年記念ゴルフコンペという大きな大会で準優勝

仕事:一般社団法人白秋共同研究所の設立、理事に就任

仕事、ラン仲間、ゴルフ仲間、KNS、大学関係、足祭りボランティアグループ、グローバル人事塾、白秋共同研究所、神社仲間、美容業界・・・様々なコミュニティに属させていただいている自分ですが、多くの仲間たちと共に時間を過ごし、支えていただきました。

また来年も引き続きよろしくお願いいたします。
それでは少し早いですが、良いお年を。